ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2023.7.9主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)
●午後5時開会:ただいまより、2023年7月9日主日礼拝式を始めます。
●祈り
角笛
礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
続いて
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:注ぎたまえ主よ
https://www.youtube.com/watch?v=XQjw6U8eD24
賛美②:歌い続けよう主の愛を
https://www.youtube.com/watch?v=cLJJfrUkpEI
賛美③:力ある主の御名(7月の賛美)
https://www.youtube.com/watch?v=gWa6ahDb9GU
賛美④:神の子
https://www.youtube.com/watch?v=XzdvBr1M51E
賛美⑤:悔いた心
https://www.youtube.com/watch?v=HHA6WPhBIao
賛美⑥:叫べ全地よ
https://www.youtube.com/watch?v=57Oqhlu1VIQ
【YOUTUBE配信開始】
2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。
いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)
第1の幸い(マタイの福音書5章3節)
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)
第2の幸い(マタイの福音書5章4節)
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」
(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)
第3の幸い(マタイの福音書5章5節)
「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」
(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)
第4の幸い(マタイの福音書5章6節)
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」
(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)
第5の幸い(マタイの福音書5章7節)
「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」
(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)
第6の幸い(マタイの福音書5章8節)
「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」
(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)
第7の幸い(マタイの福音書5章9節)
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)
第8の幸い(マタイの福音書5章10節)
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)
●2023年7月9日 主日礼拝メッセージ
●聖書拝読:ルカの福音書20章(新改訳聖書)
中心聖句:
「神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。」(38)
メッセージ主題:『神に生きる』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
20章では、イエス様が神殿で福音を宣べ伝えている権威についての問答が祭司長たちとあり、バプテスマのヨハネの権威におよびました。続いて「ぶどう園と農夫」の譬えでは、神の国のことを伝えに現れた預言者をことごとく虐待し、最後の神の愛する息子であるキリストを殺してしまおうとする律法学者や祭司長たちを非難しています。イエス様は、「家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった」という詩篇118篇22節を引用し、ご自身がその礎の石であり、また、そのキリストである石につまづく者は裁かれ滅びることを、暗に示されました。また、祭司長たちは、イエス様を非難する機会をねらい、「皇帝への税金の扱い方」をイエス様にもとめ、ローマ皇帝に対する反逆の罪をかぶせようとしますが、失敗に終わります。そして、サドカイ人との復活についての問答では、イエス様は、「神を信じる者は、肉体がほろんでも、神に生かされていること」をモーセの「柴」の箇所(出エジプト記3章)を通して解き明かされました。さらに、民衆が、キリストはダビデの家系から生まれると信じて、「キリストはダビデの子」であるという事柄をとりあげ、ダビデ自身が詩篇110篇の中で、キリストを主と呼んでいることに言及し、その矛盾を民衆に提示し、民衆が「なるほど」と感心しつつ、イエス様のことばに耳を傾けているところで、大胆に律法学者たちを非難しました。この20章では、イエス様は、律法学者や祭司長たちを非難しつづけています。イエス様は、神殿に入り、律法学者や祭司長たちとの対決姿勢を強くしています。
その中で、今日の中心聖句38節●「神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。」があります。この言葉はいったい誰に告げられたものでしょうか。当然、律法学者や祭司長たちに対してでもありますが、実は、この言葉をイエス様は民衆に語りかけているのです。マタイの福音書22章32節33節には次のようにあります。●「『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。」イスラエルの族長である、アブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた祝福の契約に、神は忠実であられ、また時間や場所に限定されることなく、神は永遠ですから、神が導きたもう民も、神にあって永遠に生かされているのです。イエス様はそのことを、モーセの民の末裔であるイスラエルの民衆にも語ったのであります。エルサレムの群衆は、イエス様のこの教えを聞いて、ただ驚き感心しただけではありません。神がモーセに語った「柴」の箇所を思い起こしつつ、彼らの心のうちに、実に神が今も生きて働いておられることを悟ったのではないでしょうか。
少し時間をいただいて、このモーセの「柴」の箇所を、少し長いですが、お読みしたいと思います。●出エジプト記3章1節~12節
エルサレムの群衆は、神のモーセとの約束、『わたしはあなたとともにいる』ということを、自分のこととして受け取り、また、イエス様が、彼らが待ち望んでいた救世主キリストであると実感しつつあったのではないでしょうか。
今の私たちは、エルサレムの群衆より、はるかに恵まれたものです。私たちは、イエス様が私たちの罪をあがなうために、十字架におかかりくださり、イエス様の血潮によって、私たちの罪は帳消しとなり、イエス様を信じて悔い改めれば、罪なき者とみなされるという恵みをいただきました。また、イエス様が三日目に死を克服してよみがえり、弟子たちのところに現れ、教え励まして、ふたたび天に戻られました。信じる私たちにイエス様の平安であり助け主である聖霊様をお送りくださるという約束をされて。私たちの主は、復活され、永遠のいのちをもち、私たちをいつでもどこでも見守り導いてくださるお方なのです。たった今も、私たちひとりひとりのために、私たちに善かれと思って、生きて働いてくださっておられるのです。そして、私たちの今の肉体が朽ちようとも、私たちは主にあって生かされ続けるのです。『わたしはあなたとともにいる』この言葉は、英語で表現するところの現在形で書かれてあり、それは、普遍を意味します。この世だけではなく、次の世、天の御国でも、「どんなことがあっても、何があっても、わたしはあなたとともにいる。わたしは決してあなたを見捨てない」とおっしゃるのです。これほどの愛があるでしょうか。
神は、ひとりぼっちになったヤコブに夢に現れ、はげまします。
●「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記28:15)
また、モーセの後を継いだ若いヨシュアにも仰せられました。
●「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。強く、また雄々しくあれ。」(ヨシュア記1:5b-6a)
イザヤ書にも次のようにあります。
●「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ書41:10)
このようなみ言葉をあげるときりがありませんが、それほどまでに神は私たちを愛してくださっておられるという証拠です。
今日のタイトルは、「神に生きる」というものですが、「神が共におられる、積極的に働いてくださっている」ということを確信し、主の御名をあがめつつ生きるということです。皆さんは、そのような生き方をしておられるでしょうか。
さて、今日も天国長屋の八さん、熊さんにお登場いただきましょう。
八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。
―――――
八: 「神が共におられる、積極的に働いてくださっている」と確信しているかって?
それは当たり前とちゃうんか。神さまがわてとともにおられるからこそ、
わては今の今まで、主の憐れみによって生かされているんやと思うで。
熊: なんや、神様が共にいてくださるから、八は生きてんのか、いや、生かされてんのか。
八: だって、そうちゃうか。わてが今生きてんのは、神様の奇蹟の連続や。
熊: せやなぁ、明日を迎えることができるちゅうのは、当たり前のようで、当たり前やない。
わてらは、死に対しては無力や。その死からわてらを遠ざけてるんは、神様や。
八: せやろぅ。今生きてるちゅうことは、神様がわてらに働いてくださってる、
共にいらっしゃるちゅう証拠や。
熊: え?ちょっと待って、ほんならやで、神様を信じている人も信じてへん人も、
今生きてる、ちゅうのは、神様が共にいてくださっているからか。
八: まっ、そういうことになるわなぁ。
熊: それって、おかしいんとちゃうか?
ええ人も悪い人も、神様は共にいてくださってるんか。
八: 若さん、ずっと前にゆうてたやろ。ほれ、心臓のバイパス手術した後に、三日三晩
眠れへんかった時に、怖い幻覚みて、神のおれへん世界は、無機質の世界で、それは
死んだ世界やって。それとは反対に、この世界は、有機質の世界で、神様の恵みに
あふれているちゅうって。神さまの恵みにあふれているちゅうことは、
神様がともにいてくださっているちゅうことと同じや、と、わては思うねん。
熊: せやけど、ええ人にも、悪い人にも、神様を信じている人にも信じていない人にも、、、
八: 熊、その「ええ人、悪い人」ちゅう区別やめんか。わてらはみんな罪人や。
善人はひとりもおらん。それに、神様の愛、神様の恵みは、信じる信じひん関係なく、
わてらに降り注がれている。ほら、マタイの6章に鳥のことと花のことが言われてるや
ないかいな。
熊: ああ、●「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることも
しません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。
あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」(26)
それに花の方は、●「栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも
着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、
神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、
よくしてくださらないわけがありましょうか。」(30-31)ちゅうところやな。
けんど、これは、明日のための心配は無用で、まず●「神の国とその義とをまず第一に
もとめなさい」(33)つまり、神様のご支配をもとめ、神様との正しい関係において
生活する、そのことにはイエス・キリストを信じる信仰が必要や、ちゅうてんねやろ。
八: そうや。空の鳥も、野の花も神様が養ってくださってるんや。わてら人間も同じや。
神様が養ってくださっているんやて。
熊: ほんなら、別にイエス様を信じひんかっても同じとちゃうんか。
神さまはみんなを恵まれ、共におられるんやったら。
八: ちゃうがな、八、よう聞いてや。イエス様がこの地上にこられて、十字架にかかって
死にはって、三日目に死を克服してよみがえられはった。それは何のためや。
熊: それは、ヨハネの福音書の3章16節にきちんと書いてるやないか。
●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つ
ためである。」
八: それや。神さまは、イエス様を信じる人だけを、天の御国へと招待されるんや。
この世は神様の愛と恵みで満ちあふれている。だから、この世に生あるものはすべて、
神様の愛によって生かされている。けんど、天への招待状である聖霊様を受けとる人は、
限られてるんや。そこを思い違いしたらあかんでぇ。
熊: なるほどなぁ。この世では神様はみんなと共にいてくださって、わてらは生かされている
のかもしれんけど、次の世では、イエス様を信じた人だけが、神様は伴われるんや。
そして、それが永遠に続く。今日も生かされてるちゅうことは、神様が共にいて
くださっていると確信してええちゅうことなんやな。
八: そやでぇ。先週、若さんが、パウロはんのことば、ゆうてはったやんか。
●「私にとって、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」
『すべての生きがいはキリストにあり、死ねば、永遠にキリストとともにいることが
できる幸せがある』という喜びを訴えているようや、ゆうて。けんど、あの言葉は、
「今生きていることは、イエス様が共にいてくださっている証拠。そして死ねば、
もっとイエス様が共にいて下さる、それも永遠に」と言い直すことができるんと
ちゃうかと思てんねん。
な、若さん、「生かされていることは、神様がわてらと共にいてくださっている証拠」。
ええんやんなぁ。
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。「生かされていることは、神様がわてらと共にいてくださっている証拠」。ほんとうにそうですね。私たちは、この世で生かされている限り、主が共にいてくださって、私たちを守り、導き、励ましをあたえてくださっておられる。このような思いを導いて下さった主に感謝したいと思います。
さて、では、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、「主が共におられることを確信します」です。喜怒哀楽、すべての心の状態において、主が共におられることを確信させていただきたいという思いをこめて、宣言いたします。
では、三回宣言しましょう。よろしくお願いいたします。
「主が共におられることを確信します」、「主が共におられることを確信します」、「主が共におられることを確信します」。アーメン!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇118篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書8章29節。
「わたしを遣わした方はわたしとともにおられます。わたしをひとり残されることはありません。わたしがいつも、そのみこころにかなうことを行なうからです。」
黙想いたします。詩篇118篇。
黙想時の曲
⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑧:Above All
https://www.youtube.com/watch?v=-Ga-6if_LLY
賛美⑨:主イエス神の愛
https://www.youtube.com/watch?v=DEPNDP0J9bw
●礼拝の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の7月16日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。
聖書: ルカの福音書21章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/