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メッセージ主題:『いつでもどこでも種蒔き』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.10.1主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く食事と交わりの時をもちます。7時半ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年10月1日主日礼拝式を始めます。

●祈り

角笛

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:あなたのみ言葉は

https://www.youtube.com/watch?v=W-FTB95OHZw

賛美②:主イエスの御名によって

https://www.youtube.com/watch?v=MZoyNo5XUx8

賛美③:誰も見たことのないことが(10月)

https://www.youtube.com/watch?v=Xz1PEfdY4Cw

賛美④:主をたたえよ

https://www.youtube.com/watch?v=DHsaR6vHbYk

賛美⑤:感謝します

https://www.youtube.com/watch?v=71X_0s8Lq3g

賛美⑥:安かれ、わが心よ

https://www.youtube.com/watch?v=2n_rrDdbnG8

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年10月1日 主日礼拝メッセージ

「使徒の働き」とは

復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。

そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。

(会衆)

イエス様の復活の確信

神の国の理解

聖霊の満たし

エクレシア(信仰者の集まりと交わり)

●聖書拝読:使徒の働き第8章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹惠子伝道師

中心聖句:

「散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。」(4)

メッセージ主題:『いつでもどこでも種蒔き』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

7章のステパノの殉教の時に、皆が石を正確に投げつけるために上着をぬぎ、その脱いだ上着をサウロ、後のパウロ、という若者(といっても30歳ぐらいだそうです)にあずけました。当時、高名なラビのガマリエルの弟子でありましたから、人々は、信頼してサウロに服をあずけました。ステパノに対する石打ちは、サウロにとっては、律法を乱す者への正義の鉄拳ととらえていたに違いありません。ステパノの殉教を描いた絵画を見ますと、案外大きな石を両手でもって近くから投げつけている構図が多く、あんなような大きな石が何発か当たれば必ず死ぬなと思われるような感じです。

ステパノの死後、8章から、サウロはエルサレム教会に対する迫害を率先してやって行きます。●「教会を荒らし、家々にはいって、男も女の引きずり出し、次々に牢に入れた」(3)とあります。サウロのような迫害によって、教会の信徒たちはユダヤ、サマリヤの諸地方に逃げて行きます。しかし、使徒12人はエルサレム教会に残りました。民衆が使徒たちを支持していたために、サンヘドリン最高法院も手出しができなかったと考えられます。当然、使徒たちの代わりに教会運営を手助けするために選ばれた7人、殉教したステパノも入っていましたから、残り6人も散らされました。8章では、5節から、その中の一人、ピリポに焦点があてられています。信徒たちはみな、ただ単に逃げまどっていたのではありません。聖霊に守られ、行く先々で、人々にキリストを宣べ伝えたのであります。

その一人、ピリポはサマリヤの町で、人々にキリストの福音を伝えました。ただ単に福音を伝えたのではなく、しるし、つまり癒しや悪霊を追い出すなどの奇跡を行ない、人々の注意と信頼を勝ち得て、大きな喜びが、その町に起こりました。そして、ピリポは、イエス・キリストを信じる者にバプテスマを授けました。しかし、ピリポを使徒ではありませんでしたので、エルサレムからペテロとヨハネが彼らのところにやって来て、彼らがイエス・キリストの御名によってバプテスマを受けたことを公認しました。それが、聖書では、17節に「聖霊を受けた」と表現されています。

そして、使徒たち、つまりペテロとヨハネは、サマリヤ人の多くの村で、福音を宣べ伝えたとあります。当時、村の人口は、2・300人程度が規模が多かったようで、小規模の村々で、いまで言うことろのリバイバルが起こったのです。

一方、ピリポには、サマリヤの旅の途中か終わりに、主の御使いが現われて、●「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい」と告げます。ガザは当時荒野であり、地中海に面してエジプトに抜けるところであります。そこで、エルサレムからの巡礼の帰りであった、エジプトの高官であるエチオピア人の一行にあい、その高官がイザヤ書を呼んでいたので、ピリポはその解き明かしをし、イエス・キリストの福音を伝え、バプテスマを授けました。そして、主はピリポをガザの北、約30㌔離れた海岸地方アゾトに連れ出し、そこでも町々に福音を宣べ伝えながら、さらに北上してカイザリヤに導きました。

さて、ここまでが、8章のあらましです。ここから、私たちは何を学ぶべきでしょうか。

サウロたち、教会の迫害者は、エルサレムから使徒以外の信徒を散らしてしまいました。しかし、神はそれを逆手にとれるよう、散らされた人々に聖霊の力を与えられました。迫害によって、また苦難によって、信仰者は、神である主に、御子であるイエス・キリストに、今までよりも増してより頼むことを覚えるのです。そして、イエス・キリストがまことの救い主であることを証しし、イエス・キリストの恵み、罪からの解放と永遠のいのちの約束を宣べ伝えるのであります。神は、証し者の言葉が信じられるように、癒しや悪霊を追い出すというミラクルを彼らの上に起こさせるのです。では、福音を伝え、信じてもらうためには、目に見える癒しや悪霊を追い出すというミラクルは必要不可欠なのでしょうか。いいえ。そんなことはありません。確かに効果的ではあるでしょう。しかし、イエス様はおっしゃいました。●「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」(ヨハネ20:29) これは、復活したイエス様が、他の使徒たちが復活したイエス様にお会いしたと言ったのに、その言葉を信じなかったトマスに言った言葉です。これは、『しるし、ミラクルを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです』とおっしゃっているのと同じです。確かに、そのような見えるミラクルの影響力は大きいかもしれませんが、目に見えない、肌で感じることのできないミラクルは、神によって、聖霊を通して不断に起こされています。それを認識でき、感謝できる人は幸いです。たとえば、私たちは自分の力で生きているのではなく、神の憐れみによって日々ミラクルによって生かされているのです。そう感じることができれば、なんと幸福な毎日でしょうか。

私がこう申し上げている間にも、皆さんはひょっとしたら、「苦難は長く、幸福は短い。どうして毎日が幸福なものか。」と思っていらっしゃるかもしれません。

詩篇の筆者も●「昼も夜も、私の涙が私の食べ物でした」(詩篇42:3)と悲しんでいます。しかし、その悲しみの中にあっても、筆者は主に希望を持ち続けています。●「わがたましいよ、なぜおまえはうなだれているのか。なぜ私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。」(11)詩篇の筆者は、「神を待ち望め。私はなおも苦難や悲しみの中にあっても、神をほめたたえる」と宣言しています。神に造られた私たちの仕事は、「神に希望をもち、神をほめたたえる」ことです。そして、イエス様が私たちに仕事を与えられました。マタイの福音書の最後28章19節20節の大宣教命令です。●「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」 私たちは、あらゆる国の人々を弟子としなければなりません。が、イエス・キリストを信じるかどうかは、私たちの仕事ではありません。それは、聖霊の働きです。聖霊の働きがなければ、私たちの証しも言葉もミラクルも無に等しいです。では、私たちは何をすべきなのでしょうか。

答えは種蒔きです。いつでもどこでも福音をチャンスを逃さず福音を伝えることです。イエス様は「種を蒔く人」のたとえを次のように示しています。少し長いですが参照します。マルコの福音書4章3節~8節●「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いていると、ある種が道端に落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。また、別の種は土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったのですぐに芽を出したが、日が昇るとしおれ、根づかずに枯れてしまった。また、別の種は茨の中に落ちた。すると、茨が伸びてふさいでしまったので、実を結ばなかった。また、別の種は良い地に落ちた。すると芽生え、育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」このたとえの解き明かしは、イエス様ご自身が弟子たちにしておられます。同じ章の14節~20節にあります。後で読んでください。このたとえで、私たちは勘違いをしてはいけません。イエス様は「良い地に種をまきなさい」とおっしゃっておられるのではなく、いつでもどこでも種を蒔きなさいとおっしゃっているのです。芽を出すか出さないか、良く育つか育たないかは、イエス様のご計画です、聖霊の働きです。このたとえの初めの言葉をもう一度、言います。●「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。」私たち一人一人が種を蒔く人です。そして、私たちは出て行かなくてはいけません。つまり、教会堂にこもったままではいけないのです。教会堂から外にでて、イエス様の良き知らせを伝えなければいけないのです。日曜日は安息日です。ですから、月曜日から土曜日まで、出て行って種を蒔き、日曜日はお休みして、御言葉によって、英気を養わないといけないのです。皆さんの日常が種蒔きでないといけないのです。しかし、だからといって、毎日毎日、きばって種蒔きをするということではありません。聖霊に導かれるままに、されればよいのだと思います。「聖霊様、導いてください」と祈ることが先決です。

さて、天国長屋の八さん熊さん、お二人は、この種蒔きのこと、どう思いますか。

―――――

八: 種まきなぁ、種まきゆうたら、わて、若さんのお師匠さんの、榮義之先生のことを

思い出すわ。

熊: ああ、あの先生なぁ。いっつもカバンの中にご自分の伝記のようなマンガ冊子持ち歩いて、

タクシーの運転手はんや店の店員はんに渡してはったなぁ。

八: そやねん。そんでもって、時間があるときには、祈ってはったやろ。

熊: 一回、びっくりしたことあるわ。先生といっしょにマクドにいっときのこっちゃ。

八: ひゃ、先生、マクドいきはんのかいな。

熊: いや、みんなといっしょに行ったからなぁ。なんかの打ち上げやったと思うわ。

八: そんで、なにがびっくりしたんや。

熊: 先生、いつものように、マクドの店員さんに冊子渡して祈り始めはるんや。

マクドの店員さん、接客マニュアルしか、教えてもらってへんから、

どうしたらええか分からんくて、めちゃ困ってはったわ。

八: 忙しい、マクドやのにようでけたなぁ。

熊: そんときに限ってあまり客おれへんかってん。

けんど、マクドの店員さん、偉いなぁ。

あのマクドスマイルで、ありがとうございましたって。

八: なかなか、でけんこっちゃ。店員はんも榮先生も。聖霊様が働いてはったんやな。

熊: わてには、なかなかでけんこっちゃ。「でけんこっちゃ」で思い出したけど、

ある公認会計士はん、クリスチャンの方やでぇ。そのお方の講演会に聞きに行ったとき、

感心したわ。

八: どう感心したん?

熊: このお方も、カバンの中にトラクト入れて持ち歩いてはるねん。

いっつも、数種類のトラクトやで、えらいやろ。そんで、3分以内の証し、

自分がイエス様とお出会いしたいきさつやわな、それを2・3分で話しできるように

してんねんて。

八: 長くなる時もあるんとちゃうんか。

熊: もちろん、相手に時間があったり、興味をしめしはったら、ロングバージョンの

引き出し開けはんねん。

八: 臨機応変に、対応しはんねんなぁ。

熊: トラクトもその人その人に示されたものを差し上げるらしいでぇ。

ほんまに、その会計士のお方、イエス様の話をするとき喜びあふれてるねん。

あの笑顔だけで証しやなぁ。

八: 笑顔ゆうたら、若さんがイエス様に興味をもったのも、友達の笑顔やったなぁ。

笑顔は大事や。作り笑顔はあかんけどなぁ。

イエス様のことを話すとき、うれしゅうてしゃあない、ちゅう感じの笑顔がええわ。

熊: 笑顔はええ、けんど、聖書には、福音を伝えるとき、みことばを伝えるとき、

笑顔だけやない、ちゅうことが書かれてるでぇ。

八: そやなぁ、詩篇にあるわなぁ。

●「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取る。種入れを抱え、

泣きながら出て行く者は、束を抱え、喜び叫びながら帰って来る。」

熊: ああ、詩篇126篇のところや。種まきには涙が伴うこともある、福音を伝えるのは、

いっつも笑顔ちゅうわけやない。

八: せやねん。パウロはんかてテモテはんに、「心して、福音を伝えなはれ」ちゅうて

注意しているところがある。

熊: ●「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。

忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(2テモテ4:2)

次の5節には、●「あなたはどんな場合にも謹んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、

自分の務めを十分に果たしなさい。」

八: あらためて聞いてみると、けっこうドシンとくるなぁ。種まきも、ほんまに祈って祈って

祈りこんで、せんとあかん、ちゅうこっちゃろな。

なんか、気重たぁなってきた。笑顔も作り笑顔になりそうやわ、

熊: あかんでぇ、八。そう思てしもたら、種まきなんてでけへん。さっきの詩篇かて、

涙の種まきのあとには、喜びの収穫がまってる。種をまいても、収穫するのはだれか

分からん。けんど、その喜びの収穫を期待して、種まきせんと。しんどいことも多い

かもしれんけど、明るく種まきせんと。こっちの信仰が危うくなるわ。

わてらは弱いねんから。なあ、若さん、そやろ。

―――――

八さん、熊さんありがとうございます。そうですね、私たちは非常に弱い。しかし、主により頼むことで、私たちは強くなれます、というか、聖霊様が、神様が、イエス様が私たちのかわりに戦こうてくださいます。何から戦ってくださるのか。それは、私たちの弱気、種まきに対する恐怖です。主は戦い、その恐怖から苦難から、私たちを救い出してくださるのです。時が良くても悪くても、種まきをしましょう。それが、先に救われた、私たちの使命です。その種が目が出るか、途中で枯れてしまうか、またはたわわな実を実らせるか。それは神様のお仕事、ご計画です。そのことに思い煩わないようにしましょう。

ところで、さっきは、さらっと流してしまいましたが、5節●「ピリポは、サマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた」というところ、あっさり読んでしまってはいけないところです。ユダヤ人とサマリヤ人は犬猿の仲にありました。バビロン捕囚でその地に残されたユダヤ人がその地方の人々と婚姻関係になり混血となり、そのことをバビロンから帰還したユダヤ人は、彼らはもともとエリート集団でありましたから、交流を嫌い、神殿を建て直すときも、サマリヤ人の手助けを断りました。以来、ユダヤ人とサマリヤ人は交流がありません。というか小競り合いが続いていました。ユダヤの人たちはサマリヤの地を避けるように巡礼の旅をしてきました。その中で、ピリポはサマリヤへ行きました、いえ行ったというよりは、聖霊に導かれたと言ったほうがよいでしょう。相当な覚悟をもって、ピリポはサマリヤへ入っていったに違いありません。迫害から逃げ延びるためだけではなく、福音を伝えるために。しかし、ピリポがサマリヤ入りの先駆者ではありません。イエス様がその道を作りました。ヨハネの福音書4章にある「サマリヤの女」の物語にあるとおり、イエス様は、二日間そこに滞在し、サマリヤ人たちに、●「自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです」(42)と言わしめました。イエス様がまず福音の道を造られたのです。そうです。主は、私たちの福音を伝える道の先頭にたって、道を開き整えて下さるのです。恐れてはいけません。おののいてはいけません。福音を伝えようとするところに、主が必ず伴われるのです。また、そのように祈りましょう。

さて、今日も、いつもの通り、宣言をいたしましょう。今日の宣言は、「イエス様をお伝えする者となります」です。どんな方法でスタイルでイエス様をお伝えするか、それは人それぞれです。効率のいい方法なんでありません。なぜなら、効率は、主がお決めになることだからです。では、主が豊かな収穫をもたらしてくださることを期待して、三回宣言いたしましょう。

「イエス様をお伝えする者となります!」、「イエス様をお伝えする者となります!」、「イエス様をお伝えする者となります!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇66篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書12章24節。

「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」

黙想いたします。詩篇66篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:父の涙

https://www.youtube.com/watch?v=vp0dIg8i_7o

聖餐式

賛美⑨:聖い御霊よ

https://www.youtube.com/watch?v=SsaEezJQCCM

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の10月8日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: 使徒の働き9章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/