· 

メッセージ主題:『聖霊:イエス様からの最上のプレゼント』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.8.20主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年8月20日主日礼拝式を始めます。

●祈り

角笛

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:十字架のかげに

https://www.youtube.com/watch?v=8dq4uQd8CjU

賛美②:力ある主の御名

https://www.youtube.com/watch?v=gWa6ahDb9GU

賛美③:感謝せよ(第2歴代誌20)

https://www.youtube.com/watch?v=z8_LWwxrm4s

賛美④:愛を伝えるために

https://www.youtube.com/watch?v=3pQGNk5q4zI

賛美⑤:愛の絆

https://www.youtube.com/watch?v=TaIUDJUsvYU

賛美⑥:主の御言葉待ち望む

https://www.youtube.com/watch?v=eMiTgz-SzBY

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年8月20日 主日礼拝メッセージ

「使徒の働き」とは

復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。

そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。

(会衆)

イエス様の復活の確信

神の国の理解

聖霊の満たし

エクレシア(信仰者の集まりと交わり)

●聖書拝読:使徒の働き第2章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹惠子伝道師

中心聖句:

「そこで、ペテロは彼らに言った。『それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。』」(38-39)

メッセージ主題:『聖霊:イエス様からの最上のプレゼント』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

先週の第1章では、欠けていた使徒を補充し、12使徒が揃い、あることの準備が整いました。その準備とは、この第2章の冒頭で行われる、聖霊降臨であります。場所はおそらくエルサレム神殿ソロモンの回廊です。ソロモンの回廊ではラビたちとの意見交換や教えや学びの場所でもあり、もちろん一般ユダヤ人たちも集えた場所でした。そこで、激しい風が吹いてきたような響きがおこります。風は聖霊を象徴しています。そして、炎のような舌が12使徒の一人一人に臨みます。聖霊が使徒たちに下った瞬間であります。そして、使徒たちは、他国の言葉で語り出すとあります。他国の言葉とは、ギリシャ語の記述では、「方言」となっています。この当時、エルサレムでは、ヘブル語アラム語ギリシャ語、ラテン語それにアラビヤ語が話されていて、庶民は、2つ3つの言葉を話すことが当たり前となっていたようですから、使徒たちもいくらか話すことはできたのかもしれません。しかし、聖霊が下った使徒たちは、聖霊の力によって、ガリラヤ地方のアクセントまじりの他の国の言葉を話せるようになったのです。ですから、周りの人々は、驚き不思議に思って、●「見なさい。話している人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話をきくとは、いったいどうしたことか。」と言ったのです。12使徒がガリラヤ出身かどうかは、エルサレム神殿に来てしばらく滞在していたさまざまな国々からの巡礼者たちには分からないはずです。しかし、彼らのガリラヤアクセントで出身が分かったのです。ここで大事なことは、ギリシャ語にも「異言」英語でspeaking tongue と言いますが、周りの人が理解できないような言葉、舌がもつれたような言葉で話したという記述ではなく、他の人が理解できた言語であったということです。ですから、口語訳では「異言」と訳されていますが、新改訳や新共同訳のように「他国の言語」と訳されていることは、この状況で納得いく訳です。もちろん、異言で語って、周りの人にも聖霊が働いて、お国の言葉のように聞こえたと解釈することもできますが、「異言」は本来、個人的なものですから、どうしても無理のある解釈とも考えられます。

ここで少し時間をいただいて、少し私の立場を明確にしておきたいと思います。「異言」で神様と話すというのは、個人的な徳が高まるということであって、賜物の一つであります。つまり、全員に与えられるとは限らない賜物であるということです。「異言で話す」ということと、「聖霊のバプテスマ」とは別物です。「聖霊のバプテスマ」とは、イエス様を信じた時点で、その人の心に聖霊が入る、住まわれるということです。「異言で話す」ということと「聖霊のバプテスマ」を同じだと考える人は、イエス・キリストを信じた時点でのことを「水のバプテスマ」つまり、バプテスマのヨハネが人々にさずけていた悔い改めの洗礼と同じだと考え、「水のバプテスマ」と「聖霊のバプテスマ」とを区別しようとされます。また、「聖霊のバプテスマ」があったしるしとして異言があると考える方もいらっしゃいます。それだけ、異言を重視しているということですが、それは私の理解ではありません。今日の中心聖句がそのことを証明してくれますが、それはあとに述べさせていただきます。

さて、使徒たちに聖霊が下ったとき、彼らは力をうけ、大胆にイエス・キリストを証しいたします。14節から、使徒の代表的存在であった、ペテロが声を張り上げ、人々に語りかけたとあります。ペテロは、次のように声高らかに唱えます。●「このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。」(32-33)人たちが「目にしている」とは、「炎のような舌が分かれて現れた」ということでもあり、「他国のいろいろなことばで急に話すようになった使徒たち」とも、「ペテロのように大胆に話すようになったこと」とも考えられます。また「耳にしている」とは、「突然、激しい風が吹いて来たような響き」でもあるでしょうし、「使徒たちの語るガリラヤアクセントのある他国のことば」でもあるでしょう。使徒たちを変えた力、他国のことばを話す能力を与えたのが聖霊であります。聖霊は、目に見えません、そして、聖霊の声を聞こうと思うなら、静まって、静まって、静まり切った時に、か細い声で、かすかに、心の内から聞こえるものなのかもしれません。もちろん、大きな声で聞こえるときもあるかもしれませんが、静まりの中で、主が語って下さるのです。詩篇46篇10節では、●「静まって、わたしこそ神であることを知れ」とあります。これは口語訳ですが、新改訳では「やめよ。知れ。わたしこそ神」となります。この「やめよ」とは、『いろいろな策を考えるのではなく、主に信頼して、主の御声を聞くようにする、主の導きに従う』ことを意味します。

先週、「聖霊の満たし」について主に導いていただきましたが、この満たしは善行をしたら、聖霊の満たしがあるというようなものではありません。主に全てをゆだね、主に従順する時、主が完全に私たちを支配してくださる。そのことを「聖霊の満たし」と言います。

では、話しを戻しますが、聖霊とはいったい何でしょう。その件に関しては、使徒ヨハネがイエス様のことばを記録しています。ヨハネの福音書14章です。16節●「そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。」26節●「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」27節●「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」つまり、聖霊とは、イエス様の平安であり、イエス様の御言葉や教えを私たちに思い出ださせ、私たちに勇気と励ましを与えてくださいます。イエス様の平安は、知恵の宝庫であり、力を与えて下さいます。そして、私たちが死ぬまで伴われます。 

その平安を得るためには、今日の中心聖句が語っています。

「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」

そして、そのイエス様の平安であり助け主でもある聖霊を受けた人はどうしたのでしょうか。42節には次のように記されています。●「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」とあります。同じことをもう少し具体的に45節46節で述べられています。●「そして、毎日、心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は、毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」

聖霊は、イエス・キリストを信じる私たち一人一人に下された、イエス様からの最上のプレゼントです。その最上のプレゼントは、私たちが、「イエス様は私たちの主です」と告白した時点で、私たちの心にお住まいくださいます。少し脱線しますが、、、この「主」という言葉は、ペテロが引用した、ヨエルの預言で、21節●「主の御名を呼び求める者はみな救われる」と言われた「主」つまりヘブライ語では『ハヤーウェ:この世界をお造りになられた創造の神』を指しています。そして、ペテロ自身が述べた「主」は、キリストと創造の神を意味しています。39節●「私たちの神である主が召される人ならだれでにでも、(聖霊を受けるという約束が)与えられているのです。」ユダヤ人の神である、創造の神、ハヤーウェは、実は、救い主キリストであると訴えているのです。ですから、、、話を戻しますが、、、「イエス様は私たちの主です」と告白するということは、「創造の神でありキリストであり主に従います」と告白しているのと同じなのです。その告白の結果、最上のプレゼントである聖霊、イエス様の平安が、私たちの心に住みついてくださるのです。

その聖霊が私たちの心にお住まい下さるがゆえに、私たちの心は聖霊で満たされる可能性があり、またその満たしを願い求める、つまり主の支配、主の統治を求める必要があります。イエス様の平安である聖霊が私たちの心にお住まいになるということは、イエス様ご自身が私たちの心にお住まい下さっているのと同じです。私たちは、イエス様からのこの最上のプレゼントを得ていることに大いに感謝の気持ちを表すべきです。

さて、天国長屋の八さん熊さんは、この使徒の働き第2章を通して、何を思われますか。

―――――

八: うわっ、若さん、アバウトな質問投げかけてきはったでぇ。

使徒の働き第2章をどう思うかやって。

熊: 第2章の中心は、やっぱり、聖霊降臨やろなぁ。わてな、勘違いしてたわ。

あの家で集まってた120人に、聖霊が下ったもんやと思てた。

けんど、第1章からの続きで考えてみると、「彼ら」ちゅうのは、

使徒12人のこっちゃな。それでないと、わざわざ、マッテヤちゅう12人目の使徒を

選ぶ必要あれへん。

八: 聖霊を下すの、ちょっとマッテヤ。って、ゆうてマッテヤが選ばれたんやからなぁ。

熊: 八、先週から、そのダジャレ言う機会を考えてたやろ。

なにが、マッテヤだけにマッテヤや。そんなん、小学生でも考えるわ。

八: ほっといてんか!どうせ、わては小学生程度です。それよか、聖霊が下った使徒たちが、

話したのは「異言」やのうて、ガリラヤアクセントの他国の言葉やったって。

わて、初耳やけど、それやったら、いろんな国の人が理解できたのも納得やわ。

熊: わても、その説明は初めてやったけど、腹にストーンと落ちた。

けんど、今日の印象にのこったのは、そこやない。

八: ほなら、中心聖句か? イエス・キリストを信じて、洗礼バプテスマを受ければ、

だれにでも、聖霊が与えられる、聖霊様が心に住まわれて、わてらを導いてくださる、

ちゅうところか。

熊: いや、それは、もうすでに分かってるこっちゃがな。

けんど、あのペテロはんのメッセージは、ユダヤ人に語られたものや。

今のわてらには、『悔い改めて、つまりはイエス様を救い主と信じた時点で、

聖霊様がわてらの心に下って来られてお住まいくださる。

バプテスマ、つまり洗礼の儀式は、その信仰を公にして、言わば、

イエス様の 信仰の兄弟姉妹、神の家族となる宣言することなんや。

八: ほほう!わかってるやないか。こことちゃうんやったら、ほんなら、

イエス様が与える聖霊様がお住みくださる、ちゅうのは、

イエス様がわてらの心にお住まいくださるのと同じやぁ、ちゅうところか。

熊: いや、それも知っとる。

八: じゃあ、どこなんや。

熊: 46節47節のところや。●「毎日、心一つにして宮に集まり」つまり、

毎日礼拝をささげた訳やわな。そんで、●「家々で、パンを裂き、喜びと真心をもって

食事をともにし」つまり、聖餐式や食事の交わりをした、ちゅうことやろ。

それに、●「神を賛美し、民全体から好意を持たれていた」。家で賛美し、

つまり家庭集会みたいなことを毎日やっていて、周りの人々から好意をもたれてた。

わて、これぜんぜんできてないなぁって思わされたんや。

八: なるほどなぁ。毎日、教会で礼拝、家庭集会もあって、聖餐式と食事の交わりをして、

そんで周りの人からは、好意的に受け入れられていた。

熊: これやから、聖霊の満たし、聖霊充満、そやさかい、福音がどんどん広まっていくんやな。

八: 教会や家庭集会やいろいろな集まりが、先週熊のゆうてやエクレシアや。

そのエクレシアで聖霊様が働いて下さって、聖霊充満や。

熊: わてら、今から昔の使徒さんたちが行なったようなことは、でけんかもしれん。

けんど、毎日、何かはできるんとちゃうやろか。それも、二人三人あつまって、

共に心を合わせて祈るところにイエス様もいらっしゃる。そのエクレシアが大切や。

八: 今の世の中、顔と顔を突き合わせて、集まるちゅうことも大切なんやけど、LINEや

ZOOMのようなSNSを通してでも、交わりや祈りはできる。神様はその知恵を、

コロナを通して教えて下さっているんとちゃうやろか。毎日がなにがしかの

エクレシアや。それをやりはじめんとあかん時が今、来ているような気がするわ。

なあ、若さん、若さんもそう思いまっしゃろ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。顔と顔を合わせて、祈ったり賛美したりするのもよろしいいし、LINEやZOOMなどで祈り合うのも、今時の集会ですね。とにかく、できるだけ、毎日、その信仰者が2・3人から集まるエクレシアによって、主への服従に導いていただき、主のご支配を祈り求めていきましょう。イエス様の最上のプレゼントである聖霊様に働いていただきましょう。神さまとの個人的な交わり、主の声を聞かんと、耳を澄ませるのも、とても大切ですが、小さなエクレシアが毎日、アメーバーのように、形をかえながら、私たちを、御国へと導いてくださるのです。

さて、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、「毎日の集まりを大切にします!」です。つまりは、毎日、誰かといっしょに、エクレシアを持ちましょう。これは、目標です。そのことを覚えつつ、主に知恵をいただき、心を一つにして、三回宣言しましょう。よろしくお願いいたします。

「毎日の集まりを大切にします!」、「毎日の集まりを大切にします!」、「毎日の集まりを大切にします!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇46篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書10章27-28節。

「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。」

黙想いたします。詩篇46篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:全世界に出て行こう

https://www.youtube.com/watch?v=D5UcfQn2fHQ

賛美⑨:主とともに歩む

https://www.youtube.com/watch?v=Bj2cwB3K_dE

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の8月27日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: 使徒の働き3章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/