· 

メッセージ主題:『主に罪を告白し続ける人生』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2024.1.14主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2024年1月14日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:カルバリ山の十字架

https://www.youtube.com/watch?v=5Npifzvf7cA

賛美②:主はあなたを守る方

https://www.youtube.com/watch?v=f5mSHQkx8es

賛美③:感謝します(1月)

https://www.youtube.com/watch?v=71X_0s8Lq3g

賛美④:十字架のかげに

https://www.youtube.com/watch?v=8dq4uQd8CjU

賛美⑤:主は道をつくられる

https://www.youtube.com/watch?v=ZvjuibW1yuU

賛美⑥:主よささぐる

https://www.youtube.com/watch?v=8r6_Fj2j59g

【YOUTUBE配信開始】

2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。

年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。

●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)

するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。

人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。

イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、

パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。

また、二匹の魚も皆に分けられた。

彼らはみな、食べて満腹した。

そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。

パンを食べたのは、男が五千人であった。

●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)

イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。

「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」

●2024年1月14日 主日礼拝メッセージ

「使徒の働き」とは

復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。

そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。

(会衆)

イエス様の復活の確信

神の国の理解

聖霊の満たし

エクレシア(信仰者の集まりと交わり)

●聖書拝読:使徒の働き第22章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹

中心聖句:アナニアの言葉

「私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」(14-16)

メッセージ主題:『主に罪を告白し続ける人生』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

使徒の働き22章は、エルサレムでの混乱の渦中にあるパウロの弁明であります。パウロが異邦人に律法を守らなくてもいいと言っている、とのデマによる混乱に対して、パウロがどのようにして、キリストの迫害者から、キリストの宣教者に変えられたかをユダヤ人たちに伝えます。しかし、パウロの弁明をおとなしく聞いていたユダヤ人たちが、急に「パウロを生かしておくべきではない」と叫び始めました。そのことで千人隊長は、ユダヤ人たちがなぜパウロの対して怒鳴っている理由を知るために、パウロをむち打とうとしますが、パウロが「自分はローマ市民であり、裁判もせずにむち打つのかと訴え、それを聞いた千人隊長は、ローマ市民であるパウロを縛っていたことさえも恐れ、翌日、祭司長たちと最高法院に招集をかけ、その前でパウロに話をするように命じます。ここで22章が終わり、23章は最高法院の人々の前に立って話をするところから始まります。

今日のメッセージは、パウロがキリストの迫害者から宣教者に変えられた経緯(いきさつ)の中での、アナニアの言葉から導かれました。主の光の輝きのために目が見えなくなったパウロは、主が告げられた通り、ダマスコのアナニアのところに行って、キリストが主であることを告白し、バプテスマを受けました。アナニアに次のように言われたとパウロは告げます。●「さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」この言葉は勘違いしやすいものなので、きちんと確認をしておきたいと思います。

「その方の名を呼んでバプテスマを受け」とは、イエス・キリストの御名によって洗礼を受けるということですが、「自分の罪を洗い流す」のは、バプテスマ・洗礼を受けたからではありません。バプテスマ・洗礼は、『自分は主を信じ、主のものとなった』ことを公けにすることであって、バプテスマによって、罪が洗い流されるわけではありありません。イエス・キリストを信じた時点で、聖霊が心に下り、お住まいくださる、つまり罪の洗いが行なわれるのです。バプテスマは、イエス・キリストを信じたことのしるしでしかありません。では、このアナニアの言葉「その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい」をどのように解釈すればよいのでしょうか。英語の The New King James Version やほかの訳本では、このような順番になっています。「バプテスマを受け、その方の名を呼びつつ自分の罪を洗い流しなさい」。つまり、『イエス・キリストの御名によって罪を洗い流してもらいなさい』となり、『バプテスマを受ける』ことと、『イエス・キリストの御名によっての罪の洗い』とは、別物であるという認識であります。そして、このことは、イエス・キリストを信じた時点で、過去・現在・未来のすべての罪は赦されるという約束が成立したことを意味します。ということは、「悔い改めれば、同じ罪をなんど犯しても、なんどでも赦される」という原則に基づいていると言えます。

1ヨハネ1:9では、「罪を告白すれば、つまり悔い改めれば、赦される」ことが示されています。

●「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」なんとすばらしい約束でしょうか。神は、悔い改めの姿勢をもって、罪の赦しを願うなら、その願いに応じて、私たちの不義をお赦しくださるのです。

また、マタイの福音書では、ペテロがイエス様に「罪は何回まで赦されるべきでしょうか」と問い、イエス様はそれを次のように回答されました。18章22節●「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。」悔い改めれば、無限に赦されるということです。つまり、イエス様の赦しの恵みは無限であるということです。

そして、天の父なる神は、「赦さない神ではなく、赦す神である」ということです。

ペテロはペテロの手紙第二3章9節で次のように、神を語ります。●「主は、、、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」神は忍耐強く、私たちが悔い改めるのを待ち望んでいます。まして、イエス・キリストを信じるクリスチャンは、心の内に住み給う聖霊様によって、罪を犯しにくい性質へと変えられ、罪から遠くされるのです。詩篇103篇12節の唱える通りです。●「東が西から遠く離れているように、主は、私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。」

イエス様も聖霊がクリスチャンに働いて、罪について敏感にさせてくださることを明言しておられます。ヨハネの福音書16節7節~8節●「わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。」

イエス様は、聖霊という恵みを私たちにお与えくださり、私たちを主に似るものへとかえてくださるのです。

私たちは、「悔い改めれば赦される」という、主の大原則、大いなる恵みを、聖霊様が心にお住まい下さる時点で、すでに受けているのです。私たちは、罪人ではありますが、臆することなく、主の御前に進み出て、罪を告白し、その罪は赦されたことを確信すべきです。この主の恵みのお約束、「悔い改めれば赦される」に確信をもてなければ、何のためにイエス様は十字架にかかられ、また何のためにイエス様は三日目に死を克服してよみがえられたのでしょうか。どうか「赦される、赦された」確信を持たせていただきましょう。

さて、ここで、今日も天国長屋の八さん熊さんに登場していただきましょう。八さん、熊さんは、「悔い改めれば赦される」ことをどう思われますか。

―――――

八: 「悔い改めれば赦される」って、ほんまに感謝なことやけど、その確信にいたるまで、

えろう長い時間かかったような気がするわ。

熊: 八もそうか。わてもなぁ、赦された実感がなかったちゅうか。

たとえば、小さい時、お母んに怒られて、「ごめんなさい」ゆうたら、ニコッとして、

「ええよ」ゆうてくれて、ほっとする。ほんで抱きしめてくれたら、

「わて、赦されたんやな」って感じがしたんや。

八: そうや、そやろ! イエス様がこう抱きしめてくれはるちゅう、感覚が

なかなか分からへんかった。

熊: 「分からへんかった」ちゅうことは、「今は分かっている、

イエス様にハグされてるちゅうことが実感としてある」ちゅうことか?

八: 実際にイエス様がハグしてくださったことはないでぇ、当たり前やけど。

けんど、そのような気持ちにさせられたことはあるねん。ほら、イエス様がお話し中に、

人がいっぱいやったから、友達が屋上の瓦をはがして、中風の人の寝床をイエス様の

前につり下ろしはったということがあったやろ。ほんで、その人たちの信仰をみはって、

イエス様「友よ、あなたの罪は赦された」ちゅうて、お癒しになられた。

わてなぁ、その時、イエス様、その中風の人をハグしはったんとちゃうかなぁって

思てんねん。「友よ、お帰り」ちゅうて。(ルカ5章)

熊: 「お帰り」か。それって、イエス様の放蕩息子の話にでてくる父親が、

放蕩息子かけよって、ハグしてキスして「お帰り」ちゅうて言ってくれたんと同じやな。

(ルカ15章)

八: そうそう、そのイメージやねん、わての「罪赦された」ちゅうのはな。

イエス様に「おかえり」ってハグしてもらってるイメージ。

熊: 放蕩息子はわてらの事やからなぁ。わてらが神様の愛にそっぽ向いて、自分のことしか

考えんと、離れてしもた。そんで、ボロボロになって、親父はんである神様のもとに

戻っていく。けんど、親父はんのほうから迎えにきて、ハグして、「お帰り」や。

八: せやから、わてらがあっちやこっちや他の方を向いてしもてて、やっと悔い改めて

神様の方を向き帰ったとき、その瞬間に神様の方からギューってしてくださって、

「お帰り」、やねんな。その「お帰り」ものごっついええなぁ。

熊: 神様に赦されるちゅうのは、神様に「お帰り」ちゅうってハグしてもらうことなのかも

しれん。いや、きっとそうや。せやから、イエス様はあの放蕩息子の話をしはったんや。

八: そんで、熊は「悔い改めれば赦される」ちゅうて、「赦された」実感はいつからなんや?

熊: わてな、聖書のみ言葉は、すべて、真実やちゅうことを信じるようになってからや。 それまでは、自分に都合のええみ言葉しか、信じてなかった気がする。

み言葉の拾い読みやわな。これが「神様のみこころや」ちゅうって、

ええ時だけ「みこころ」オンパレード。ええ時も悪い時も、「神様感謝」ちゅうて

思わなあかんかったのにな。それがやで、いつもまにか、すべてを神様からの言葉やと

信じられるようになった。そうわての内におられる聖霊様が導きはったんやろなぁ。すると、今日若さんが出してはったみ言葉も真実で、「悔い改めれば赦される」ちゅうことが、素直に受け取ることができるようになった。

わてらは、人の罪を赦すことがなかなかでけん。せやから、神様も人の罪をそんなに簡単には赦しはれへんのとちゃうかって、勝手に思てしまう。

神様とわてら人間をおんなじの土俵にあげてしもたらあかん。

神様はわてら人間を愛して下さっておられるさかい、御一人子であられるイエス様をこの地上へとお送りくださって、わてら人類の罪を一切合切背負って、わてらの身代わりとなって十字架にかかられはった。イエス様の血潮によって、わてらは買い取られたんや、わてらを神様の養子として、ふたたび迎え入れるためにな。

せやから、イエス様を救い主として信じる人は、「お帰り」って抱きしめてくれはるねん。

聖書のみ言葉は、すべて真実やって、信じられへんかったら、「あなたの罪は赦された」

って、 なかなか信じられへんかもしれへんなぁ。わての昔みたいに。

八: 熊が「あなたの罪はゆるされた」って、信じられへんかったときは、どうしてたん?

熊: そらぁあれや。帳尻合わそうとしてたな。

八: 帳尻合わそうって、どういうこっちゃ?

熊: 罪を犯したら、その分、熱心に聖書読んだり、教会の奉仕したり、人に優しくしたり。

八: なるほどな、それが熊の帳尻合わせか。

熊: けんど、次第にしんどうなってきた。罪はイエス様の血潮で帳消しにされているんやと

思てるのに、なんでまた余計なことせなあかん? 

信じ切った方が楽や。信じ切った者勝ちや。

八: まあ、熱心に聖書読んだり、教会の奉仕したり、人に優しくしたり、することは

悪いこっちゃないけど、自分の罪の帳尻合わせにはならんわな。

そんなことで神様およろこびになれへん。神様に感謝して、神様に喜んで

「仕えたい」と思わな、なんもなれへんわな。

神様、これするから赦してな、ってゆうた矢先に、神様悲しい顔して、

「あほう、なんで息子のイエスをわざわざ送りだして、十字架にかけたと思てんねん。

そんなことしたら、イエスが無駄死にやないか。イエスが十字架で『完了した』

ちゅうたんは、あんたの罪を帳消しにしたからやで。なんで分かってくれへんねんな」

って言いはるねんな。まあ、神様、こんな変な大阪弁つかうかどうかは分からんけど。

熊: 大阪弁はともかく、そやねん。それに気がついたんや。

いや、聖霊様が気づきを与えてくださったんや。

八: さあ、そろそろ、時間やな。若さん、こんなところでよろしいでっか。

―――――

八さん、熊さんありがとうございます。自分の罪を自分の行ないで帳尻をあわせるって、とてもつらいことですね。それが重荷です。イエス様はその罪の呵責・帳尻合わせを拭い去るためにいらっしゃいました。

●「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」(マタイ11:28-29)

私たちは、罪の呵責による無駄なあがきをぬぐい捨て、イエス様の血潮による「罪の完全なる赦し」を信じましょう。そうすれば、イエス様が私たちを「おかえり」ってギューとしてくださって、私たちのたましいに安らぎを与えてくださいます。赦されない罪はありません。人間的な考えで、罪と罰を考えないでください。罪を告白し悔い改めれば、前もって備えられたイエス様の血潮によって私たちの罪は拭い去られ、そしてイエス様がよみがえられたことで、私たちに永遠のいのちを約束されただけではなく、イエス様の血潮の効力は永遠なものとなったのであります。

さて、今回も宣言をいたします。晴れ晴れとした気持ちで宣言しましょう。「私の罪は赦されました!感謝!」です。

では、3回宣言いたしましょう。

「私の罪は赦されました!感謝!」、「私の罪は赦されました!感謝!」、「私の罪は赦されました!感謝!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇32篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書18章14節。

「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」

黙想いたします。詩篇32篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:罪とがを赦され

https://www.youtube.com/watch?v=eZeMi6KzhCE

賛美⑨:罪重荷を除くは

https://www.youtube.com/watch?v=DxoG-vO1xFk

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の主日礼拝は、1月21日 午後5時から小阪チャペルにて。

いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。

聖書: 使徒の働き23章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/