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メッセージ主題:『宣教は主のもの』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.12.10主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます0。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年12月10日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:牧人羊を

https://www.youtube.com/watch?v=1HHuZMvvzXk

賛美②:叫べ全地よ

https://www.youtube.com/watch?v=ueEqoupddmc

賛美③:種(12月)

https://www.youtube.com/watch?v=nEc2dPltgNI

賛美④:主の愛に生かされて

https://www.youtube.com/watch?v=CMsi_AxNYn4

賛美⑤:我がたましいの羊飼い

https://www.youtube.com/watch?v=zVcYy7VG-aA

賛美⑥:天には栄え

https://www.youtube.com/watch?v=tu2DkC5L8_A

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年12月10日 主日礼拝メッセージ 第二アドベント

「使徒の働き」とは

復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。

そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。

(会衆)

イエス様の復活の確信

神の国の理解

聖霊の満たし

エクレシア(信仰者の集まりと交わり)

●聖書拝読:使徒の働き第18章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹

中心聖句:

「ある夜、主は幻によってパウロに言われた。『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。』」(9-10)

メッセージ主題:『宣教は主のもの』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

使徒の働き17章で、パウロはアテネで失敗ともとれる伝道方法で、意気消沈し、失意のうちにアテネを去って東へ移動し、コリントに入りました。そこで、神はひとりぼっちで元気をなくしていたパウロに、助け手を用意されていました。それが、アキラというユダヤ人とその妻プリスキラでありました。彼らは、ローマから退去させられ、移って来たのでした。アキラはパウロと同業者のテントメーカーであり、彼らの家に一緒に住み仕事をする中で、癒されて行ったにちがいありません。少し他のことに集中することで、気がまぎれるとでも言いましょうか、また「気が置けない友人」となった同業者アキラと、恐らく他愛もない話などもしたのかもしれません。そうこうする内に、シラスとテモテがマケドニアから合流してきて、さらに元気を得て、御言葉を語ることに専念します。しかし、ユダヤ人の会堂で語っていると、キリストを信じないユダヤ人の激しい抵抗にあい、会堂を出て隣に住む神を敬うティティオ・ユストという人の家に行き、福音を宣べ伝え、会堂司のクリスポとその家族は主を信じました。しかし、コリントのユダヤ人も全体的にはパウロの福音を受け入れませんでした。ですから、他の街のときと同様、次の街へとパウロは向かおうとしたのではないでしょうか。

そのような状況にあって、主はパウロに幻によって告げられました。それが、今日の中心聖句です。

●「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」

ここで、お分かりのように、宣教をリードしておられるのは神であるということです。パウロに、詩篇と同じように、「恐れるな」と励まします。この手の詩篇の有名な聖句は、41篇10節●「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」よく、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。」というのがセットフレーズとでも言いましょうか、最強の励ましです。「主がともにおられる」これほど、旧新訳聖書とわず、私たちを勇気づけてくれることばはほかにございません。パウロの見た幻では、この「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。」という励ましの言葉の間に、「語り続けなさい。黙ってはいけない」と具体的な指示が出ています。主は、パウロにコリントでもっとじっくりと福音を伝えなさい、とおっしゃるのです。事実、パウロはコリントの地で1年6カ月の間、腰を据えて、イエス・キリストを証ししています。その時、再び、パウロに反抗するユダヤ人たちが、パウロを法廷に引っ張り出して、罰を与えようとしますが、当時の地方総督であったガリオは、そのような些細なことに聞く耳をもたず、彼らを法廷から追い出します。パウロはその後、プリスキラとアキラを連れて、シリア・ケンクレア、そしてエペソへと行きます。エペソでは名残惜しまれながら、ひとり船出しカイサリアに上陸して、エルサレムに上り、教会に報告をかねてあいさつにいき、古巣アンティオキアに戻ります。パウロの第二回目の伝道旅行は終わります。

執筆者のルカは、ここでいったん筆をパウロからアレクサンドリア生まれのアポロに移します。アポロは聖書に通じた雄弁家で、エペソに来て、プリスキラとアキラに会った。プリスキラとアキラは、ヨハネのバプテスマしか知らなかったアポロに神の道をもっと正確に説明しました。その後、アポロはコリントに渡り、イエスがキリストであることを証しして行きました。さて、ここまでが18章のあらましであります。

福音が伝わるのは、もちろん聖霊の働きに他なりませんが、福音を伝えること自体が、主のお導き、主のお守りの中にあることを、主がパウロを励まされたことでよくわかります。パウロは、この励ましを、パウロの愛弟子テモテにも行っています。

●「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。」(2テモテ1:7)

●「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(2テモテ4:2)

私は、この二つの御言葉は、パウロがコリントの地で主からいただいた励ましに大いに起因しているものと思っています。

私たちは、伝道している時、信じる人が起こされないと、弱気になり、不安になり、またひどいときには落ち込んだりします。自分の何がいけなかったのだろうかと反省につぐ反省であります。しかし、それは私たちが行なった伝道の方法に問題があるというものではないのではないでしょうか。私が17章で学ばせていただいたことですが、伝道する者は、伝道の方法がうんぬんと考えるより、その伝道する人が、主に整われていないことが問題なのではないかということを示されました。では、伝道が成功する整われ方とはいったいどういうことなのか。それは私には分かりません。恐らく、この疑問「伝道が成功する整われ方」を問いかけること自体が、まちがっているような気もします。主は主のタイミングで、人を救われます。しかし、主は私たちの心を見抜きます。私たちは、時が良くても悪くても、語り続けなさいという励ましを信じ、立ち止まってしまってはいけないのであります。つねに主にあって謙虚でありながら、かつ大胆に主のみことばをお伝えしなくてはなりません。そして、その前に主と心を一致させるように聖霊に働いていただくことが大切なのでしょう。私たちの仕事は、どんな時でも御言葉を語り続け、証ししつづけなくてはいけないということです。そのために主は私たちに励ましをあたえてくださいます。私たちの仕事は、まず種蒔きです。収穫のことにこだわったり、気にかけたりする必要はありません。それは、主のタイミングでなされるからです。

さて、ここで、天国長屋の八さん熊さんに登場していただきましょう。八さん、熊さん、「恐れないで、語り続けなさい」と主はパウロに言われましたが、「恐れないで語り続ける」とは具体的にはどのようにすればよいと思われますか。

―――――

八: また、若さん、むちゃぶりしてきはったでぇ。語るっていわれても、人には得手不得手が

ある。わては、友達にやったら、ようしゃべるけど、知らん人には、わては

シャイやから。

熊: なにがシャイなもんか。八はよう、初対面でもしゃべってるやないか。

シャイちゅうんやったら、わてのこっちゃ。

八: けんど、あれやないか。熊は、神様がようしてくれはったことを、みんなに話してる

やないか。とくにおばちゃんたちに、人気がある。

熊: そやねんな。おばちゃんたちとは気が合うねん。

まあ、むこうからも声かけてくれはるしな。飴ちゃんもくれるし。

八: 前から聞こうと思てたんやけど、熊はおばちゃんたちと何しゃべってんねんな。

熊: まずは、感謝なことやな。小さいことでもええから、「今日はこんなことがあって、

感謝やったわ。イエス様はさすがやね。」とか。

八: 小さいことからコツコツと、かぁ。

熊: わてらの日常で、大きなことなんてそうそうあるもんやない。

小さいことの積み重ねが大事なんとちゃうやろか。

八: たとえば、どんなこっちゃ。

熊: せやなぁ、、、今日ファミマで、エクレヤ買うたんや、30円引きでな。

ほんなら、次に使える100円クーポンがレシートについて来た。神様は太っ腹や。

八: 30円引きと100円クーポンで、感謝できるんやから、熊はええなぁ。

熊: 買い物のときだけとちゃうでぇ。おととい、道の段差につまずいてこけてしもた。

手と膝をすこしすりむいたんやけど、ぜんぜん血がでぇへんかった。

そんとき、鼻紙ももってへんかったから、血がでぇへんかったことは感謝や。

八: なるほどなぁ、すべての事に感謝する、ちゅうこっちゃやわな。

熊: そや、なんでもええねん、日ごろから感謝することを積極的に見つけることが大事や。

感謝すること、なんぞないかな、と気をつけて生活するのも、結構ええでぇ。

わて、こう見えても「感謝ハンター」や。

八: けったいな名前つけたなぁ。「感謝ハンター」やて。けんど、「イエス様の十字架の贖いを

語る」わけとちゃうから、「感謝ハンター」はイエス様を証ししていることに

なるんかぁ?

熊: 「感謝ハンター」かて、りっぱなイエス様の証しや。おばちゃんたちが、「あんた、

誰に感謝してんのかいな」と聞かれたら、こっちのもんや。

「イエス様に感謝してんねん。わてらをお造りになられた神様に感謝してんねん」と

言えるやないか。「イエス様」ちゅうキーワードが出たらこっちのもんや。

八: なるほどなぁ。

熊: なにゆうてんねん。八かて、神様からええもんもろとるやないか。

八: ええもん?

熊: 八は、ほめ上手や。服誉め、子誉め、親誉め、家誉め。なんでもほめとる。

あれは、なかなかでけんでぇ。わてが「感謝ハンター」やったら、八は、さしずめ

「誉めハンター」や。人は褒められて悪い気はせん。

八: けんど、わては、褒めてる時、イエス様語ってないでぇ。

熊: それでもええんやて。八が褒めてるときには、キリストのかおりがしてるし、

イエス様も喜んではるにちがいあれへんから。

八: そんなもんか。

熊: ほらぁ、パウロはんかて、ゆうてはるやないか。●「あなたがたは、食べるにも飲むにも、

何をするにも、すべて神の栄光を現わすためにしなさい。」(1コリント10章31節)

口だけやない、生活そのものが、主を証しせんと。生活がイエス様を語っていく

ようにせんとあかんねやないやろうか。

八: 「生活がイエス様を語る」。 これええなぁ。わてらは、パウロはんみたいに

雄弁でないかもしれん。けんど、少なくても、わてらも生活を通してイエス様を語る

ことができんねんな。

熊: そやでぇ。主とともに歩んでるからこそ、生活を通してイエス様を語ることができるんや。

八: 若さん、わてらにパウロはんのような語りはしんどいかもしれん。

けんど、生活やったらできそうな気がしますわ。そう思わはりませんか。若さん。

―――――

八さん、熊さんありがとうございます。「生活がイエス様を語る」ですか。私も、言葉だけが、イエス様を証しする手段だとは思っていません。態度や雰囲気も、イエス様をお伝えする大切な手段ですね。逆に、ことばよりも人の心に刻まれるのとちがうでしょうか。熊さんのフレーズ、いただきます。今日の宣言に使わせてください。ちょっと変更しますね。

さて、今日も、いつもの通り、宣言をしたいと思います。今日の宣言は、「イエス様が現れる生活をします」です。パウロはピリピ書の中で、「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。」(1:21)と告白します。これを、ある人は次のように解釈します。「私にとって、生きることはキリストの栄光を現すことである。このゆえに、もし私が死ぬことで神の栄光を現すならば、それも私にとっては益であり、私の願いでもある。なぜなら私の願いは主の奉仕のために私の全て人生を使いきることだからである。」主の奉仕のために自分の人生を使うこと、自分を通してキリストが知られて、あがめられていくこと、「私は主のものだ、主が生きて働いてくださっているのだ」と知っていくこと、これこそが本当に私たちを満たすのではないでしょうか。

では、3回宣言しましょう。

「イエス様が現れる生活をします!」、「イエス様が現れる生活をします!」、「イエス様が現れる生活をします!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇28篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書3章3節。

「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

黙想いたします。詩篇28篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:主が私の手を

https://www.youtube.com/watch?v=7rm7of2N3-Y

賛美⑨:傷跡

https://www.youtube.com/watch?v=hJK8hxLG0pU

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の12月17日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: 使徒の働き19章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/