ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2023.7.30主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)
●午後5時開会:ただいまより、2023年7月30日主日礼拝式を始めます。
●祈り
角笛
礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
続いて
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:み言葉なる
https://www.youtube.com/watch?v=25bgFAbNU0E
賛美②:Abba Father
https://www.youtube.com/watch?v=83qKc5fgR5w
賛美③:力ある主の御名(7月の賛美)
https://www.youtube.com/watch?v=gWa6ahDb9GU
賛美④:感謝せよ(第2歴代誌20)
https://www.youtube.com/watch?v=z8_LWwxrm4s
賛美⑤:栄光の輝き
https://www.youtube.com/watch?v=41gHV1xbaw8
賛美⑥:神の小羊
https://www.youtube.com/watch?v=EP2HSx2xMZ8
【YOUTUBE配信開始】
2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。
いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)
第1の幸い(マタイの福音書5章3節)
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)
第2の幸い(マタイの福音書5章4節)
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」
(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)
第3の幸い(マタイの福音書5章5節)
「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」
(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)
第4の幸い(マタイの福音書5章6節)
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」
(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)
第5の幸い(マタイの福音書5章7節)
「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」
(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)
第6の幸い(マタイの福音書5章8節)
「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」
(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)
第7の幸い(マタイの福音書5章9節)
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)
第8の幸い(マタイの福音書5章10節)
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)
●2023年7月30日 主日礼拝メッセージ
●聖書拝読:ルカの福音書23章(新改訳聖書)
中心聖句:
「イエスは、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(43)
メッセージ主題:『きょう、イエス様とともにパラダイスに』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
23章では、イエス様は、「ピラトからの尋問」そして「ヘロデからの尋問」をうけ、「死刑の判決」が下されます。イエス様は、「十字架につけられ」、三人並んで処刑されますが、そのうちの一人が「イエス様を信じ、救われます」。やがて、「イエス様は息絶え、新しい墓に葬られます」。
この23章のピークの箇所は、イエス様が息を引き取られた時のことではないでしょうか。正午ごろから全地が暗くなり、3時ごろまで続きます。そして、太陽が光を失った時、あたかも日食のような状態だったのかもしれませんが、その時、神殿の幕は真っ二つ裂けました。これは、聖なる神の臨在の場所である至聖所にあった分厚い幕が裂けたのであり、今やキリストの贖いを信じる者が神に大胆に近づけるようになったことを意味します。それが、イエス・キリストの大きな恵みの一つです。そして、イエス様は息を引き取られました。その前にイエス様は、マタイの福音書によると、大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と詩篇22篇の1節を引用されました。この詩篇は、31節●「彼らは来て、主のなされた義を、生まれてくる民に告げ知らせよう」と締めくくられています。この意味は「神の救済のわざを、神の民の後継者たちに知らせなさい」ということです。つまり、イエス様の救済の御業、十字架の贖いと復活による恵みを後世に伝えるというものです。つまり、イエス様は、罪のないお方であったのに、私たちのために、私たちの罪をご自身で背負われ、十字架上で死ぬことによって、私たちの罪がイエス様の血潮によって帳消しにされる、そのことを詩篇22篇をとおして予告されておられるのです。その詩篇22編の冒頭句を、イエス様は十字架にかかりながら叫び、御自身がキリスト救い主であることを公表されたのです。もちろん、この「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」というイエス様の言葉の解釈として、次のことがあります。全人類の罪をイエス様が贖うということは、イエス様がその罪を自分の中に取り込んだとも言えます。それは、神のひとり子であったイエス様を父なる神からもっとも遠ざける行為でもあり、それゆえに、イエス様は「見捨てられた」という表現をなさった、というものです。これも真実かもしれませんが、私はそれよりも、救い主としての公言を指示しています。
さて、今日は、八さん、熊さんが少し変わったことをしたいと申し出がありました。ここからは、少し八さん熊さんにバトンタッチしたいと思います。
―――――
八: 若さん、無理聞いてくれてありがとうな。けんどあれやね、十字架刑って、ローマの
極刑やねんなぁ、熊。
熊: そやでぇ。半日ぐらいたって死に至るちゅう、なかなかむごい処刑方法やわ。
両手を五寸釘よりも大きい釘でコーンコーン打たれて、また足も固定するために
コーンコーンと釘を打たれ、、、
八: 釘を打たれるだけでも激痛が走りよる。バキバキっと骨を砕きながら釘を打つんやから、
もう言い表せないような痛さやろうなぁ。
熊: そんでもって、釘を打ってから、十字架が立てられるんや。そやさかい、体重がかかって、
打ってある釘が骨と肉を裂きよる。
八: 痛みが持続するんやな。手の方が痛いからゆうて、手に体重をかけないようにと、
足を踏ん張ると足の釘が足の骨と肉を裂きよる。
熊: もう「ええ加減に早く殺せ!」と言いたくなるぐらいやねんけど、ローマ軍はそんな
簡単には殺せへん。
じっくりといたぶるわけやな。あげくの果てに、死が近づいて来ると、足の脛を打って、
脛を折るちゅうことをすんねんから。極刑中の極刑やでぇ。
八: 熊、さあ、そろそろ、わてらの出番や。十字架にいくでぇ。
八: いたたぁ! イテテテテ、もう痛いちゅうねん! バラバはええよなぁ。
あいつだけ助かりよって。
もとはと言うたら、あいつが首謀者やんか、ええ、今回の暴動にしても。
そやのに、あいつだけ、なんでご赦免になったんや。なんで助かったんや!
熊: 八の言うとおりやな。あいつにそそのかれて、わても八も、ローマ兵士、
やってしもたんやもんなぁ。あいつは、今ごろ何してんねんやろか。
八: 祝い酒でもあびてんちゃうか。あ~、いたたたたぁ!
あの酸いぶどう酒を口にちょいと浸しただけやさかい、余計に喉が渇くわ。
熊: そうやなぁ。もう口ん中、からっからや。水、欲しいわ。
八: お~い、横のあんた、イエスとかゆうたよな。バラバの身代わりになった。
残念やったな。ほんで、わて、聞いたことがあるんや。
あんたが、サマリヤの女に、なんて言いはったか。
あの女に、「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがない。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出る」ってゆうたそうやないか。
わてらにも、その水分けてんかいな。今すぐにやで! たのんますわ。
熊: 八、そんな無茶ゆうたらあかんわ。この人も、わてらとおなじで、手も足も、
身動きがとれへんねんから。
八: そうやな、手も足もでぇへんか。けんど、手も足も出てるから、
釘うたれてしもたんや。ハハハ、笑えるわぁ、ハハ、あいたたたた!
「イデデ、イデデ、デエエオ!えらいこっちゃ、わてかなわんわ」ってか!
熊: 八、とうとう頭おかしくなったんか、ボーット、してきたんかいな。何ゆうとんねん。
節、つけて、「イデデ、イデデ、えらいこっちゃ、わてかなわん!」って!
バナナボートちゅう歌の節とちゃうんか。余裕やなぁ。
喉も乾いたけど、腹もへってきたなぁ。
わてらに何か喰うもん、、、、くれるわけあれへんか。ローマ兵が。
ハハハ、あいたたたたたた!
八: 熊、熊が、バナナの話をするから、よけい腹ぁへってきたやないかいな。
おい、そこのイエスさんよ、わて、もうひとつ思い出したわ。
あんたが5000人にパンと魚(うお)を配ったこと。なんか、パン5つと、
小魚2匹をお祈りして配ると、みんなに食べ物が十分与えられたっていうの。
わてらもな、その中にいたんや。うしろの方やったけどな、なあ、熊!
熊: 八。あん時はびっくりしたなもう! どうやったら、あのパン5つと
小魚2匹が増えるんやって。わてら、腹いっぱいになったもんな!
ほんで、聞いたことがあるんねん。
後で弟子たちのみんなにな、「わたしがいのちのパンです。
わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、
決して渇くことがありません。」ってゆうたって。
八: そんなこと、ゆうたんか。おい、イエス!わてな、腹減ってんねん。
あんときの奇跡みたいに、食いもんだしてくれや!
熊: 八、あほゆうてたらあかんでぇ。このお方は、
「わたしを信じたら、飢えることも渇くこともないって」ゆうてはんねんや。
このお方を信じひんかったら、あかんねんや。
八: あほはお前や、八。こいつは、いんちきやろうやでぇ。たしかに、
パン5つと小魚2匹で、5000人を満腹にしたかもしれへんでぇ。
いや、女子供あわせれば、10000人はくだらへんかもしれへん。
けんど、わてに、バナナはだされへんやないか。
熊: 八、おまえ、とことん、バナナにこだわるなぁ、もう死にぎわやでぇ。
八: 「イデデ、イデデ、デエエオ!えらいこっちゃ、わてかなわんわ」
腹減って怒って動いたら、よけい痛うなってきた。
あれ? なんや!なんや!イエス、あんたはほんとうにお人好しのどあほやな!
あんたの着物をくじ引いて分けている連中がおるのに、
そいつらに向かって、「父よ。彼らをお赦しください。
彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」ってか?!
あいつらは、ちゃんと分かっとるわいな。
くじ引いて、あんたの着物を分けてんねん!売って金にするためにな。
熊: 八、あほは、おまえや。この人の頭の上にあるお札(ふだ)を見てみぃ。
「これはユダヤ人の王」って書いてあるやろ、
これは、ピラトの直筆(じきひつ)やで。祭司長たちやのうて、
ピラトが言うとんねん。この人は、ほんまに正しい人なんやて、
王さまなんやて。キリストはんなんやて。
八: 熊、とうとう、痛みが頭までまわって、しびれてきたんか。
この男が、王でもキリストでもあるわけないやないかいな。
キリストは死なへんねん!みんな、そうゆうてる!
それにやな、本物のキリストは、ローマ軍の支配を終わらせて、
わてらは、晴れて自由の身となる。ところがや、当のキリストはんは、このざまや。
ローマ兵にやられてしもとる。やられっぱなしや。こてんぱんな。
おい!ナザレのイエス!あんたが、ユダヤ人の王なら、自分を救ってみんかいな!
熊: おい、八、口が過ぎるでぇ。わてもお前も、ワルや。いっぱい悪いこともしてきたし、
人も殺めてしもた。罪深いんや。そやから、十字架という報いを受けてんねん。
けんど、このお方は俺たちのように悪いことはこれぽっちもしとれへんねん!
本当に正しい人なんやて。
八: あいたたた! ちくしょう! もうがまんでけへん。早く殺せぇ!
イエス!あんたが本物のキリストはんなら、自分とわてらを救ってみいや!
なんとか言ってみぃ! だまっとらんと!
熊: だまるのはおまえや、八!ええかげんにしいや!
イエスさま、お願いがあります。わては、あなたさまをキリストと信じます。
あなたさまが、御国の位にお着きになるときには、わてを思い出して下さい!
そんで、わては、この後(あと)、どうなりまっか。
◎イエス: まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、
わたしとともにパラダイスにいます。
熊: え?! パラダイスでっか。
けんど、わては、やっぱり死んじまうんでっかいな。
死ぬのは怖い、いやや! 死なずに生きるようにしてくださるのではないのでっか。
◎イエス: いえ、わたしは、よみがえりです。いのちです。
わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
熊: 死んでも生きる? イエスさまと一緒に死んで、一緒によみがえるちゅうことでっか。
(間をおいて) 信じます、ええ、信じますとも、イエスさま。
ですから、わてをお連れ下さい。そのパラダイスへと。
◎イエス: テテレスタイ! ことは成就した。父よ、わが霊を御手にゆだねます。
八: 「テテレスタイ!」終わった、完了したって?どういうこちゃ、
勝手におわらさんといて!
わて、まだここにいるやないかいな。わてもつれていけっちゅうねん!
ところで、そのパラダイスってとこには、バナナはあるんか~い!
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いつまでたっても、この世と縁の切れない、八さんでありますが。
熊さんは、もうすでに天の御国をみつめて、平安につつまれております。
八さん、熊さん、イエス様の十字架の右と左を演じてくださってありがとうございます。
「後悔先に立たず」と申します。また、「ボーっとしておると、後の祭り」ともなりかねません。ほんの少しの勇気をもってイエス様を信じ、「イエス様はわが救い主」と告白するかどうかで、パラダイスに行くか、そうでないかが、決まります。
イエス様はおっしゃいます。「だれも神を見た者はありません。ただ神から出た者、すなわち、この者だけが、父を見たのです。まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです。」(ヨハネ6:46-48)
イエス様を信じる人は、永遠のいのちが約束されています。みなさんも勇気をだして、
「イエス様、信じます、信じたいと思います」と心を決めてみませんか。また、すでにイエス様を信じておられる方は、「イエス様を信じ続けます」と告白しましょう。
さて、では、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、「イエス様を救い主と信じます」です。イエス様は、神のひとり子でありながら、この世に来られ、十字架につけられ、私たちの罪をご自身のいのちによって、私たちの代わりに帳消しにしてくださり、神様との和解をしてくださって、私たちが神様と親しく交流することができるようにしてくださいました。そのお方に感謝をこめて、宣言しましょう。
では、三回宣言します。よろしくお願いいたします。
「イエス様を救い主と信じます」、「イエス様を救い主と信じます」、「イエス様を救い主と信じます」。アーメン!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇22篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マルコの福音書16章16節。
「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」
黙想いたします。詩篇22篇。
黙想時の曲
⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑧:永遠にあなたと
https://www.youtube.com/watch?v=RvvnF2he6_c
賛美⑨:たたえよ栄光の神
https://www.youtube.com/watch?v=ml61X163l9k
●礼拝の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の8月6日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。
聖書: ルカの福音書24章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/