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メッセージ主題:『油断せずに祈る』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.7.16主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年7月16日主日礼拝式を始めます。

●祈り

角笛

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:さあ賛美しよう

https://www.youtube.com/watch?v=76A80glD-Cw

賛美②:主はわれらの太陽

https://www.youtube.com/watch?v=Noaf5Y1jK20

賛美③:力ある主の御名(7月の賛美)

https://www.youtube.com/watch?v=gWa6ahDb9GU

賛美④:セレブレイトジーザス

https://www.youtube.com/watch?v=1eJNDN3ouFM

賛美⑤:主の栄光宮に

https://www.youtube.com/watch?v=xiFWYdYM6FU

賛美⑥:いばらの冠

https://www.youtube.com/watch?v=f7S7aRLoQ10

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年7月16日 主日礼拝メッセージ

●聖書拝読:ルカの福音書21章(新改訳聖書)

中心聖句:

「しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしていることこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」(36)

メッセージ主題:『油断せずに祈る』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

21章では、「やもめの献金」のはなし、「世の終わりの前兆」と「その終末に対するクリスチャンとしての心構え」が記されています。

まず「やもめの献金」ですが、、、

この当時のお金は紙幣ではなく、コインでした。ですから、献金箱が木製であろうが、金属製であろうが、音がしたのです。金もちは、これ見よがしに、献金をたっぷり投げ入れ、大きな音を出して、「ほれ、私はこんなにたくさん献金しているぞ」と自慢げになるのです。しかし、貧しいやもめ、やもめは、働き手である男性がいないわけですし、現代のように女性が男性を同じように働くことを許されていませんでしたので、やもめは、収入源に乏しく、爪に火をともすような暮らしをしていますので、当時の最小単位であるレプタ銅貨を二枚、その日の生活費全部を献金します。現代での、たとえば500円ぐらいに相当するのかもしれません。その行為をイエス様はごらんになられて、次のようにおっしゃいました。3節4節●「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」ここで、この「やもめの献金」の話は終わっています。

以前、私は、この箇所からメッセージを取り次いだことがあります。それは、「やもめの主への信頼と感謝」です。タイトルはこうだったのかは覚えていませんが、やもめが生活費の全部を神に献げるということは、やもめは以前にも生活に困窮したことが幾度かあり、その都度、神の不思議と憐れみによって、必要なものが満たされました。ですから、2レプタを手に持った時、神への感謝を表したいという気持で、生活費である2レプタをそっくりそのまま献げ、またもしも、明日、必要がでてくれば、神が不思議をもって備えて下さると、これまでの神の憐れみによって生かされてきた事実と経験によって、神を信頼することができたのです。ですから、その日の生活費2レプタを、躊躇なく、喜びと感謝をもって献げることができたのです。献金は金額ではなく、神に対する真実なる心です。

このような内容だったはずですが、これは、これで納得できるメッセージだと思うのです。しかし、今回21章を通してメッセージを導いていただいたとき、イエス様は、この「やもめの献金」のところで、献金の心構えを指摘していることもさることながら、次の「世の終わり」の話への序章としてとり扱われていると思わされました。

「やもめは持っていた生活費を全部投げ入れました。」 つまり、明日のことは考えていないかのようです。そして、それは私たちクリスチャンへの世の終わりに対する心構えを説いているとも考えられます。

私たちは知っています。世の終わりがいつか来ることを。それは明日かも、今かも知れません。もちろん、イエス様は、10節11節で、その世の終わりの前兆を説明しています。●「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現われます。」この前兆はいま起きていることとぴったりだ、「世の終わりが近い」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。もちろん、世の終わりは刻一刻と近づいています。遠ざかるわけはありません。しかし、イエス様のおっしゃる世の終わりが必ず来るとしても、それがいつなのか、また、いつイエス様が私たちを迎えにこられるのか、だれにも分かりません。イエス様は、マタイの福音書24章で、次のようにおっしゃいます。35節●「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」これは、ルカの福音書21章の33節と同じことばです。そして、ルカ書にはないことばが次の36節です。●「ただ、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」世の終わりは神のご計画にありますが、それは隠されています。ちなみに、35節●「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」とは、『世の終わりが必ず来て、神の国が現われる』ことの強調、イエス様のことばを必ず成就するとおっしゃっておられるのだと、私は解釈しております。

「やもめは持っていた生活費を全部投げ入れました。」という記述で、思い出されるのは、先週も引用しましたが、マタイの福音書6章33節34節です。●「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」やもめは明日のことを心配していませんでした。今日または今日までの守りと導きと恵みに感謝をし、もっているものを献げました。そして、神の国とその義とをまず求めたのです。神の国つまり神のご支配、神の義とは神との正しい関係。その両者を求めるには、御子イエス・キリストを信じる信仰が不可欠なのです。なぜなら、イエス・キリストを通してでしか、神の国において神との親しい交わりを得ることができないからです。

明日を心配する必要がない、とは、今日神の国が現われても不思議ではないという信仰です。本来は、この世との決別を決めた覚悟の信仰なのではないでしょう。その覚悟をもって、日々感謝しつつ、主を待ち望むのであります。では、私たちはほんとうに、主を待ち望んでいるのでしょうか。「主よ来たりませ」と叫ぶ割には、明日の予定を気にしたりしてはいませんでしょうか。

実は私もそうです。いつも明日や先の一週間や一カ月の予定を確認しながら、生きています。おそらくどなたもそうではないかと思うのです。それが、悪いと申し上げているのではありません。「主よ来たりませ」という願いと明日や来週や来月の予定を入れて行く、このことは矛盾しているように思えるかもしれません。ねぇ、八さん熊さん、おふたりはどう思いますか。

八さん、熊さん、よろしくお願いいたします。

―――――

八: 「明日の予定やその先のこと」気にせえへん人っておれへんわ。

そら、なんもせんとその日いきあたりばったりちゅう人やったら分らんけど。

熊: いやいや、それでも、なんか用事があったり、するもんや。

たしかに、今日まで生かされてるのは、神様の憐れみでしかあらへん。

奇跡や。奇跡の連続や。明日の補償はない、けんど、やっぱり明日は来ると思てしまう。

八: せやなぁ。わてら、「イエス様に早う会いたい、イエス様、来たりませ!」

ちゅう気持ちも確かなんやけどなぁ。

熊: わてはちょっと自信ないわ。イエス様がお見えになったら、そら喜ぶでぇ。

けんど、「大事な用事があるさかい、ちょっと明日まで待っておくんなさい。」

ちゅうて言うてしまうかもしれへん。

八: なんや、熊、イエス様が来られる以上に、大事な用事ってあるんかいな。

熊: いや、そんなこと急に言われても分からんわいな。

けんど、それだけ、自信はない、ちゅうことやわなぁ。

八: 熊、勘違いしたらあかんでぇ。イエス様がおいでになられたら、

あっと言う間にひきあげられてしまう。「ちょっとタンマ。待っておくんなさい」

なんてお願いする暇なんてあれへんで。

それにやな、やり残したことがあるちゅうて、振り返ってみいな、

ロトの妻みたいになるでぇ。

熊: なんや、塩の柱になるっちゅうんかいな。

八: 永遠の死がまっているわけやわな。けんど、それの振り返ることもないかもしれんな。

熊: 八、あんた、ややこしいことゆってるの自分でわかっとる? 

振り返ってみたら、ちゅうといて、その振り返ることもないって。

八: よう考えたら、天の御国に引き上げられれば、この世のことは、きれいさっぱり

忘れてしまうちゅうか、、、、ほら、若さんゆうてはったやろ。

高校生のときに、柔道部の人と落とし合いちゅう気絶のさせあいしてて、

自分が先に気絶した。しかし、気絶した瞬間、川のせせらぎの聞こえる花がいっぱい

咲いてる草原で、いままでに経験したことのない、平安と幸福感につつまれたって。

もしも、それが天の御国なら、この世でやり残したことなんて、

きれいさっぱり忘れてしまってんねんて。だから、振り返ることもない。

熊: まあ、若さんがそんときに見た光景が、天の御国やったらの話やわな。

八: そらそうや。まぁ、話をちょっともどしてやな、今日のタイトルは「油断せずに祈る」

ちゅうことやろ。イエス様は、明日のことは心配せんでええちゅうて、

ゆうてくださってる。なにも先の予定を立てたらあかんちゅうてるわけやない。

心配したらあかん、ちゅうてるだけや。そやから、今日、明日の準備を十分して、

後はイエス様に任せて、心配せんと寝たらええねん。

熊: なんや、寝てしまうんかいな。

八: そや、祈って寝たらええねんって。安心して寝たらええねん。

安心してないから、寝つかれへんのかもしれん。

熊: ええなぁ。明日遠足があるちゅうても、リュックサックだけ用意して寝て、

起きたら、リックサックの中はぜんぶはいっとる。

八: あほ! そりゃ、おかんがやってくれとるんやないか。それに、ええ年の男が、遠足?

リックサック? あんた小学生か。

熊: へぇ、今年で、小学65年生や。

八: もお、ええわ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。最後は漫才の落ちみたいに終わりましたね。たしかに、イエス様は「明日の予定を立てたらあかん」、とはおっしゃっておられません。「明日のことを心配しなさんな」とおっしゃっておられる。つまりは、いつイエス様のお迎えが来たとしても、心の準備をしっかりしておかなあかん、ちゅうてゆうてはるんでしょう。イエス様のたとえにあった、花婿をまつ5人の賢い乙女のように、ろうそくの火を消さないためにも、油が必要です。油とは祈りでもあり、聖書の御言葉を心にとどめるちゅうことでもあるでしょうし、また、賛美を口にとどめるように、いつも主を見上げていることなんでしょうね。

さて、では、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、「油断せずに祈ります」です。明日という日もあるかもしれません。しかし、その日その日の守りと導きに感謝し、明日イエス様がこられてもいいように、心を整え、祈りをもってその日を終わりましょう。

もちろん、「祈り」は形式的なものではなく、神様との親しい会話と言ってもいいでしょう。いつも神様と声にだしても、心の中ででもお話ししている。そのことを覚えつつ、宣言しましょう。

では、三回宣言します。よろしくお願いいたします。

「油断せずに祈ります」、「油断せずに祈ります」、「油断せずに祈ります」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇5篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マルコの福音書14章38節。

「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心を燃えていても、肉体は弱いのです。」

黙想いたします。詩篇5篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:主の栄光宮に満ちて

https://www.youtube.com/watch?v=ZeGyt6sWw_0

賛美⑨:歩こうイエスの道を

https://www.youtube.com/watch?v=OW4ID8rDnF8

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の7月23日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: ルカの福音書22章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/