ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2023.10.15主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く食事と交わりの時をもちます。7時半ごろ終了。)
●午後5時開会:ただいまより、2023年10月15日主日礼拝式を始めます。
●祈り
角笛
礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
続いて
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:主がそばにいるから
https://www.youtube.com/watch?v=ikdWPBdaqd0
賛美②:喜び与え
https://www.youtube.com/watch?v=t4lgqetdA3M
賛美③:誰も見たことのないことが(10月)
https://www.youtube.com/watch?v=Xz1PEfdY4Cw
賛美④:あなたがすべて
https://www.youtube.com/watch?v=f4AdnEmMQjQ
賛美⑤:歩こうイエスの道を
https://www.youtube.com/watch?v=lyGNDSvs6bc
賛美⑥:King of My Heart
https://www.youtube.com/watch?v=DpuRImawPco
【YOUTUBE配信開始】
2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。
いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)
第1の幸い(マタイの福音書5章3節)
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)
第2の幸い(マタイの福音書5章4節)
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」
(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)
第3の幸い(マタイの福音書5章5節)
「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」
(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)
第4の幸い(マタイの福音書5章6節)
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」
(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)
第5の幸い(マタイの福音書5章7節)
「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」
(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)
第6の幸い(マタイの福音書5章8節)
「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」
(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)
第7の幸い(マタイの福音書5章9節)
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)
第8の幸い(マタイの福音書5章10節)
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)
●2023年10月15日 主日礼拝メッセージ
「使徒の働き」とは
復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。
そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。
(会衆)
イエス様の復活の確信
神の国の理解
聖霊の満たし
エクレシア(信仰者の集まりと交わり)
●聖書拝読:使徒の働き第9章(新改訳聖書2017)
朗読: 若竹惠子伝道師
中心聖句:
「するとペテロは彼を起こして、『おたちください。私も同じ人間です』と言った。」(43)
メッセージ主題:『豊かな一日となるために』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
使徒の働き10章は、9章の最後のペテロのヤッファで皮なめし職人シモンのところに長期間滞在したという記述が伏線となって始まります。ローマ軍百人隊長のコルネリウスは、どちらかと言うとユダヤの神に関心がありました。そのコルネリウスが、午後3時ごろ、幻の中で御使いを見て、御使いに皮なめし職人シモンのところに泊まっているペテロを訪ねよと告げられた。
一方ペテロも、その翌日昼ごろ、夢心地になり、律法では食べてはいけない動物たちが大きな敷布に入っているのが現われ、「この動物を屠って食べよ」と言う声が聞こえた。ペテロはそれを躊躇し、その問答が何回かあるなかでその入れ物は引き上げられた。そうこうする内に、コルネリウスの使者がペテロを、カイザリヤへと招いた。その後、ペテロは、コルネリウスに会い、主の「律法では禁止されている動物を食べよ」ということばの意味を理解し、異邦人であったコルネリウスに洗礼を授けます。この10章から、異邦人であっても洗礼を受けることができるように、なって行きます。
この時のペテロのイエス様の証しは圧巻であります。38節~42節まで、もう一度読んでみたいと思います。
●「それは、ナザレのイエスのことです。神はこのイエスに聖霊と力によって油を注がれました。イエスは巡り歩いて良いわざを行い、悪魔に虐げられている人たちをみな癒されました。それは神がイエスとともにおられたからです。私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムで行なわれた、すべてのことの証人です。人々はこのイエスを木にかけて殺しましたが、神はこの方を三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。民全体にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちに現れたのです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられた後、一緒に食べたり飲んだりしました。そしてイエスは、ご自分が、生きている者と死んだ者のさばき主として神が定めた方であることを、人々に宣べ伝え、証しするように、私たちに命じられました。」
そして、このイエス様の十字架での贖いとよみがえりは、全人類の救いのためのものであることを、宣言しています。●「これで私は、はっきり分かりました。神はえこひいきをする方ではなく、どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。神は、イスラエルの子らにみことばを送り、イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えられました。このイエス・キリストはすべての人の主です。」(34-36)
そして、43節●「預言者たちもみなイエスについて、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられると、証ししています。」
このようなペテロですが、イエス様がまだ十字架におかかりになられる前は、イエス様のこのお言葉、●「口に入る物は人を汚しません。口から出るもの、それが人を汚すのです。」(マタイ15:11)の本当の意味が分かりませんでした。イエス様は、食物規定違反によって人は汚れるのではなく、汚れた心によって汚れるのであって、そこにはユダヤ人も異邦人もない。救いに食物規定や割礼も必要ない。ペテロは、ただただイエス様を主としてあおぎ、純粋に信じる信仰によって救われること、それは万人に与えられた恵みであることを悟ったのでした。
このペテロの悟りにおおいに助けとなったのが、もちろん、全ては聖霊の導きではありますが、ペテロの皮なめし職人シモンのところにかなりの期間滞在したという、沈黙の時間ではないでしょうか。私たちの日常は非常に忙しい。時間に追われている感があります。これは今に始まったことではありません。ペテロも巡回伝道に忙しい日々を過ごしていました。そして主の栄光がユダヤ民族の上に現れていました。しかし、主は福音の恵みをユダヤ民族だけでなく、異邦人にも与えるために、当時教会の大黒柱であったペテロを、みなが寄り付こうとしない皮なめし職人の家に導いたのであります。そして、しばらくの期間をひとりで過ごし、神との対峙の時間、イエス様の言葉を思い返す時間を、主が与えられたのであります。
私たちもこのような時間が必要なのではないでしょうか。もちろん、「かなりの期間」という贅沢は、めまぐるしい現代の時間の中では許されないかも知れませんが、1日に30分でも1時間でも、密室の祈りをささげる、何も悟りを得るためではありません、主の御声を聞こうとする時間が、忙しいゆえに必要なのではないでしょうか。
また、パウロにいたっては、目も見えず、食べることもできなかった三日間の後、回心し、そしてそれから約10年間静かな生活を送り、祈り、学び、黙想の日々であったようです。また、大預言者エリヤも、活発な預言活動の前、3年間、ヨルダン東部のケリテ川のほとりに住み、神との親密な時間をもちました。
なにも預言者や伝道師や説教者になるために、静まりの時をもちなさいといっているのではありません。神との静まりの時が、その日一日を豊かにしてくださると信じているからです。
ペテロの●「私もひとりの人間です」(26)は、実にペテロにとって、それなりの覚悟をもって言えたことばではないでしょうか。ユダヤ人でもローマ人でもない、ただ単に神が造り給うた人間である。その人間を神は、分け隔てなく、こよなく愛して下さり、ひとりひとりに救いの手を差し伸べてくださっておられるのです。主にあって豊かな一日となるチャンスは、すべての人に与えられています。
さて、天国長屋の八さん熊さん、私たちは誰もが救われる時代に入っています。では、八さん、
熊さんは、豊かな一日を、主にあってお過ごしでしょうか。
―――――
八: 豊かな一日なぁ、まずはなにをもって豊かかちゅうことやわな。
わてにとって、豊かな一日ちゅうたら、喜びがある、ちゅうか笑いがある一日やな。
熊: 喜びは大切やな。何を喜ぶかちゅうことでもあるんとちゃうか。
わてはおいしいものをいただいているときやな。
八: 食事はだいじやなぁ。衣食住のうちで、いちばん必要なんは食や。
食べんと生きてられんからな。
熊: けんど、モーセはんのときのマナはごめんやでぇ。あれ、おいしいとおもわんから。
八: いや、分からんでぇ。なんせ40年間もモーセはんたちはあれ、食べてたんやから。
熊: いやいや、おいしないって。モーセはんたちもしゃーなしで食べてたんや。
あのマナで、神様によりたのむことを学んでたんや。おいしいからやない。
途中から肉ほしい!ちゅうて叫んではった。
八: せやったなぁ。じゃあ、おいしいもん食べる喜びって、モーセはんたち
あまりなかったかもしれんなぁ。
熊: まあ、食事ができること自体が感謝やったんとちゃうか。とうぜん、食事のときには、
いろんな話もしたやろうし、笑いもあったかもしれんなぁ。
日本みたいにだまって食べなさいちゅうて怒られへんかったかもな。
八: そりゃ、ないんちゃうか。イエス様かて、食事をしながら、弟子たちにいろんな話を
しはったそうやから。食事は、心を開きやすいからな。
熊: まあ、そりゃ、何人かで食べてるときやな。わてみたいに、いっつも一人で食べてたら、
会話なんてあれへん。さびしいもんや。
八: なにゆうてんねん。いっつも夕食時になったら、箸と茶碗もって、わてんとこ
きとるがな。よーいわんわ。ところで、熊にとって豊かな一日ってなんや。
熊: わてかぁ。そやなぁ、計画していることが、ちゃんとできた一日かな。満足感ちゅうか。
今日もようやった、ごくろうさん、ちゅうて自分をほめる。
八: なんや、神様に感謝するんとちゃうんかいな。
熊: 神様に感謝するんはあたりまえや。けんど、自分もほめてあげたいやんか。
だれもほめてくれへんねんから。
八: ほんでか。ときどきあんころもちもって、現れるんわ。あれ、自分のご褒美で
買ってんのかいな。
熊: そやでぇ。わてら、下戸で甘党やろ。いっしょに祝てんか、てな感じや。
八: さよか。わては、熊の満足感のおこぼれ、もろてるちゅうことかいな。
熊: そないいわいでもええやん、いっしょに喜んでくれ、ちゅうことなんや。
いっしょに、神様に感謝しよ、ちゅうってさそてんねやないかいな。
八: はいよ。わかった、大きにやでぇ。
熊: ほんで、若さんの豊かな一日って、なんか知ってるか?
八: 若さん、いつもゆうとんな、「今日も平安な一日で感謝」ちゅうて。
熊: ああ、そういえばそうやな。口癖みたいになっとるけど、「平安」が若さんにとっての
豊かな一日ちゅうこっちゃろか。
八: 「平安」ちゅうたら、なんか何事もなく過ごせて感謝、みたいなイメージやけど。
それって、消極的すぎひんか。「豊か」ちゅうたら、わての「喜び」や
熊の「満足感」のほうがおうてるような気がするんやけど。
熊: せやなぁ。けんど若さんの「平安」ちゅうのは、「神様と共に過ごせた」ちゅう
「平安」とちゃうやろか。
八: 「神様と共に過ごせる平安」?
熊: ほら、インマヌエルやがな。イエス様の名前。「見よ、処女が身ごもっている。
そして男の子を産む。その名はインマヌエルとよばれる」それは
「神が私たちとともにおられる」ちゅう意味やゆうて、ほら、マタイの1章の23節にあるやんか。
八: まあ、「神が我々と共におられる」ちゅうのが、聖書の中のいちばんのメッセージ、
旧約聖書がこのことをずーっと唱えてはって、それが、イエス様が目に見える形で
現れはった。
熊: ほやがな。若さんがいう「平安な一日」ちゅうのは、「いつもイエス様をおもっている
一日」ちゅうこっちゃろな。
八: ということは、なにかい。パウロはんがテモテはんに言った言葉、
●「イエス・キリストのことを心に留めていなさい」(2テモテ2:8)と
同じちゅうことかい。
熊: そうなるわな。若さんにとって、豊かな一日ちゅうのは、「イエス・キリストのことを
心にとどめることができた一日」ちゅうことなんやろなぁ。
八: 「豊かな一日」ちゅうのも、いろいろとあるもんやな、人によって。
けんど、その豊かな内容がいろいろあっても、その人にとって「豊かな一日を過ごせた」
ちゅのは最高やな。なあ、若さん。
―――――
八さん、熊さんありがとうございます。「豊かな一日」三人三様でしたね。豊かな一日になるためにも、私たちは何らかの形で、静まりの時を頻繁にもつことも必要なのではないでしょうか。詩篇46篇10節「静まってわたしこそ神であることを知れ」とあるとおりであります。
さて、今日も、いつもの通り、宣言をいたします。今日の宣言は、「静まって主の御声を聞きます!」です。豊かに一日を過ごすためには、静まりの時間が必要です。短い時間でも主の声に耳を澄ませましょう。私も短い時間に主の声を聞こうと静まりの時を何回も持つことがあります。もちろん静まりの時は、時間の長さ短さではありません。主の声を聞こうと耳を澄ませ、主に心を向け、かつとどめることが大切であります。そのことを覚え宣言いたしましょう。
「静まって主の御声を聞きます!」、「静まって主の御声を聞きます!」、「静まって主の御声を聞きます!」。アーメン!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇46篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書20章38節。
「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。神にとっては、すべての者が生きているのです。」
黙想いたします。詩篇46篇。
黙想時の曲
⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑧:永遠にあなたと
https://www.youtube.com/watch?v=ykwQQLW2TE0
賛美⑨:その日全世界が
https://www.youtube.com/watch?v=JTUrlAjNL0I
●礼拝の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の10月22日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。
聖書: 使徒の働き11章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/