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メッセージ主題:『キリストの弟子となる』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.5.28主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年5月28日主日礼拝式を始めます。

●祈り

角笛

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:いつも喜んでいよう~満たしてくださる方

https://www.youtube.com/watch?v=UOls4KJ3FwY

賛美②:なんて麗しい名

https://www.youtube.com/watch?v=sF-lpfqlyVA

賛美③:主イエスの御名によって (5月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=MZoyNo5XUx8

賛美④:主は御座におられる

https://www.youtube.com/watch?v=H2b37VjtjWA

賛美⑤:主をあおぎみれば

https://www.youtube.com/watch?v=a7ggxL-bO6s

賛美⑥:主はあなたを守る方

https://www.youtube.com/watch?v=IuVF3FMSDFc

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年5月28日 主日礼拝メッセージ

●聖書拝読:ルカの福音書14章(新改訳聖書)

中心聖句:

「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」(27)

メッセージ主題:『キリストの弟子となる』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

このルカ14章では、「安息日に人をいやすこと」「接待された時の心得」「大宴会に招かれた者」「弟子の条件」「塩気のなくなった塩」、以上5つのことが記されています。しかし、これらのメインテーマは、大胆に申し上げることをお許しくだされば、わたしは一つであると思うのです。それは、「イエス・キリストの弟子としての心得」です。

★キリストの弟子としての心得①

『安息日に関係なく、人を手伝い、助ける。』

イエス様は、ご自身が、「安息日の主」(マタイ12:8)だとおっしゃいます。つまりイエス様に仕え、イエス様を礼拝することがすべてに優先されるのです。そして、イエス様に仕え礼拝するということは、イエス様が行なわれたように、安息日であっても、いえ安息日に限らずいつでも人を手伝い、助けることでもあるのです。●「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」(ヨハネ5:17)とイエス様はおっしゃいますから、弟子もそのようにするのが当然でしょう。

招かれざる客である水腫をわずらった人をイエス様は抱いて癒されました。皮膚病の人にさわっても、その人の着物にさわっても汚れるとされた時代に、イエス様は抱擁して、その病気をいやされました。癒やしや救いに安息日は関係なのです。いえ、逆です、安息日だからこそ、霊も体も癒しや救いが必要なのです。

★キリストの弟子としての心得②

『招かれた時だけでなく、いつも自分を低くしておく。』

聖書には、高慢と謙遜、高ぶる者とへりくだる者のことがよく出てきます。

ヨブ記22:29●「あなたが低くされると、あなたは高められたと言おう。神はへりくだる者を救われるからだ。」

箴言3:34●「あざける者を主はあざけり、へりくだる者には恵みを授ける。」

ピリピ人への手紙2:3●「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」

口先だけのへりくだりは、その行動でみわけられることも多いでしょう。それが、イエス様がおっしゃる「招かれた人々が上座を選ぶ」と言うことに、その人の高ぶりが現われるのです。

また、招く側も見返りやお返しを期待するということは、ある種の傲慢でもあるでしょう。ですから、イエス様は、お返しのできない人々を招待するように勧めています。これも一つのへりくだりの現われです。

★キリストの弟子としての心得③

『イエス様に招かれれば、それを優先させる。』

これは、イエス様の大宴会の譬えのところです。宴会の招待を、なんだかだと理由をつけて、招待を丁重に辞退する。この招待は、実はイエス様からの天の御国の招待です。または、それに準ずる導きです。イエス様のおっしゃる●「あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです」(14:24)は、イエス様との親しい交わりであり、永遠のいのちを表しています。神さまやイエス様の導きや招きは、私たちにとって最良のものです。それをないがしろにして、自分の思いを優先させてはいけないのです。それは、あたかも、イエス様を敬愛してやまない信徒マリヤのイエス様の教えに聞き入る態度と同じです。イエス様はおっしゃいました。●「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:41-42)「あなたは、何を優先させるのか」とイエス様は弟子たちに問われていたにちがいありません。ちがった表現をすれば、●「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」(マタイ6:21)では、「いまのあなたは、どこに宝をたくわえていますか」と弟子たちに問われているのと同じです。

★キリストの弟子としての心得④

『世間の目を気にせず、誘惑に負けず、いのちをかけて主に従い、この世の富に心を奪われない。』

さて、14章25節から33節までには、「わたしの弟子になることはできません」という言葉が3回出てきます。26節●「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。」27節●「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」33節●「自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。」

だれでも家族は大切です。しかし、家族が反対をしたから、と言って信仰を失くすことがあってはいけないと、イエス様は諭します。ですから、ある意味、イエス様への信仰は、家族の断絶を覚悟せざるを得ない、いのちがけなのです。それをイエス様は「自分の十字架を負う」という表現をなさっておられます。自分の十字架とは自分のいのちです。また、「自分の全財産を捨てる」とは、『今すぐ、全財産を放棄して、無一文になりなさい』とおっしゃっておられるのではありません。この世の富は、天の御国には持ってはいけない、この世の富に固執してはいけない、心を奪われてはいけない」と注意喚起しておられます。弟子たちを宣教につかわされた時の忠告を思い出してみてください。●「あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖の持たずに行きなさい。働く者が食べ物をあたえられるのは当然だからです。」イエス様は、主がすべての必要を満たして下さると信じ、質素きわまりない状態で、弟子たちを世に送り出しました。イエス様は、弟子たちに、主に従い、主に頼るという訓練をなさったのです。これは、極端な感じもしないではありませんが、イエス様は、弟子となる心構えを説かれておられるのです。

★キリストの弟子としての心得⑤

『親切で、ひとりひとりを大切にする。』

塩気のところですが、塩は食べ物の味を引き立たせ、またまろやかにもします。イエス様は、弟子たちに、塩のような人になりなさいとおっしゃっておられるのです。つまり、人を人らしく、生き生きとし、人を優しく、平安にさせる。もちろん、それは、聖霊様の働きです。しかし、その聖霊様の働きをうながす役割が弟子としての務めだということもいえるのではないでしょうか。

パウロはコロサイ人への手紙4章6節で次のように唱えます。●「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。」自分勝手ではなく、相手のことを大切に思う、むずかしいことではありますが、相手を引き立たせ、相手をまろやかにする塩気。私たちの力だけではできない、イエス様、聖霊様の力で後押しをしていただかないとできないのです。その塩気も弟子の大切な要素なのです。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんにお登場いただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: ひやぁ、イエス様の弟子になるんて、結構、大変なんや。

『キリストの弟子となる心得五か条』わて、知らんと今まで、イエス様の弟子と

なろうと頑張ってきてたような感じがするわ。

熊: ほんまやなぁ。けんどな、今日はペンテコステ、聖霊降臨、弟子たちに聖霊様が宿る

ということを記念する日や。つまりは、本当のキリストの弟子となるちゅうことでも

あるんとちゃうやろか。

八: せやなぁ。イエス様おっしゃった。●「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、

あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、

および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

聖霊様がわてらに臨まれて初めて、わてらは力を発揮して、大胆にイエス様を

証しできるんや。

熊: 120人の弟子に、聖霊が臨まれて、●「炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとり

の上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊がはなさせてくださるとおり

に、他国のことばで話しだした。」(使徒2:3-4)

そして、弟子たちは、恐れず臆せずイエス様の恵みを語り出しはった。

八: たしかに、信仰告白をして、聖霊様がわてらの心に入ってきてくださった。

その聖霊様がわてらにイエス様を証しする力をくださるんや。

聖霊様がわてらの心に入って来てくださらないかぎり、わてらはほんまもんの

キリストの弟子とはなれんのかもしれん。そして、その弟子たちの集まりが教会や。

せやから、ペンテコステは、広い意味での教会の誕生の日でもあるんやな。

熊: ということは、あれかい。今日の「弟子の五か条」はいらんちゅうことか?

八: いや、そんなことはない。「弟子になるための五か条」は、わてらからのアプローチや。

聖霊降臨は、イエス様からのプレゼントや。

熊: やっぱり、そうやわな。プレゼントだけ、もろて、ウハウハしてるだけやったら

あかんわな。ところで、ちょっと話は変わるけど、わて、知ってるねん。

若さんがな、弟子となるために、イエス様信じた時に、親に反対されようが、

親から勘当されようが、イエス様からは離れへん、ちゅうて、アメリカにおったときに、

親に手紙を書いたの。

八: ああ、それやったら、わてもきいてんでぇ。十何枚も手紙を書いて、日曜日の朝に

投函して、礼拝中ワンワン泣いてたって。あのルカの福音書の14章26節の言葉が

ぐさっと来た、ゆうてたよなぁ。

熊: イエス様を信じたがゆえに、家族と離れるのはつらい。若さんの親のように、

しぶしぶでも理解してくれたらええけど、そやなかったら、辛すぎる。

八: 血のつながった家族は大切や。けんど、それは、この世でのこっちゃ。それにひきかえ、

教会は、イエス様によって養子縁組された、父も母も、おじいちゃんおばあちゃんも、

兄弟姉妹も、息子や娘もおる、孫もおるかも知れへんな。

熊: わてなぁ、イエス様が十字架にかけられておるときやのに、母マリヤと弟子のヨハネを

養子縁組させはった。あれなぁ。イエス様を信じる人は、神の家族、イエス様を通して

養子縁組されているちゅうことをおっしゃってるんとちゃうやろか、っておもてんねん。

だから、教会は、イエス様を信じる教会やったら、どこの教会でも、大きな意味で、

神の家族なんやなぁ。そうおもたら、血のつながった家族もええけど、

天の御国では、神の家族が、イエス様と一心同体となった家族が、

もっとも大事になってくるんやろうなぁ。

八: 血のつながった家族と、霊的な家族と、どっちが大事かって、較べられるもんやない。

どっちも大切や。やから、パウロはんとシラスはんは、●「主イエスを信じなさい。

そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」ちゅうてる(使徒の働き16:31)。

熊: それって、家族の中でひとりが救われれば、自動的に、他の家族も救われる

ちゅうことかいな。

八: いやいや、ちゃうがな。これは、家族の中でひとりがイエス様を信じたら、その人が、

家族に伝道しなさい、証しをしなさい、、、って励ましてるねん。自動的に救われる

ちゅうことがありえるわけない。そして、家族が救われるためには、「イエス様に

よって変えられた」と思ってもらわなあかんし、家族に対しても『謙遜』を身に

つけんとアカンねんやろなぁ。

熊: 『謙遜』なぁ、弟子としての心得第二か条やな。こうしてみると、弟子としての心得、

全部つながってんねんなあ。

八: ということわやでぇ、あの心得五か条のどれでもええから、一つ選んで、それを守る

ようにしてたら、他のものも良くなってくる。五つを同時に守らいでも、

その一つでも守れそうになったら、他のものもついてきよる、、、のんとちゃうやろか。

熊: そうやったら、少しは気が楽やわな。八やったら、それ選ぶ?

八: そやなぁ、わては塩味やな。親切にして、ひとりひとりを大切にしたい。熊はどうなんや。

熊: わては、「いつも自分を低くしておきたい」。しょっちゅう、「わてが、わてが」ちゅうて

自分優先になるときがあるから。

八: 若さんはどないなん。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。私は、イエス様の招きを優先したいと思います。つまり、イエス様の声に常に敏感でありたいと思います。サムエルのように、●「お話しください。しもべは聞いております。」(1サムエル3:10)と、言いたいものです。八さん、熊さんの言うとおり、この五か条をすべて守ることは私たちに人間には無理です。そこには聖霊様の助けが必要です。いえ、聖霊様が働いてくださっても、5つも満たすのは難しい。私のもっとも大切な聖句「いつも喜び、常に祈り、すべてに感謝する」これもわたしたちの努力ではできません。その次の聖句、「御霊を消してはいけません」とありますが、この「いつも喜び、常に祈り、すべてに感謝する」の根底には、聖霊様が働いてくださって、なんとかかんとかできるのです。これは一つの宣言でもあります。「聖霊様の助けをかりて、いつも喜びます。常に祈ります、すべてに感謝します」。同じように、今日の五か条もキリストの弟子となるためのものではありますが、聖霊の助けをかりて、そのように一つの項目でもならせていただきますと宣言させていただく。それが、この14章のひとつの読み方ではないでしょうか。五か条の全部でもなくて、一つでも聖霊様の助けをかりて、宣言させていただきましょう。

さて、では、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、この心得五か条を想いつつ「キリストの弟子となります」です。では、三回宣言いたします。よろしくお願いいたします。

「キリストの弟子となります」、「キリストの弟子となります」、「キリストの弟子となります」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇27篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書10章27節。

「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」

黙想いたします。詩篇27篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:一万の理由

https://www.youtube.com/watch?v=0EOUwUrsne4

賛美⑨:栄光から栄光へ

https://www.youtube.com/watch?v=AeS8U6JmCCs

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の6月4日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: ルカの福音書15章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/