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メッセージ主題:『聖霊に満たされて』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.11.5主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年11月5日主日礼拝式を始めます。

●祈り

角笛

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:罪咎を赦され

https://www.youtube.com/watch?v=eZeMi6KzhCE

賛美②:主を見上げて

https://www.youtube.com/watch?v=kTEhpMHhXWc

賛美③:ぶどうの木(11月)

https://www.youtube.com/watch?v=q80lUdrVXdw

賛美④:叫べ全地よ

https://www.youtube.com/watch?v=ueEqoupddmc

賛美⑤:全てをイエスに

https://www.youtube.com/watch?v=rGoKpEoqRYU

賛美⑥:詩篇103篇の歌タイプA,B,C

https://www.youtube.com/watch?v=pLVM8MxnbyM

https://www.youtube.com/watch?v=8Va4L4kVpSc

https://www.youtube.com/watch?v=gp3j4ChhYbI

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年11月5日 主日礼拝メッセージ

「使徒の働き」とは

復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。

そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。

(会衆)

イエス様の復活の確信

神の国の理解

聖霊の満たし

エクレシア(信仰者の集まりと交わり)

●聖書拝読:使徒の働き第13章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹惠子伝道師

中心聖句:

「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」(52)

メッセージ主題:『聖霊に満たされて』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

使徒の働き13章から、ルカは宣教の記録の舞台をアンティオキアに移します。アンティオキアでは、バルナバ、シメオン、ルキオ、マナエン、そしてサウロ、という長老に匹敵する5人が中心となっていました。エルサレム教会から派遣されたバルナバがアンティオキアの異邦人信徒の急成長の様子を見、そして約10年間タルソにいたサウロを連れてアンティオキアに入ります。その後、バルナバとサウロがアンティオキア入りしてから約6年の歳月が流れました。その間に、アンティオキア教会は成長し続け、異邦人の信徒も相当増え続けていました。アンティオキア教会は、次のステップ、つまり宣教師的存在を異国に派遣していくという段階にきていました。そこで、聖霊によってバルナバとサウロ(のちのパウロ)が任命されます。バルナバ、サウロと言えば、アンティオキア教会の中心人物です。その中心人物を送り出す。いわば、異国に対してエースを登板させ、偶像礼拝の文化に、イエス・キリストの福音の風穴を開ける、暗やみに光を放つ的な宣教の仕方をとりました。では、エース二人を欠いたアンティオキア教会はどうなるのだ、ガタガタになってしまわないのか、ということですが。ご心配ございません。エース二人を放出するということは、アンティオキア教会には、若いリーダーたちが育ってきているということです。私は、この宣教の仕方をみて、神様は、エースを引退させるのではなく、エースを用い続けるのだと感激しました。この世では、かつてのエースは本陣にとどまり、若いリーダーたちが、外に出て行って福音を宣べ伝え、枝教会を形成していく、というパターンが主です。しかし、この時代、神様のなさったのは、本陣を若いリーダーたちにまかせ、また、これがなかなか人間的にはできないことなのですが、今まで築き上げてきたものを若い人たちにゆずり、自分たちは新しい地へと出て行って、聖霊に満たされ続けて福音宣教の業をなしていく。もちろん、年を取りすぎた引退牧師に開拓伝道をと励ますのも、少し酷なような感じがします。しかし、形を変えて、いろんなところに出向き、若いリーダーたちに励ましを与える、ということはできるのではと考えます。もちろん、健康が許せばの話でもありますが、神様が必要とされれば、聖霊が健康と体力と気力を守り続けてくださることでしょう。私の尊敬する、有賀喜一先生は90歳以上になられるのに、日本全国、いえ海外にも精力的にまわり、若い牧師やリーダー候補を励まし続けておられます。また、先般、86歳で天に凱旋された中島大祥堂の会長、中島孝夫兄弟も、いつも将来の教会のこと、若い人たちへの信仰継承のことを熱く語られ、サポートされておられました。もちろん、このお二人が、いまだイエス様を知らない方々中心に宣教しているとは思えませんが、宣教の矢面に立つ人とその人たちをサポートし励ます人たちとの、ある程度の役割分担、中心的役割はあるでしょう。バルナバとパウロが宣教に対して目立ってはいますが、彼らを祈り金銭的にもサポートする人たちが大勢いたはずです。その人たちも含めての宣教チームであるのではないでしょうか。

使徒の働き13章では、バルナバとサウロは、若いマルコを伴って、聖霊に遣わされて、セルキヤ、そして船にキプロス島のサラミスに渡り、パポスを通って、地方総督セルギオ・パウロに福音を伝えようとしますが、ユダヤ人魔術師エルマの邪魔がはいります。しかし、エルマは、聖霊に満たされていたパウロににらみつけられ、叱咤されて、目が見えなくなってしまい、結局、地方総督は信仰へと導かれます。その後、パウロ一行は、また船でパンフリヤに渡り、ベルガでマルコは突然エルサレムへ帰ってしまいます。マルコは、まあ、いわば、いいところのお坊ちゃんでもありましたから、旅に慣れていなかったのかもしれません。途中で、リタイヤしてしまい、そのことでパウロの不信をかいます。

パウロとバルナバは、なおも進んで、ヒシデヤのアンテオケに入ります。そこで、パウロがユダヤ人の集会場である会堂、シナゴーグで、大胆な奨励、ユダヤ人の信仰を批判するような演説をし、彼らの敵意をかってしまいます。

しかし、パウロとバルナバは、次のようにはっきりとユダヤ人たちに面と向かって宣言しました。

●「神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」(46-47)

そのことによって、異邦人たちがさらに福音を喜んで受け入れて行きました。しかし、ユダヤ人たちは、パウロとバルナバたちを迫害し、追い出し、パウロ一行はイコニオムに行きます。

13章は、次の52節で終わっています。

●「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」

ここの記述の弟子たちとは、パウロとバルナバをサポートし、ともに旅した信仰者たちであると思われますが、異邦人が多くいたと推測できます。迫害をうけ、追い出されたにもかかわらず、「喜びと聖霊にみたされていた」のです。私は、先週、「祈ることができること自体が、私たちを自由にし、祈る相手である神様がいること自体が、私たちの恵みである」ということに導かれました。ここでもそうなのです。肉体的に、迫害をうけ、追放されようとも、聖霊の働きによって、心は自由であり、無限に解放されているのです。そして、迫害があったとしても、主に目をむけることができる、それも喜びでもあるのです。

パウロの言葉を思い出します。コリント人への手紙第二12章9-10節。

●「しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現われるからである』と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

パウロの「私が弱いときにこそ、私は強いからです」というのは、「私が、心が折れそうになったときにこそ、主により頼むことによって、聖霊が働き、自由になり、心が解放される」とも言い換えることができるのではないでしょうか。

●「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」

弟子たちは、迫害に対して、主により頼み、聖霊に満たされて、心が解放され、その喜びに満ちあふれていたのではないでしょうか。

さて、天国長屋の八さん熊さんに登場していただきましょう。八さん熊さんは、心が折れそうになったとき、喜びと聖霊に満たされたことはありますか。

―――――

八: 若さん、若さん、ちょっと待ったって。あの13章の最後の言葉、

●「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」ちゅうのは、ユダヤ人がパウロとバルナバを

追い出したけど、パウロとバルナバが、足のちりを払い落として、つまり、

お尻ぺんぺんして、イコニオンに行きはった。それで、まわりの弟子たちも、

「ユダヤ人とは絶交や。救いにあずかるはずやったユダヤ人が、聞く耳もたんと、

異邦人が先に救われる。それぞほんまもんの、後のもんが先になる。ちゅうこっちゃ!」

ちゅうて、喜んでお尻ぺんぺんしたんとちゃうんか。

熊: 八、おまえアホかいな。弟子たちが喜ぶちゅうのは「ざまあみろ」ちゅうて、

喜んだんとちゃうがな。ルカはんは、「聖霊に満たされて」って書いてはる。

聖霊にみたされて、「ざまあみろ、お尻ぺんぺん」になる訳がないがな。

八: じゃああれか。「後のもんが先になる」から、喜んでたんか。ユダヤ人の救いは、

結局なしやから、わてらの勝ちやちゅうて、喜んでたんとちゃうんかい。

熊: だから、そやないがな。たしかに、「後のもんが先になる」ちゅうことは、ほんまや。

ユダヤ人の救いより異邦人の救いが先になる。けんど、ユダヤ人の救いがなしになった

わけやない。ただ、後になっただけや。イエス様は全人類、つまりユダヤ人も異邦人も

救うために、十字架にかかりはって、三日目によみがえりはったんや。

八: ほななにかい。あの「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」ちゅうのは、やっぱり

若さんのいうように、心がしんどいとき、イエス様にギューってしてもろて、

そのギューちゅうのが嬉しゅうて、喜びと聖霊にみたされる、ちゅうのかいな。

熊: まあ、遠からず近からずちゅう感じやわな。若さんは、心の解放ちゅうてはったやろ、

それが喜びと聖霊に満たされた時に起こるんやとわては思うねん。

ほら、イエス様かってゆうてはったやないか。●「すべて疲れた人、重荷を負っている

人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、

わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」ちゅうて。

八: ああ、マタイの福音書11章28節~30節までやわな。

熊: イエス様に憩う、イエス様の腕の中でギューっとされる、安らぐわな、安心するわな。

つまりは、心が病みそうになってるときの癒しや、平安や、それに心配事からの解放や。

まるで、おかんの胸にだかれて、安心してすやすや眠ってる赤子の感じとちゃうか。

それをイエス様や聖霊様がやってくださるんや。

八: まあ、わてのおかんは腹でてたから、腹にのっかってる感じやったんやろな。

その安らいでいる時ちゅうのは、そりゃ、あれやな。詩篇46篇10節、

「やめよ、静まれ、力を捨てよ」ちゅうのとよく似てるわな。

熊: いや、わてはドンピシャやと思てる。ついでに言わしてもろたら、マタイ6章の33節や。

八: ●「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、

それに加えて与えられます。」神の国と神の義を求めるちゅうのんは、簡単にゆうたら、

イエス様を救い主と認めて、イエス様のご支配にはいる、身をゆだねるちゅう

こっちゃな。

熊: そう、それがイエス様にギューっとされて、ええこんころもちになって、心が安らぐ、

心が喜んで聖霊様にみたされる、ちゅうこっちゃ。

な、若さん。そういうこっちゃな。

―――――

八さん、熊さんありがとうございます。もうこの時には、パウロの言うところの、「患難さえも喜んでいる」という意識が、ほかの弟子たちにも生まれていたのかもしれませんね。イエス・キリストにあって、心の、魂の解放を味わっていることは、宣教の強みにもなっていたのかもしれません。今の私たちは、小手先の宣教、宣教のテクニックに目がいっていて、本来の宣教の根本的原動力ともなる、心の魂の解放を強調していないのかもしれません。その意味でも、この13章での学び、聖霊の満たしによる、魂・心の解放、そしてその喜びは、とても重要なことのように思われます。

さて、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、ちょっと長いですが「聖霊に満たされた魂の解放を求めます」です。聖霊の導きと満たしがなければ、私たちの宣教の努力はまったく無駄になると言っても過言ではありません。心して、今日の宣言をいたしましょう。

では、3回宣言します。

「聖霊に満たされた魂の解放を求めます!」、「聖霊に満たされた魂の解放を求めます!」、「聖霊に満たされた魂の解放を求めます!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇103篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書12章34節。

「あなたがたの宝のあるところ、そこにあなたがたの心もあるからです。」

黙想いたします。詩篇103篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:主イエスの十字架の血で

https://www.youtube.com/watch?v=IuZOpJ8UmfU

聖餐式

賛美⑨:起きよ光を放て

https://www.youtube.com/watch?v=ac7i39OIGyY

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の11月12日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: 使徒の働き14章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/