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メッセージ主題:『主に守られる人生』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2024.1.21主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2024年1月21日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:慕いまつる主の

https://www.youtube.com/watch?v=y9jpLGs4i9s

賛美②:どんな時でも

https://www.youtube.com/watch?v=DRs2ULlVHv0

賛美③:感謝します(1月)

https://www.youtube.com/watch?v=71X_0s8Lq3g

賛美④:たのしきいのりよ

https://www.youtube.com/watch?v=wAV3-7Pg2Rw

賛美⑤:今日まで守られ

https://www.youtube.com/watch?v=QLQ_rllmylw

賛美⑥:私は奇跡を信じる

https://www.youtube.com/watch?v=QdsPLFZgKXk

【YOUTUBE配信開始】

2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。

年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。

●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)

するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。

人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。

イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、

パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。

また、二匹の魚も皆に分けられた。

彼らはみな、食べて満腹した。

そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。

パンを食べたのは、男が五千人であった。

●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)

イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。

「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」

●2024年1月21日 主日礼拝メッセージ

「使徒の働き」とは

復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。

そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。

(会衆)

イエス様の復活の確信

神の国の理解

聖霊の満たし

エクレシア(信仰者の集まりと交わり)

●聖書拝読:使徒の働き第22章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹

中心聖句: 

「その後、主がパウロのそばに立って、『勇気をだしなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』と言われた。」(11)

メッセージ主題:『主に守られる人生』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

使徒の働き23章は、エルサレムでユダヤ人たちの攻撃の的となっていたパウロを、結果的に保護するかたちとなった千人隊長が、翌日、祭司長たちと最高法院に招集をかけ、その前でパウロに話をするように命じます。パウロは、その最高法院にサドカイ派とパリサイ派がいることに気がつき、最高法院の中で仲間割れをさせるかのように、イエスの名をわざわざ言わず、「兄弟たち、私はパリサイ人です。パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきをうけているのです」と訴えました。つまり論点をすり替えたのです。サドカイ人は人の復活も御使いも霊もないと主張し、パリサイ人は復活も御使いも霊もいると主張していたために、このパウロの言葉をめぐり、論争がおこりました。千人隊長は、パウロの身に危険が迫るの見て、兵営に連れ戻しました。

その夜、主がパウロに現れ、11節の言葉を言ってパウロに指示をだします。『勇気をだしなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』

これは、指示ではありますが、パウロはエルサレムでは死なないと主が約束してくださっているのと同じことです。パウロはエルサレムで殺されることも覚悟して、エルサレムに入ったのですが、主は、パウロにローマに行って証ししなさいと告げました。そして、12節から30節は、主がどのようにして、パウロを暗殺の陰謀の危険から守るかが記述されています。主はおもに直接手を下すのではなく、人を送り用いて、パウロを助けます。そして、パウロは夜のうちにアンティパトリスまでつれていかれ、翌日、カイサリヤに到着し、ヘロデの建てた官邸に保護されます。ここまでが23章のあらましです。

今日の主からのメッセージは、この世で私たちに主からの使命があるとすれば、主は必ず私たちを守り、その使命を達成させて下さり、主の栄光が現れるということです。とくに主の守りということを考えさせていただきましょう。

この時のパウロの場合は、パウロの甥っ子がパウロの暗殺計画を知り、それをパウロに伝え、パウロは、その甥っ子に千人隊長にそのことを話しなさいと告げ、甥っ子をまず千人隊長にひきあわせます。千人隊長はことの重大さを考え、パウロをカイサリアの総督に送ります。

このことを、偶然にパウロは暗殺を逃れたと考えるか、主がパウロの甥っ子を用いて、暗殺計画を阻止したと見るかは、信仰の目で物事をみることができるかどうかにかかってきます。これは、パウロにおける主の具体的かつ個人的な守りのひとつです。

私たちは、主の守りや導きや助けを願い求めます。「求めなさい。そうそれば与えられます。」(マタイ7:7)という御言葉を信じて。

このみ言葉は勘違いしてはいけないのですが、何もせずにただただ願い求めて、棚からぼたもちを待つように、あんぐりと口を大きく開けてひたすら待っておけばいいということではりません。積極的に祈り行動する中で、主が人を通して、また主御自身の不思議を通して与えて下さるのです。

しかし、パウロは求めたわけではありませんでした。パウロはエルサレムで死ぬことも覚悟していたのですから。主がパウロに主のご計画を明らかにしたのです。このような啓示は、一般の私たちにはなかなか起こりませんが、人や出来事を通じて、主は主のご計画を明らかにされることがあります。そして、主のご計画の成就のために、主は私たちを徹底的に守られるのです。私たちは、詩篇121篇に励まされます。

詩篇121篇3節では、「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方はまどろむこともない。」

また、7節8節では、「主は、すべてのわざわいからあなたを守り、あなたのたましいを守られる。主はあなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」これは主の約束であります。主の助けを求める者を、主は永遠に守られます。主に永遠に守られるためには、私たちは何をすべきでしょうか。それは詩篇123篇1節「あなたに向かって、私は目を上げます。」2節「まことに、しもべたちの目が主人の手に向けられ、仕える女の目が女主人の手に向けられるように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれんでくださるまで。」

これが、今回の学ぶべきことです。私たちは、主のとこしえまでの守りを信じ、私たちの目を、主に向け続ける、何があっても主を信頼し主があわれんでくださるまで、つまり私たちのこの世での生を全うするまで、主を見上げ続けるということです。これこそが、この単純なことこそが、信仰の勝利へと導いてくれるのです。

パウロは、主を見上げ続ける信仰の勝利のことを、ランナーに例えています。

コリント人への手紙第一9章24節~25節

●「競技場で走る人たちはみな走っても、賞を受けるのは一人だけだということを、あなたがたは知らないのですか。ですから、あなたがたも賞を得られるように走りなさい。競技をする人は、あらゆることについて節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」朽ちない冠とは、永遠のいのちのことです。ここで「賞を受けるのは一人だけである」とパウロは訴えます。これは、信仰自体が、他人との競争や比較で成り立つということではなく、信仰自体が純粋に個人的なものであることを意味しています。信仰を他の人に分け与えることはできません。信仰は神との、イエス・キリストとの一対一の関係にしか存在しません。もちろん、福音はシェアリング・分かち合うことはできますが、信仰は一人一人が主の向き合うことでしか得られません。ですから、「賞を受けるのは一人だけである」となるのです。そして、パウロの言うところの「賞」とは、永遠のいのち、信仰の勝利を意味しています。その意味では、私たちがよく使う「信仰の継承」はあり得ないのです。信仰が親から子へ、子から孫へと代々受け継がれていくものではなく、親の信仰と子の信仰とは個別のものなのであるということを覚えておかなくてはいけません。もちろん、親の信仰を見て、親の祈りを聞いて、子は育って行きますから、信仰の表面的なことは似てくるかもしれませんが、信仰そのものは、聖霊様の働きによるものです。信仰は信者どうしで分け与えることのできるものではなく、個々に、イエス様とつながっていく中ではぐくまれます。一方、福音こそが、恵みを分かち合い、隣人に伝え続けなければいけないことなのです。

さて、ここで、今日も天国長屋の八さん熊さんに登場していただきましょう。八さん、熊さんは、「主を見上げ続ける」ことによる「主の守り」を感じていますか。

―――――

八: あれ? 今日は若さん、ちょっと早いんとちゃう、もうバトンタッチが。まあ、ええけど。

熊: 若さんもちょっと種切れしてきたんとちゃうか。まあ、ええやんか。

わてなぁ、最近感心してることがあるねん。

八: なんや、感心してることって。

熊: 若さんところの、犬。トイプードルのラブちゃん。

八: ああ、あの老犬な。かわいらしい。わてらが若さん家にお邪魔すると、めっちゃ喜んで

飛び跳ねているよな。老犬やのに。

熊: そう、老犬老犬ってゆうたんな。ラブちゃんは年のわりには元気やねんさかい。

八: そやな。悪かったラブちゃん。そんで、そのラブちゃんがどうしたん。

熊: そのラブちゃんが、若さんが何か食べてると、ジーっと待ってるねんて。

若さんが何かくれるまで、ほとんど動かんと、何かくれるんとちゃうかって

期待してまってはる。いじらしいやないかいな。

これが、詩篇123篇の1節の神髄や。●「私たちの目は私たちの神、主に向けられて

います。主が私たちをあわれんでくださるまで。」ラブは、食べるもんもらえるまで

じっと期待して待ってる。けなげで、可愛いんや。

八: なるほどなぁ。ラブは若さんが必ず何かくれると期待してじっとまってる。

まあ、ときどきはおねだりしているみたいやけどな。若さんが何かくれるまで、

期待して待ち続けている。詩篇123篇を地でいっているんやな。

熊: わてらもラブちゃんみたいに、神様に絶大なる信頼寄せて、目をそらさないようにせんと

あかん。ラブちゃんが、若さんの一挙一動に注意をはらっているように、わてらも

神様の一挙一動に注意を払わなあかんねんやろうな。

八: 熊、ちょっとまって。「神様の一挙一動に注意を払う」ってどうすんねん。

わてらには神様は見えんで。

熊: そや、透明人間と同じで見えへんよな。けんど、透明人間が見える時があるわな。

八: 透明人間が見える時?

熊: たとえば、透明人間にペンキをかける。まあ、水でもええわ。

そんな映画あったような気がする。

八: あ、足跡もつくから、足跡を追跡するちゅう手もあるわな。

熊: けんど、神様の足跡はどうみる?

八: そやなぁ。神様にわてらみたいな足があるとは思えんなぁ。

熊: 足跡はないかもしれんけど、神様が働いて下さった痕跡はわかるでぇ。

八: 痕跡?

熊: せや、今日のパウロはんの暗殺計画から、パウロはんが救われた話の流れはなんやった?

八: ええと、、、まずは、パウロはんの甥っ子が暗殺計画を知ったこと。

それをパウロはんに伝えて、パウロはんが千人隊長にそのことを伝えるようにって、

甥っ子はんに言って、甥っ子はそのようにしはった。

熊: そや、甥っ子はんがパウロはんの暗殺計画を知ったのも、それ以前に、甥っ子はんを

その場に送り出したのも、そして、甥っ子はんがまずはパウロはんに知らせたのも、

そして、千人隊長が子供だったやろう甥っ子はんの言うことを真剣に受け取ったのも、

みんな神様・聖霊様のお働きや。

八: ちょっと待って、パウロはんの甥っ子って、まだ子供やったんか。

青年って書いてあったんとちゃうか。

熊: わては、小学生ぐらいやったんとちゃうかと思てんねん。そんでないとやな、

「その男の子の手を取って連れていった」なんて、「青年の手を取って」って

なんか気色悪ないか?

八: それもそやな。熊のいうとおり、青年やのうて少年かもしれへんな。

熊: そんで、これらのことが、目には見えへん、神様を見るちゅうことなんやろ、

とわては思うねん。

八: ほなら、あれやな。パウロはんも神様見てはったんやろな。兵営に甥っ子はんが

現れたのも神様のお働き、千人隊長が甥っ子はんの言うことを信じたのも神様のお働き。

熊: パウロはんは、その不思議に気づきはって、その都度、神様に感謝し、

神様の御名をあがめはった。

八: けんど、そんなことはルカはんは書いてはれへんでぇ。

熊: そや、けんど、主がパウロはんに現れて、「勇気をだしなさい。あなたは、エルサレムで

わたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」って

おっしゃられた。パウロはんは、神様・イエス様に絶大なる信頼をし、あがめてはった。

そやから、このお言葉が、単なる気休めやないことは確信してはったはずや。

んで、神様に期待してはったはずや。「絶対、神様がパウロはんにローマでも証しを

させるために、エルサレムから救い出されるはずや」って期待しながら、神様の不思議

な救いの手を待ってはったんやと思うわ。せやから、ルカはんは書いてはれへんけど、

パウロはんは神様に、その都度その都度感謝したに違いないんや。

八: なるほどなぁ。甥っ子はんが千人隊長に会いに行ったとき、パウロはんは祈ってた

かもしれへんな、それに感謝してたやろう。それに嬉しかったやろうな。

甥っ子はんを通して神様と会うてんねんから。

な、若さん。若さんもパウロはんが神様の守りを確信して、感謝してはったと思うやろ?

―――――

八さん、熊さんありがとうございます。当たり前じゃないですか。パウロさんのように、人一倍神様を愛し、神様に期待し、神様に従った方ですから、神様の守りが分かった時には嬉しかっただろうなと思います。もちろん、感謝、感謝、大感謝であったでしょうし。主は、私たちが主に心をむけている限りは、かならず守って下さるのです。

ヤコブはその書の中で、次のように勧めます。●「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。」(4:8)

神が遠くに感じられたり、喜びや平安が消えうせるような感じがしたり、しかし、神はいつも変わらず私たちのそばにいらっしゃいます。神が私を守ってくれていないのではないかと疑ってしまう時があるかもしれません。しかし、それが二心です。神を疑ってしまう心が二心です。どんなときでも、神の守りを信じ切るところに勝利があります。神から離れるのではなく、疑う心から離れましょう。皆さんは、主に守られています。

さて、今回も宣言をいたします。主に信頼し確信をもって宣言しましょう。「私は主に守られています!感謝!」です。

では、3回宣言いたしましょう。

「私は主に守られています!感謝!」、「私は主に守られています!感謝!」、「私は主に守られています!感謝!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇121篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書10章11節。

「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」

黙想いたします。詩篇121篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:静まって知れ

https://www.youtube.com/watch?v=cF8vUKQAhwM

賛美⑨:わたしを守る方

https://www.youtube.com/watch?v=e53zW4T5fI8

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の主日礼拝は、2月4日 午後5時から小阪チャペルにて。

いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。

聖書: 使徒の働き24章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/