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メッセージ主題:『主に従順なる人生』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2024.1.7主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2024年1月7日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:丘に立てる荒削りの

https://www.youtube.com/watch?v=HUY54RuEOdU

賛美②:鹿のように

https://www.youtube.com/watch?v=cU-r7dYIj58

賛美③:感謝します(1月)

https://www.youtube.com/watch?v=71X_0s8Lq3g

賛美④:雨をふりそそぎ

https://www.youtube.com/watch?v=4k4vGbpZpng

賛美⑤:静まって知れ

https://www.youtube.com/watch?v=cF8vUKQAhwM

賛美⑥:聖霊来れり

https://www.youtube.com/watch?v=ncujrDVT8eg

【YOUTUBE配信開始】

2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。

年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。

●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)

するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。

人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。

イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、

パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。

また、二匹の魚も皆に分けられた。

彼らはみな、食べて満腹した。

そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。

パンを食べたのは、男が五千人であった。

●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)

イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。

「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」

●2024年1月7日 主日礼拝メッセージ

「使徒の働き」とは

復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。

そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。

(会衆)

イエス様の復活の確信

神の国の理解

聖霊の満たし

エクレシア(信仰者の集まりと交わり)

●聖書拝読:使徒の働き第21章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹

中心聖句:

「これを聞いて、私たちも土地の人たちもパウロに、エルサレムには上って行かないようにと懇願した。すると、パウロは答えた。「あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。」彼が聞き入れようとしないので、私たちは「主のみこころがなりますように」と言って、口をつぐんだ。」(12-14)

メッセージ主題:『主に従順なる人生』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

まず初めに、能登半島地震の被災者の方々のために、その救援のために動かれておられる方がのためにお祈りいたしましょう

(祈り)

1月元旦に起こった能登半島地震の規模の大きさが明らかになるにつれ、私はダニエル書の9章にあるダニエルの言葉を思い出していました。少し長いですが、お読みしたいと思います。お聞きください。ダニエル書9章4節から19節までです。

●(ダニエル書9章4節~19節。朗読)

これは、私たち、クリスチャン、主を知る者に告げられている警告であり、嘆願です。先に救われた私たちが、私たちの神、主の御声に聞き従っていないからです。世界中にある教会が、人間の考えで行動し動かされていることが多く、神のみこころがなんであるかを聞く時間すら持っていないからです。もちろん、私も主のみこころを聞くことをおろそかにしているひとりです。私は最近、地震などの自然災害が、創造主である神を知る者、クリスチャンだけにとどまらないとは思いますが、その私たち自身の信仰の『ていたらく』が原因ではないのかと思わされています。「主のみこころ」を知ろうとしない、また知っても従わない。能登半島地震の被災者の方々のご不便や痛み、苦しみは、私たちに責任があるのではと思わされています。南海トラフの大地震が予想されている中、能登半島地震は他人事ではありません。また、私たちの信仰のゆるみが、災いを引き起こす原因の一つともなっていると思うと、本当に本当に悔い改めて続けて行く必要があると思わされています。牧師である私も、なおなお、通りよき管として、主のみことばを語り、聞く方々にみことばがとどまり、ひとりひとりがそれぞれの「主の御旨、主のご計画」を知ることができるようにと祈らされています。

さて、使徒の働きに戻りましょう。

使徒の働き19章から始まったパウロの第3次伝道旅行は、21章でエルサレムへ行くことで終わります。エルサレムへの帰路の途中、パウロの弟子たちは、パウロがエルサレムへ行かないようにと説得します。なぜなら、律法を重視するユダヤ人がパウロを捕らえようと待ち構えているからでした。しかし、パウロはその説得に耳を貸しません。エルサレムに着いたパウロは、ヤコブたちと会い、宣教の報告をします。そして、五旬節(ペンテコステ)の祭りのためにエペソを州都とする小アジア州から来ていたユダヤ人たちに、パウロは神殿の境内で捕らえ、神殿の外に引きずり出され、そこで石打ちされそうになっていました。そこへ、ローマ軍の千人隊長がその騒動を鎮静化するために駆けつけ、パウロを兵営の中に連れて行こうとしました。そこで、パウロは、千人隊長にたのみこんで、民衆に話させてほしいと懇願し、許可され、階段の上からヘブル語でスピーチをします。このスピーチは、22章で、乞うご期待。スピーチの内容が気になるところですが、それは来週に。

さて、今日の中心聖句は、パウロの弟子たちは、パウロにエルサレムへ行かないようにと説得しようとするところにあります。弟子たちは、わざわざ捕まりにエルサレムに行くことはないと懇願します。しかし、パウロはすでに死をも覚悟していると聞く耳をもちません。そのパウロの決意の堅さに、説得するのをあきらめて、弟子たちは「主のみこころがなりますように」と言って、それ以上何も言うことはありませんでした。

「主のみこころがなりますように」とは、人の思いを断ち切って、主に従順を示すことばであります。人の計画や画策ではなくではなく、主のご計画がなりますように。もちろん、私たちが神様のご計画を承認する姿勢ではなく、神様のご計画に従う者にさせてくださいと告白することです。では、そもそもですが「主のみこころ」とは何でしょうか。

パウロはエペソ人への手紙で次のように語っています。

●1:1「神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロ」

パウロは、神の召しに従いました。

●1:5「神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」

神のみこころは愛のご計画。

●1:9-10「みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。」

神のみこころとは、私たちを救う神のご計画。

●1:11「またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。」

神のみこころとは、私たちは天の御国を受け継ぐ者とされるご計画。

総じて、神のみこころとは、私たちを罪の世界から救い出し、天の御国を受け継ぐ者として選ばれた愛のご計画。それは、御子イエス・キリストを通してなされるご計画。

そして、その神のみこころがなされますようにと、イエス・キリストは主のいのりのなかに、そのことを盛り込みました。

●マタイの福音書6:10

「御国が来ますように。みこころが天で行われるように、(同様に)地でも行われますように。」

神の愛ゆえの救済のみこころが、天で行われるだけではなく、この地上でも行われることを願うもので、イエス様が示してくださった「主のいのり」の一部ですが、これは、天での平安と喜びが、この地上でも得られることを裏付けています。

またイエス様が十字架に架けられる前のゲッセマネでの祈りでも、父なる神への従順を示しています。

●マタイの福音書26:39

「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」

●マタイの福音書26:42

「わが父よ。わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように。」

●ルカの福音書22:42

「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」

イエス様は、御自身が十字架にかかって死に三日目によみがえること、それは神様のご計画であることをすでにご存知でしたが、それでもなお、十字架にかかることの躊躇、人間的な命への執着が見え隠れします。が、しかし、最後に父なる神のご計画に従順にしたがう姿勢を見せています。このみこころには、選択の余地がありませんでした。イエス様はわざわざ、私たち人間に、人間的な「生きたい」という命の執着をお示しになり、その上で、父なる神様に従順に従うことの大切さ、いえ、大切さというよりは、私たちが救いにあずかるための絶対性を明らかにされ、その姿勢こそが、すべてにおいての救いの道であることをお示しになられたのです。

また、イエス様の母であったマリアも未婚の母という下手をすれば死罪になる可能性がある妊娠を、そしてその子供が聖霊によるもので、神の子と呼ばれると、御使いによって告げられ、躊躇しつつも、謙遜にその自分の運命にしたがいます。

●ルカの福音書1:38

「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」

十五六歳の女の子が、なかなか言えない言葉です。それだけに、マリアは神に選ばれた器なのでしょう。神のみこころに従うということは、それだけ謙遜であり、従順でなければならないのでしょう。いえ、そのように導かれるのではないでしょうか、マリヤのように。また、そのようなマリアだから神がお選びになられたとも考えられます。

神がお決めになったことは、神はなにがなんでも実行されます。そのご計画とは、究極的には、私たちの救いのためだからです。私たちの道は、神のご計画に従順に従い、神に私たち自身をゆだねることにあります。神が私たちのために、私たちの戦いを戦ってくださるからです。神はその戦いはご自身の戦いとも考えておられるからです。

歴代誌第二では、そのことが如実に現わされています。ユダ王国の第4代国王ヨシャファテと戦おうと、モアブ人とアンモン人が大軍を率いて、かれに挑んできたとき、ヨシャファテ王は神に文句をいいました。大軍ゆえになすすべもなく、「どうにかしてください」と神に迫ったのです。そして、神はレビ人のハジエルを通して、その答えを出されました。

●歴代誌第二20章15節

「この大軍のゆえに恐れてはならない。おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである。」

神に拠り頼むとき、それが神のご計画なら、不可能と思えることでも可能にしてくださるのです。

詩篇には次のようなことばがあり、先人たちも、また、未来の人々にも、必要な命令なのであります。

●詩篇37:5

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」

私たちは、人間的な知恵や力や努力で、なんとかしよう、なんとか乗り切ろうと思っている時があり、あくせくし、あたふたし、もんどりうってしまうことがあります。それは、ある意味仕方がないことなのかもしれません。しかし、そこに平安はございません。もちろん喜びもありません。

しかし、パウロもパウロの弟子たちもマリアもそしてイエス様も次のことばを吐露して、平安を得たのです。

●「主のみこころがなりますように」

さて、ここで、天国長屋の八さん熊さんに登場していただきましょう。八さん、熊さんは、「主のみこころがなりますように」と祈ったことがありますか。

―――――

八: 「主のみこころがなりますように」って祈ってるけどな、

「わての都合のええみこころにしておくんなさいね」って付け加えてる。

熊: あほ、それやったらなんにもなれへんやないかいな。

「八の都合のええみこころ」って、結局は八の要望やろ。

八: 熊、考えてもみてみぃ。「主のみこころ」ってなんや。どうやったらわかるんや?

熊: わても、よう分からんけど、わてらが毎週唱えているローマ人への手紙12章の2節に

こうあるよな。●「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにする

ことで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、

何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」って。

神様に自分を変えていただくことで、神のみこころが分かる、ちゅうねんけんど。

どやろ?

八: どやろって、こっちのせりふや。神様と一つ心になろうとすると、神様のみこころが

分かるんかもしれへんな。けんど、それがなんぎや。神様と一つ心となる、

それができるんやったら苦労せん。

熊: たしかになぁ。神様と一つ心やったら、神様の考えが分かる。

けんど「神様の考えが分かった」と思てしまうのも傲慢やわな。

創造主と創造物が同じ土俵にたてるわけがあれへん。

八: せやろ。せやから、わては「主のみこころがなりますように」とも祈るけど、

「わての思いが主のみこころでありますように」っても願うんや。

んで、熊はどうなんや。

熊: 「主のみこころがなりますように」って祈ってるよ。

「主のご計画を明らかにしてください」とも祈ってるな。主のご計画が分からへんから。

けんど、主は計画しはったことを、必ずやりはるねん。わてらがどないあがいても、

それにあらがってもな。それやったら、早めに降参した方が楽や。

若さん、みてみいな。アメリカにおる時に牧師になりなさいって神様に言われてんのに

お金がないからという理由で断って、2回目は、子育てで忙しいしバブルの時の

マンションのローンがあるからちゅうことで、牧師になるのを断って、そんで58歳の

時に、再び、神様が牧師になりなさいちゅうて、その時にもローンも同じように

残ってたけんど、もう降参したちゅうてたな。残りの人生、神様にささげたいちゅうて。

あれだけ、牧師は大変や、人のいのちをあずかるんやから、大きな責任がある。

信者でいたほうがよっぽど楽やちゅうてた、あの若さんがあんとき降参したのには、

びっくらポンやったわ。

八: ほんまやったなぁ。晴天の霹靂ちゅうかな。73歳でローン地獄から解放されたら、

仕事やめて、教会のお掃除係するんや、ちゅうてたもんな。

熊: 神様は、ご計画を曲げへん方や。引き延ばすことはあるかもしれんけどな。

せやから、若さんのように、2回もあらがって、3回目で降参するんやったら、

初めっから降参しておけば、もっと主に仕えることができたんとちゃうやろか。

ローン地獄なんか関係ない人生送れてたんとちゃうやろか。

八: そうかもしれんな。けんど、1回目も2回目も「主に従う」勇気がなかったんとちゃう

かな。なにせ、あんなに嫌がってた牧師の仕事やから。なっとくでけんかったんやろな。

1回目で降参してたらどうなってたかなんて、誰にも分からん。分かってるのは、

3回目で降参して、不思議な導きで牧師はんにさせてもろて、苦労も多いけど、

以外とストレスが少ないちゅうてたな。

熊: まあ、若さん、「神様責任取ってくださいね」ちゅうのが最近の口癖やからな。

八: 若さん、牧師になる前よりいきいきしていることは事実や。

若さんの場合は、「主のみこころがなりますように」ちゅうよりも、

「主に降参したんですから、主が責任を責任をとってくださいますように」

ちゅうて祈ってはるんかもしれんな。

な、若さん、図星やろ!いや、図星でのうても、近い線いっているんとちゃうかな。

な、若さん。

―――――

八さん、熊さんありがとうございます。「神様、責任とってくださいよ」って言っているのは、冗談ぽく言ってみてるだけですからね。まあ、半分は本気ですが。「主のみこころがなりますように」というのは、本当に主に降参した時、白旗を上げた時に、出る言葉ではないでしょうか。しかし、主に降参したからといって、消極的になる必要はありません。逆に積極的に主とかかわって行かなければなりません。「主のみこころがなりますように」は、人生をあきらめている表現ではありません。逆に主に期待している表現です。主はわたしたちにとって本当に良いことをご計画で、主に従うことが最善なのであります。そうは思えない時も多々あるでしょう。しかし、高所に立って、現在過去未来をつかさどる主の目に間違いがあろうはずがありません。どうか、「主のみこころがなりますように」と祈りの度に心の中で唱えてみましょう。

さて、今回も宣言をいたします。宣言はポジティブに、「主に信頼し期待します」です。

では、3回宣言いたしましょう。

「主に信頼し期待します!」、「主に信頼し期待します!」、「主に信頼し期待します!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇108篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書11章6節。

「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」

黙想いたします。詩篇108篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:天にあるもの

https://www.youtube.com/watch?v=S-n_6nJKgTc&list=PLGziwKMzpOihrzfRR6loIY6daf2C2CUx8&index=15

賛美⑨:主に賛美

https://www.youtube.com/watch?v=v5V7Ay1ogNQ

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の主日礼拝は、1月14日 午後5時から小阪チャペルにて。

いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。

聖書: 使徒の働き22章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/