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メッセージ主題:『主にあって楽観主義に生きる(信頼と無責任)』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.11.12主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年11月12日主日礼拝式を始めます。

●祈り

角笛

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:主は今生きておられる

https://www.youtube.com/watch?v=cq6mJ1WMkC4

賛美②:イエスは愛で満たす

https://www.youtube.com/watch?v=I_G7hCgLRn0

賛美③:ぶどうの木(11月)

https://www.youtube.com/watch?v=q80lUdrVXdw

賛美④:主イエスの血潮で

https://www.youtube.com/watch?v=KmUiFOCWoEg

賛美⑤:キリストにはかえられません

https://www.youtube.com/watch?v=ojraEX3cvLc

賛美⑥:祈ります求めます

https://www.youtube.com/watch?v=GRFbvWaGn5M

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年11月12日 主日礼拝メッセージ

「使徒の働き」とは

復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。

そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。

(会衆)

イエス様の復活の確信

神の国の理解

聖霊の満たし

エクレシア(信仰者の集まりと交わり)

●聖書拝読:使徒の働き第14章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹惠子伝道師

中心聖句:

「また、彼らのために教会ごろに長老たちを選び、断食して祈った後、彼らをその信じている主にゆだねた。」(23)

メッセージ主題:『主にあって楽観主義に生きる(信頼と無責任)』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

使徒の働き14章は、パウロとバルナバの第一次伝道旅行の途中であります。13章から、伝道旅行は始まりました。アンティオキアから出発し、キプロス島にわたり、そこからペルゲに渡ったところで、突然マルコがエルサレムへ帰ってしまいます。パウロはそこでマルコに対して失望します。そして、パウロたちはピシディア・シリアのアンティオキアに旅を続行し、そこで迫害も受けますが、宣教の大きな成果も得ます。

そこまでが13章でした。14章では、パウロ一行は、シリアのアンティオキアからイコニオンに行きます。イコニオンでも多くのユダヤ人や異邦人が信仰に入ります。

しかし、信じようとしないユダヤ人によって殺される寸前で、リステラやデルべなどに避難し、難を逃れ、そこで福音宣教を続けました。

しかし、ピシディア・シリアのアンティオキアやイコニオンから、二人に反感をもつユダヤ人たちがやって来て、パウロを石打ちにして、死んだようになったパウロを町の外に引きずり出した。

パウロは死んではなく、恐らく気絶していただけか脳しんとうを起こしていたのかもしれません、心配する弟子たちがパウロを囲んでいると、すくっと立ち上がって、町に入り、翌日、バルナバとともにデルベに向かいました。

二人はデルベで福音を宣べ伝え、多くの人々を弟子とし、それから、再び、リステラ、イコニオン、シリア・ピシディアのアンティオキアへと引き返しました。

弟子となっていた彼らが、信仰にしっかりととどまるように、弟子教育のためにもどったのでした。ここまでは14章のあらすじです。

聖会や伝道集会で、信仰へと導かれた人々が、何らかの弟子教育を受けなければ、その人たちはいとも簡単に信仰から離れて行く可能性があります。パウロとバルナバは、新人信仰者のもとにもどってきて、いわば、何回かにわけて、信仰成長セミナーを施したのです。

たとえば、私の場合は、「洗礼」をうける前から私をいれて4人グループが形成されました。全員が留学生で、韓国から、シンガポールから、インドからの大学生で、クリスチャンでもありました。私だけ年をとった大学院生でノンクリスチャンでした。この4人組が毎週水曜日に交わり会をもち、主は私が信仰をもち、また持ち続け、成長するように彼らを備えてくださったのです。

「洗礼」は、信仰に入ったことを公にするだけであって、いわば、信仰生活の始まりです。これで大丈夫というものではありません。「洗礼」の後、その信仰ベイビーを教会がほったらかしにしてしまえば、そのベイビーは、栄養失調で、信仰を失くしてしまうか、些細な事でつまづいて教会から離れてしまったり、なかなか成長できないことになりかねません。「洗礼」は、信仰がやっとスタート地点に立ったに過ぎないのです。かれらは、乳のみ子と同じで、「御言葉であるミルク」をゴクゴクと飲み育ちますが、教会全体を通して、または教会のグループを通して、ケアが必要なのです。牧師や教職者にまかせっぱなしではいけないのです。また、牧師や教職者も、信仰ベイビーをある種の義務感から、いわば独り占めしてはいけないのです。

パウロたちは、その信仰ベイビーに対して、次のように告げました。

●「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」と語りましたが、これは、『信仰者が救われるためには、多くの苦しみを通らなければならない』という意味ではありません。『信仰者はすでに救われているが、生きている間には、信仰者ゆえに多くの苦しみがある』という意味であります。これは、患難に対する心構えでもあります。信仰成長は、山あり谷ありです。その山を低くし、谷を埋めて、歩みやすいようにしてくださるのが、神であり、聖霊との日々の親しい交わりであり、御言葉の貯えでもあり、また同じ信仰者との親しい交わりでもあります。

そして、パウロとバルナバは、23節で、教会ごとに、長老たち(複数)を選び、断食して祈った後、つまり按手して、彼らを、主にゆだねました。

パウロとバルナバは、福音宣教を行い、信仰成長をできる限り助け、下地をつくり、彼らの後釜を任命し、その上で、後釜たちである長老を、主にゆだねたのであります。信仰成長を長老たちにゆだねたに違いないでしょうが、パウロたちは、まず長老たちを主にゆだねたのです。長老たちとは、パウロとバルナバのめがねに適った人でありますが、長老たちが正しく教会を導けるよう、主に祈り、長老たちを主にゆだねられました。最も信頼を置くべきは、長老ではなく、主であり、主が長老を整え、導き、用いて下さることを祈ったのです。長老たちは自分たちが選んだのですから、信用していないわけではありませんが、その選んだ長老たちを主が守り導いてくださるように祈る、これこそが、主に全き信頼するということではないでしょうか。いつまでたっても、パウロやバルナバが信仰ベイビーを世話し教育することなどできっこありません。そのために、長老たちを選び、まず長老たちを主にゆだねたのです。

教会が「洗礼」後、信仰ベイビーをほったらかしにするのであれば、それは、無責任というしかありません。また、『信仰ベイビーの信仰成長を主にゆだねる』というのは、聞こえはいいですが、ほったらかしと変わりません。無責任です。それでは、教会成長など望めるわけがありません。また、先ほどももうしましたが、信仰ベイビーの独り占めもよくありません。

種を蒔くのは私たちであっても、その種が芽を出し成長するのは、神の働きです。だからと言って、何もしないというのは主のみ旨ではありませんし、独り占めもそうです。私たちは私たちの責任において、私たちができる役割をみんなが遂行してこそ、その後を主にゆだねる、私はこれこそが、真の楽天主義、つまり主にある楽観主義だと思っています。

一般的に「楽天主義」は、困難に直面しても、何とかなるさと何もしません。現実逃避で無責任です。しかし、「楽観主義」は、現実から目を背けずに、勇気をもって課題解決していきます。しかし、ここに、「神にゆだねる」という意識はありません。クリスチャンとして、私たちの責任において精いっぱいの努力はしつつも、すべてを主にゆだね、結果がどうあれ、それが主のみ旨であると受け入れる徹底した楽観主義に生きるべきです。もちろん、すべてにおいて主のみ旨に従うということは、そうたやすいことではありません、いえ、困難極まることかもしれません。しかし、クリスチャンとして、最終的には、すべてを主にゆだねる、主が私たちにいままでになさったことを覚えつつ、主にお任せすることの大切さを、この「主にあっての楽観主義」は教えてくださるのです。

中国のことわざ、「人事を尽くして天命を待つ」、日本のことわざにもなっていますが、調べますと次のような意味であります。「人間の能力で可能な限りの努力をしたら、あとは焦らず静かに結果を天の意思に任せる、という意味であります。全力を尽くしたのであれば事の成否は人知を越えた天任せなのだから、『どんな結果になろうとも後悔はない』という心境を表す言葉としても使用されます。」私の言いたかったことがここにあるような気がします。ただし、「天命」というあいまいな感じではなく、「神様、イエス様」の御心に従うということになりますが。

誰かに何かを任せるとき、全て丸投げする人がいます。そんな人は無責任極まりないと私は思っています。人に何かを任せるときは、その下準備をしてから、ある程度の道筋をつけてから、またはサポートをしつつ、その人に任せる。任せた以上は信頼する。その任せる相手が、神様でありイエス様なら、なおさら全面的にその導きに従う、そのことをこの使徒の働きの14章は教えてくれているのではないでしょうか。

また、パウロとバルナバが、「彼らが選んだ長老たちを、主にゆだねた」とあるのは、長老たちに責任を負わせるのではなく、信じている神様に責任をとっていただくとも考えられます。こう言いますと、なにか神様に脅しをかけているように聞こえてしまうかもしれませんが、神様は、従う者に対して責任を負ってくださいます。私たちはこのことを忘れてはいけないと思います。教会の頭がイエス様ならなおさら、教会の牧師や教師、役員や長老を主にゆだねる、彼らもそのことを肝に命じ、教会を主にあって導く、そして、彼らに対して文句を言わない。どうしても文句があるなら神様にいうべきです。いえ、まず祈るべきです。

さて、ここで、天国長屋の八さん熊さんに登場していただきましょう。八さん熊さんは、主にゆだねる、楽観主義をどう思われますか。

―――――

八: 「主にゆだねる」ちゅうのは、分かってそうで分からない、

分かっていてもなかなかできない、ちゅうかんじやわな。

熊: ほんまやなぁ、わてなぁ、「主にゆだねる」ちゅうのんより、

「主にお任せする」ちゅうたほうか、まだピンときやすいねん。

八: なるほどなぁ。「お任せ」なぁ。

わて、「お任せ」ちゅうのでえらい目に負うたことがあるねん。

熊: なんや、どんなえらい目におうたんや。

八: お腹減ってたから、すし屋に入ったんや。

熊: おお、回転寿司か。

八: いいや、回転寿司ができる前や。カウンターの席しかない店や。

熊: そんで、そのすし屋でえらい目におうたんか。

八: そんときな、ちょっとしたボーナスが入って気が大きなってて、

「お任せ」ちゅうのを頼んだんや。

熊: 「お任せ」ちゅうのを頼んで、なんでえらい目に会うねん。

八: いやぁ、「お任せ」頼んで、ごっつぅ美味しい思いしたわ。なにもかも舌鼓!

熊: ほなら、えらい思いやのうて、ええ思いしたんやないか、なにがえらい思いや。

八: 続きがまだあんねん。えらい思いはその後や。あがりもろて、おあいそゆうて。

お足はらうだんになったときや。

熊: 八、ひょっとして、あれかぁ。

八: あれや、お品書きに値段があれへんかった。

熊: ひぇ~、くわばらくわばら、そんなん「お任せ」やのうてもこわいやっちゃ。

けんど、なんでそん時、わて呼んでくれへんかったねん。

八: あほ、大ぐらいの熊、呼んでたら、ボーナスぜ~んぶ、いかれてるところや。

それでのうても、支払うときに、手が震えてわ。

熊: それは、えらい目におうたなぁ

けんど、イエス様のお任せは、ほんまにええでぇ。

お任せした結果が、その時は悪くとも良くても、あとあとになって、

ぜ~んぶ良くなんねんから。

まあ、イエス様がわてらのために帳尻合わして下さるちゅうかな。

八: ほんで、イエス様の「お任せ」は、目むくほど高いんちゃうやろうなぁ。

熊: あほか!八の値札のないすし屋とちゃうでぇ。イエス様がぜんぶ前もって、

御自身のいのちでお支払いくださってるやないか。

八: あ、そうか。十字架で前払いしてくださってたな。

熊: せやから、イエス様の「お任せ」は、安心して「お任せ」できるんやないか。

あ、思い出した。若さん、昔、イエス様に「お任せ」したいねんけど、

どうしたらええかわからん、ゆうってえらい長い間悩んではった。

八: そんで、そのイエス様の「お任せ」の仕方、分かったんかいな、若さんは。

熊: 「なんでも従いますという気持で、イエス様の声に耳済ますんやて、

そんでイエス様が出して来はる寿司をいただくんやて。」

八: なんで、そこで寿司がでてくんねん。イエス様が握ってくださるんかいな。

熊: いや、にぎりだけやのうて、巻もあるらしいでぇ。

八: なんやそれ。熊、おまえ、話しもっとるやろ。

熊: かんにん、かんにん。つい、八のすし屋の「お任せ」がおもろかったから。

けんど、若さんは、イエス様の声に耳済まして、イエス様のおっしゃることに従う、

それが、「お任せ」やって分かったらしいでぇ。

せやから、その時から「イエス様いのち」ちゅうてる。

八: ああ、その後で、わてらを「イエス様いのち」の仲間にさそたんかぁ。

けんど、イエス様に聞き従うところに「幸」ありやなぁ。

わてらが期待したり思てることとちゃうこともあるけど、後で振り返ってみたら、

イエス様が正しいことがよう分かる。

熊: せやなぁ。ところで、若さんのゆうてはった「主にある楽観主義」って、どう思う?

八: 人事を尽くして、後はイエス様に「お任せ」したんやから、あとは、野となれ山となれ。

わてらの心配するこっちゃない。もちろん、気になることにはちゃいないけど。

熊: 「まずは神の国と神の義を求めよ」ちゅうこちゃな。イエス様のおっしゃること聞いて、

イエス様の支配にはいる、難しいことかもしれんけど、これが奥義やな。

八: 若さん、これからも、主にあって楽観主義でいきましょな。

―――――

八さん、熊さんありがとうございます。「主にあっての楽観主義」っていいですね。けれど、私がこの言葉を出したのですが、「主義」というのが、こだわりがあり過ぎて、あまり好きではありあせん。「人事を尽くして、主にゆだねる」の方がいいかもしれません。そして、選ばれた人に責任を負わすのではなく、その責任者を主にゆだねる、このことを覚えておきたいと思います。

さて、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、タイトル通り「主にあって楽観します」です。失敗したことを悲観するのではなく、成功に近づいたと楽観することが肝心です。すべての事に感謝する、究極の楽観です。では、心して、今日の宣言をいたしましょう。3回宣言します。

「主にあって楽観します!」、「主にあって楽観します!」、「主にあって楽観します!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇55篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マルコの福音書9章23節。

「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」

黙想いたします。詩篇55篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:なんて麗しい名

https://www.youtube.com/watch?v=sF-lpfqlyVA

賛美⑨:主に賛美

https://www.youtube.com/watch?v=v5V7Ay1ogNQ

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の11月12日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: 使徒の働き14章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/