ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2023.9.3主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く愛餐の時をもちます。)
●午後5時開会:ただいまより、2023年9月3日主日礼拝式を始めます。
●祈り
角笛
礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
続いて
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:生ける限り主を
https://www.youtube.com/watch?v=r-M4O5Xr0Kc
賛美②:罪とがを赦され
https://www.youtube.com/watch?v=eZeMi6KzhCE
賛美③:アウェイクジャパン (9月の歌)
https://www.youtube.com/watch?v=jzoUCp84lIs
賛美④:わが喜びの理由
https://www.youtube.com/watch?v=HYt6r1TywiE
賛美⑤:キリストには代えられません
https://www.youtube.com/watch?v=ojraEX3cvLc
賛美⑥:聖い御霊よ
https://www.youtube.com/watch?v=SsaEezJQCCM
【YOUTUBE配信開始】
2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。
いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)
第1の幸い(マタイの福音書5章3節)
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)
第2の幸い(マタイの福音書5章4節)
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」
(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)
第3の幸い(マタイの福音書5章5節)
「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」
(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)
第4の幸い(マタイの福音書5章6節)
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」
(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)
第5の幸い(マタイの福音書5章7節)
「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」
(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)
第6の幸い(マタイの福音書5章8節)
「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」
(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)
第7の幸い(マタイの福音書5章9節)
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)
第8の幸い(マタイの福音書5章10節)
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)
●2023年9月3日 主日礼拝メッセージ
「使徒の働き」とは
復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。
そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。
(会衆)
イエス様の復活の確信
神の国の理解
聖霊の満たし
エクレシア(信仰者の集まりと交わり)
●聖書拝読:使徒の働き第4章(新改訳聖書2017)
朗読: 若竹惠子伝道師
中心聖句:
「彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。」(31)
メッセージ主題:『祈りによっての聖霊の満たし』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
「使徒の働き」第3章では、神殿の「美しの門」の前で、生まれつき足の不自由で、物乞いを生業としていた男を、聖霊に満たされたペテロが癒やしました。神殿に訪れた巡礼者は全員、その男のこと知っていました。ペテロとヨハネは、その男を、主イエスの御名により、完全なからだにして、立ち上がらせます。そして、男は、喜び小躍りして、ペテロとヨハネについて行き、神殿の奥の庭に入って行きます。第4章では、この男がペテロたちの証し人となります。そして、使徒ペテロは、同じユダヤ人であったイエスに対する罪を悔い改め、ユダヤ人が待ち望んでいる千年王国の時には、メシアであるイエスが、再臨、つまり、再びこの世にお下りくださって、この世を統治されると大胆に説きます。そして、第4章では、祭司でも学者でもない、ペテロとヨハネが神殿(ソロモンの回廊)で説教をしているのを、苦々しく思った、祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人たちが、夕方、ペテロとヨハネを捕え、翌日まで留置します。この時までにキリストを信じたのは、3000人から5000人に増えていました。翌日、二人は取り調べにあいますが、逆に大胆にイエス・キリストの証しをしはじめます。これはイエス様が弟子たちに告げたことが成就したことを意味します。イエス様はおっしゃいました。●「あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。彼らに捕らえられ、引き渡されたとき、何といおうかなどと案じるには及びません。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。」(マルコ13:9-11)ペテロたちは、祭司長たちの前で、イエス・キリストを大胆に証しします。結局、祭司長たちは、ペテロたちを罪に陥れ、二人を罰することができず、釈放します。
釈放された二人は、仲間のところに行き、ことの一部始終を報告しました。そして、29節のように祈り始めます。●「主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。」そして、●「弟子たちが祈り終えると、集まっていた場所がゆれ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。」(31節)この時、教会の前身、集会の場エクレシアが、聖霊によって導かれます。信徒たちは、自発的に土地や家を売って作った金を使徒たちの足もとに置き、使徒たちは必要に応じて、そのお金を信徒たちに分け与え、財産を、共有していました。ここまでが、4章のあらましです。ここで注意すべきことがあります。このエルサレム教会の初期の姿、財産の共有はすぐに破綻します。ですから、この4章だけを読んで、財産共有が教会の正しい姿だとは思わないでください。もしも、財産共有を強調している団体があるとすれば、それはカルトです。気をつけて下さい。
さて、今日の中心聖句31節●「彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。」ですが、注目すべきところは、「祈り終えて、聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語る」というところです。「①祈り、②聖霊に満たされ、③神のことばを語る」という順序も大事だと考えます。一つずつ、考えていきましょう。
祈る
イエス様は祈りの基本をお教えくださいました。それが主の祈りです。
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
簡単に言いますと、まずは、主をあがめ、主をほめたたえます。神の支配を求めます。そして、必要を満たして下さるように祈ります。悔い改めによる罪の赦しと悪からの守りを願います。主に栄光をお返しします。私たちは、開口一番、ついつい、自分の必要を願い求めてしまいがちですが、まずは、感謝をもって主をほめたたえることを優先します。そして神の支配、つまり今祈ろうとしている祈りですら、主が支配してくださいと祈ります。これによって、祈る相手や、祈りの聞き手に対する攻撃的または挑戦的な祈りは、しない方がよいでしょう。そのような祈りは、その報いとして自分に跳ね返って来るかもしれません。主のご支配によって祈るということは、平和を祈ることであります。イエス様の祈りに、攻撃の祈りはありません。むしろ、赦しのとりなしの祈りとなります。イエス様は十字架上で、兵士たちがイエス様の着物をくじで取り分けているのをごらんになり、●「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」と祈られた通りです。次に必要に対する祈りは、私たちは恐らく全員得意です。しかし、この必要に対する祈りはすでに聞かれたと先取りの感謝を表すことの方が良いでしょう。そして、悔い改めるべき事柄について、主に導いていただきましょう。また誘惑や悪の支配から遠ざけられるように祈ります。私たち自身は、誘惑や悪の支配に対して、全く無力です。しかし、私たちの心の内に住み給う聖霊が私たちを導き出してくださいます。そして、これらの祈りや願いをお聞き届けいただいたと感謝し、主に栄光をお返しします。「主に栄光をお返しする」とは、主に感謝することです。わたしの勝利は、主が導いてくださった結果であると、主のご支配をほめたたえます。
これは、イエス様のお示しくださった、「主の祈り」ですが、これを基本に個人的な祈りへと自由に変化させます。プロテスタントには、カソリックのような洗練された祈りの定型文はありません。聖霊が導かれるままに自らのことばで祈ればいいのです。祈りに下手も上手もありません。聖霊に導かれた祈りには、力があります。しかし、最後に「主イエス・キリストの御名によって祈ります」とつけ加えましょう。先週学びました、「イエス・キリストの名によって」と付け加えないと、誰の権威に拠り頼んで祈るのか分かりません。これはある意味信仰告白です。「わたしは、イエス・キリストを救い主と信じ、主とあがめます」と告白しているのです。
聖霊の満たし
弟子たちは、このように祈り、聖霊の満たし、つまりは聖霊の支配を望みました。いえ、聖霊の支配を望んだというよりは、このような祈りによって、聖霊が弟子たちを支配されたと言った方が正確でしょう。この使徒の働きを学ぶにあたって、すでに何回も申し上げていますが、「聖霊の満たし」とは、「器に水がいっぱいになってあふれ出す」ようなイメージではなく、聖霊が私たちを覆い尽くす、または、聖霊がわたしたちと同化するイメージです。私はそれを聖霊の支配と呼んでいます。自分を主に明け渡し、主の御支配に身をゆだねるということでもありますが、すべて主にまかせっきりで、私たちは何もしない、というわけではありません。私たちは、主のお導きであると信じて、行動をおこすことも大切です。
神のことばを語る。
「神のことば」とは、神との個人的な会話である異言のことではありません。「神のことば」とは聖書の御言葉と、聖書にあるイエス様の教え、これも御言葉には違いありませんが、それらのことを「神のことば」と言い、その聖書の御言葉を語り、説明し、それを実生活に適用させるということです。御言葉を実生活に適用しなければ、御言葉が私たちの中に生きづいているとはいえません。御言葉によって、私たちは変えられるのです。御言葉にはそれだけの力が備わっています。
御言葉自体にその力が備わっていますが、もしも、その御言葉を語る私たちが、聖霊に満たされ、聖霊と同化して、御言葉を語るなら、私たちはほんとうに力強く大胆にイエス・キリストを証しすることができるのです。若いテモテをパウロが次のように励ましました。●「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」(2テモテ1:7)聖霊の支配によって、私たちは力強く御言葉を語ることができるのです。また、私たちが語ることばにも力が注がれるのです。
さて、天国長屋の八さん熊さん、今日の第4章で、気になったこと、心に残ったことって何ですか。
―――――
八: 若さん、よう聞いてくれた。わては、ここやな。
祭司たちがペテロはんとヨハネはんを摑まえて、けんど、
どう懲らしめたらええか分からへんかって、「いっさいイエスの名によって語ったり
教えたりしてはアカンでぇ」としか、言えへんかったところかな。
熊: ほんでもって、ペテロはんとヨハネはん、祭司たちとは対照的に、えらい強気で
しゃべってはったなぁ。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、
神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、
また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」って。
八: そりゃ、強気になるちゅうねん。なんせ、あの有名な物乞いやった40ちょいの
おっちゃんが、完全な体になりはって、小躍りしながら、ペテロはんとヨハネはんに
くっついとんねんから。祭司たちも内心、おお驚きや!
熊: せやわなぁ、祭司たちもあのおっちゃんを否定はでけんもんなぁ。
なあなあ、あの場面、ちょっと愉快やな。掴まえたのは、祭司たちやのに、
どうどうとして強気でしゃべってんのは、ペテロはんとヨハネはん。
八: おもろいやろ。あれ、吉本新喜劇でやったら、最高やでぇ。どろぼうが、おまわりより、
えらそばってる感じやわなぁ。ところで、熊が気になったところはどこなん。
熊: わてかいな。わてなぁ、4章の最後の方や。エルサレムの初代教会の信徒はんたちが、
自分の土地や家を売って、その代金を使徒たちの足もとに置いて、
「好きに使ってください」ちゅうて、今で言う献金やわな。えらい大きな献金や。
そんで、使徒はんたちは必要に応じて分けたから、
信徒さんの中には、ひとりも乏しい者がいいひんかったって。
八: ところで、あれって、みんな共同生活してたんかぁ?
熊: いいや、みんな自分の家には住んでたようやで。
一軒家にみんなが住んでるちゅうことやないらしい。
八: けんど、家売ったちゅうてなかったか。
熊: 家は家でも、自分の住んでる家やのうて、自分の所有している家や。
せやから、その人らは、全財産をささげて、無一文になってちゅうことやないんや。
当面、生活に困っているわけでもないやろうし。その売ったお金を、
生活に困っている人の信者さんに配られたんとちゃうやろか。
八: せやったら、さっき若さんがゆうてはったやろ。この教会での財産共有のやり方は、
失敗するって。なんでやろ?
熊: そんなん決まってるやないか。たとえば、大家がもっている家と土地を売ったとする。
そうすれば、相当なお金が入って来る。そのお金を教会に献金する。
ほんなら、大家の収入はどこから得るんや。
八: 土地や家を貸して、その貸したお金で生活できてたのに、その家土地がなくなれば、
家賃なんか入って来えへんわな。ほんなら、持ち金も少なくなってくる。
熊: せやろ。それにやで、必要な人にお金を恵んだら、その人は働かんようになる。
働かんでもお金くれるんやから。
八: なんやなんや、今でいう、生活保護制度の悪用やないか。生活保護をもらいながら、
ベンツ取りまわしている奴がいるちゅうからなぁ、知らんけど。
熊: そんなことしてたら、働かん人も多くなる。せやから、破綻していったんや。
けんどな、わてが心に残ったのはそことちゃうねん。その、まだ破綻する前、
バルナバはんちゅう人、後にパウロはんと伝道旅行にでかけるやろ。
そのバルナバはん、キプロス島の生まれで、レビやったんや。
八: あれ、ちょっとまってや。レビ族って、土地もてなかったんとちゃうか。
土地もったらあかんちゅうって、たしか10分の1の献金で生活してたはずや。
熊: たしかにバビロン捕囚のときまではな。ところがバビロン捕囚でぐちゃぐちゃちゅうか。
その取り決めはユルユルになってしもた。バビロン捕囚では、財産没収されてたから、
10分の1では生活でけんかったんやろなぁ。そんで、畑も所有するようになった。
その畑を売って、献金したんやな。そんでもって、キプロス島でも、イエス・キリスト
のことが話題になってたちゅうこっちゃ。噂が伝わるのは速いなぁ。
八: ほら、わてらが、中学のとき、熊とお千代ちゃんが付き合ってるちゅうて噂ながしたら、
翌日には、学校中のみんなが知っとった。SNSもないころのはなしやで。
熊: ちょっとまて! そんならあの根も葉もない噂流したん、八かいな。おこるでぇ!
八: ええやないかいな。お互い気になってたどうしやがな。
それに、もうむかしむかしのこっちゃ。
熊: あほ! あの噂がもとで、お千代ちゃんところのおかんの防御が激しくなって、
手も握れんかったんやからな。八、おまえもお千代ちゃん、すいとったんとちゃうか。
八: まあまあ、そんな昔のことはええやないかいな。そのキプロス島出身のバルナバはんの
登場やな、熊の気になっていることは。
熊: そやでぇ。わてな、バルナバはんって、「慰めの子」って言われてたやろやろ。
柔和なお方やったんとちゃうやろか。
この次、聖書でバルナバはんにお会いできるの楽しみや。
八: なるほどなぁ。けんど、わてらのしゃべり、若さんの「祈りによる聖霊のみたらし」とは
関係なかったな。
熊: 八、おまん、今、何ゆうた? 聖霊のみたらし?
八: わてが、そんなアホなこと言うかいな。「聖霊の満たし」やないか。「みたらし」やったら、
聖霊が垂れっぱなしで、なんかシャッキとせえへんやないか。
それに、みたらしの二度つけはご法度やで。
熊: わての聞き間違いか?まあ、ええわ。わてら、若さんの説教題「祈りによる聖霊の満たし」
には、ふれへんかったなぁ。祈り、聖霊の満たし、神の言葉をかたる、
これって、大事や。
八: 若さん、関係ないことゆうて、ごめんやで。
―――――
いえいえ、八さん、熊さんありがとうございます。わたしとは違うところをクローズアップしてくださって、感謝いたします。熊さんが注目したバルナバも、パウロの伝道旅行に同行するのですが、バルナバが、キプロス出身のレビ族やったとは、あまり気にしていませんでした。感謝いたします。また、八さんの注目した、祭司たちとペテロとヨハネのやりとり。あれを吉本新喜劇風にすれば、面白いでしょうね。
さて、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、先週につづいて、ちょっと長いですが、「祈りを通して、聖霊のご支配をもとめます」です。祈りは、神様との親密な会話です。その神様との親密な会話を通して、私たちの心の中にいらっしゃる聖霊が私たちを覆うのです。では、三回宣言いたします。
「祈りを通して、聖霊のご支配をもとめます!」、「祈りを通して、聖霊のご支配をもとめます!」、「祈りを通して、聖霊のご支配をもとめます!」。アーメン!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇68篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書15章4節。
「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」
黙想いたします。詩篇68篇。
黙想時の曲
⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑧:感謝と喜びを
https://www.youtube.com/watch?v=EP9TCJD9NY4
聖餐式
賛美⑨:主イエスと歩く道
https://www.youtube.com/watch?v=GZNPy2A4VQY
●礼拝の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の9月3日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。
聖書: 使徒の働き4章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/