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メッセージ主題:『主の御前に謙遜であること』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.6.25主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年6月25日主日礼拝式を始めます。

●祈り

角笛

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:栄光ある主の御名

https://www.youtube.com/watch?v=pL3H7KXoMsw

賛美②:God Bless You

https://www.youtube.com/watch?v=5czeDQSBt94

賛美③:わが心の目を開いてください (6月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=qEUZ9ftVCTE

賛美④:力ある主の御名

https://www.youtube.com/watch?v=gWa6ahDb9GU

賛美⑤:主をあおぎみれば

https://www.youtube.com/watch?v=a7ggxL-bO6s

賛美⑥:栄光から栄光へと

https://www.youtube.com/watch?v=AeS8U6JmCCs

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年6月25日 主日礼拝メッセージ

●聖書拝読:ルカの福音書18章(新改訳聖書)

中心聖句:

「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」(13-14)

メッセージ主題:『主の御前に謙遜であること』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

18章では、イエス様は、「やもめと裁判官」のたとえ、それと「パリサイ人と取税人」のたとえをお話になり、子供を祝福し、金持ちの役人との問答をされ、弟子たちに、イエス様は殺され、三日目によみがえることを予告します。そして、エリコの近くで盲人を癒やされました。

「やもめと裁判官」のたとえでは、『いつでも祈るべきであり、失望してはならないこと』を教え、「パリサイ人と取税人」のたとえでは、『自分を低くした祈り』のことが記され、子供を祝福した時には、『子供のように素直に神の国を受けいれる大切さ』を唱え、金持ちの役人との問答では、『この世の宝に思いを置くものは救われず、家族をも捨てる覚悟で永遠のいのちを求めないといけない』と訴え、イエス様は殺され三日目によみがえることを弟子たちに予告することで、『救いは主から来る』ことを暗示しました。そのことを弟子たちはその時は悟りませんでした。そして、エリコ近くで盲人を癒やされたことでは、『「信仰が直す」ことの重要性とその癒し主であるイエス様の謙虚さ』が浮き彫りになりました。

では、この18章で、イエス様が私たちに語りかけてくださっているのは何でしょうか。私は、「主の御前に謙遜であること」ではないかと思うのであります。

「パリサイ人と取税人」のたとえでは、●「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」とイエス様はおっしゃいます(18:14)。これは「謙虚であれ」とおっしゃっておられるのであります。では、この取税人はどのように謙虚だったのでしょうか。「取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて」とありますように、『神を恐れる、または神の権威・威厳に恐れおののく』という感じでしょうか。近づくことすらもできないぐらい、また顔を上げることすらもできないぐらい、自分は汚れたものである、罪人であるという意識がはたらいていたのでしょう。「謙虚」のことばの裏には、「主を恐れる」ということばが記されているのです。

また、イエス様が、弟子たちのまえで、幼子たちを呼び寄せて、●「神の国は、このような者たちのものです」とおっしゃいましたが、『幼子のように素直な心、素直な信仰をもちつづけなさい』と弟子たちにさとされています。「謙虚」のことばの裏には、「主を恐れる」だけではなく、「素直な信仰をもち続ける」ことも隠されているのです。

そして、金持ちの役人との問答では、「金持ち」という人が強調されているのではなく、イエス様は、神以外のものに固執している人を指しています。この金持ちの役人は、この世の富であるお金もさることながら、律法を守るという、あたかも正しいことのようの見えるものに、固執していることをイエス様は見抜いておられました。彼は、神を中心とせず、律法を守ることを中心としていました。イエス様は、律法を否定せずに、律法を守ることを中心としている若者に、そのことを気づかせるために、お金に代表されるこの世の富を放棄しなさいとおっしゃられたのです。私たちはどうでしょう。何かに固執してはいませんでしょうか。何か神以外のものを第一としていることはございませんでしょうか。第一というのではなくても、優先順位で神の前に何かをおいていませんでしょうか。例えば、趣味とか、仕事とか、それに家族とか。イエス様はペテロたち弟子たちにこう告げられました。●「神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」家族を大切にしなくていいとおっしゃっておられるのではありません。イエス様は十字架にかかりながらも、自分の母マリヤを弟子のヨハネに託し、養子縁組をしました。イエス様は家族思いです。あのことは、イエス・キリストを信じる者は、神の家族であることを述べているわけですが、信仰か家族かと二者択一を迫られる状況のときには、涙をもってしても、信仰を選びなさい、永遠のいのちの約束を持ち続けることのほかに大切なものはないということを伝えておられるのです。「謙虚」のことばの裏には、「主を恐れる」、「素直な信仰をもち続ける」だけではなく、「神を第一とする」ことが示されているのです。

そして、もっとも「謙虚」の代表例を示されているのが、イエス様が盲人を癒されたときのことです。●「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」(42)実は、私は、今のいままで、癒された人の信仰が強調されていることしか、目に入っていませんでした。しかし、謙虚さということを考えてみますと、「イエス様が、この盲人を癒した」のですが、イエス様の癒しに『わたし』が入って来ません。42節でも、このことを見ていた民衆が神を賛美して神をあがめたとありますが、イエス様をあがめたとは記していません。イエス様は、すべての奇跡を通して、神の栄光だけが現れるようになさっておられたのです。これを謙虚と言わずして、何を謙虚と言えるでしょう。ですから、「謙虚」のことばの裏には、「主を恐れる」、「素直な信仰をもち続ける」、「神を第一とする」そして、何よりも「すべての事を通して神に栄光をお返しする」「神の栄光だけが現れるように心がける」ことが示されているのです

さて、皆さんはどうでしょう。皆さんの「謙虚」はどこにありますか。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんにお登場いただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 謙虚かぁ、むずかしいなぁ。「控え目」ちゅうたら、なんかマイナスのイメージがあるやんか。

熊: そやな、それに「卑屈」ちゅうたら、もっとマイナスな、ネガティブな感じやわな。

八: 「卑屈」は、あかんでぇ。「卑屈」からはなんもええもん生まれへん。

「どうせわては、なにしてもあかん、うまくいかん」ちゅうて、事を起こす前から

決めつけとる。それじゃ、なんも変わらへん。

熊: 「卑屈」はなんもせえへん言い訳をしているだけや、とわては思うでぇ。

ほら、タラントのたとえ話で、主人から1タラントンを預けられた僕(しもべ)が、

そのお金を土にうめて、だれも取られんところに隠しよった。

それで、主人に叱られよった。それやったら、銀行に預けたら、

利子がもらえるやんか、ちゅうてな。

八: きょうびの銀行は、利子がほとんどない上に、手数料ばっかり、とりよる。

熊: ほんまやなぁ、先日、郵貯に行って、小銭を貯金しようとしたら、貯金やのに、

手数料とられた。小銭なんか、貯金するな!ちゅうこっちゃろうか。

1円を笑う者は、1円に泣くことになる。小銭をバカにしてたらあかんでぇ!

ちりも積もれば山となる、ちゅうねん!

八: まあまあ、小銭の問題はそっちに置いといて、ようは、卑屈は、けっきょくなんも

せえへん人のこっちゃ。いや、それ以下やな。ネガティブの塊や。

けんど、謙虚ちゅうたら、自分を神様や他人様よりも低くするちゅうことなんやろう

けんど、もっと、ポジティブちゅうか、前向きさがあると思うねん。

熊: ほんまや。それに比べて、「控え目」とか「卑屈」ちゅうのは、後ろ向きやわなぁ。

八: イエス様のおっしゃる謙虚さは、もっと前向きさちゅうか。ほら、若さんゆうてはった

やろ。「謙虚」のことばの裏には、「主を恐れる」、「素直な信仰をもち続ける」、

「神を第一とする」そして、何よりも「すべての事を通して神に栄光をお返しする」

「神の栄光だけが現れるように心がける」ことが示されている、ちゅうて。

熊: 「主を恐れる」にしても、怖がってあとずさりするようなこととちゃう。

ひれ伏してるけど、なんやしら、求めてるちゅうか。

八: そういう意味では、若さんが出しはった、「謙遜」の裏の言葉は、前向きや。

「信仰」自体前向きやし、「神を第一にする」かて、何かするときに、神様に

お伺いをたてるんやから、それに「神の栄光が現れるようにする」ちゅうところでも、

神様からチャンスや祝福や恵みをいただいたものを神に感謝し、お返しする。

そして、神をあがめたりすることなんやし。

熊: そやなぁ。そんで話はちょっと変わるけど、「謙遜」は自分を低くするちゅうことでも

あるんやろうけど、セルフ・イメージが低いというのとはちょっとちがうわな。

八: セルフ・イメージが低いちゅうのは、自分に価値を見いだしてない人のことなんやろうな。

ほら、わてら、ひとりひとりは、神様がお造りになられて、神様の目からみたら、

高価で尊いんや。神様にとって、だれひとり、無駄な人間はおらん、と思うでぇ。

熊: そや。そやから、わてらも、イエス様によって救われた。

八: セルフ・イメージが高い人ほど、この世では成功するらしい。けんど、わては、

信仰の世界でもいっしょなんちゃうかなぁと思うねん。熊がさっきゆうてたな、

セルフ・イメージが低いのと「謙遜」とはちがう、ちゅうって。わては、

信仰にあっての「謙遜」こそ、セルフ・イメージの高い人のものやと思てんねん。

熊: セルフ・イメージの高い人が謙遜な人? それってどういうこっちゃ。

八: 人は、神様の目からみたら、みんなひとりひとりちゃうかもしれへんけど、高価で尊い。

つまり、わてらは、むちゃくちゃ価値があるちゅうこっちゃ。なんせ、イエス様の

いのちを代償として、わてらは生かされてるんやから。つまりは、イエス様によって、

セルフ・イメージを高うしてもろたんや。こんな虫けら同然のわてらを引き上げて

くださった。それが分かったら感謝しかない。その感謝によって、わてらは、

神様の御前にあって謙遜になれるんや、いや、ならざるを得ないんや。

熊: つまり、あれかい。セルフ・イメージの低い人は、本当の意味で謙遜にはなれん、

ちゅうことかいな。

八: そや。それは謙遜やのうて、さっきゆうてた卑屈や。イエス様を受け入れ、

イエス様の恵みを味わってこそ、本当の謙遜になれるんや。わてらを引き上げて

くださって、わてらのセルフ・イメージを高めて下さって、わてらは感謝しかない。その感謝の気持ちが、わてらを謙遜にしてくれるんや。

熊: じゃあ、なにかい。クリスチャンは、みんな、セルフ・イメージの高いのが当たり前や

ちゅうことになるわなぁ。

八: そりゃそや。セルフ・イメージは世の中のものさしで測ってもしゃあない。

「神さまの目には高価で尊い」という信仰や。そやさかい、クリスチャンでありながら、

セルフ・イメージの低いのは、ひょっとしたら、もぐりのクリスチャンかもしれん。

熊: しー、八、声大きすぎんねん。若さんに聞こえるやないかいな。若さんな、

クリスチャンやったのに、セルフ・イメージが低い時期があったそうやで。

八: 知ってるでぇ。あの時は、若さんももぐりのクリスチャンやった。だってそやろ、

あんときは、神様に感謝せんと、愚痴ばっぱりゆうてたからな。けんど、

立ち直りはった。神さまから、「もっと聖書を通してわたしの心を学びなさい」って

言われつづけはって、聖書を学んでいるうちに、聖霊様によって立ち直りはった。

そんで、その次には、「御言葉を伝える者になりなさい」って、言われはった。

「学んでんねんやから、お返ししなさい」。

熊: なんや、ペテロはんと同じやな。●「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、

あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけて

やりなさい。」(ルカ22:32)って、イエス様がペテロはんに言いはった。

八: そやねん。そんでな、わてらはイエス様によって、セルフ・イメージの高いものとなった。

そやから、落ち込んでる兄弟姉妹がおったら、力づけてやらんとあかんねん。

わては、これがほんまもんの「謙遜」やと思てんねん。若さんもそうおもうやろ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。ほんまもんのクリスチャンは、イエス様によってセルフ・イメージの高い者に変えられたはずです。私も偉そうなことは言えませんが。、、、神さまに感謝し、神様に栄光をお返しすることで、謙遜になれるのでしょう。しかし、それだけやなくて、落ち込んでいる兄弟姉妹がいたら、力づける、これがほんまもんの謙遜だと私も思います。それが、クリスチャンの集まりでもある教会の使命の一つなのかもしれません。もちろん、聖霊様の働きなくしてはできないことですが。

さて、では、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、「神の御前において謙虚になります」です。お互いに励まし合い、聖霊様によってセルフ・イメージを高くしてもらい、感謝をもって主の御名を高らかにあがめ賛美する。そして、落ち込んでいる兄弟姉妹がいたら、力づける、その意味を込めて宣言いたしましょう。

では、三回宣言いたします。よろしくお願いいたします。

「神の御前において謙虚になります」、「神の御前において謙虚になります」、「神の御前において謙虚になります」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇103篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マルコの福音書9章35節。

「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」

黙想いたします。詩篇103篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:主を仰ぎ見て

https://www.youtube.com/watch?v=Viar5edeGzU

賛美⑨:罪とがを赦され

https://www.youtube.com/watch?v=eZeMi6KzhCE

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の7月2日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: ルカの福音書19章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/