ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2023.11.26主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)
●午後5時開会:ただいまより、2023年11月26日主日礼拝式を始めます。
●祈り
角笛
礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
続いて
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:イエスがいるから
https://www.youtube.com/watch?v=yHraxLa3ZEg
賛美②:主が来られる日まで
https://www.youtube.com/watch?v=5DcOIijIaKw
賛美③:ぶどうの木(11月)
https://www.youtube.com/watch?v=q80lUdrVXdw
賛美④:目をイエスに向けて
https://www.youtube.com/watch?v=8_RUJz3pLM4
賛美⑤:強くあれ 雄々しくあれ
https://www.youtube.com/watch?v=3a80foyUHac
賛美⑥:父の涙
https://www.youtube.com/watch?v=2O5qdvKU3Jc
【YOUTUBE配信開始】
2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。
いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)
第1の幸い(マタイの福音書5章3節)
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)
第2の幸い(マタイの福音書5章4節)
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」
(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)
第3の幸い(マタイの福音書5章5節)
「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」
(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)
第4の幸い(マタイの福音書5章6節)
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」
(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)
第5の幸い(マタイの福音書5章7節)
「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」
(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)
第6の幸い(マタイの福音書5章8節)
「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」
(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)
第7の幸い(マタイの福音書5章9節)
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)
第8の幸い(マタイの福音書5章10節)
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)
●2023年11月26日 主日礼拝メッセージ
「使徒の働き」とは
復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。
そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。
(会衆)
イエス様の復活の確信
神の国の理解
聖霊の満たし
エクレシア(信仰者の集まりと交わり)
●聖書拝読:使徒の働き第16章(新改訳聖書2017)
朗読: 若竹
中心聖句:
「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた」(25)
メッセージ主題:『祈りと賛美:たましいの解放』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
使徒の働き16章では、パウロとシラスはテルベ、そしてリステラに行き、若いテモテ(おそらく30台後半から40代前半の年齢)に会います。テモテはギリシア人の父とユダヤ人の母をもち、まだ割礼をしていなかった、つまりまだギリシア人ともユダヤ人とも自分のアイデンティティを決めていませんでした。パウロはテモテをユダヤ人として、ユダヤ人社会に受け入れられつつ、テモテを伝道旅行につれて行きたかったので、テモテに割礼を受けさせました。彼らは、小アジアの大都市エペソに行こうとしましたが、聖霊とイエスの御霊によって、その道が閉ざされ、トロアスというエーゲ海に面した港町に向かいました。そこで、パウロは幻をみて、マケドニアにたましいの救いを必要としている人々がいることが示され、船でエーゲ海を渡り、マケドニアの大都市ピリピに行きました。ルカはこのピリピで、6つのエピソードを記して、16章を閉じます。ピリピが宣教において重要な拠点であったことを強調していると思われます。
1つ目のエピソードは、安息日に祈り場があると思われた川岸で婦人たち、おそらく高貴な女性たちとその僕の女たちにであり、その婦人たちに福音を伝えます。ひょっとしたら、高貴な女性たちは水浴をしていたのかもしれません。この表現で、私は、次のことを思い出されました。モーセが赤ん坊で、ナイル川の岸の葦の茂みの中にパピルスのかごに入れられて置かれ、ちょうど、その時、パロ王の娘と侍女たちが水浴びをしていて、赤ちゃんモーセのかごを発見し、養子として引き取りました。神のご計画、摂理に鳥肌がたったものです。話をパウロにもどしますと、その婦人たちの中にリディアという神を敬う女性に福音を語り、主がリディアの心を開き、彼女と彼女の家族や連れの人々にバプテスマを受けさせました。その後、リディアはピリピでのパウロのサポーターとなったと思われます。
2つ目のエピソードは、その祈りの場に行く途中で付きまとわれた占いの霊につかれた女奴隷です。占いを商売とし、その売り上げは女奴隷の主人に入るというものでした。パウロは、その女の除霊を行ない、女は正気にもどり、金儲けの望みがなくなった主人たちは、パウロとシラスを捕まえて、ローマ長官いわば警察につきだします。パウロとシラスは鞭うたれ、脱獄できないように、一番奥の牢に足かせをされたまま放り込まれます。
3つ目のエピソードは、牢の中で、鞭うたれた傷にうずきながらも、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていました。囚人たちはそれに聞き入っていたというのですから、心静まる平和な賛美、牢獄ですから小さな声でもよく響く、心地よい賛美ではなかったでしょうか。
4つ目のエピソードは、その心地よく響く祈りと讃美をかき消すように、突然大きな地震が起こり、牢の扉という扉が開き、すべての囚人の鎖が外れてしまいます。地震で扉が開いてしまうのは分からなくはないのですが、鎖まで外れるというのは、そこに主が介在されているというしかありません。看守は、囚人たちが逃げてしまったものと思い、自害をはかります。囚人たちに逃げられたとなれば、看守はいのちを持って償うしかないのです。しかし、パウロたち囚人は全員、その場から離れていませんでした。看守は、命拾いをしたのです。
5つ目のエピソードは、その命拾いした看守がパウロとシラスを牢の外に連れだし、「救われるために、何をすべきか」を問います。パウロとシラスは、次の有名なことばを言います。●「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」これは、芋づる式に家族も救われると言っているのではありません。一人が救われれば、聖霊によって、その人に変化が現れ、主イエス・キリストの証しをする。聖霊が働き、その証によって、周りの人も信じる者となるといっているのです。そして、看守の奴隷も含めた家族全員がバプテスマを受けました。
6つ目のエピソードは、その朝、パウロたちは釈放されることになりますが、ローマ市民権のあるパウロたちを、有罪判決前に、鞭を打ち、投獄されたことの詫びを長官たちに訴えたのであります。長官たちは、ふたりがローマ人であると聞いて、詫びを入れ、町から出て行くようにねがいます。二人はリディアの家に行き、兄弟たちを励まして、旅をつづけます。
さて、この中で、注目されるべきは、3つ目のエピソード、鞭うたれ牢の中という災難とも言うべき苦難のなかにありながらも、祈りと讃美をささげることができるという、主の平安が、パウロとシラスを覆っていたということです。
私が鞭うたれ、治療もしてもらえずの状態なら、ウンウンうなっているだけかもしれません。身体もほてっているでしょうし。しかし、パウロとシラスは、主の平安に包まれ、おそらく平安ゆえの喜びすらも感じていたのではないでしょうか。
では、パウロとシラスは、何に希望をおいて、祈りと讃美をささげていたのでしょうか。その答えは、パウロのピリピ書簡にあると思います。パウロは、ピリピの教会に次のように書き綴っています。
3章20節21節です。
●「しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだと、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。」
この希望であり、確信があるからこそ、パウロとシラスは苦難にも耐え、平安の中で喜んでいられたのではないでしょうか。
私たち、クリスチャンは、この希望、国籍は天にあることを、時に触れ、再認識、再確認すべきではないでしょうか。いや、聖書を読む中で、祈りと讃美をささげる中で、再確認できることに感謝したいと思います。そして、私たちの国籍が天にあるということは、天にある平安と喜びが、いまこの世にあっても経験できるということです。パウロとシラスがいい見本です。
さて、ここで、天国長屋の八さん熊さんに登場していただきましょう。八さん熊さんは、祈りと讃美が主の平安を導くとお考えですか。それともその逆でしょうか。
―――――
八: 若さん、「お考えですか」ってきはったで。なんかえらいバカ丁寧で気色悪いわ。
熊: それは、若さんのくせやな、難しいことを人に尋ねるときは、ああやって丁寧になんねん。
ところで、祈りと讃美と主の平安の関係か、どっちが先かって?
八: せやねんな。祈りは、わてらが自発的にしていると思ているかもしれへんけど、
実は、祈りに導かれてるちゅうたほうがええ時が多いんとちゃうやろか。
熊: それって、聖霊様のしわざ?
八: あほ! 聖霊様のしわざ、ってなんちゅう言い草や。聖霊様のお働き、お導きと言いや!
なにが、聖霊様のしわざ、や。聖霊様がわてらに悪いことをするはずないやないかい。
熊: かんにん、かんにん。聖霊様かんにんやで。
八: 聖書にあるように、パウロはんがコリント人へ言うてはったやないか。
「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません。」
熊: ああ、それ第1コリント12章の3節やな。イエス様を主です、と言えるのは、
聖霊様の導きやちゅうことや。
八: せやでぇ。聖霊様が、イエス様を主ですとわてらに教えてくださるんやから、
祈りも導いてくださるんや。わてらの祈りは、頭で考えて祈るんやのうて、
聖霊様に導いてくださいとお願いしつつ、祈るとええねん、、、、って、
横丁のご隠居がゆうてはった。
熊: やっぱり横丁のご隠居はんかいな。よかった、八がわてと同じレベルで。
八: なんやねん。同じレベルって。
熊: そやかて、わてら、若さんも含んで、「イエス様いのち」の三ばかトリオや。
同じあほやから、話しやすいんやないかいな。そんで、本当の祈りは聖霊様の導き
やちゅうことは納得や。ほんなら賛美はどうや。
八: 賛美は、若さんゆうてはるやないか。「主に賛美のいけにえをささげよう」って。
主をあがめるのが賛美や。まあ、どちらかと言えば、わてらの自発的な主へのいけにえ。
わてらの心をささげるんや。ただ単に歌謡曲や演歌をうとてるんのと訳がちゃうねん。
熊: 歌謡曲や演歌をばかにしたらあかんで。心で歌うんや。「ボロは来てても、心は錦」って
いうやろ。心で歌わんかぎり、歌で人を感動させることはでけん。
八: わかった、わかった。熊が演歌好きやったの忘れてたわ。かんにんや。
熊: 分かってくれたらええねん。「主~よ、みぃてぇもぉてぇ♬」
八: 誰が讃美歌を演歌風に節回しせぇゆうたんや。それにしてもへたくそや。
熊: へたくそで悪かったなぁ。けんど奥田昭先生、やってはるやん。
八: ああ、ハレルヤおじさんかいな。奥田先生は、演歌の曲の歌詞をキリストをあがめる
歌詞に造り変えて、歌てるんや。福音が日本人の心に響きやすいようにしてはる。
あれはあれで、ごっついええ、歌もええ、声もええ。けんど、さっきの熊の讃美歌に
演歌もどきの節回しをつけて、歌たら、賛美の心が台無しのような気がするわ。
悪乗りしすぎやちゅうねん。
熊: 奥田先生すんまへんな。引き合いに出してしもて。わても奥田先生の福音演歌
だいすきでっせ。がんばっておくんなさいね。
八: そんで、話を戻すけど、主の平安が先か、祈りや賛美がさきか、ちゅう問題やけど、
熊はどう思う。
熊: 祈りは聖霊様が導かれる、賛美はわてらの心をささげ、主の御名をあがめる。
平和はどっちやろ、祈りや賛美をささげている最中に平安を感じることができる
ような気がすんねんけど、八はどう思う?
八: わてなぁ。イエス様の下さった平安のことを考えてんねん。
熊: イエス様の平安って、聖霊様のことやないかいな。聖霊様は真理の御霊、
もう一人の助け主や。
八: そやでぇ。イエス様おっしゃった。●「わたしは、あなたがたに平安を残します。
わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。
あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」
イエス様の平安は、聖霊様のこっちゃけど、普通の平安やなくて、
「ひるんではならない、恐れてはならない」とおっしゃるように勇気と冷静さも
主の平安の一部やねん。
熊: けんどそうやったら、わてらは、イエス様を信じた時に、聖霊様がお宿り
くださってるんやから、いつも主の平安があってもええんとちゃうか。
八: なんちゅうかな。聖霊様と同調するちゅうかな。イエス様の愛を感じて、
身も心もゆだねるちゅうか。そのために、祈りも賛美もあるんとちゃうやろか。
祈りと讃美をささげている最中に、聖霊様の働きによって、イエス様により頼む
ことができる。そんでもって、主の平安と知恵がわてらに与えられる。祈りと讃美が、
主の平安を呼び込むちゅうか、感じるきっかけになるちゅうか、わてらの心にお宿り
下さっている聖霊様がわてらの心の表面に現れるちゅうかな。
そやから、熊がゆうてたように、『祈りや賛美をささげている最中に平安を感じる
ことができる』ちゅうのは、当たってるような気もする。
熊: せやなぁ。「主の平安を祈り求める」ちゅう言葉があるように、
主の平安は祈りが導いて下さる、のかもな。
八: 若さん。これがわてらの一応の答えですわ。
―――――
八さん、熊さんありがとうございます。わたしたちは、イエス様いのち、三ばかトリオですから、これ以上のことは、分かりにくいですね。けれど、祈りと讃美が、私たちを主の平安へと誘導してくださっているように、私も感じます。そして、私たちが主の平安を感じるとき、私たちの国籍は天であることを実感できるのではないでしょうか。主のあわれみによって、主の平安と喜びを感じる時、私たちの力と知恵になるのかもしれません。
さて、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、「私たちの国籍は天にあります!」です。この確信的宣言は、逆に、主への祈りと讃美と平安を導くことにもなるでしょう。では、3回宣言しましょう。
「私たちの国籍は天にあります!」、「私たちの国籍は天にあります!」、「私たちの国籍は天にあります!」。アーメン!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇99-100篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書5章3節。
「心の貧しいものは幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
黙想いたします。詩篇99-100篇。
黙想時の曲
⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑧:種
https://www.youtube.com/watch?v=nEc2dPltgNI
賛美⑨:私は奇跡を信じる
https://www.youtube.com/watch?v=QdsPLFZgKXk
●礼拝の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の12月3日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。
聖書: 使徒の働き17章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/