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メッセージ主題:『神をおそれる』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.5.7主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年5月7日主日礼拝式を始めます。

●祈り

角笛

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:あなたがすべて

https://www.youtube.com/watch?v=f4AdnEmMQjQ

賛美②:ありのままに

https://www.youtube.com/watch?v=06X0BY6951o

賛美③:主イエスの御名によって (5月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=MZoyNo5XUx8

賛美④:主イエス神の愛

https://www.youtube.com/watch?v=Di3mHDThCAE

賛美⑤:十字架のかげに

https://www.youtube.com/watch?v=8dq4uQd8CjU

賛美⑥: 夜も昼も

https://www.youtube.com/watch?v=ZGEzSfGBzFM

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年5月14日 主日礼拝メッセージ

●聖書拝読:ルカの福音書12章(新改訳聖書)

中心聖句:

「たとい、人の子をそしることばを使う者があっても、赦されます。しかし、聖霊をけがす者はゆるされません。」(10)

メッセージ主題:『神をおそれる』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

この12章のメインテーマは、「神をおそれる、神を第一とする」ということだと、わたしは考えます。

まず5節●「恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威をもっておられる方を恐れない。そうです。あなたがたにいいます。この方を恐れなさい。」死後の世界をも支配されておられるのは、神です。『死後の世界はなんにもない、ただ無になる』とお考えの方は、私たちが生きていること自体、「無」であるとおっしゃっているのも同じです。その人たちにとっては、一生懸命勉強するのも働くのも、結局は無であるはずです。それでも一生懸命勉強したり、働いたりするのは、よりよい生活を目ざしてのことでしょうが、結局それも死が無ならば、生も無です。生きている価値があるとするならば、死後の価値もあるのです。そして、死後の時間の方が長いわけですから、死後の世界も重要となります。そして、その死後の世界をもつかさどるお方が神様なのです。

そして、その死後の世界をも支配される神が遣わされた御子イエス・キリストを認めるということ、それも人の前で信仰を告白するということも大切なのです。8節●「だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で認めます。」イエス・キリストを人の前で認めるということは、おそれるべき方を知っていると告白していることと同じであります。イエス・キリストが主ですと告白しなければ、神の御子であるイエス・キリストも私たちを認めない、つまり天の御国への招待もないということです。そして、イエス様は、百歩ゆずって、イエス様の悪口を言ったとしても、赦される、いえイエス様は「赦す」とおっしゃるのですが、人の心を悪の支配から解放して悔い改めに至らせる聖霊をののしったり、拒否したり、無視したりすることは、赦されない、つまり永久に救われない、とおっしゃいます。それが10節です。●「たとい、人の子がそしることばを使う者があっても、赦されます。しかし、聖霊をけがす者は赦されません。」ここで、注意しておかなければならないことは、「聖霊をけがす者」とあることです。これは、聖霊をけがし続ける、無視し続ける人のことであります。人が神を知らなければ、聖霊を無視したとしても仕方がありません。ほとんどの人が初めはその状態にあったのではないでしょうか。しかし、聖霊が臨み、神を知り、福音を受け入れることによって、救われていくのです。イエス様のおっしゃる「聖霊をけがす者」とは、福音を聞いたにもかかわらず、福音を拒否し続ける人のことだと考えられます。クリスチャンでも信仰がなくなってしまえば、そのような者とみなされるでしょうし、また、一生、福音に縁遠かった方も、残念ながら天国には招待されません。ですから、先に救われた私たちには、私たちの隣人に福音をお伝えする義務があるのです。もちろん、いやいやながらお伝えするのではなく、喜びをもってお伝えすることが望まれます。

このことは、イエス様は、ペテロに、『目を覚ましている僕(しもべ)』の譬えで話されていて、47節48節に次のように話されています。●「主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。しかし知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。」これは、タラントの譬えと同じであります。マタイの福音書25章にあります。各々のしもべに、5タラント、2タラント、1タラントを預け、主人は旅にでます。しもべたちは5タラントを10タラントに、2タラントを4タラントにしましたが、1タラントをあずかったしもべは、結局なにもせず、隠し持っていただけでした。怠惰や無関心は、与えられたものまでも、取り上げられる要因となります。多く任された者には多く要求されたかもしれませんが、与えられて豊かになったのです。

私たちは、イエス様の恵みを知り、神様の愛を知り、聖霊様との交わりを知り、天国において与えられる平安と喜びを、すでに前倒しで予告編のように体験させていただいています。その上に、私たちが自力で得ようとできない「永遠のいのち」の約束も与えられたのです。私たちはすでに多くを与えられているのです。すでに、神の御心を知りつつある私たちが、福音を伝えなければ、私たちは何の価値もないのです。ちょっと言いすぎかもしれませんが、パウロはもっと自分にきびしく接しています。第1コリント9:16●「私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ。」「福音を伝えなければ、私はわざわいだ」というパウロは、23節でも●「私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。」隣人といっしょに福音の恵みをうける、それこそが、主の望んでおられることなのです。

話しを「聖霊をけがす者」に戻しますが、「聖霊をけがす者、福音を受け入れない者」にありがちなのが「貪欲」であります。イエス様は、15節●「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」とおっしゃいます。その上で、「愚かな金持ち」のたとえ話をされ、続いて、お金で解決しがちな、『食事や服装』のことについて「思い煩うな」と忠告しています。31節「何はともあれ、あなたがたは、神の国を求めなさい。そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます。」と、全知全能の神をあがめ、敬い、恐れなさいと促しています。

マタイの福音書では、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」(6:33)とあります。「神の国」とは、神の支配、「神の義」とは、神との正しい関係を指しています。そして、そこにイエス様が仲介してくださいます。私たちは、イエス様を通して、聖霊様を通して、神の国と神の義を霊的に経験できるのです。イエス様のいらっしゃるところ、聖霊様のいらっしゃるところが、神殿とされるのですから、神の国は、わたしたちのただ中にあり、イエス様との交わりにおいて、神の義を得ることができるのであります。パウロはそのことを次のように記しています。第一コリント6章19節●「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」そして、イエス様は、イエス様を信じる人たちが集まるところも神の国だと示唆しておられます。マタイの福音書18章19,20節●「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」イエス様がいらっしゃるとことが、聖所、神の国ならば、クリスチャンが集まって祈るところも、神の国なのです。

集まって心一つとなって祈るところが神の国ならば、「聖霊をけがす者」になろうはずはございません。「神を恐れない者」となろうはずはございません。共に心一つとなって祈りましょう。そこに神の国があるのですから。ともに祈り、ともに賛美することにおいて、「神をおそれ、神を第一とする」ことが実現し、喜びと平安を得ることによって、私たちが神の国の真っただ中に移されていることを知るのです。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんにお登場いただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: なるほどなぁ、祈るちゅうことは、神様を信じている、神様に期待しているから、

祈れるんやなぁ。せやから、そこに「聖霊をけがしているんとちゃうか」

ちゅう不安はないわけや。

熊: せやなぁ。苦しい時の神頼みみたいに祈ってても、それは、わてらが神様に期待している

から祈るんや。もうそこで、「神を恐れている」「聖霊をけがしてない」ちゅうことに

なるんやな。

八: 今日はなんや、心を込めて祈ることの大切さが分かったような気がするわ。

熊: なんや、「分かったような気がする」だけかい!

八: せやかて、ときどき、わて、失敗してるからなぁ。

熊: なんやねん、その失敗してるって?

八: 心を込めて、ほかの人とも心一つとなって、祈っているつもりやで。

けんど、祈っている最中に、祈りを聞いている最中に、ときどき寝てしもとることが

ある。

熊: そういうことか。それやったら、わても、しょっちゅう失敗してるわ。

また、やらかしてしもた、ちゅうて恥ずかしい話や。

八: けんど、弟子のみなさんも、祈っている時によう寝入ってしもてた。

熊: あ、それ。イエス様がゲッセマネで祈っている最中のことやな。

八: イエス様はペテロに言われはった。●「シモン。眠っているのか。一時間でも目を

さましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、

祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」(マルコ14:37-38)

イエス様は注意はしはったけど、叱っている感じやない、憐れんでいる感じや。

熊: 「しゃぁないなぁ」ちゅう感じかもしれんな。

八: イエス様のおっしゃった、「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい」。

これが、わては、とてつもなく大事やと思うねん。ほら、パウロはんも言ってはる。

コロサイ人への手紙4章2節

●「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」

熊: パウロはん、エペソ人への手紙でも、同なじことゆうてはるでぇ。6章18節

●「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。

そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、

また祈りなさい。」この「御霊によって祈る」ちゅうのは、聖霊様に導かれて祈る

ちゅうことやろうなぁ。聖霊様と一体となることが大切なんかもしれん。

八: 若さん、ゆうてはったなぁ。『祈るのは、手を合わせて祈ったり、膝まづいて祈ったり

する祈りだけが祈りやない。祈りは神様との会話、交わりの時や。

せやから、「絶えず祈りなさい、たゆみなく祈りなさい、祈り続けなさい」

ちゅうことが可能になるんやて。』

熊: イエス様を通して、聖霊様の助けをかりて、神様と交わることが祈りや。

イエス様おっしゃった。ルカの福音書12章24節●「あなたがたの宝のあるところに、

あなたがたの心もある。」ちゅうて。わてらの心が、神様にあれば、

神様がわてらの宝なんや。そして、神様にあるわてらの心は、祈りなんや。

八: まさしく、神様がわてらの宝になるちゅうことは、「神の国とその義をまず求める」

ちゅうことでにもなる。そして、それは、聖霊様を通しての神様との親しき交わり、

神様への祈りによって「求める」ことができるんや。

若さん、「神を恐れる」ちゅうことは、「神を第一にする」ちゅうことでもあるし、

「神の国とその義とをまず求める」ちゅうことでもあるんやなぁ。

聖霊様に祈りを導いていただかな、あきまへんなぁ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。その通りです。どんな時でも神様と会話し、聖霊様によって導かれながら祈ることが、わたしたちクリスチャンにとって、不可欠なこと、体のビタミンみないなものでは、ないでしょうか。本当の意味での祈り、祈ることを忘れたクリスチャンは、神様との豊かな交わりをもてず、天の御国での喜びと平安が前倒しで与えられる特権も逃していて、まことに損をしています。では、その人たちは切り捨てられるのでしょうか。イエス様は、疲れて寝入ってしまった弟子たちを、注意こそすれ、憐れまれました。同じように、祈ることを忘れ、神の国を求めることができなくなった『眠っている』クリスチャンを、イエス様は必ず、憐れみを持っていやされると私は信じています。そして、私たちも注意をしないといけません。祈りが形式的になっていないか、心が伴っているかどうか、心が神という宝にあるかどうか、祈りながら神の国を求めているかどうか、聖霊様にチェックしていただかなくてはいけません。

私は、ときどき、自分の祈りが形式的になってしまっていると思わされた時に、古い童謡「かなりや」を思い出すのです。西條八十の歌詞ですが、「唄を忘れたカナリヤは、」見捨てられるのは、かわいそうだ、「象牙の船に、銀の櫂、月夜の海に浮かべれば忘れた唄を思い出す」と締めくくられています。忘れたことを責められるのではなく、最高の環境を造ってあげて、唄がもどってくるようにする。イエス様も私たちを、聖霊様を通して、そのように手厚く導き、祈りができるように、なにわともあれ、神の国を求めることができるように、忍耐をもって憐れんでくださるのであります。少なくとも私はそう信じています。そして、そのイエス様の憐れみに、心から感謝したいと思わされるのであります。

さて、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、祈りや賛美を通し、神を恐れ、神を第一にしますという思いを込めて、「神の国を求めます」です。では、三回宣言いたします。よろしくお願いいたします。

「神の国を求めます」、「神の国を求めます」、「神の国を求めます」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇145篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書17章20-21節。

「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

黙想いたします。詩篇145篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:神の国と神の義

https://www.youtube.com/watch?v=Yr4jKz_7usg

賛美⑨:主よ終わりまで

https://www.youtube.com/watch?v=g6x2Kyf5k3Q

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の5月7日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: ルカの福音書11章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/