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メッセージ主題:『主イエスと一つとなる』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.12.17主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年12月17日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:もろびとこぞりて

https://www.youtube.com/watch?v=CjBp0etmzRU

賛美②:キリストには代えられません

https://www.youtube.com/watch?v=JW9WFECL-54

賛美③:種(12月)

https://www.youtube.com/watch?v=nEc2dPltgNI

賛美④:丘に立てる荒削りの

https://www.youtube.com/watch?v=R0TvOMBFvfk

賛美⑤:さやかに星はきらめき

https://www.youtube.com/watch?v=9ObhXiuKX0I

賛美⑥:力とあわれみの

https://www.youtube.com/watch?v=hgRDw52A_fQ

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年12月17日 主日礼拝メッセージ 第三アドベント

「使徒の働き」とは

復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。

そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。

(会衆)

イエス様の復活の確信

神の国の理解

聖霊の満たし

エクレシア(信仰者の集まりと交わり)

●聖書拝読:使徒の働き第19章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹

中心聖句:

「これを聞いた彼らは、主イエスの名によってバプテスマを受けた。」(5)

メッセージ主題:『主イエスと一つとなる』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

使徒の働き18章で、パウロは第二次伝道旅行が終わり、シリア州の首都、古巣アンティオキアにもどって、しばらくしてから、陸路を通り、第三次伝道旅行を開始しました。キリキア、ガラテヤ、フリュギアを通って小アジアの首都エペソに向かいます。19章を使って、そのエペソでの騒動をルカは記しています。

エペソでは、当時のユダヤ人はヨハネのバプテスマ・洗礼しか受けていませんでした。ヨハネのバプテスマとは、悔い改め、つまり他の神から離れユダヤの神のほうを向くという段階で、バプテスマのヨハネが「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」とヨルダン川でバプテスマを授けていた時の人たちが、エペソでもそのことを伝え、エペソの人たちは、罪を告白して悔い改めて洗礼を受けたのでした。つまり、それは18章で登場するアポロと同じでした。つまり、パウロが活躍していた時代は、離散し異郷に居た、ほとんどのユダヤ人社会の間では、バプテスマのヨハネの教えが浸透していたのです。ヨハネが水でバプテスマをさずけていたので、水のバプテスマと呼ばれています。しかし、イエス・キリストの名による洗礼は、人を罪から清め、キリストの死と復活によって、神の新しい命にあずからせ、救いを得させるものであり、イエス・キリストを信じると、心に聖霊が宿ることから、イエス・キリストの名による洗礼は、聖霊のバプテスマと呼ばれ区別されます。パウロたちは、その区別をし、イエス・キリストの名によるバプテスマを授けたのです。しかし、今は、キリスト・イエスによる聖霊のバプテスマしかありません。洗礼式に水を使うのは、象徴であり、水のバプテスマではありません。異言が現れるのが、聖霊のバプテスマとし、クリスチャンの間で、水のバプテスマと区別する教えがありますが、私はその立場にありません。イエス・キリストを主と信じた時点で、聖霊が心に住まわれるのです。

ちなみにバプテスマとは「一体化」を意味します。布を染料液につけると、その染料の色に染まります。バプテスマのヨハネのバプテスマは、罪の悔い改め、特にユダヤの神に立ち返るということを強調しました。しかし、それは律法の枠を超えておらず、イエス・キリストの救いの準備段階でしかありませんでした。「救い」は罪を帳消しにし、永遠のいのちにあずかる約束がなされる、イエス・キリストとの「一体化」が必須なのです。

エペソの弟子たち、つまりバプテスマのヨハネの弟子たちは、イエス・キリストの名によるバプテスマを知らなかったので、パウロは、彼らに聖霊のバプテスマを授けました。その時、彼らは12人でしたが、結果的に、異言を語ったり、預言したりしました。再度申し上げますが、ここで勘違いしてはいけないのは、異言や預言は、聖霊のバプテスマの必須結果ではないということです。神はその必要に応じて、異言や預言やほかの賜物を、聖霊のバプテスマを受けた信者に与えます。もちろん、授けるタイミングもばらばらです。

パウロは、エペソの会堂で三カ月間そして、ティラノの講堂で二年間、神の国について論じました。エペソでの滞在は約2年3か月間です。その間に二つの出来事をルカは記しています。

一つ目は、パウロの模倣犯の失敗です。ユダヤ人巡回祈祷師スケワの七人の息子たちが、パウロの真似をして、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言って、悪魔祓い、病気の癒しを試みました。しかし、聖霊に満たされていたパウロと違って、パウロの模倣犯たちは、悪霊と悪霊にとりつかれている人に、散々な目にあいます。私たちも注意しないといけないことであります。生半可な気持、またエクソシストのような映画の見過ぎ、または、癒しの賜物をもった人たちの真似をして、「イエス・キリストの名によって、おまえたちに命じる」と言ったところで、「イエス・キリストのことは知っている、しかし、おまえは何者だ」と言われのがおち、恥をかくだけでなく、悪霊たちに霊的な攻撃を受けるかも知れません。

私は、教職者の方で、これを行なっておられる方を知っていますが、返って「大丈夫かな」って心配してしまいます。なぜなら、その方がその賜物を受けているとは到底思えないからです。「生兵法は怪我の元」という言葉がございますが、まさにそういうことなのではないかと思えるのです。そのようなことを聞くたびに、その方に災いが起こりませんようにと祈ります。

エペソではこのことにより、魔術を行なっていた者が、イエス・キリストの信仰に入り、高価な書物を、皆の前で焼き捨てました。銀貨5万枚の値段ということですから、銀貨がデナリ銀貨だと1日の日当分、仮に日当を1万円だと考えますと、銀貨5万枚は5億円ということになります。

さて、二つ目の出来事は、銀細工職人のデメテリオが、パウロを営業妨害で訴えたことが起因しての町中の大混乱です。デメテリオたち、銀細工職人は、銀でアルテミス神殿の模型を作り、信仰の対象として、販売し、かなりの収入を得ていたのでした。あたかもどこぞの高価にみせた壺を売りつける宗教家とおなじではありませんか。その販売を、パウロが邪魔をして、死活問題となったと抗議するだけでなく、パウロを追い出すため、女神アルテミスが軽んじられたと市民に訴えかけ、暴動に近い騒ぎとなりました。しかし、町の懸命な書記官が、この騒ぎの鎮静化を理性的にはかり、集まりを解散させます。

ここで19章は終わることとなりますが、私は、この二つのエピソードはとても興味深く感じました。一つは、自らの職業である魔術を放棄し、高価な巻き物を焼き捨て、決別し、信仰へと入り、新たな人生を歩んで行く。もう一つは、職業を脅かされそうになり、パウロの伝えるキリストの福音に聞く耳をもたず、生活の安定を中心とする生活に戻る。生活の安定はとても大切なことではありますが、それ以上に、真実なる神を知り、その神に仕え、永遠のいのちに通じていることを悟ることのほうが大切ではないでしょうか。この世の出来事は、永遠に比べると、いえ比べることができないほど、一瞬で終わります。魔術師たちは、そのことを理解したのです。この世だけに目を置くと、空しいことになることを。

私は、この出来事を読み進めていくところで、イエス様が神殿で暴れた時のことを思い出しました。マルコの福音書では、次のように記しています。●「イエスは宮に入り、その中で売り買いしている者たちを追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰かけを倒された。また、だれにも、宮を通って物を運ぶことをお許しにならなかった。」そして●『わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる』とイザヤ書56章7節を引用されました。これは、イエス様の『宮きよめ』というタイトルがついているエピソードであります。イエス様のいらっしゃるところが祈りの家です。祈りの家は神殿であり宮です。そして、聖霊様がお住まいになられるのも神殿であり宮です。

そして、パウロは、コリント人への第一の手紙6章で、「聖霊の宮」について証ししています。

15節●「あなたがたのからだはキリストのからだの一部なのです。」

キリストのいのちの一部でもある。

17節●「主と交わる者は、主と一つの霊になるのです。」

キリストとの霊的なつながり。

19節●「あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神からうけた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。」

キリストとの主従関係。

20節●「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現わしなさい。」

キリストの愛ゆえに生かされ、神の栄光を現わす器。

魔術師たちやキリストの名によるバプテスマを受けた12人は、このことを理解できた、いえ完全に理解できなくても、主を信じ主の道を歩もうと決心したのではないでしょうか。

私たちは、神の栄光を現わす器であります。神の栄光を現わす方法はいろいろとあるかもしれませんが、聖霊の宮は、祈りの家でもあります。新天新地での私たちの第一にすることが、賛美と祈りであるのなら、神の栄光を現わすのも賛美であり祈りであるでしょう。とくにイエス様が「祈りの家」とおっしゃるのですから、「祈り」はイエス・キリストを信じる私たちにとっては、信仰的に生きている証拠であり、息をするのと同じぐらい自然で不可欠なことではないでしょうか。

私たちは、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けたからには、私たちはイエス様と一体化したのです。そして祈りを通じてイエス様と対話をさせていただくのです。祈りによって、イエス様が私たちの主であることの証しとなります。また祈りによって、私たちがイエス様に絶大なる信頼をおき、期待している証拠ともなります。

さて、ここで、天国長屋の八さん熊さんに登場していただきましょう。八さん、熊さん、イエス・キリストの名によるバプテスマを受け、イエス様と一体となるという認識はございますか。

―――――

八: 若さん、なにゆうてんねんな。わてら、「イエス様ばか」の三ばかトリオやないかいな。

「イエス様やったらどうしはるか」ちゅうことをいつも考えて行動しよな、

ちゅうて言うた、言い出しっぺは若さんやないかいな。なあ、熊。

熊: そうや。そうやったな。そのためには、いつもイエス様と会話しとかなあかん。

「祈り」ちゅうてしもたら、なんか、祈りの姿勢をとって真剣に祈る感じがするけんど、

わては、なんかもうちょっとカジュアルちゅうか、イエス様とお話する、会話する

ちゅう感じなんやな。「おしゃべり」ちゅう感じの時もあるなぁ。

八: 熊はどちらかとゆうたら無口なほうや。その熊がイエス様と「おしゃべり」かいな。

熊: わては、確かに人前では、なかなかうまくしゃべられへん。

けんどなぁ、心ではイエス様といっぱい話してんやでぇ。

八: へぇ、たとえば?

熊: たとえばやなぁ、、、わて、ちょっと今、歯がいたいねんけどなぁ。なかなか行く時間が

つくられへん。そやから、「イエス様、ちょっとだけ痛みおさえてください」ちゅうて

お願いするねん。そうすると、なんや痛みが少しやわらぐねん。まあ、遅かれ早かれ、

歯医者には行かなあかんねんけどな。もう5・6年行ってないからな。

どっか、ええところありまへんかいなぁって、今イエス様に聞いているところや。

八: イエス様がええ歯医者教えてくれるとええなぁ。

熊: きっと、イエス様教えてくれはる。それは確かや。けんど、はよしてほしいわ。

ところで、八は、どうなん。イエス様とお話ししてるか。

八: してるでぇ。今年のクリスマスはなにくださるのかって。

熊: あほ、それサンタはんのお仕事やないかいな。八は、いまでもサンタはんに

おねだりしているのかいな。

八: おねだり、っていうな。聞こえ悪いやないかいな。

熊: 神様に何かお話ししてんのかって聞いてるんや。サンタはんやないで。

八: わかっとるがな。わてな、神様がわてに何を期待してはるんか、教えてぇって。

何がわてにできるかって聞いてるんや。

熊: 神様がわてらを用いる時は、わてらの準備が整った時や、と、わては思てんねん。

わてらが何か「したい」という思いが与えられるのも、神様や聖霊様の働きや。

けんど、それが自分の思いこみちゅうこともある。

八: ほんなら、それを区別するときにはどうすんねんや。

自分の思いこみなんか、それとも神様のお働きなんか。

熊: わてにもよう分からん。けんど、思いこみでもええから、思いが与えられたら、

いったんはその思いにしたがったらええんとちゃうか。

もしも、それが神さまのみこころとちゃうかったら、その道は閉ざされるやろう。

八: もし間違ってたら遠回りすることにならんか。

熊: 遠回りしてもええやんか。主が、その遠回りを益にかえてくださるって。

八: なるほどなぁ。遠回りを益にか。それって、なんか元気もらうなぁ。

熊: まあ、神様には遠回りも近回りもあれへん。すべては神のご計画やさかい。

八: 熊の歯医者が示されへんのも、示されるのも、神様のご計画やちゅうことやな。

熊: まあ、そろそろ、教えてほしいけんどね。歯がいとうでしゃあない。

八: けんど、神様とおしゃべりしてるちゅうことは、そん時は神様の方をむいているんやから、

ええこっちゃな。

熊: ほんまやな。祈りでもおしゃべりでも、神様と面と向かってしてるんやから、

その時間が長ければ長いほどええんやな。

八: さっき、若さんゆうてはったやろ。バプテスマちゅうのは「一つとなる」ことやゆうて。

熊: そやな、イエス様とひとつとなる、つまりは、結婚するちゅうこっちゃな。

結婚するんやから、長い時間をいっしょに過さなあかんちゅうこっちゃ。

八: 「一つとなる」ために、いっぱいお話しせなあかんちゅうこっちゃな。

熊: せや。若さん、一体となるちゅうことは、結婚するちゅうことやし、

神様といっぱいお話しするちゅうこっちゃな。

―――――

八さん、熊さんありがとうございます。神様と一体となるということは、神様といっぱいお話しして、時間を過ごすということですね。バプテスマは、そのはじまり、結婚式みたいなものです。

さて、今日も宣言いたしましょう。神様と結婚し一心同体となる、というのも何かイメージがわきませんから、「神様といっぱいお話しします!」ということにしましょう。では、3回宣言いたします。

「神様といっぱいお話しします!」、「神様といっぱいお話しします!」、「神様といっぱいお話しします!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇81篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書14章13節。

「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです。」

黙想いたします。詩篇81篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:目をイエスにむけて

https://www.youtube.com/watch?v=8_RUJz3pLM4

賛美⑨:きみはわれのまぼろし

https://www.youtube.com/watch?v=ikOwwFzPxh4

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の12月24日 午後5時から小阪チャペルにて、主日礼拝。

聖書: 使徒の働き20章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/