· 

メッセージ主題:『淵の向こう』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.6.11主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年6月11日主日礼拝式を始めます。

●祈り

角笛

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:我がたましいよ歌え

https://www.youtube.com/watch?v=y1Ogyu-3_T0

賛美②:叫べ全地よ

https://www.youtube.com/watch?v=G51Xc9oCT88

賛美③:わが心の目を開いてください (6月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=qEUZ9ftVCTE

賛美④:あなたは来られた

https://www.youtube.com/watch?v=4xejvnNkoB4

賛美⑤:アバファーザー

https://www.youtube.com/watch?v=83qKc5fgR5w

賛美⑥:御国と力と栄光

https://www.youtube.com/watch?v=VVm_HykNNsw

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年6月11日 主日礼拝メッセージ

●聖書拝読:ルカの福音書16章(新改訳聖書)

中心聖句:

「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(13)

メッセージ主題:『淵の向こう』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

ルカ16章では、イエス様は、「『不正な管理人』のたとえ」と「表面的な律法の守りと神の国」、それと「金持ちとラザロ」の話をなさっておられます。

「『不正な財産管理人』のたとえ」では、主人のお金をちょろまかしている財産管理人が、主人から仕事をクビになった時のために、自分の味方をつくり、路頭に迷わないようにしようと、それぞれの債務者たちの債務、つまり借金の金額を少なめに書き直し、彼らに恩を売って、いざという時に備えたのであります。それを聞いて主人は、その財産管理人をほめました。叱るどころかほめたのであります。そして、イエス様は、次のようにおっしゃいました。●「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを永遠の住まいに迎えるのです。」ちょっと私は、ここで?がつきました。「不正の富」とはこの世の富、この世の価値の基準であるお金です。「そのお金を使って、友をつくる」これはまだ納得できます。『お金を自分のためだけに使ったり貯めておいたりするのではなく、友をつくるため、友を手助けするために使う』ということです。しかし、次のことばに納得できません。●「そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」ここでの「彼ら」とは、お金を用いて手助けした友です。その友が永遠の住まい、つまり天の御国に迎える? この友とはいったい何者でしょうか。私たちを永遠の住まいに招き入れることができるのは、イエス様だけです。そして、イエス様は、イエス様を信じる人を「友」と呼ばれました。では、イエス様はお金に困っていることはあるのでしょうか。そんなはずはありません。イエス様は無から有を生み出せるお方です。では、お金を用いてイエス様を手助けするとはどういうことでしょうか。ひとつは、教会や諸宣教団体への献金かもしれません。イエス様が頭となっておられる教会に献金することによって、教会の運営がなされ、宣教費用ともなる。もしくは、神様に献げるように、困っている方や団体に献げる。まあ、イエス様に恩を売っているのではありませんが、イエス様はお喜びになられることはもちろんのことでしょう。イエス様のおっしゃる「友をつくる」ということは、「だれかれなしに、この世の富を使って友をつくる」ということではなく、主の働きに用いられるよう献げるということなのです。所詮、お金で得た友は、お金が無くなると去って行ってしまいます。そして、そういう人は、私たちの友ではありません。先週の放蕩息子のたとえ話がいい例であります。イエス様は、『お金の使い道』について、「自分のためだけに使うのではなくて、自分のため以外のことにも使いなさい。」とおっしゃっておられるのです。

ですから、次の10節11節で、●「小さなことに忠実な人は、大きい事にも忠実であり」●「不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。」とおっしゃいます。つまり、この世の富、お金の使い方は、天における神様への「忠実」のバロメーターとなっているのです。そして、イエス様は本題へと入って行きます。

●「しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(13)

ここでの「富」とは、この世の価値基準でしょう。それを生きる中心としていくのか、はたまた、天の価値基準、「神」を愛し仕えて行くのか、そのことをイエス様は問われているのです。そして、そのことは、律法と預言に代表される旧約から、今はすでに、神の国の福音であるイエス様に移行しているのだとおっしゃっておられるのです。律法の規則にある「だれでも、妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ」(マタイ5:31)という項目を逆手にとって、離婚後の結婚を「姦淫」であると、パリサイ人たちにつきつけます。これは、実際の離婚問題というよりも、「神に仕えるのか、この世の富に仕えるのか」と迫っておられるのです。

そして、「金持ちとラザロ」のたとえでは、金持ちにもラザロにも死は平等に訪れることが説かれ、「この世の富に終始していた金持ちはハデス(地獄)に落ち、正直者のラザロは、天の御国へと招かれる」のです。イエス様はアブラハムの口をとおして●「私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えてくることもできないのです。」(16:26)とおっしゃいます。さて、皆さまはどうでしょうか。死んだ後、その淵のどちら側に立っているとお思いでしょうか。心をこの世の価値基準におくのか、天の宝であるイエス様におくのか、生きている今の内に決断しないといけません。死んでからでは遅いですし、『死ぬまぎわにイエス様を信じる』と予定を立てたとしても、当の「死」がいつ訪れるのか、私たちには分かりませんし、そんな人間の計画どおりにはいかないのです。脅すわけではありませんが、死はあなたのすぐそばにあってもおかしくないのです。今、生きているのは、奇蹟の連続なのです。生きているのではなく、神様の憐れみによって、生かされているのです。肉体の死だけではありません、たましいの死をもつかさどる、主をおそれましょう。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんにお登場いただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: そやけんど、なんやなぁ。「不正の富を使って、友をつくれ」ちゅうのは、

誤解されやすいなぁ。

熊: 「不正の富」ちゅうて、お金のことやってんな。若さん、ゆうてはったやろ。

わて、なんか博打や詐欺でだましとったお宝かと思てたわ。

そやから、なんかおかしいなぁと思ててん。

八: 若さん、「この世の価値基準」や、ちゅうっても言はったなぁ。

熊: けんど、もともと、お金使うて、本当の友だちちゅうのはつくられへんやろ、

そんな友だちは金目当てや、友だちとちごて、寄生虫や。

ほら、昔っから言うやないか、金の切れ目が、縁の切れ目。

八: イエス様の「不正の富を使って、友をつくりなさい」ちゅうのは、

「友となるべき人の援助をしなさい。」ちゅうことでもあるんやろうし、

若さんが言うてはった「わたしたちを友と呼んでくださるイエス様の恵みをお伝えする

教会や団体に、献金する」ちゅうことなんかも知れんな。

もちろん、困っている人に援助をするちゅうのも大切なことやけれど、

だれかれなしに援助するちゅうことにはならんわな。

熊: そこは、むずかしい話や。それに、「不正の富を使って、友をつくりなさい」ちゅう

ことは、「お金を賢く使いなさい」ちゅうてることでもあるんやて、若さんゆうてた。

八: この世の富は、天国には持って行けん。せっせと貯めるのもよろしいんやけど、

この世の富は、主のために、主が栄光を受けられるためのものなんやろな、きっと。

日本人は、貯蓄大好きやから、いろんなところにごっそりもってはんねんやろうな。

箪笥貯金。いざというときに箪笥貯金かもしれんけど、お金は使ってなんぼや、と

わてはおもうでぇ。神さまに資産運用してもらうのが一番や。

熊: わて、貯蓄なんて無理。その日、その日の暮らしに精いっぱいなんやから。

献金もやっとこさや。そんなわてみたいな貧乏人はどうしたらええんかいなぁ。

八: イエス様は、お金にこだわっておられる訳やない。その人のこころをみはるんや。

もしも友だちがおれへんかっても、イエス様が友だちとなってくれはる。

わてには、熊と若さんがおる。お金つこてないけどな。感謝や。

熊: しかし、あれやなぁ。日本のことわざには、「三途の川も金次第」ちゅうてるけど、

この世の富で、三途の川なんて渡れっこない。それに、三途の川も渡れへんぐらい

大きいんかも知れん。「越すに越されぬ大井川」てなもんや。

八: まあ、イエス様は「三途の川」とはゆうてはれへんけどな、天国と地獄、そこには大きな

淵があるっておっしゃった。その淵のどっちがわにおるのか、ちゅうて若さん言いはる

けど、そりゃ、イエス様のいらっしゃる天国のほうやろ、わてらは。

熊: せやけど分からへんでぇ。八は、『レフトビハインド』ちゅう映画みたことあるか。

八: あるある、イエス様の携挙がはじまって、イエス様を信じている人、死んでた人も

生きている人たちも、みんな、上げられ空中でイエス様をお出会いする。

イエス様がわてらを迎えにきてくださるんやな。

けんど、その映画は、その人たちやのうて、地上に取り残された人たちの物語

やったわな。取り残された人の中には、牧師もおった。わてな、あれ見てて、思たわ。

わてら、毎日が勝負や、って。

熊: なんやねん、その「毎日が勝負」って。

八: だってそやろ。わてらは、イエス様がいつわてらを迎えにきてくださるか分からへん。

だから、イエス様は「目を覚ましておきなさい」っておっしゃる。

熊: 「目を覚ましておきなさい」ちゅうたって、24時間目を覚ましておくことなって

でけへんでぇ。

八: あたりまえや。天のお父様は、わてらに、睡眠も大切やゆうことも分かっておられる。

わてらをお造りになった方やからな。

熊: んじゃ、なんで、「目を覚ましておきなさい」ちゅうねん。

八: 「心の目をさましておきなさい」ちゅうこっちゃがな。

「いっつも、神様の方を向いていなさい」ちゅうこっちゃ。

わてらには、罪を犯す性質がある。これは死ぬまで直らん。心が眠ってしもたら、

すぐ罪を犯してしまいよる。罪の誘惑が入ってこえへんようにするには、いっつも、

イエス様の十字架の恵みを思とかなあかん。

熊: 罪の誘惑が入ってこんように、若さんの十八番、「いつも喜び、常に祈り、すべてに感謝

する。それには聖霊様の手助けが必要や。」このことが、いるんやな。

八: そや、第一テサロニケ5章16~19節やな、やっぱり。わては、これに尽きると思てる。

熊: み言葉も大事やで。イエス様が40日40夜、断食されて、わざわざ誘惑を受けやすい体に

なられて、悪魔の誘惑を受けはった時、すべて、み言葉で反論しはった。

あれは、わてらに、わてらの考えで悪魔の誘惑と闘うんやのうて、み言葉で、

悪魔の誘惑を防ぐちゅうか、そのみ言葉を思い起こさせてくださるのも、

み言葉の使い方を教えてくださるのも、聖霊様やねんけどな。

八: だから、わてらは、聖書を毎日よんで、み言葉に触れとかなあかん。

日々の糧やからな、み言葉は。エネルギー補給や。

熊: ところで、話は変わるけど、「不正の富」に仕えるか、「神」に仕えるか。

どっちかや、ちゅうてはったけんど、イエス様、「不正の富」をあんまり悪者扱い

してはれへんよな。

八: そやなあ、11節では、●「あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、

だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう」といいはるぐらいやからなぁ。

「不正の富、この世のお金」に忠実である、ちゅうことは、この前の10節では、

小さい事に忠実である、ちゅうことなんやろうな。ということは、大きなことに

忠実である、ちゅうのはまことの富、天国での永遠のいのち、天国での平安と喜びに

忠実であるちゅうことになる。

熊: ということは、なにかい、「不正の富、この世のお金」をちょろまかすことなく、

忠実に扱うちゅうのは、天国での富である平安と喜びと永遠のいのちを任されることの、

いわば練習、訓練やちゅうことになるんかいな。

八: 熊のいう通りやとおもうで。けんど、そのこの世での練習や訓練も聖霊様の助けをかりて、

ちゃんと扱うことができるようにしなさいよ、ちゅうて、この世のお金をわたされてん

のとちゃうやろうか。

熊: それって、イエス様のタラントのたとえ話によく似てないか。

八: ああ、あの、主人から5タラントン、3タラントン、1タラントンあずけられた

僕のことかいな。

初めの二人は主人に忠実に貼ったらいたから,倍儲けることができて、

主人に喜ばれたが、最後の1タラントンを預けられた僕は、土に埋めて何も

しいひんかった。つまり主人にたいして不誠実やったんやな。

せやから、ぜんぶとりあげられてしもうた。

熊: それそれ、そのたとえ話。あの僕たちは、主からのおおいなる富をいただく時まで、

訓練されたんやな。

八: 神様の期待も大きかったんや。何せ、1タラントンちゅうたら6000デナリ,

日当1デナリ程度やったんやから、1タラントンというと、6000日分の日当や。

わてら、それぞれ、もちばもちばで、預けられる金額はちゃうやろうけど、精一杯

主に仕えなさいと言われ訓練されているんやろうなぁ。

なぁ、若さん。わてら、いくら神様からまかされているんやろうな。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。さて、わたしたちは、いくらまかされているのでしょうか。わたしにも分かりません。けれど、いかほど、まかされているのかということよりも、任されていること自体に感謝し、その人その人なりに、イエス様に忠実であれば、いいのではないでしょうか。しかし、イエス様の期待は、私たちが考える以上に大きいのです。あなたは、高価で尊いとおっしゃるのですから。

さて、では、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、天の御国での、永遠のいのちと、平安と喜びを期待しつつ、イエス様がふたたび来られるその日まで、「イエス様に忠実であります」です。では、三回宣言いたします。よろしくお願いいたします。

「イエス様に忠実であります」、「イエス様に忠実であります」、「イエス様に忠実であります」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇84篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書25章13節。

「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。」

黙想いたします。詩篇118篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:強くあれ雄々しくあれ

https://www.youtube.com/watch?v=3a80foyUHac

賛美⑨:主は御座におられる

https://www.youtube.com/watch?v=UaUKAqyTHo8

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の6月18日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: ルカの福音書17章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/