ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2023.5.21主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)
●午後5時開会:ただいまより、2023年5月21日主日礼拝式を始めます。
●祈り
角笛
礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
続いて
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:わたしの望みは
https://www.youtube.com/watch?v=CeY6VxJGKkA
賛美②:たたえよ救い主イエスを&感謝と喜びを
https://www.youtube.com/watch?v=HobTfcnFt_0
賛美③:主イエスの御名によって (5月の歌)
https://www.youtube.com/watch?v=MZoyNo5XUx8
賛美④:主は良いお方
https://www.youtube.com/watch?v=Pap_uwrW1hE
賛美⑤:罪重荷を除くは&Only a God like You
https://www.youtube.com/watch?v=0MnvXEYK94Q
賛美⑥:御手の中で
https://www.youtube.com/watch?v=6Jatal3F0KM
【YOUTUBE配信開始】
2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。
いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)
第1の幸い(マタイの福音書5章3節)
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)
第2の幸い(マタイの福音書5章4節)
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」
(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)
第3の幸い(マタイの福音書5章5節)
「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」
(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)
第4の幸い(マタイの福音書5章6節)
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」
(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)
第5の幸い(マタイの福音書5章7節)
「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」
(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)
第6の幸い(マタイの福音書5章8節)
「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」
(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)
第7の幸い(マタイの福音書5章9節)
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)
第8の幸い(マタイの福音書5章10節)
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)
●2023年5月21日 主日礼拝メッセージ
●聖書拝読:ルカの福音書12章(新改訳聖書)
中心聖句:
「努力して狭い門からはいりなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから」(24)
メッセージ主題:『狭き門』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
このルカ13章では、イエス様は、「悔い改めなければ滅びる」こと、それを「実のならないいちじくの木」に譬えられました。また、安息日であっても腰の曲がった婦人をいやされ、その続きで「神の国」を「からし種」と「パン種」に譬えられました。そして、「神の国」への「狭い門」と、エルサレムでの死、つまりキリストとしての最大の使命を預言されました。私は、この13章も、12章と同じように神の国を求めることが主題ではないかと思っています。しかし、12章は、「神を恐れ、神を第一にすることを通して、神の国を求めるのに対して、13章では、神の権威はイエス・キリストにあり、イエス・キリストを誠心誠意愛することによって、神の国を求めることになると言っているように、私は考えます。そのことを代表するのが、今日の「狭い門」ではないかと思うのであります。
さて、今日のタイトル「狭き門」ですが、日常でも、ときどき、耳にする言葉です。私たちが日常つかう「狭き門」とは、競争率が高く、定員数が決まっていて、難関な、入学や就職についてのことです。このルカ書の「狭い門」は、御国・天国の入り口ですが、この天国には定員がありません。イエス様が再びこの地上に裁き主として降りてこられる携挙のときまで、イエス・キリストを心から信じる人だけが入れます。ですから、この「狭い門」は、天国にいける人の競争率や定員ではなく、「はいろうとしても、はいれなくなる人の多さ」を強調しているのです。
では、「入れなくなる」人とはどういう人なのでしょうか。もちろん、イエス・キリストを信じない人ですが、この言葉はどこで語られた言葉でしょうか。ガリラヤ湖で主の言葉を宣べ伝え、エルサレムへ向かう途中の町々や村々で、語られた言葉です。つまりユダヤ人の町々や村々でありました。そこでは、律法を守ることで、天国にいけると信じられいましたが、律法を守ることに専念しすぎて、神のみ旨を推し量ろうとしない、そのような人たちがそこにはいました。そして、そのような人たちに、イエス様は語られました。
ですから、イエス様はわざわざ「入ろうとする」という表現を使われました。律法を遵守し、努力して、神に受け入れられようとしたのでした。規則をきちんと守ろうとするあまり、その規則のもともとの意図から遠くなってしまっていては、結果的に入れないのです。
イエス様が提示する福音はとてもシンプルです。イエス様のいのちによって、私たちの罪はすべて肩代わりされ、赦され、また、イエス様が三日目に死を克服してよみがえり、私たちに永遠のいのちをお与えくださる約束をしてくださった。その人が、努力して善行を積んで、天国にはいるようにすることではありません。しかし、ここで、ふと疑問が生じます。イエス様は、そんなことは百も承知で「努力して狭い門から入りなさい。」とおっしゃいます。『ええ?努力せんと天国に入れんとちゃうのかい』と突っ込みたくなるところであります。しかし、イエス様のこのお言葉は「神をあがめるための、誠意」を表していると考えられます。
律法の二本柱を思い出してみてください。
●「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マタイ22:37)
●「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マタイ22:39)
また、これらはイエス様のお言葉でありますが、申命記にも同じような表現で次のようにあります。
●「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、あなたの神、主を愛しなさい。」(6:5)
イエス様の「努力して狭い門から入りなさい。」と、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」とは、いわば同義語です。『神を恐れ、神に仕え、神に従い、精一杯愛する』そのことを『努力する』とおっしゃっておられるのです。
さて、新約聖書には、もう一つ、「狭い門」があります。マタイの福音書7章13-14節●「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」イエス様は、二つの道(いのちに至る道と滅びに至る道)、二つの木(良い実を結ぶ木と悪い実を結ぶ木)、二つの告白(天の父の御心を行なう者、行なわない者)、二つの家(岩の上に建てた家と、砂の上に建てた家)これらの譬えを、黄金律●「何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。」(マタイ7:12)を提示された後に、話されました。神のみ旨は、「隣人を愛せよ」その愛し方が『黄金律』「何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。」となりました。そして神のみ心は、いのちに至る道である狭い門にあり、良い実を結ぶ良い木にあり、天の父の御心を行なう者にあり、岩の上に建てた家にあります。マタイの福音書の「狭い門」とは、いのちに至る道に通じる門であり、救いの門です。そして、ヨハネの福音書10章9節にある、●「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」とおっしゃった、イエス様こそがそのいのちの門であり、マタイの福音書の「狭い門」と同じであります。
しかし、ルカの福音書にある「狭い門」は、『神を恐れ、神に仕え、神に従い、精一杯愛する』ことであり、本当の意味で、イエス様を信じ慕い信頼する人が入ることのできる門であります。
「努力して狭い門からはいる」、イエス様にしがみついてでも離れないでいること、悪の誘惑うからも惑わされないで、しっかとイエス様だけを見つけて生きてゆく、そのことの難しさを、イエス様は、「努力して狭い門からはいりなさい」とおっしゃっておられるのではないでしょうか。
さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんにお登場いただきましょう。
八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。
―――――
八: わてなぁ、この「狭い門」で思い出すのが「狭い道」でなぁ、、、
熊: それって、イザヤ書のたしか40章にあったところかぁ。
「険しい道は平らに、狭い道は広い谷となる」ちゅうところか。
神様への服従を表したところやなぁ。
八: いや、ちゃうねん、民数記の22章にあるバランとしゃべるロバの話や。
熊: バランとしゃべるロバの話? どんなんやったかいなぁ?
八: 占い師でも預言者でもあったバランが、ロバに乗って狭い道を行っている時、
刀をもって御使いはんがあらわれて、狭い道をふさいだ。それを見たロバが、
御使いはんを避けるために、道からそれて、畑の中にはいった。
バラムは、「なにしてんねん!」って言うて、ロバをムチ打って、道の戻そうとした。
ほんならこんどは、御使いはんは、石垣に挟まれた狭い道に立ったんや、
ロバは石垣により過ぎて、バラムはんの足が石垣に当たった。「痛いやないか、
なにすんねん!」って、せやから、バラムはんは、またロバをムチで打った。
ほなら、こんどはもっと狭い道に、御使いはんは立ちはだかった。それに観念してか、
ロバがうずくまってしもた。そんで、怒ったバラムは、「はよ、動かんかいな!」
ゆうて、ロバをまたムチうった。そこで、ロバが口がきけるようにされて、
「なんでムチうつねん。わてがなんか悪いことしかた!」ゆうて「ずっと文句もいわず、
働いて来たやないか」ちゅうて。ほんなら、御使いはんが、バラムの目のおおいを
取り除いて、御使いはんが見えて、なんでロバが変な行動をとったのか分かった
らしいわ。そんで、バラムはんは、悔い改めたちゅうはなしや。
熊: なんで、御使いはん、立ちはだかったんやろ。
八: バラムはんが主の声に聞き従わなかったから、らしいわ。
熊: んで、そのバラムはんの狭い道ってなんか意味あんのかいな。
八: その狭い道は、なんでも、神の声に聞き従わへん、自己中の道らしい。
熊: けんど、ロバが人間の言葉をしゃべるんかいな。神様のわざやなぁ。
むかし、馬がしゃべるちゅうアメリカのテレビがあったなぁ。
八: あ、それ、ミスターエドや。
熊: あれ、おもろかったなぁ。
八: まあまあ、それはええわいな。それよか、「狭い道」や。
さっき、熊、ゆうてたな、イザヤの40章のところ。
熊: ああ、「険しい道は平らに、狭い道は広い谷となる」ちゅうところやな。
神様に従えば、険しい道も平らにされて、歩きやすくなる。
狭い道も広くされて、足を踏み外して転げ落ちることもあらへん。
八: バラムはんの狭い道も危なっかしい道なんや、自己中の。
すぐに転げ落ちくかもしれへん道や。せやから、御使いはんがたちはだかった。
熊: 旧約聖書の「狭い道」が、自己中の神に従わない道やとしたら、イエス様は、
その逆転の発想やったんやな。びっくりしたやろうなぁ、みんな。
ユダヤの人にとって、「狭い道」はあかん道や。けんど、イエス様は、
そのあかん「狭い道」こそが、わたしの道、永遠のいのちに導く道や、
ゆうてはんねんな。
八: 広い道が、みんなが通る、けんど実は神をないがしろにする道で、それに気がつかへん。
みんなで渡れば怖くないちゅう感じやな。「あかん」と思てた狭い道は、
実はバランのように悔い改めに導く道、自己中やのうて、ほんとうの意味で
神中心の道、神様により頼まなければ、すぐに転げ落ちる「狭い道」なんやなぁ。
熊: せやから、「努力して狭い門からはいりなさい。」それでないと、道から転げ落ちますよ、
ってゆうてはんのかもしれへんなぁ、イエス様は。イエス様に努力して必死で、
しがみついてないとあかん道なんや、いのちの道は。
八: なんか、やっとすっきりしたような気がするわ。若さん、「狭い門」に「狭い道」、
イエス様に頼って、頼って、頼り切って、渡らしていただきましょなぁ。
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。「狭い門」と「狭い道」、救われる人数が少ないというのではなく、危なっかしい道、試練や患難もたっぷりあるかもしれない道、だからこそ、イエス様にしがみついておかないといけない。遊園地の乗り物でいったら、メリーゴーランドや観覧車ではなくて、ジェットコースターのようにしがみついておかないと、振り落とされそうなものなのかもしれません。
誠心誠意、イエス様を慕い求めましょう。
さて、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、私たちの希望である神の国を見すえて、狭い門である「いつもイエス様を慕い求めます。」です。では、三回宣言いたします。よろしくお願いいたします。
「いつもイエス様を慕い求めます」、「いつもイエス様を慕い求めます」、「いつもイエス様を慕い求めます」。アーメン!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇42篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書6章29節。
「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」
黙想いたします。詩篇42篇。
黙想時の曲
⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑧:慕い求めます
https://www.youtube.com/watch?v=Xxa8CrNhY1A
賛美⑨:どんな時でも
https://www.youtube.com/watch?v=64er54gdx2E&list=RDEMU1717cBE5g7giZYLWKdw_w&start_radio=1&rv=sLtgBu5Cklc
●礼拝の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の5月28日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。
聖書: ルカの福音書14章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/