ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2023.8.6主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)
●午後5時開会:ただいまより、2023年8月6日主日礼拝式を始めます。
●祈り
角笛
礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
続いて
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:主イエスをほめよ
https://www.youtube.com/watch?v=nbez8Dozu2E
賛美②:イエスに栄光あれ
https://www.youtube.com/watch?v=v5sKPkQ68tY
賛美③:感謝せよ(第2歴代誌20)
https://www.youtube.com/watch?v=z8_LWwxrm4s
賛美④:主の栄光、宮に満ちて
https://www.youtube.com/watch?v=ZeGyt6sWw_0
賛美⑤:イエスよ愛の御手をのべて・いつまでも残るのは
https://www.youtube.com/watch?v=4-C78X4ra_k
賛美⑥:ただ一つの願い
https://www.youtube.com/watch?v=UHObMeDWqHg
【YOUTUBE配信開始】
2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。
いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)
第1の幸い(マタイの福音書5章3節)
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)
第2の幸い(マタイの福音書5章4節)
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」
(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)
第3の幸い(マタイの福音書5章5節)
「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」
(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)
第4の幸い(マタイの福音書5章6節)
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」
(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)
第5の幸い(マタイの福音書5章7節)
「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」
(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)
第6の幸い(マタイの福音書5章8節)
「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」
(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)
第7の幸い(マタイの福音書5章9節)
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)
第8の幸い(マタイの福音書5章10節)
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)
●2023年8月6日 主日礼拝メッセージ
●聖書拝読:ルカの福音書最終章24章(新改訳聖書)
中心聖句:
「そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。」(45-48)
メッセージ主題:『イエス様の復活の証人』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
ルカの福音書、最終章の24章ですが、この章がなければ、この福音書は何の意味もないものととなります。23章では、十字架でのイエスの死でおわりました。人間はどんな死に方をしようが、全員もれなく死にます。ここにいる皆さんにも。死は万人に平等に訪れます。しかし、イエス様は、十字架の死から三日目に死を克服してよみがえりました。しかし、そのよみがえりを証明する人がいなくては、イエス様はよみがえったことは、ただの絵空事となりますでしょう。ですから、よみがえられたイエス様は、弟子たちの前にその姿を現されました。弟子たちはそのことの証人となったのであります。いえ、弟子たちは、イエス様の復活の証人となっただけではありません。かれらは、イエス様の十字架での死による彼らの罪の贖いと、よみがえりによる永遠のいのちという恵みをえたのです。罪による「無駄死」から、イエス様がかれらを引き上げられたのです。そのことがこの24章には記されているのです。とても大切なところです。イエス様が墓の中から復活し、二人の弟子がエマオに行く途中で、イエス様が現われ、そして、ペテロの家でも現われ、しばらくして、「使徒の働き」では、40日間、この地上にいらっしゃった後、天に上げられました。これが、24章のあらましです。
★『もしも、イエス様の復活がなければ、イエス様は、祭司長たちにまんまとはめられたただのお人好しの大工ということになります。』
★『もしも、イエス様の復活がなければ、イエス様は、馬小屋でうまれ、星の見方を間違って、勘違いされた占星術師から、乳香や没薬や黄金を受けとっただけの人となります。』
★『もしも、イエス様の復活がなければ、旧約聖書の預言は、ことごとく的外れだったということになります。』
★『もしも、イエス様の復活がなければ、モーセが記した創世記は、単なる神話でしかなかったということになります。』
★『もしも、イエス様の復活がなければ、当時の使徒たちは大ウソつきだということになります。』
★『もしも、イエス様の復活がなければ、この2000年間すべてのクリスチャンは騙され続けたことになります。』
★『もしも、イエス様の復活がなければ、人間はすべて罪によって、無駄死することになります。』
もちろん、死ぬ前に子孫を残すという役割をはたされる方もおられるでしょう、しかし、そうであったとしても、あなたの死は、イエス様の復活がなければ、無駄なのです。
★『もしも、イエス様の復活が嘘なら、どうして、当時の使徒たちは命をかけて、その嘘を守りつづけたのでしょうか。』
★『もしも、イエス様の復活が嘘なら、なぜ、その嘘がこの2000年間バレないでいたのでしょうか。』
この24章が証しをしているとおり、イエス様は、実際に、死を克服し復活なさったのです。
私は、イエス様の復活を信じています。それは、私が牧師だからではありません。私は信徒の時代が33年と長く、その間、イエス様の復活を信じてきました。ずっと日曜日は礼拝をささげ、教会の用事は、主の御用だと信じて、喜んでさせていただきました。当り前の話ですが、主の御用は無料奉仕です。もちろん、主の教会を支えるための献金も、生活が苦しい中でもさせて頂きました。しかし、これらは、私にとってプライドでも義務でもありません。主の御用に私を用いていただけるとただただ、それだけのことです。感謝と喜びでしかありません。なぜなら、イエス様が私の罪のために身代わりとなって死なれ、その死を克服して復活され、私もその復活の恩恵にあずかって、永遠のいのちを約束されたからです。また、イエス様を信じるがゆえに、イエス様の平安である聖霊様が、私に宿り、私の罪深い性質や根性を変えて下さるからです。自分の力だけではできなかった、自分のイヤなところを、聖霊様がかえてくださるからです。まことに、感謝しかありません。しかし、イエス様はそんな私に、もう一つの課題を与えられました。それは、『福音を伝えるものになりなさい、牧師になりなさい』というものでした。1回目は、アメリカで学生時代の時でした。もちろん、「神学校の学費がたかいし、奨学金はもらえるはずがありませんから」という理由でその導きを無視しました。2回目は、月々30数万円という住宅ローンに苦しんでいるときでした。「高いローンが残っていて、働かないといけませんのでダメです」と丁重にお断りしました。そして、3回目。60歳になる手前で、相変わらずローン地獄にあえいではいましたが、残りの人生を主にささげたいという気持が湧いてきていた時でもあり、とうとう、主のご命令に降参しました。
信徒よりも牧師の方が楽ができる?そんなことはありえません。人の人生を左右する主の御言葉を取り次ぐのです。大きな責任がのしかかって来るのは目に見えています。ある人は、「信徒は、一生懸命献金して、牧師はその献金で生活しているんやから楽なもんやがな。」とおっしゃいましたが、確かに、その献金で生活している牧師もいらっしゃいますが、決して楽なものではありません。まして、私のようなテントメーカー、仕事をしながら、牧師をして、信徒さんの献金に頼らない、つまり食い扶持は自分で稼ぐ牧師は、なんにも楽なことはありません。稼いだお金を教会の維持のためにもささげているのですから。
★『もしも、私がイエス様の復活を信じていなければ、牧師みたいな責任重大なしんどいことはしません。』
★『もしも、私がイエス様の復活を信じていなければ、教会の家賃や諸経費を払って、貯金をぜんぶささげて、そんなみかえりのないことはしません。』
★『もしも、私がイエス様の復活を信じていなければ、そもそも、信徒や牧師にならず、自分の好きなように、稼いだお金をつかって、まあまあ普通の暮らしをしているかもしれません。』
そして、★『もしも、私がイエス様の復活を信じていなければ、私の死は、無駄なのです。』
しかし、私はイエス様の復活を信じています。そして、牧師とさせていただいた時点で、次のみ言葉を神様から与えられました。1コリント9章23節●「私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。」これは新改訳聖書の訳ですが、以前に慣れ親しんでいた口語訳聖書では、●「福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしとともに福音にあずかるためである。」
私は、今、皆さんが、いっしょに福音の恵みである永遠のいのちの約束を受けとってほしいと願っている、ただそれだけのために、後先かまわず牧師をしています。なぜなら、私もイエス・キリストの復活の証人だからです。私はイエス様の復活を見たことはありません。もちろんです、2000年前のできごとですから。しかし、その当時のお弟子さんたちの証言を信じます。なぜなら、2000年前のイエス・キリストが、今の私の心に生きて働いてくださっておられるからです。それを感じるからです。イエス様の平安と喜びが私の心に泉となって私を満たしているからです。
皆さんは、いかがでしょうか。本当に「イエス様の復活の証人」とされているでしょうか。
『もしも、イエス様の復活の証人であるなら、何をすると、証人とよばれるでしょうか。』
さて、八さん、熊さん、お二人は、何をすると、イエス様の復活の証人とよばれると思いますか。
―――――
八: イエス様の復活の証人なぁ。当時の弟子の皆さんのように、生き返られたイエス様に会うた訳やあれへんしなぁ。
熊: せや。そもそも証人って、ほら、裁判で、「嘘いつわりなく言いますか」ちゅうて
宣誓させられて、事件や事故を見た、または聞いたちゅう証言する人のこっちゃわな。
八: せやろぅ。ほんなら、わてら証人の資格なんてあれへんやん。
十字架の後にも先にも、イエス様おうとらへんねんから。
熊: 聖書に書かれてあることは、証言になれへんからなぁ。聖書はみんなが知りうるんやから。
八: 「イエス様が救い主や」ちゅうことも、牧師先生がゆうたり、聖書に書いてあることやろ。
こんなん、何べん聞いても、何べん言われても、「嘘や」と思たら一巻の終わりや。
熊: ほな、なんで、八は、イエス様のこと信じたんや?
八: そりゃ、熊がゆうたからやないかいな。
「イエス様、信じたらええことあるでぇ」ちゅうて。
熊は、わてのマブダチやからな。お前がええちゅうもんは、信用して試してみる。
そんで、熊はなんで、イエス様信じたん。
熊: そりゃ、若さんが、「イエス様、信じたらええことあるでぇ」ちゅうたからや。
八: ほんなら、若さんは、なんでイエス様信じたんやろ。
熊: むかし、笑顔のすてきな、、、、
八: おなごはんかいな。
熊: ちゃうちゃう。男はんやったらしいで。
八: え、男はん? 若さん、ひょっとして、、、カミングアウト?
熊: あほ、ちゃうわいな、同じ学生さんやって、あの笑顔には何かあるちゅうて、
なんかちがうもの感じるちゅうて、そんで、たどりついたのがイエス様やった。
八: けんど、若さんもイエス様におうたんとちゃうやろ。
熊: 当たり前や。その人の笑顔は、イエス様を信じて、イエス様の平安につつまれてた、
ちゅうか、安心しきってた笑顔やったんやそうな。やから、その笑顔に、
イエス様を見はったんや、若さんは。その人の笑顔に、今も生きて働いて
くださっている、つまりは復活されたイエス様を見たわけや。
八: ほんならあれか、その人の笑顔が、イエス様の復活の証人ちゅうことかいな。
熊: まあ、そやな。その人がイエス様の復活の証人ちゅうてもええのかもしれへんけど、
その人かって、いっつもかっつも笑顔でいてるわけやない。
八: いっつもかっつも、笑顔でいてる人おったら、気持ち悪いでぇ。
熊: せやからや、その人の笑顔が、イエス様の復活の証人、イエス様が今も生きて
働いてくださっている証拠やちゅうこっちゃ。
八: なるほどなぁ。人は不安定や。人の信仰もゆれることもある。やから、その人自身が
イエス様が今生きて働いておられる器であったとしても、人間ゆえに欠けの多い器や。
その器のある一面にでも、イエス様を垣間見ることができれば、
御(おん)の字やちゅうことかいな。
熊: そや。それとな、その人が全くのイエス様の証人やったら、その人からイエス様が
見えなくなれば、その人はイエス様の証人やないちゅうことになる。そやけんど、
その人の笑顔が、イエス様の証人ちゅうことにしたら、その人がなんぼ欠けの多い器で
あったとしても、笑顔という一面で、イエス様の証人となれるんや。
八: なるほどなぁ。熊、今日は哲学ってないか。
熊: いや、わてが言ってるんやのうて、聖霊様がわてを通しておっしゃてるねん。
八: ほんなら、今日の八の哲学っぽいのが、イエス様の復活の証人やぁちゅうことやな。
熊: まあ、そこんところは分からへんわ。ついでにな、もう一つ
聖霊様がわてにお伝えくださっていることがあるねん。
ヨハネの黙示録19章6節から8節のカギカッコのところなんやけど。
八: 黙示録19の6から8。ちょっと読んでみるわな。
●「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。
私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、
花嫁はその用意ができたのだから、花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを
許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
熊: この麻布の衣を着せていただくときちゅうのは、完全にわてらがイエス様と一心同体と
なるちゅうことやと思うんやけど、その時には、まったく欠けのない器とさせて
いただいて、完全なるイエス様の復活の証人となるときなんかも知れんと思ってるねん。
その時まで、まだまだ欠けが多くて、たったひとつの行いや表情に、ほかの人が
イエス様を垣間見ることができるなら、その行いや表情が、イエス様の復活の証人
なんとちゃうやろかと思うねんや。
八: やっぱり、きょうは、熊、哲学ってるわ。やけど、ちょっとこれで、ホッとしたわ。
熊: なんでやねん。
八: そやかて、わてらがイエス様の復活の証人でなくても、わてらの笑顔や、わてらの祈りや
わてらの悲しみや喜びの中に、イエス様を垣間見ることができて、
そのことが、イエス様の復活の証人であるなら、わてらは、
イエス様の復活の証人として、そんなにきばらんでもええちゅうことになる。
なぁ、若さん。そやなぁ。
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。その通りですね。私たちは完璧ではありません。いえ、完璧からほど遠いものです。しかし、私が、その方の笑顔にイエス様の復活を見たように、私たちも、それぞれの何かでイエス様の復活つまり今イエス様が生きて働いてくださっている面を人にお知らせできることはできるのではないでしょうか。ある人は、歌や演奏で、ある方は、朗読や祈りで、またある方は、人に寄り添うことで、イエス様の復活の証人となれるでしょう。それを祈り求めたいと思います。
さて、では、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、「イエス様の復活の証人となります」です。皆様自身が証人となることはとても素晴らしいことですが、そこには無理があり、その人自身が、証人というプレッシャーでつぶれてしまうかもしれません。人それぞれによって違うかもしれませんが、ある面において、イエス様が生きて働いてくださっていることを表すことができるのであれば、それが、イエス様の復活の証人であります。そのことを覚えつつ、三回宣言します。よろしくお願いいたします。
「イエス様の復活の証人となります」、「イエス様の復活の証人となります」、「イエス様の復活の証人となります」。アーメン!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇16篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書20章29節。
「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
黙想いたします。詩篇16篇。
黙想時の曲
⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑧:大いなる方に
https://www.youtube.com/watch?v=RvvnF2he6_c
聖餐式
賛美⑨:天にあるもの
https://www.youtube.com/watch?v=Z4XAlaJHzp4
●礼拝の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の8月13日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。
聖書: 使徒の働き1章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/