· 

メッセージ主題:『分かち合う人生』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2023.12.31主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2023年12月31日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:感謝します

https://www.youtube.com/watch?v=71X_0s8Lq3g

賛美②:あなたがすべて

https://www.youtube.com/watch?v=f4AdnEmMQjQ

賛美③:種(12月)

https://www.youtube.com/watch?v=nEc2dPltgNI

賛美④:感謝の心

https://www.youtube.com/watch?v=BsTZK7qjNFE

賛美⑤:感謝せよ(第2歴代誌20)

https://www.youtube.com/watch?v=z8_LWwxrm4s

賛美⑥:わたしを守る方

https://www.youtube.com/watch?v=UydF7FM8hSY

【YOUTUBE配信開始】

2023年の年間聖句は「山上の説教」マタイの福音書5章3節~10節の8つの幸いです。

いっしょに唱えましょう。(新改訳聖書2017)

第1の幸い(マタイの福音書5章3節)

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(自分ではどうしようもなく、主の力と知恵を求めるしかないと思っている人)

第2の幸い(マタイの福音書5章4節)

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」

(どうしようもなく罪を犯してしまう、そのことを悲しみ悔いる人)

第3の幸い(マタイの福音書5章5節)

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。」

(自分を無力でどうしようもないものだと、へりくだらざるをえない人)

第4の幸い(マタイの福音書5章6節)

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」

(自分の中にある罪を憎み、義である主を求める人)

第5の幸い(マタイの福音書5章7節)

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(主を知ることで、憐みをおぼえ、主のように、他の人に憐れみをかける人)

第6の幸い(マタイの福音書5章8節)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神をみるからです。」

(悔い改めを通して、主に聖くしていただけると信じる人)

第7の幸い(マタイの福音書5章9節)

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」

(神との関係を、創造主と創造物の関係に、修復された、主の証し人)

第8の幸い(マタイの福音書5章10節)

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

(信仰に堅く立ち、この世と調子を合わさない人)

●2023年12月31日 主日礼拝メッセージ クリスマス・イヴ

「使徒の働き」とは

復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。

そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。

(会衆)

イエス様の復活の確信

神の国の理解

聖霊の満たし

エクレシア(信仰者の集まりと交わり)

●聖書拝読:使徒の働き第20章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹

中心聖句:

「このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」(35)

メッセージ主題:『分かち合う人生』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

先週、燭火礼拝をさせていただき、使徒の働きからはなれました、2週間ぶりとなりますからから、ほんの少し、おさらいをしたいと思います。

使徒の働き18章で、パウロは、アカイア州コリントの隣町ケンクレアで、それまで誓願をたてて伸ばしていた頭髪をそりました。その誓願が何かは分かりませんが、今回の伝道旅行で一応の成果が得られたということなのかもしれません。そして、船でエペソに渡り、また船でパレスチナ州のカイザリアに到着し、エルサレムへ行き、宣教の報告をし、故郷アンティオキアに帰りました。第2次伝道旅行の終わりです。しかし、パウロはすぐに第3次伝道旅行を始めます。陸路を通って小アジア(今のトルコ)のエペソに行き、そこで約2年と3か月滞在し宣教します。執筆者ルカは、19章では、そのエペソでの宣教の様子と困難を記しています。さて、20章では、エーゲ海を反時計回りにぐるりと回って、アカイア州(ギリシア)のコリントまで行き、そこで3か月過ごしたのち、来た道を今度は時計回りにエーゲ海をぐるりと回って、港町トロアスまで来ます。そこで、1週間滞在している時に、パウロの長い長い説教中にウトウトしてしまった若者が3階から落ちて死んでしまったのを生き返らせるという奇跡的エピソードをさらりとルカは挟んでいます。他に特筆することがなかったかもしれません。トロアスを後にして、エペソに寄港することなしに、船旅でエペソ近くの港町ミレトスまで行き、そこで、エペソの長老たちを呼び出し、彼らを励まし、そして、いっきに五旬祭に間に合うように、パレスチナのエルサレムにむけて出発します。ここまでが20章のあらましであります。この20章は、第3次伝道旅行の旅程が示されていて、その間に先ほどの、トロアスでの若者の死と生き返らせる奇跡とミレトスでのエペソの長老たちに対するはげましをルカは記しています。今日はそのエペソの長老たちを励ますパウロの言葉を選ばせていただき、主からの導きを得たいと思います。

18節からのエペソの長老たちに贈るパウロの言葉には、パウロは死をも覚悟している様子です。24節●「私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。」もちろん、パウロはいつも死を覚悟しつつイエス・キリストの福音を伝えていたのかもしれませんが、22節で●「私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。」と聖霊によって言わしめられている様子から、エルサレムでのユダヤ人による迫害を想定していて、それが死に至るかもしれないと考えていることがヒシヒシと伝わってきます。

そのパウロがエペソの長老たちに最後のアドバイスとしていろいろ注意すべき点をあげているのですが、そのアドバイスの最後として、主イエス様のお言葉、『受けるよりも与えるほうが幸いである』を引用して、弱い者を助ける、与える喜びと幸いを伝えています。

たしかに、「受けるよりも与えるほうが幸いである」とは真理です。私も、「出せば入って来る」を数十年実感している者です。お金だけではなく、知恵を出し、労力を出し、祈りをし、手助けをすれば、それがまた回り回って時を越えて形を変えて帰って来る。それがお金の時もあれば、品物の時も、また必要な手助けの時もあります。神様が私の必要に応じてその時々に与えてくださるのです。見返りがほしくて「出す」のではありませんが、与えるという行為に喜びが伴わないと何の意味もないのではないでしょうか。(間をおいて)まあ、ときどきはしゃーなしに始める時もあるでしょうが、途中から喜びが湧きあがってくるのです。神様の憐れみですね。

「与える」という行為ですが、ある人がこうおっしゃいました。「与える」という行為には優越感が伴うと。確かにそういう側面もあるでしょう。がしかし、上から目線というより、「もらっていただく」と言い換えればいかがでしょう。優越感がともなうから「与えない」というのは、屁理屈ではないでしょうか。「与えない」口実をつけてしまっているだけのような気がします。それは、おすそ分けの気持ちと同じですよね。「もらっていただく」という気持ちは大切ですね。

またある人は「与える」時には、その人が益となるものを与えなければならないとおっしゃいます。なんでもかんでも与えればいいというものではないと主張されます。それはごもっともな意見です。何が相手に対して一番いいことなのかを、神様にお伺いし、祈って与えるなら与える、与えないなら、その理由も伝えることも大切なのかもしれません。子どもがよく、「ちょうだいちょうだい」といっておねだりするときがありますが、もらった時点で、満足してしまって、後は見向きもしない、まあ、しばらくは大切にしたとしても、じきにほったらかし、ということは多々あります。彼らにとって本当に必要なものは何なんだろうと考えさせられます。

こうなると適切なる「与える」という行為は、きちんと考えて、祈ってからするものであるように思えてくるのです。私のように、「出せば入って来る」というように安易に考えてはいけないのではないか。このメッセージを導かれている時、反省しきりでございました。「人を助ける」ことも同じではないでしょうか。パウロは、「労苦して弱い者を助けなければならない」と告げます。では、パウロの言うところの「労苦」とはいったいなんでしょうか。

パウロはテントメーカーでした。つまり、自立型宣教師、仕事をして自分の生活費は稼ぎ、しかしメインは仕事をすることではなく、宣教することにあります。パウロは天幕作りを生業としていました。ですから、33節34節●「私は、人の金銀や衣服を貪ったことはありません。あなたがた自身が知っているとおり、私の両手は、自分の必要のためにも、ともにいる人たちのためにも働いて来ました。」ある意味、パウロのプライドとも取れなくはありません。自分自身が働いて稼いだお金を生活費に回すだけでなく、必要に応じて、他の人のサポートをするということであります。もちろん、パウロもずっとテントメーカーをやっていたわけではありません。宣教に専念していたときには、それなりのサポーターがいました。しかし、彼が人の金銀や衣服を貪ったことはないと主張するように、サポートを要求していたのではなく、いただくもので満足していたということだと思います。また、いただいた物の中からも、工面して他の人の助けに用いたということではないでしょうか。

では、私たちはどうでしょうか。私たちは自分の教会以外に何をどのぐらいささげているでしょうか。私は献金というお金のことだけを問題にしているのではありません。労働や知恵、それに最も大切なのは祈りです。困っている方々にどのような手を差し伸べているでしょうか。まず、時間を割いて祈っているでしょうか。私は、祈りの乏しいものであることを、告白せざるをえません。自分の仕事や任務のとこで手一杯の時も多いのです。

さて、ここで、天国長屋の八さん熊さんに登場していただきましょう。八さん、熊さんは、誰に何をどのように与えている、または与えたいとお思いでしょうか。

―――――

八: イエス様のお言葉「受けるよりも与えるほうが幸いである」というお言葉、

福音書にはどこにものっていいひんけど、さぞかし有名なお言葉なんやろなぁ。

それに、むやみやたらと与えるんやのうて、若さんのいうように誰に何をどのように

与えるのかがとても大切なんやろうな。

『わてには、金銀はない、せやけどわてにあるものを与えよう。

ナザレのイエス・キリストの名によって幸せになりなさい。』

熊: ちょっと、待って。それって、ペテロはんのパクリやないかいな。

確か使徒の働き3章6節。

八: お、八ようわかったな。究極には、わてらはイエス・キリストの福音を差し上げるしか

ない。その人たちが本当の幸せをつかむにはや。

熊: けんど、今お金やほかの必要なものがいる人に、イエス様の福音って伝わるんやろか。

この時のペテロはんも、「ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、

歩きなさい」ちゅうって、その人に癒しを与えはった。

イエス様の福音は、その後で伝えはったんやないやろうか。

八: そやなぁ。まず、必要なもんが与えられるから、福音が伝わるちゅうことにもなる。

熊: けんど、わてらは、何を差しおいても、まずは祈りや。

あのペテロはんの言葉も祈りともとれる。

とりなしの祈りをして、それから手助けができる場合は、その手助けをする。

八: せやな。祈りをしてから、その人が本当に必要な物を教えてもらわなあかんわな。

熊: けんど、わてやっぱり「与える」っていう言葉に少し抵抗あるわ。

戸惑うちゅうか、なんか上から目線でえらそうやないか。

わてら、あげたりもらったりの、貸したり、借りたりのやりやいやわな。

八: とくに、この長屋ではな。「醤油がきれたから貸して」とか

「パンツのゴムが切れたから貸して」とか。

熊: 人のパンツ借りんのかいな。

八: あほ、パンツやのうて、ゴムのほうや。

熊: さよか。安心したわ。せやけど、今どき、ゴムが替えられるようなパンツはいとるん

かいな。

八: ほっといてんか。それのほうが節約できるんやって。

長屋の連中は、みんな貧乏やけど、貸し借りやおすそ分けには気がええ。

熊: せやな。この前なんか、ミカンぎょうさん送って来たからゆうて、

梅ちゃん、10個ずつぐらいみんなに配ってた。

八: はいな、あのミカンおいしかったなぁ。みんな、そうやって分け合って暮らしている。

気のええ連中ばかりや、この長屋は。

熊: 八、それやそれ。

八: なにが、それやそれなんや。

熊: 分け合うちゅうこっちゃ。

八: シェアリングなぁ。

熊: なんや、そのシェアリングって。指輪がどうしたって?

八: 指輪?そのリングの話やない、ほら、カーシェアリングちゅう言葉もあるやないか。

車を買うんやのうて、いろんな人と一つの車を使うんや。

熊: なんや、使いまわしか?

八: 「使いまわし」ちゅうたら、なんか聞こえが悪い。分かち合いや。

熊: それをシェアリングちゅうんかい。なんでもカタカナでゆうたら、

カッコええと思てんねやろ。

八: そや、ちょっとカッコええやろ。それに。「分かち合い」ちゅうのと

「分け合い」ちゅうのとでは意味がちょっとちごてくるけんど、シェアリングやったら、

いっしょや。もっと広い意味やとわては思うねん。物も気持ちもシェアリングできる。

それに福音もシェアリングや。イエス様をシェアするわけや。

熊: なるほどなぁ。かっこええだけやないんや。それに、八の話から感じたのは、

必要なものだけをシェアリングするんやのうて、おすそ分けと同じで、

ミカンをもろて嬉しかったから、その嬉しさを分かち合う、ミカンを分け合う。

八: わてらは、「相手の必要に応じて」と考え過ぎなんかもしれん。

そんなことお構いなしに、シェアリングしたら、ええのんかもしれんな。

な、若さん。金銀はわてらにはないけど、それ以外の物や気持ち、それにイエス様を

シェアリングするちゅうのは、イエス様の「受けるよりも与えるほうが幸いである」

ちゅうお言葉にそうたものとちゃいますやろか。

―――――

八さん、熊さんありがとうございます。「シェアリング」ですか、いい言葉ですね。分かち合いのことですが、物も気持ちも考えも、そしてイエス様の福音もシェアリング。もちろん、財産とかは別にした方がいいですね。初代エルサレム教会では、財産家が土地などを処分して、持っている物をすべて差し出し、困っている信者の方々に分け合いました。その行為はまことに美しいものでしたが、困っている人たちは、働かなくなり、財産家は、土地や建物からの収入がなくなり、教会は行き詰まっていきました。この財産のシェアリングはうまく行きませんが、他のシェアリングはお互いの益となるのではと思います。いえ、お互いの益のためにシェアリングをすべきでしょう。今日はこのことを覚え、「益となるようにシェアリングします!」と宣言します。

では、3回宣言いたしましょう。

「益となるようにシェアリングします!」、「益となるようにシェアリングします!」、「益となるようにシェアリングします!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇49篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書25章40節。

「まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」

黙想いたします。詩篇49篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:ありのままを

https://www.youtube.com/watch?v=lqtNno4LN_Y

賛美⑨:幸せ、Happiness

https://www.youtube.com/watch?v=JqBChceAbqk

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

今夜は、11時30分から12時15分ごろまで、賛美と祈り、カウントダウン新年待望賛美祈祷会です。

明日は、1月1日元旦礼拝11時から1時間ほどです。

次回の主日礼拝は、1月7日 午後5時から小阪チャペルにて。

いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。

聖書: 使徒の働き21章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/