ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2023.8.13主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)
●午後5時開会:ただいまより、2023年8月13日主日礼拝式を始めます。
●祈り
角笛
礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
続いて
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:主イエスをほめよ
https://www.youtube.com/watch?v=nbez8Dozu2E
賛美②:イエスに栄光あれ
https://www.youtube.com/watch?v=v5sKPkQ68tY
賛美③:感謝せよ(第2歴代誌20)
https://www.youtube.com/watch?v=z8_LWwxrm4s
賛美④:主の栄光、宮に満ちて
https://www.youtube.com/watch?v=ZeGyt6sWw_0
賛美⑤:イエスよ愛の御手をのべて・いつまでも残るのは
https://www.youtube.com/watch?v=4-C78X4ra_k
賛美⑥:ただ一つの願い
https://www.youtube.com/watch?v=UHObMeDWqHg
【YOUTUBE配信開始】
2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。
いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)
第1の幸い(マタイの福音書5章3節)
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)
第2の幸い(マタイの福音書5章4節)
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」
(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)
第3の幸い(マタイの福音書5章5節)
「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」
(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)
第4の幸い(マタイの福音書5章6節)
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」
(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)
第5の幸い(マタイの福音書5章7節)
「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」
(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)
第6の幸い(マタイの福音書5章8節)
「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」
(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)
第7の幸い(マタイの福音書5章9節)
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)
第8の幸い(マタイの福音書5章10節)
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)
●2023年8月13日 主日礼拝メッセージ
「使徒の働き」とは
復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。
そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。
(会衆)
イエス様の復活の確信
神の国の理解
聖霊の満たし
エクレシア(信仰者の集まりと交わり)
●聖書拝読:使徒の働き第1章(新改訳聖書2017)(ソフィーの聖書朗読)
https://www.youtube.com/watch?v=Q_Th-Cex23g
中心聖句:
「使徒たちと一緒にいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。『エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」(4)
メッセージ主題:『待ち望む』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
ルカが書いた、「ルカの福音書」の続きが、今週から始まる「使徒の働き」であります。「ルカの福音書」では、イエス様の歩みを時系列に整理整頓しながら編纂されています。そして、それを私たちは24週かけて見てきました。一方、「使徒の働き」では、この書のタイトル通り「使徒たちの歩みと教会形成」、、、というよりは、縦軸に、復活されたイエス様の働きとイエス様が私たちにお送りくださる聖霊様の働き、横軸に信仰の始まりと継承が折り重なって、しかも、ルカの福音書と同じく、ほぼ時系列に物語が進んでいきます。
ルカの福音書の24章の中心は、イエス様の死からの復活と、その復活の証人でした。そして、「使徒の働き」の1章でも、同じように、この1章の中心は、復活されたイエス様の証人となるということです。中心聖句は、8節●「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」福音は、エルサレムから始まり、全世界へと広がります。
しかし、この第1章からではありません。この第1章は、弟子たちがイエス様の聖霊を受ける準備期間です。イエス様は、あらかじめ12人の弟子たちを選ばれておられました。ペテロ、ヨハネ、イエス様の弟ヤコブ、アンデレ、ピリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルパヨの子ヤコブ、熱心党員のシモン、ヤコブの子ユダ、そしてイエス様を裏切る運命にあったイスカリオテのユダです。イスカリオテのユダは、イエス様を裏切り、イエス様を売ってしまったという自責の念から首を吊って自殺し、その亡骸は、エルサレムの城壁から落とされ、からだが真っ二つに裂け、はらわたが飛び散り無残な姿で最後を遂げました。使徒に一人欠員がでてしまったので、聖霊の働きによって、ペテロが使徒の補充を提案し、ほかの使徒と同様、ヨハネのバプテスマから始まって、弟子たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも使徒たちと行動を共にした人の中から、イエス様の復活の証人となる使徒候補を探しました。そこには120人の弟子たちがいましたが、その条件を満たすのは、たった二人、バルサバとマッテヤでした。そこで、石ころによる、くじ引きをし、マッテヤが12使徒の仲間入りをすることとなりました。
これで宣教の準備は整いました。いえ、まだ一つ大事なことがあります。イエス様は、「聖霊があなたがたの上に臨むとき」とおっしゃいました。ここで大事なのは、聖霊がわたしたちに臨まなければ、私たちは福音を伝えることはできないということです。逆を言えば、福音が伝わるのは聖霊様の働きによるものでしかないということです。私たちは、勘違いをしてはいけません。私たちの熱心が、その人の心を動かし、父なる神、子なるイエス様を受け入れるのではありません。仮にそう見えたとしても、実際はそうではありません。私たちは奢ってはいけません。私たちは、信じて、福音の種をまく以外に何もできないのです。
イエス様の種まきのたとえを思い出してみてください。マタイの福音書13章にあります。道端に落ちる種、岩地に落ちる種、茨の木の間に落ちる種、そして、良い地に落ちる種。芽がでて育つのは、良い地に落ちる種です。芽がでて育つのは私たちの役目ではありません。それは聖霊様の働きです。私たちは、ただ福音の種をまくだけです。私たちはいろいろと考え種のまき方を考えます。それは決して悪いことではありません。それに、種のまき方もまく人のスタイルによっても異なっていいのです。これが絶対というまき方はありません。そして、芽がでて育つのは聖霊様の働きですから、私たちが、仮に、涙とともに種をまいたとしても、すべては主の栄光が現れるためのものであります。詩篇126篇5節6節では、次のように描写しています。●「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取る。種入れを抱え、泣きながら出て行く者は、束を抱え、喜び叫びながら帰って来る。」この詩篇の意味は、『正しく誠実になされた労苦は必ず報われる』という意味です。私たちが福音の種まき、つまりイエス様の愛をお伝えするとき、復活の主は必ず、そのことに対して報いてくださいます。しかし、私たちが種を蒔いたとしても、いつ、その芽がでて育っていくのかは、分かりません。その時を辛抱強く待つ、待ち望むことが、神様もイエス様も望んでおられることです。そして、喜び、まさしく小躍りして、主の御名をほめたたえ、主に栄光を帰す時が来ると信じることが大切です。
さて、今日私たちが、この第1章で学ぶことは、「待ち望む」ということです。
イエス様は、弟子たちに、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」とおっしゃいました。父の約束とは、「聖霊が弟子たちの上に臨むとき、力をうける」ということです。この時の力とは、『復活の主イエス・キリストの証人として、大胆に証しをする、イエス様の愛を全世界に伝えていく原動力』です。
そして、もうひとつの「待ち望む」ことが、イエス・キリストの再臨であります。イエス様が弟子たちが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなった直後、二人の天使が現れ、次のように弟子たちに伝えました。●「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」(11)このことは、弟子たちだけではなく、私たちにも問われています。イエス様の死からの復活と、天に上られて、父なる神の右につかれて、いつの日かふたたび戻ってこられる、そのことを信じ期待しているかということです。イエス様は、私たちの罪の身代わりとなって、十字架で死なれ、三日目に死に打ち勝ち、復活され、私たち、信じる者に永遠のいのちの約束をなさいました。そして、私たちを天の御国へと引き上げてくださるために、再び戻ってこられ、空中でイエス様と出会います。私たちクリスチャンはこの時点で生きていても死んでいても、イエス様に引き上げられていきます。このことを、残されてしまった人たちの物語として書かれた小説が、「レフトビハインド」で、2度も映画化されています。ご興味があれば、貸し出します。
さて、この二つの「待ち望む」を第1章では、私たちにもつきつけられています。、、、
あれれ、しかし、ちょっと待ってください。そう簡単に皆さん、うなずかないでください。新約聖書時代、つまり、イエス様による新しい契約のもとにある私たちの時代には、『イエス様の十字架と復活を信じ、イエス様を私たちの救い主であると告白すれば、イエス様はイエス様の平安であり助け主である聖霊様をお送りくださり、聖霊様は私たちの心に、私たちが死ぬまでお住まいくださるのです。』では、新約聖書時代に生きる私たちは、『聖霊が臨む』ことを待つ必要なないのではないでしょうか。はい、待つ必要はありません。すでに、私たちの心には聖霊様がいらっしゃいます。では、皆様は、大胆にイエス様を証しする力を今、得ているということでしょうか。そう言われると、、、自信ないなと思われて、下を向いてしまう方もいらっしゃるでしょう。いえ、私も実はそうです。聖霊様は、私たちの心にお住まいです。しかし、聖霊様が働かれるタイミングといいますか、そのことを『聖霊に満たされる』とか『聖霊充満』という言葉で表される、そのタイミングがあることは確かです。新約時代の私たちは、その『聖霊の満たし』を待ち望む必要があります。ですから、「聖霊様、来てください!」とおっしゃる方がありますが、実は「聖霊の満たし」を待ち望んでいる叫びなのです。
この『聖霊の満たし』と『イエス様の再臨』とを、私たちは、いつも心に留めて、待ち望まないといけないと、私は思うのでありますが、天国長屋の八さん熊さんは、どう思われますか。
あとはよろしく。
―――――
八: ひぇ~、あとはよろしく、って、若さんちょっと無責任とちゃう。むちゃぶりされても。
かなわんなぁ。どうやって、待ち望めちゅうねんね。どうおもう、熊。
熊: まずは、『聖霊の満たし』やな。
八: あれ、熊、やけに前向きやないか。
熊: せやかて、わてら、「イエス様いのち」ってきめた、三ばかトリオやろ。
八: そら、そうやけど。
熊: イエス様を信じて救われた。その福音を他の人にも伝えたいやんか。
そのためには、『聖霊の満たし』ちゅうか、『聖霊様の働き』が必要なんやって。
八: ほなら、熊はどう待ち望むんや、その『聖霊様の満たし』を。
熊: そこやがな。わてらには聖霊様が心にお宿りくださっている。
けんどな、昔の弟子たちはんが『聖霊の臨在』を待ち望んでいた時のことが、
ヒントになるんとちゃうやろか。
八: それって、14節にあるようなことかいな。●「彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、
およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。」
熊: せや。聖霊が下るペンテコステまで、10日間。みんなは心を一つにして祈っていた。
ここにヒントあるんとちゃうやろか。
八: ははん、熊はそこに「ピンと」きたんや。
熊: ヒントがピンときたって、しょうもない洒落はええねん。
八: そんでもって、こころ一つにして、何祈ってはったんやろ。
熊: そら、「聖霊が、望まれますように。聖霊が来ますように。力をください」って
祈ってはったんやろな。
八: ということは何かい、わてらも、「聖霊様、わてらの心を満たしてください」って
祈ったらええのんかいな。
熊: そうやと思うで。それを祈るちゅうことは、自分をイエス様に完全に明け渡す必要が
あるんやろ。けんど、わて、『なんか勘違いしてたんとちゃうやろか』と、
この14節読んで思たわ。
八: なんやねん、その勘違いって?
熊: 「みんなが心を一つにして」ちゅところや。わてな、聖霊充満って、個人的なことやと
思てた。そうかもしれへんでぇ、けんど、この「みんなが心を一つにして」
ちゅうところに、『聖霊充満』のヒントがあるんとちゃうかって、
『聖霊充満』って個人的なこともあるやろうけど、そやのうて、
信仰者の集まりのなかで発揮されるちゅうか、
恐ろしいほどの力を与えられるんとちゃうかって、
さっきそう思わされたんや。
八: 信徒の集まりなぁ。信徒というと教会に属している感じがあるから、
「信じる人の集まり」やな。ええっと、、、それって、なんかことばがあったよな。
若さんゆうてたことがあるやけど、、、。なんやたっけ。
熊: エクレヤ!
八: ああ、あれおいしいなぁ、細長いシュークリームの上にチョコレートでカバーされてて、、、
二十歳ぐらいの時、不二家であれが登場した時には、よう食べてたわ。
って、、、ちゃうがな。
熊: 長いボケやなぁ、、、すまんすまん、思い出した。エクレヤやのうて、エクレシア!や。
八: イエス様を信じる人々が、礼拝や祈りや賛美や聖書の学びをするために集まる
集まりのこっちゃな。けんど、教会とはちゃうんかい。
熊: 教会もその一つやちゅうことかな。ようわからん。なんせ、アメーバーみたいな集まりや。
八: アメーバーみないな集まり? それって、若さんが目指してることなんとちゃうんか。
熊: そやったな。若さんは、マタイの福音書18章20節の
●「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、
わたしもその中にいるのです。」そのイエス様のみ言葉をもとに、
その二人三人の信じる者の集まりがエクレシアの最小単位やて、ゆうてはったな。
祈りの集まり、賛美の集まり、朗読の集まり。
今で言うところの教団や教派をこえて、ただただイエス様を信じる人の集まりや。
八: そや、そこに聖霊様が働くんや。聖霊の満たしを祈らんといかんねやな。
熊: 一人でも聖霊の満たしはあるんやと思うけど、いや、絶対にそうにちがいあれへん。
けんど、『イエス様は、信じる者の集まり、エクレシアでの力を望んでおられるんやと
思う』、、、と若さんゆうてはったたな。
そのエクレシアが聖霊様によって力を発揮するとき、
イエス様が迎えに来られるんとちゃうかなぁ。知らんけど。
八: 熊、ほならなにかい。わてらは当面、エクレシアで、聖霊の満たしを祈って、
そんでもって、イエス様の福音をお伝えするようにしてたらええちゅうことか。
聖霊の満たしで、福音の種蒔きの力をいただいたら、ええちゅうことやな。
若さん、どう思われます?
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。私も熊さんの考えに賛成です。確かに、私たちは、『聖霊の満たし』と『イエス様の再臨』とを待ち望むべきだと思うのですが、『イエス様の再臨』は私たちには、予測できません。父なる神のみぞ知るご計画です。ですから、私たちは『聖霊の満たし』をまず、祈り待ち望むべきだと考えます。それには、主に主導権を明け渡す必要があるのでしょう。ちなみに、熊さんが思い出してくださった、「エクレシア」は、ギリシャ語で、「政治集会」を意味していた、イエス様時代にはすでに存在していた概念です。建物を意味するのではなく、集会の場を意味していました。神様は、この既存の「エクレシア」という集会の場を利用して福音を伝えられるように知恵をあたえられ、30年間でエルサレムから始まり、ついにはローマまで、つまり当時の世界観で、全世界に福音が宣べ伝えられたのでした。私の示されています、アメーバーのような集まりが、実際エクレシアなのかどうかは定かではありませんが、この「使徒の働き」を毎週1章ずつ進んで行きつつ、このエクレシアの概念とその働きも学んでいきたいと思っています。
さて、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、「聖霊の満たしを祈り求めます」です。別の言葉で言えば、「主に主導権を明け渡す」ということでもあるでしょう。先ほども申しましたが、神様はこの「聖霊の満たし」を信徒の集まりで経験し、力をえなさいとおっしゃっておられるような気がします。そのことを覚えつつ、心を一つにして、三回宣言しましょう。よろしくお願いいたします。
「聖霊の満たしを祈り求めます」、「聖霊の満たしを祈り求めます」、「聖霊の満たしを祈り求めます」。アーメン!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇141篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書14章21節。
「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」
黙想いたします。詩篇141篇。
黙想時の曲
⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑧:主を待ち望む者は
https://www.youtube.com/watch?v=NsQKCWC6WIc
賛美⑨:天にあるもの
https://www.youtube.com/watch?v=Z4XAlaJHzp4
●礼拝の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の8月21日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。
聖書: 使徒の働き2章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/