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メッセージ主題:『イエスが救い主であること伝える』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.10.22主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、軽く食事と交わりの時をもちます。7時半ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年10月22日主日礼拝式を始めます。

●祈り

角笛

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:イエスに栄光あれ

https://www.youtube.com/watch?v=v5sKPkQ68tY

賛美②:丘に立てる荒削りの

https://www.youtube.com/watch?v=HUY54RuEOdU

賛美③:誰も見たことのないことが(10月)

https://www.youtube.com/watch?v=Xz1PEfdY4Cw

賛美④:父の涙

https://www.youtube.com/watch?v=vp0dIg8i_7o

賛美⑤:主の愛が今

https://www.youtube.com/watch?v=qhv502oCiXE

賛美⑥:主は今生きておられる

https://www.youtube.com/watch?v=cq6mJ1WMkC4

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年10月22日 主日礼拝メッセージ

「使徒の働き」とは

復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。

そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。

(会衆)

イエス様の復活の確信

神の国の理解

聖霊の満たし

エクレシア(信仰者の集まりと交わり)

●聖書拝読:使徒の働き第11章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹惠子伝道師

中心聖句:

「ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。」(20)

メッセージ主題:『イエスが救い主であること伝える』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

使徒の働き11章では、ペテロがエルサレムに戻ったとき、異邦人のところで食事を共にしたことを他の兄弟たちにとがめられた。ペテロは自分に何が起こったのかを順序だてて説明し、みなは納得して、異邦人にも救いがもたらされたことで、主をほめたたえた。

そして、迫害によって、フェニキア、キプロス、アンティオキアと弟子たちが移動している中で、それまでユダヤ人以外には語られなかったイエス・キリストの福音が、弟子たちの中にいて、その福音を聞いていたキプロス人とクレネ人に伝わり、彼らがアンティオキアで、ギリシア語を話す人たち、ギリシア語を話すユダヤ人、もしくはギリシア人にイエスの福音を伝え、大勢の人が信じて主に立ち返りました。

そのことを耳にしたエルサレム教会は、バルナバをアンティオキアに遣わして、ことの真相を計ろうとしました。バルナバはアンティオキアに行き主の祝福をつぶさにみて、タルソに行きサウロを捜し、一緒にアンティオキアに入りました。それからまる1年間、多くの人に福音を伝えました。11章の最後では、預言者アガボが大飢饉を預言し、それに備えて、経済的困難に陥りつつあったエルサレム教会へ、支援金を準備するのであった。

この中で今回注目しますのは、アンティオキアで、名も記されていないキプロス人とクレネ人がイエスの福音を伝えたということです。私たちはこの時期、異邦人への宣教と言えば、ペテロであり、パウロであり、バルナバであり、また先駆者であるピリポと思いがちでありますが、実際は、エルサレムから迫害のために散らされたユダヤ人である弟子たちがメインでありました。しかし、ここにもう一つの集団、異邦人のクリスチャンがギリシア語で、ギリシア語を話す人たちに福音を伝えたという事実であります。当時の弟子たちはイエス様に実際に会って信じた人たちですが、アンティオキアのキプロス人やクレネ人たちによる伝道は、まさに、イエス様のお言葉、「見ないで信じる者は幸いである」この連鎖が実現しつつあるという主の祝福であります。

私は、この20節の短い記述「ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。」この記述にワクワクしました。彼らは、迫害で逃れてきたイエス様の弟子たちが語った福音を、そのまま信じ、弟子たちに同行し、アンティオキアに入って、ギリシヤ語を話す人、ユダヤ人でも異邦人でも、聞く耳のある人に片っ端から、イエス様の福音を伝えたのであります。アンティオキアは、当時50万人とも80万人ともいわれるローマ帝国大三の国際都市であります。この大都市で、さまざま人がギリシヤ語を通して、イエス・キリストを知り、イエス・キリストを伝え爆発的に信者が増えていきました。そして、経済的に破綻しつつあったエルサレム教会をすぐに支援する力と財政をもつのです。

このことはもちろん聖霊の働きによるもの以外なにものでもありませんが、はたして彼らはいったい、何を信じ、何を伝え、どのように聞く人たちを納得させたのでしょうか。私は、もしもタイムマシーンがあれば、イエス様にじかにお会いしたいという気持ちもありますが、キプロス人やクレネ人がどのように伝えたのかを見てみたいと思うのであります。

私たちにように、新約聖書があるわけでもなく、もちろん、ヨハネの福音書3章16節●「神は、実に、そのひとり子をおあたえになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」があるわけではありませんから、ここからイエス様の恵みを語り始めることはできません。

私は、ペテロがコルネリウスに語った言葉が、当時の弟子たちの共通理解であり、これをもってイエス様を伝えたのではと想像しています。使徒の働き10章の34節から43節です。少々長いですが、読んでみたいと思います。

●「これで私は、はっきり分かりました。神はえこひいきをする方ではなく、どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。神は、イスラエルの子らにみことばを送り、イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えられました。このイエス・キリストはすべての人の主です。あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事柄をご存じです。それは、ナザレのイエスのことです。神はこのイエスに聖霊と力によって油を注がれました。イエスは巡り歩いて良いわざを行い、悪魔に虐げられている人たちをみな癒されました。それは神がイエスとともにおられたからです。私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムで行われた、すべてのことの証人です。人々はこのイエスを木にかけて殺しましたが、神はこの方を三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。民全体にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちに現れたのです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられた後、一緒に食べたり飲んだりしました。そしてイエスは、ご自分が、生きている者と死んだ者のさばき主として神が定めた方であることを、人々に宣べ伝え、証しするように、私たちに命じられました。預言者たちもみなイエスについて、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられると、証ししています。」

私はこれに近い証しを、他の弟子たちもしたのではないかと想像しています。私は、以前、救われた証しを3分間でする訓練を受けたことがあります。ペテロのこの証しも3分間ぐらいかもしれません。しかし、私は最近、この3分間の証しの前に、まずタイトルを言うべきではないかと思っています。そして、そしてそれは、共通のものであった方がいいのではないかと思っています。人それぞれ救われ方は異なっても、タイトルが同じであれば、それぞれの証しはすべて同じ効果をもたらすのではと思っています。そのタイトルは、「イエスはあなたと私の救い主です」ではどうでしょうか。

さて、天国長屋の八さん熊さん、この証しのタイトルはどうですか。私たちは誰もが救われるべき時代に入っています。牧師のメッセージよりも、イエスを信じてイエスに救われた人の証しが隣人の目をイエスに向かせるのではないでしょうか。楽しいからまた教会や集会にくるのも大事かもしれませんが、きちんとイエス様の恵みを証しすることこそ、人々を聖書や、主のみ言葉に向かわせるのではないでしょうか。

―――――

八: 救いの証しのタイトルは同じであったほうがええんとちゃうか、って若さんゆうてたけど。

究極には、イエス様をキリストと信じるちゅうことやから、そのタイトルは当たり前

ちゅうたら当たり前の話やわな。

熊: 信仰に導かれ方はいろいろあるんやろうけど、信仰告白は同じや。つまり使徒信条やわな。

それに洗礼をうけるとき、「その信仰告白によって、信仰を告白するか」、

ちゅうて聞かれるよな。

八: ああ、そやったな。教会によっては、その信仰告白をゆうてもらうところもある

らしいでぇ。

熊: ほな、なおさらのこと、信仰告白のタイトルは一つや、「イエスはキリスト」

ちゅうこっちゃ。

八: それにあの使徒信条な、あれに賛成せえへん人は、もぐりのクリスチャンらしい。

いや、もぐりちゅうよりの偽クリスチャンやな。あの使徒信条によって、わてらは

異端から守られてるとちゅうこともできるんやろうな。

熊: せやから、若さん、あの使徒信条を毎回告白するんやな、わてらの信仰告白として。

わてらともども、「イエスはキリスト」という信仰からぶれんように。

八: ところで、熊、最近、「イエスはキリストです」ちゅうて告白したか。

熊: 正直ゆうて、あんまり告白してへんなぁ。「わてはクリスチャンや」とはゆうてるし、

まわりも知っとる。けんど、「わては、イエス様が救い主やと信じてます」

とはゆうとらんな。

八: せやろ。わてもや。最近な思うねんけんど、「クリスチャン」ちゅう言葉が、なんか

ぼやけてきてんのとちゃうやろかって。

熊: 「クリスチャン」がぼけてる?

八: あほぅ。短したらあかんがな。まあ、わてらはある意味ぼけてるかもしれんけんどなぁ。

ボケてるんとちごって、ぼやけてるちゅうてんねん。

熊: 「クリスチャン」ちゅうのは、もともとは英語やろ。ちょっとインターネットで

調べて見よか。なになに、、、、

クリスチャンは、英語の単語で、キリスト教徒を指す言葉である。

キリスト教の教えを信じ、キリスト教の教義に従って生活を送る人々を指す。

また、キリスト教の教義や価値観を持つことを示す形容詞としても用いられる。

八: なんや、むずかしゅうて、頭の中にクリスチャンが描かれへん。さっぱり分からんな。

つまりは、あれか? イエスを救い主と信じる人のこっちゃろな。

熊: そや、けんど、こうも考えられるでぇ。クリスチャンはイエス様に選ばれた

イエス様の友や。

八: 熊、えらいさえてるやないか。目からうろこやわ。ある意味ショックや。

どうしたんや。わて、パウロはんみたいになったわ。目が開かれた!

熊: 目からうろこで、パウロはんかいな。ちゃかすのもええかげんにしいやぁ。

八: ちゃかしてるわけやない。「クリスチャンはイエス様に選ばれたイエス様の友」

感じええやんか。ええ!

熊: じつは、横丁のご隠居はんが、クリスチャンはもっと胸張って生きなあかん。

そのためには、いまのぼけた、、いやいや、ぼやけたクリスチャンイメージを、

もっとこう前向きちゅうかなええ感じなイメージに変えてかなあかん、ゆうて。

けんど、聖書的でもなかったらあかん。ちゅうことで、「クリスチャンはイエス様に選ばれたイエス様の友」というのに導かれたんやて。聖霊様やな、導きはったんは。

八: 「イエス様に選ばれた」ちゅうのは、ヨハネの福音書15章の16節やわな。

●「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、

あなたがたを任命しました。」ちゅうところやな。わてらには、イエス様の選びの

基準がなにか分からへんけんど、とにかく、わても熊も、イエス様を信じるように

選ばれたんや。

熊: そや、嬉しいやないかいな。それにやで、「イエス様の友」ちゅうのは、これもまた

ヨハネの15章や。15節のところやな。●「わたしはもう、あなたがたをしもべとは

呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。

わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、

あなたがたには知らせたからです。」

八: ほんまやなぁ。けんど、それだけやないでぇ。同じ章の13節には、

●「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも

持っていません。」イエス様がわてらの救いのために、さきにいのちを捨てて

くださった。せやから、わてらもイエス様のために、イエス様の福音のために

いのちを投げ出す覚悟でないとあかんちゅこっちゃ。

熊: せやねんけんど、「いのちを捨てる」ちゅう覚悟は、なんかこう尻込みしそうやなぁ。

八: あほう、あかんでぇ、熊、そんな弱気やったら。マタイの福音書の10章38節39節

みてみいな。●「自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、

わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを得る者はそれを失い、

わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。」ちゅうてあるやんか。

わてら、まがりなりにも「イエス様いのち」ちゅうてんねんから、尻込みしてたら

あかん。わてらは、「イエス様に選ばれたイエス様の友」なんやから。

熊: せやな。反省!(反省猿のまね)

八: なんやねん、その反省のしかた!

熊: 反省猿。

八: 熊、ほんまに昭和やわ。しょうわないわ!令和の世の中では、だれも分からんちゅうねん。

もうれいわ!

熊: (ため息)若さん、八のへたな洒落で、終わらしてもらいまっさ。ごめんやっしゃ。

―――――

八さん、熊さんありがとうございます。八さんの洒落はきついなぁ。でもありがとうございます。「クリスチャンはイエス様に選ばれたイエス様の友」。なんか、いいですねぇ。それに、みことばもたっぷり。励まされました。先に救われた私たちは、ほんとうに、「イエス様に選ばれたイエス様の友」として、力強く「イエスはキリストです」と宣言したいですね。また、まだイエス様を知らない方々に、「イエスはあなたと私の救い主です」と明言してから、救われた証しをしたいものです。

さて、今日も、いつもの通り、宣言をいたします。今日の宣言は、「イエス様はわたしの救い主です」です。クリスチャンとして当たり前のことかもしれませんが、このことを宣言できなければ、本当のクリスチャンとはいえません。このことがはっきりしないのなら、救いの確信はありません。確信のない人から福音を聞いたところで説得力に欠けるでしょう。もちろん聖霊は、どんな人でもどんな状況下でも用いられますが、、、確信のある人が伝道すべきです。確信のない人は、確信できるように祈るべきですし、伝道のサポートに回ることも可能でしょう。

では、3回宣言をしましょう。

「イエス様はわたしの救い主です!」、「イエス様はわたしの救い主です!」、「イエス様はわたしの救い主です!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇25篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書19章10節。

「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」

黙想いたします。詩篇25篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:なんと素晴らしい

https://www.youtube.com/watch?v=FwnJPpRlwvY

賛美⑨:我らの王はイエス

https://www.youtube.com/watch?v=styz3HC27ks

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の10月29日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: 使徒の働き12章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/