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メッセージ主題:『主に用いられる喜び』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.7.2主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年7月2日主日礼拝式を始めます。

●祈り

角笛

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:主はぶどうの木

https://www.youtube.com/watch?v=JL08e_F2M-M

賛美②:御言葉なる

https://www.youtube.com/watch?v=d-dScSsuHbQ

賛美③:力ある主の御名(7月の賛美)

https://www.youtube.com/watch?v=gWa6ahDb9GU

賛美④:主イエスの十字架の血で

https://www.youtube.com/watch?v=j7OxUMOm868

賛美⑤:ああイエス君こよなき友よ

https://www.youtube.com/watch?v=LZudWSJOQHY

賛美⑥:イエス愛します

https://www.youtube.com/watch?v=OAYeRIFRjhU

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年7月2日 主日礼拝メッセージ

●聖書拝読:ルカの福音書19章(新改訳聖書)

中心聖句:

「もし、『なぜ、ほどくのか。』と尋ねる人があったら、こう言いなさい。『主がお入用なのです。』」(31)

メッセージ主題:『主に用いられる喜び』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

19章では、イエス様の一行がエリコからエルサレム、つまりイエス様が十字架にかけられるための場所エルサレムに入るところまでの物語が記されています。「取税人ザアカイの回心」、「『十人のしもべと十ミナ』のたとえ」、「子ロバにのりイエス様のエルサレム入城」、「イエス様、神殿から商人を追い出す」。

取税人ザアカイは、みんなの嫌われ者でした。取税人とは、ローマ政府の代わりに、仲間のユダヤ人や異邦人から税金を集め、ローマ政府に渡す役目をしていましたが、取税人は不正に取り立てている事が多く、その頭であるザアカイは、その仕事によって財をなしていました。ザアカイは金持ちではありましたが、友達もいず、また非常に背が低く、そのことがコンプレックスとなっていました。そんな時、噂のイエス様が来られることを耳にし、一目でもみたいと、いちじく桑の木に登りました。その時です、イエス様の方から、「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と申し出られました。ザアカイはびっくりです。会いもしないイエス様から名前を呼ばれ、嫌われ者の自分の家にわざわざ泊まろうというのですから。ザアカイは大喜びでイエス様を迎え入れます。実は、ザアカイは、自分が嫌でした。変わりたいと思っていました。本当は、イエス様に触れたかったのです。しかし、背が低く、人々が邪魔をするものですから、しかたなくイチジクの木に登ったのです。イエス様はザアカイのそんな心をご存じでした。ザアカイを迎え入れ、そして、ザアカイの家、つまりザアカイの心にイエス様が入られたのです。ザアカイは変えられました。すべての罪を告白し、その証として、「財産の半分を貧しい人たちに施し、だまし取った物は四倍にして返します」と宣言したのです。それを聞いてイエス様はおっしゃいました。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

そして、民衆がいよいよ神の国(救いと解放)がすぐにでも現れると期待していたので、イエス様は、福音を聞いた人が全員救われるのではないことを、ミナのたとえで伝えます。

10人のしもべが、おのおの1ミナづつ、主人から預かります。その主人とは、王位を受けて帰るために旅立つところでした。つまり、キリストのことを暗示しています。この1ミナとは100デナリで、1デナリは、当時の日当の金額でした。ですから1ミナは100日分の給料ということになります。このミナの譬えは、マタイの福音書25章にあるタラントの譬えと似てはいるのですが、決定的な違いは、10人が1ミナづつ預かったというところです。つまりこのミナは、良き知らせである福音を意味しています。10人は10人とも福音を聞き、受け取った人です。しかし、ある僕は、1ミナで10ミナをもうけ、またある僕は5ミナをもうけました。つまり、熱心に福音を伝えたことを意味します。しかし、1ミナをふろしきに包んでしまっておいた僕は、福音を伝えるという努力をしませんでした。また、その僕は、主人が冷酷な人間というイメージを持っていました。つまり、1ミナという福音を受け取ったにも関わらず、その主人、王となるべき主人に敵対する者となってしまったのです。キリストのことを喜びをもって伝えない者は、キリストに敵対する者であると、イエス様はおっしゃっておられるのです。イエス様が「敵ども」と複数でおっしゃるように、10人のしもべのうち、主人に敵した者は、1人ではなかったということです。ここで思い出すのは、イエス様がおっしゃった、「花婿を待つ、10人の乙女」の譬えです。これも、マタイの福音書25章にあります。10人ともロウソクという福音を手に持っていたにも関わらず、5人は賢くロウソクの火のための油を用意していましたが、あとの5人は愚かで用意していませんでした。賢い5人の乙女は花婿を出迎えることができ、神の国に入ることができました。常に祈り賛美し、聖霊に満たされていないと、御国に迎え入れられないかもしれないことが示されています。

福音を自分だけのものにし、他の人に伝えることを怠る人、またはそれについて祈りもしない人は、キリストに敵する者となりかねないことを、イエス様はおっしゃっているのであります。その点、ザアカイは自分の財産を分けました、つまり福音を喜びをもって分けたのです。この世の富だけではなく、天の富も分かち合ったのです。

「子ロバにのるイエス様のエルサレム入城」では、ベタニヤという村で、まだ誰も人を乗せたことのない子ロバにイエス様は乗られ、民衆の祝福を受け、歓迎されます。しかし、残念なことに、後に、それも六日後に、イエス様を歓迎をした民衆は、キリスト救い主、ローマ軍からの解放の指導者かもしれないと期待していたイエス様がローマ軍に引き渡されるという失望から、怒りへと変わり、「十字架につけろ!」と叫ぶことになるのです。福音を聞いても、それを受け取る人は少なく、また受け入れても後に敵する者となる人が多くいることは、イエス様が予告されたこととはいえ、誠に残念なことです。

イエス様はエルサレムに近くなったころ、エルサレムのために涙されました。それは、エルサレムが結局、イエス・キリストを敵するものとなるからでした。そして、エルサレムの神殿が礼拝の場所ではなく商売の場所となり下がっている、天の富ではなくこの世の富で支配されている状況を見て、怒りをもって、商売人たちを追い出します。「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」と訴えるのであります。神殿は祈りの家であります。そして、聖霊様が宿る私たちの心にある神の宮も、祈りで満たされていないといけないということでもあります。

さて、今日のメッセージの主題は、『主に用いられる喜び』です。子ロバを飼っている主人は、イエス様の指示である「主がお入用なのです」という言葉をきいて、何も言わずに、ロバを渡します。このロバの主人は、「主がお入用なのです」という言葉を重く受け止めました。これは、「主のご計画のうちに、あなたがいる」ということを理解してのことでしょう。ザアカイも、その言葉に応え、自らの罪を告白し、不正の富を解放し、喜びをもって福音を伝えました。またミナのたとえでは、主の招きに応え、福音を伝える努力をするものが祝福を受け、福音を伝えようとはしないものは、イエス様に敵する者となってしまう可能性があるというのです。イエス様は、イエス様を信じる人に、イエス様の平安である聖霊様をお送りくださり、聖霊様は、私たちの心にやどり、そこを神殿とされます。つまり祈りの家とされるのです。そして、さまざまな祈りの中に、必ず「福音を宣べ伝える者にならせてください、時が良くても悪くても」という祈りが入っていなければならないと思うのであります。これはイエス様の招きでもあります。どうか、主のご計画のうちに私たちがいて、主に用いられる喜びを味わう幸いを覚えましょう。

さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんにお登場いただきましょう。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 「主がお入用なのです」か?イエス様はわてらにもそうおっしゃっておられるんかなぁ。

熊: どやろ。若さんのゆうた、「福音を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」ちゅうのは、

パウロはんの言葉やな、あれ、第二テモテ4章2節やったなぁ。

八: まあ、イエス様がパウロはんを通して伝えてくださっているんやろ。

けんど、イエス様もおっしゃっておられへんかったっけ。

熊: 同じことやないかも知れんけど、ほらヨハネの福音書の15章16節。

八: ヨハネの15章の16節?ちょっとまってよ、、、ああ、●「あなたがたがわたしを

選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」

っていうやつか。

熊: そう、その任命や。

八: 任命なぁ、それって、●「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしの

あなたがたに与える戒めです。」同じ15章の17節にあるなぁ。これか?

熊: それは、あれやんか。教会で、信徒の交わりや祈り合いを大切にしなさいちゅうてんの

やろ。それは、任命やのうて、戒めやんか。

八: そんなら、これかいな。15章の最後27節●「あなたがたもあかしするのです。

初めからわたしといっしょにいたからです。」

熊: それそれ、イエス様をあかしする、ちゅうこと。まあ、わてらは初めからイエス様と

おったんとちゃうけどな。イエス様を見て信じるんやのうて、見ないで信じてんねん

から、それのほうが価値あるわな。

八: まあ、ペテロはんや、ヨハネはんや、トーマスはんとはり合うてもしゃあない。

わてらは、イエス様の証しをするために任命されたんやな、つまりは

用いられてんねんや。

熊: そやなぇ、ご指名があってねん。「八、なんじをわたしの福音の証人として任命する。

心して喜びつつ、言動にはげみなさい。」

八: なんやねん、その「言動にはげみなさい」って?

熊: 「イエス様の証しをする」ちゅうのは、言葉だけやったら、説得力に欠ける。

「イエス様は救い主や」って言いつつ、難しい顔してたり、しかめ面してたら、

言われた方は、「あんたほんまに救われてんのか」「そんな人生楽しくない顔してん

ねんやったら、イエスと言う人を信じたくないわ!けったくそわる!」って言われん

のが落ちや。そやのうて、あの人の笑顔魅力的ななぁ、とか、生き生きしとんなぁ、

とか思われんかぎり、人の言うことなんて聞いてくれるわけやない。

八: せやなぁ。笑顔は大切やなぁ。(作り笑顔)

熊: あほ!そんな作り笑い、気持ち悪いわ。心の底から「嬉しい、楽しい」って思わな、

人は振り向いてはくれへん。耳を貸そうともしてくれへん。

せっかく、イエス様から、見込まれて、選ばれたわてらや。どこがようて見込まれた

かは知らんでぇ。けんど、イエス様がわてらを選ばれたんや。わてらが選んだんと

ちゃう。そこにわてらも知らんわてらの可能性があるんとちゃうか。

八: 熊、きょうはえらい語るやないか。

熊: だって、うれしいんや。わてらは、イエス様の計画のうちに入れられてるんやと思うとな。

な、若さん。若さんも「福音を伝えるものになりなさい」ちゅうて任命された

やんかなぁ。若さんもあれやろ、神様がわてらを愛して下さって、ひとり子のイエス様

をこの世におおくりくださり、わてらの身代わりとなって十字架におかかりくださり、

そしてその死をもって、わてらの罪を拭い去ってくださった。それだけやない、三日目

に死を打ち破り、復活なさって、わてらに永遠のいのちを約束してくださった。

その救いの業がうれしくて、ありがたくてたまらへん。そんな福音を自分一人のものに

してしまうのは、もったいない。もっともっと神様に用いられたいと思わされてのこと

やんなぁ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。そうですね。2度断ってしまいましたけどね。3度目に降参しました。降参して、「福音をつたえるべく」、実はあんまりなりたくなかった牧師の道に方向転換しました。だってそうでしょう。福音をお伝えするちゅうのは、人の人生を変えるちゅうことです。もちろん、ええ風にかえるお手伝いをするのですけど、それなりに責任がでてくるなぁって、それで、なんとなく尻込みしていました。しかし、降参すると、楽ちゅうたら楽かもしれません。なにせ、イエス様が全責任をもってくださるんですから。人を変えることは私たちにはできません。わたしたちの仕事やないんです。聖霊様のお働きです。福音を伝えるだけでいいんです。種蒔きです。それに、パウロはんがゆうてましたやろ。●「私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいだ。」(1コリント9:16)「わざわい」とは、イエスキリストに適する人となってしまうということではないでしょうか。イエス様は私たちをこの福音宣教のために救い、そして用いられるのです。「わざわい」とならないためにも、大いに用いてくださいと主に願いましょう。また、パウロはんは、同じ1コリントの9章で、●「私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。」と宣言しています(23節)。この宣言に、ある人は、パウロの気負いや必死さをみるでしょう。しかし、私は、パウロが生きて、いえ、生かされて、イエス様の証し人とされることに、大いなる喜びを感じているように思えるのです。まさに、ピリピ人への手紙1章21節で、パウロが告白するように、●「私にとって、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」『すべての生きがいはキリストにあり、死ねば、永遠にキリストとともにいることができる幸せがある』という喜びを訴えているように思えるのです。私たちも、そのような生かされ方をさせていただこうではありませんか。

さて、では、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、「福音を喜びをもって伝えます」です。「救いの喜び」をみなさん自身の言葉と態度で表し、イエス様の証人(あかしびと)として生活していきましょう。みなさん自身の生活が証しとなれば、主は、皆さんに10ミナでも、100ミナでも1000ミナでも祝福をお与えくださるでしょう。

では、三回宣言いたします。よろしくお願いいたします。

「福音を喜びをもって伝えます」、「福音を喜びをもって伝えます」、「福音を喜びをもって伝えます」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇33篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書15章14節。

「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。」

黙想いたします。詩篇33篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:飼い主なる主よ

https://www.youtube.com/watch?v=Viar5edeGzU

聖餐式

賛美⑨:威光尊厳栄誉

https://www.youtube.com/watch?v=NZQqvpT75Zs

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の7月9日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: ルカの福音書20章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/