ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2024.2.18主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)
●午後5時開会:ただいまより、2024年2月18日主日礼拝式を始めます。
●祈り
礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
続いて
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:主と共に歩む
https://www.youtube.com/watch?v=MVgG3l34ONQ
賛美②:God Bless You
https://www.youtube.com/watch?v=C-gOhqZkcZg
賛美③:主の約束(2月)
https://www.youtube.com/watch?v=7IdOakR8lxU
賛美④:あがめます・満たしてくださる方
https://www.youtube.com/watch?v=3WOVgDkgAFI
賛美⑤:主は我らの太陽
https://www.youtube.com/watch?v=Noaf5Y1jK20
賛美⑥:イエスに栄光あれ
https://www.youtube.com/watch?v=v5sKPkQ68tY
【YOUTUBE配信開始】
2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。
年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。
●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)
するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。
人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。
イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、
パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。
また、二匹の魚も皆に分けられた。
彼らはみな、食べて満腹した。
そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。
パンを食べたのは、男が五千人であった。
●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)
イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。
「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」
●2024年2月18日 主日礼拝メッセージ
「使徒の働き」とは
復活のイエス様の働き・聖霊様の働き、信仰の始まりと継承です。
そして、私たちは、次のことを、この「使徒の働き」を通して学びます。
(会衆)
イエス様の復活の確信
神の国の理解
聖霊の満たし
エクレシア(信仰者の集まりと交わり)
●聖書拝読:使徒の働き第27章(新改訳聖書2017)
朗読: 若竹
中心聖句:
「昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、こう言ったのです。『恐れることはありません。パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私にかたられたことは、そのとおりになるのです。」(23-25)
メッセージ主題:『主の約束を信じ仕える人生』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
使徒の働き27章では、パウロがローマへ向かって港町カイザリヤからの船旅の様子が描かれています。記録者であるルカは、この使徒の働きの最後の章に向かって、1章半の紙面をつかって、船旅を詳しく描いています。ルカの意に反して、かどうかは分かりませんが、許されるなら私がその船旅を簡単に述べますと、暴風で流され、イタリヤ半島近くのシシリー島から南にくだった小さなマルタ島沿岸で難破します。が、しかし、全員無事にマルタ島へとたどり着きます。これは主がパウロに告げた約束が成就したものでした。主は、必ずパウロを無事にローマに送ると約束され、暴風のなかでも、パウロだけではなく、乗組員すべてが守られることをパウロに告げ、パウロを励まし、またパウロは乗組員に、一人も欠けることなく全員がそろって上陸できることを話し、彼らを励まします。
ルカはどうして、この船旅を克明に記したのでしょうか。もちろん、几帳面なルカは事実を記録したというだけかもしれませんが、私には、人生を船旅、それも嵐にたとえてしまう癖があるのかもしれませんが、どうも嵐という困難や逆風の中で、主の約束を信じての冷静な判断と周りの人への励まし、その中に自然に(若い人の言葉で言いますと「しれっと」)伝道していくことが示されているような気がするのです。そこで、今回の中心聖句は、23節から25節を選ばせていただきました。もう一度お読みいたします。
「昨夜、私の主で、私が仕えている神の御使いが私のそばに立って、こう言ったのです。『恐れることはありません。パウロよ。あなたは必ずカエサルの前に立ちます。見なさい。神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられます。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私にかたられたことは、そのとおりになるのです。」(23-25)
まず、パウロが言うように、私たちクリスチャンは「主に仕えている者」であるということです。パウロは、「私が仕えている神」と言い表しました。「仕える」という言葉は、「奉仕する」ということでしょうが、いろいろな対象に仕えます。「目上の人に仕える」「両親に仕える」「役所など官職に仕える」そして「神に仕える」。「人に仕える」というときには、往々にして「人に服従する」という意味合いも含まれるかもしれません。江戸時代の武士でしたら、「殿様に仕える」「その権威に仕える」ということもあったでしょう。私の大好きな時代劇のひとつ「水戸黄門」では、いつも「印籠が45分過ぎに出て来て、『ええい、静まれ。この紋所が目に入らぬか。このお方は先の副将軍、水戸光圀公なるぞ。頭が高い、控えおろう。』そして、一同が「へへい」と言いながらひれ伏す。では、私たちクリスチャンは、私たちの神、主にどのように仕えているでしょうか。「仕える」という具体的な行動の前に、「主の声を聞く、聞こうとする態度」が求められているかもしれません。詩篇の有名な聖句46篇10節にはこのようにあります。「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ地の上であがめられる。」「やめよ」とは『むだな企てをやめ、静まれ』という意味です。困難に出くわした時、その困難に立ち向かうなり回避するなり、そのような人間的な企てをする前に、まずは、静まって心を神様にむけ、神様の声を聞くようにすることが大切であると詩篇は言います。なぜなら、神の知恵は、私たち人間の知恵とはくらべものにならないくらい、広く深いものであり、またそれに力と威厳が加わりますから、まずは、といいますか、ずっとなんですが、神様に心をむけて、神様のか細い声に、聴き耳を立てることが重要となります。神様って、声小さいことが多いんですよね。「ええ、神様今なんておっしゃいましたか?」だから、いろんなことを考えていたりすると、聞こえないことが多い。例えば、私は、小さい時からそうなんですが、集中していると他の人が声かけても聞こえない、返事しても生返事。テレビはそのいい例でございます。テレビを見だすと、どうしようもありません。チャンネルを変えるか、消されない限り、人の話は上の空。実は今もそうです。テレビはうちにはないのですが、コンピューターの画面にへばりついていますと生返事の連続で、愛する妻によくあきれられています。そう、神様の声は小さい、というかか細い。わざとですか、と聞いてしまいたい気持ちになります。きちんと向き合っていないと聞こえないことが多い。しかし、聞きたいと思って願っていれば、神様はいつだって答えてくださっています。実は神様はいつも私たちに語り掛けていいてくださっているのかもしれません。聞こえてないのは私たち。聞く耳を持たないのは私たち。だから、静まって神様の声に耳をすまさないといけません。それから、やっと本当の意味で神様に仕えるということができるのではないでしょうか。「仕える」というのは、「神様に聞き従う」「聞いて従う」ことではないでしょうか。
パウロは、あのダマスコ途上から、神の声を聞く者へと変えられました。それまでは、師匠であるガマリエルに聞き、律法に聞き従って、それが神の道だと思い込んでいました。私たちもそうではないでしょうか。一生懸命、聖書を読み、礼拝に行き、牧師の言うことを聞き(まあ、そうでないこともあるかもしれませんが)、それら自体は全く正しいことでしょう。しかし、神の声に耳をすませていなければ、パウロの間違いと同じことになりはしないでしょうか。
そして、「人に仕える」という根底には、「その人のことを信じる、信じ切る」ことがあります。そして、それをパウロは、その信仰を、嵐の中で、船員たちの前で証ししました。「皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私にかたられたことは、そのとおりになるのです。」
神様のおっしゃることを聞いたのなら、そのことはその通りになるということを信じ切ること、それが神を信じるということではないでしょうか。私たちは、その意味で、本当に神様を信じているでしょうか。自分の都合のいいことだけ聞いたり、都合の悪いことは神のみ旨ではないと否定したり、または聞こえていないのに神の指示だと思い込んだり、成功は神のみ旨で、失敗は神のみ旨でないと、結果オーライ主義に陥ったり、本当は、創造主である神の御心は、創造物である私たちには、広く、高く、深くありすぎて、理解できないのです。ですから、直近の神のみ声を聞き、信じて従っていくしかないのです。
嵐の中にある、あなたの舟のかじ取りを、自分の手から離して、神様におまかせしましょう。神様は必ず、あなたの舟を港へと導かれるでしょう。
さて、ここで、今日も天国長屋の八さん熊さんに登場していただきます。八さん、熊さん、「船のかじ取りを神様にお任せする」ことをどう思われますか。
―――――
八: 「船のかじ取り」なあ、自分の人生、自分の力で切り開きたいと思うのが当たり前やわな。
熊: そやなぁ。一度しかない人生や。目的地に到着するのも、沈没してしまうのも、
自分でかじ取りしたいと思わへんほうがおかしい。
八: せやなぁ。ふつうの人はそうやわな。
熊: なんや、わてらふつうの人とはちゃうんかいな。
八: 厳密にいえば、ちょっとちゃうわな。
熊: どういうところや。
八: そやなぁ。Do your best. ちゅう英語知ってるか。
熊: 突然、英語かいな。「Do your best. 最善を尽くせ」。ちゅうことやろ。
中学校でならったでぇ。
八: せやなぁ。「最善を尽くせ」ちゅうのは、『自分の知恵や知識や技量や努力によって
取り組む』ちゅうことやろ。
熊: わてらも、そうやって一生懸命、生きてるやないか。
八: 熊、本当にそうやってるか。
熊: いや、すまん。ちょっとさぼってるときもある。
八: いや、いや。そうやのうて、何かする時、その前に神様に祈ってないか?
熊: そりゃ、祈ってるわいな。「神様、お導きください」ちゅうて。
八: 「神様、お導きください」ちゅうことは、「かじ取りは神様が担当してる」
ちゅうことなんとちゃうか。
熊: あ、そうか。そう言われればそうやな。じゃあ、わてらは何してんねんな。
八: わてらは、船のオールを漕いでんねんやがな。
熊: あ、それ。ベンハーの映画で見たわ。奴隷たちが、ローマの戦艦の船底で、
太鼓のリズムに合わせて、オールを漕いでんねん。ドンドンドンドンって。
ちゅうことは、わてらは奴隷かいな。
八: 神のしもべ、ちゅうのは神の奴隷ちゅうことやがな。パウロはんかてゆうてはるはやいか。
ローマ書の6章のところで。●「あなたがたは、罪の奴隷であったとき、
義について自由にふるまっていました。ではそのころ、あなたがたはどんな実を
得ましたか。今では恥ずかしく思っているものです。それらの行き着くところは死です。
しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。
その行き着くところは永遠のいのちです。」(19-21)
熊: 罪の奴隷から神の奴隷となった。それは分かるけど、やっぱり船底でドーンドンか。
八: 船底でオール漕いでるのは、わてらなりに「最善を尽くしてる」ちゅう意味やがな。
神様が舵をとってくれてはる。それにオールのリズムとりのドラムも神様や。
ベンハーの時のような、無慈悲なドラムたたきやないで。わてらの心と体の様子を
みながら、太鼓たたいてくだはんねん。
熊: わてらが、疲れてたら、わてらの代わりにオール漕いでくれはんのかな。
八: いや、神様はオール漕いでくれはれへんやろな。
熊: なんや、それやったら、神様あわれんでくれへんのといっしょや。
八: あほ、そんときは、神様は他の人を、オール漕ぎに遣わして、くださんねん。
熊: なるほどなぁ。よーできたシステムや。
八: あほ、神様の働きをシステムって言うな。システムみたいな四角四面の働きとちゃうねん、
神様は。神様の働きは、わてらの理解を超えた所にあるんやからな。
神様の働きは、もっと自由でかつ大胆で、力強いねん。
熊: んで、わてらの「最善の尽くし方」は分かったけんど。
その神様のかじ取りのときに、嵐の中でも、オールこいでるわてらは、こぎながら
神様の声をきかなあかんねんやろ。
八: だれが、オールこぎながら神様の声を聞けってゆうたよ。若さんがしめしてくれた
詩篇46篇、覚えてへんか。
熊: 「静まって、わたしこそ神であることを知れ」やろ。
八: おお、口語訳やな。そや。それや。オールをこいでるときやのうで、オールを上げて、
漕ぐのをいったんやめて、主の声に耳を傾け、主のことばを何一つ聞き逃さんように
せなあかん。
熊: それって、詩篇103篇の●「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」と同じやな。
こっちは、神様がいままでしてくださったこと。そっちは、これから神様がして
くださること。どっちも大事やな。感謝や感謝。
八: 若さん、熊が勝手に終わらしてしまいよった。
これで、わてらは、オールオーバーや。
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。最後は、落ちで終わりましたね。オールを上げて、オールオーバーですか。まるで、落語みたいでしたね。私は、嵐に遭遇した船の中で、寝ているイエス様、そのイエス様の冷静さ、心の平安が目標です。あのぐらい、肝っ玉が据わっているといいますか、すべてを神様に委ねているといいますか、うらやましい限りです。見習いたいものです。
それと、八さん、熊さん、最後に、詩篇の103篇と対比されたのもいいですね。「主のことばを何一つ聞き逃すな」と「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」ですか。どちらも肝に銘じておきたいものです。
でも、今日は、主を信じ切って、主の声に聞き従う、主に仕える、ということを思いながら宣言したいと思います。宣言は「主の約束を信じ仕えます。感謝!」です。
では、3回宣言いたしましょう。
「主の約束を信じ仕えます。感謝!」、「主の約束を信じ仕えます。感謝!」、「主の約束を信じ仕えます。感謝!」。アーメン!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇99、100篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マルコの福音書10章45節。
「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」
黙想いたします。詩篇99、100篇。
黙想時の曲
⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑧:詩編100
https://www.youtube.com/watch?v=47gMb8qY1-A
賛美⑨:あなたがすべて
https://www.youtube.com/watch?v=B5EfsD13TIc
●礼拝の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の主日礼拝は、2月25日 午後5時から小阪チャペルにて。
いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。
聖書: 使徒の働き28章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/