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メッセージ主題:『主が見、聞き、知る我が人生』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2024.3.17主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2024年3月17日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:御言葉なる

https://www.youtube.com/watch?v=d-dScSsuHbQ

賛美②:主を仰ぎ見て

https://www.youtube.com/watch?v=Viar5edeGzU

賛美③:ただ主の十字架に(3月)

https://www.youtube.com/watch?v=D-sk1LkJQJM

賛美④:イエスに栄光あれ

https://www.youtube.com/watch?v=v5sKPkQ68tY

賛美⑤:主がそばにいるから

https://www.youtube.com/watch?v=ikdWPBdaqd0

賛美⑥:夜も昼も

https://www.youtube.com/watch?v=ZGEzSfGBzFM

【YOUTUBE配信開始】

2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。

年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。

●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)

するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。

人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。

イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、

パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。

また、二匹の魚も皆に分けられた。

彼らはみな、食べて満腹した。

そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。

パンを食べたのは、男が五千人であった。

●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)

イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。

「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」

●2024年3月17日 主日礼拝メッセージ

「出エジプト記」とは、個々人の霊的解放の書であり、信仰の歩みを記しています。

そして、私たちは、次のことを、この「出エジプト記」を通して学びます。

(会衆)

罪の奴隷からの解放

聖別された個となるための務め

神の臨在による神との親しい交わり

●聖書拝読:出エジプト記第3章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹

中心聖句: 

「主は言われた。『わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見、追い立てる者たちの前での彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを確かに知っている。」(7)

メッセージ主題:『主が見、聞き、知る我が人生』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

「出エジプト記」3章は、モーセの召命です。ミディアンの地で羊飼いとして働き、家族も持っていたモーセは、ホレブの山に来ます。そこで燃える柴、しかし燃え尽きることのない柴の炎の中で、主の使いがあらわれ、そして、神がモーセに、御自身を「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」であることを明らかにし、モーセにエジプトで虐げられ苦しんでいるイスラエルの子らを、エジプトから導き出しなさいと命じました。モーセは、神に畏れ多いことであると辞退しようとしたのですが、神は「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。このわたしがあなたを遣わすのだ。あなたがこの民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で神に仕えなければならない。」とモーセを励ますのであります。そして、神は、エジプトにいるイスラエルの子らには、モーセの後ろ盾として、神がついていることを、そして、その神の名は、「わたしはある」ということを伝えることを許されました。「わたしはある」とは「わたしは過去・現在・未来に存在する」という神の永遠性を示されたもので、神の名前というより神の本質を明らかにされたのでした。その上、モーセの民たちが、エジプトから出て行くときに、エジプト王からの反対や妨害もあることをモーセに話します。そして、エジプトを脱出する際には、旅の準備をするために、エジプト人から、金や銀、それに衣服を求めることを提案しました。今までの虐げに対する対価ともとれますが、この旅が長旅になることを暗に示唆しているようにも思えます。また、着の身着のまま逃げるのではなく、正々堂々とエジプトを出ていくため、神の民としてのプライドを取り戻すための準備なのかもしれません。ここまでが3章のあらましです。

さて、今日の中心聖句ですが、私は個人的に、この聖句によって、とても励まされました。主はモーセだけではなく、またイスラエルの民だけではなく、私たちにもおっしゃいます。「わたしは、わたしの民の苦しみを確かに見、追い立てる者たちの前での彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを確かに知っている。」神は私たちの苦しみを「見ていてくださる」。私たちのあえぎや嘆きや叫びや祈りを「聞いてくださる」。そして、私たちの痛みを「知ってくださる」。この三つをもう少し考えてみたいと思います。

●「神は私たちを見て下さっている」

詩篇33編12節~15節には次のようにあります。

「幸いなことよ、主を自らの神とする国は。神がご自分のゆずりとして選ばれた民は。主は、天から目を注ぎ、人の子らをすべてご覧になる。御座が据えられた所から、地に住むすべての者に目を留められる。主は、一人ひとりの心を形造り、わざのすべてを読み取る方。」

ある人は、「神様は監視カメラのようだ」とおっしゃいました。私は、それに付け加えて、「神様はドライブレコーダーのようだ」と言いたいと思います。街にあふれかえっている監視カメラは私たちの行動を記録しています。また優れたドライブレコーダーは、私たちの正面・側面・背面も記録しています。もちろん、今の技術では、まだまだ死角が多く、鮮明に映っていない時もありますが、神様の眼はすべてが鮮明に映り記録されています。何せ、無から有を造られるお方ですから、神様に死角などはありません。私たちの行動はすべて見られています。私はときどき、「神様、ちょっと目をつぶっといてくださいますか」と言ってしまいますが、神様は、「はいそうですか」とはおっしゃいません。でも、そう言いたくなってしまうのが人間の常ではないでしょうか。都合の悪い事には目をつぶってしまう。また、目をつぶってもらおうとする。しかし、神様は目をつぶることはなさいません。

なぜでしょう。それは、私たちを愛し、私たちを造り、私たちを正しい方向、神の義の道へと導こうとしておられるのです。神は、私たちを指導し、かつ守るために、私たちの行動に目をひからせておられるのです。

●「神は私たちの願いや祈りを聞いて下さる」

神様に創造された生き物の中で、人間だけが神様に祈ること、神様と会話できることが許され、そのように造られました。そして、祈りを通して、御子イエス様への信仰へと導かれるのです。

そして、イエス様は、祈り続けることの大切さ、神はすべてをお聞きくださっているを、ルカの福音書18章で次のようにおっしゃいます。

「いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。『ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。その町に一人のやもめがいたが、彼のところにやって来ては、「私を訴える人をさばいて、私を守ってください」と言っていた。この裁判官はしばらく取り合わなかったが、後になって心の中で考えた。「私は神をも恐れず、人を人とも思わないが、このやもめは、うるさくて仕方がないから、彼女のために裁判をしてやることにしよう。そうでないと、ひっきりなしにやって来て、私は疲れ果てしまう。」』主は言われた。「不正な裁判官が言っていることを聞きなさい。まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのためにさばきを行わないで、いつまでも放っておかれることがあるでしょうか。」(1節~7節)

神は私たちの祈りをお聞きになり、神の時に、私たちを愛するがゆえの神の御計画に応じて、私たちに良かれと思って、お答えになります。

離乳食が始まったばかりの赤ちゃんに、欲しがったからといって、どこの親が自分の食べ物を与えるでしょうか。大人にはおいしいものでも、赤ちゃんには、毒にちかいものであったとしたら、心を鬼にしてでも与えないのが親ではないでしょうか。神様はそれ以上に、つらい思いをして私たちの祈りをお聞きくださっておられるのではないでしょうか。

私たちは、このやもめのように、①「神に祈り続ける」こと、②「私たちの願いは神しか聞き届けられないと信じる」こと、そして③「祈れば、疑わず、条件をださず、神にすべてをお任せする」ことが大切ではないでしょうか。

●「神は私たちを知って下さる」

詩篇139篇では、神がすべてをご存じのことを詠っています。(1節~6節)

「主よ、あなたは私を探り、知っておられます。あなたは、私の座るのも立つのも知っておられ、遠くから私の思いを読み取られます。あなたは私が歩くのも伏すのも見守り、私の道のすべてを知り抜いておられます。ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそのすべてを知っておられます。あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。そのような知識は私にとって、あまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。」

神は、私たちの何をごぞんじなのでしょうか。この詩篇では、「座る」「立つ」「歩く」「伏す」という行動です。しかも、特殊な行動ではなく日常の行動です。主はわたしたちの日常をすでに全てを知っておられます。しかし、それだけでしょうか。この詩篇では、「私の思いを読み取られる」とあります。私たちの思い、考え、感情、行動には現れない、また現れる前の思考や精神状態をすべてご存じだということであります。

皆さんは、テレビ番組で「トリック」という探偵物語を覚えておられるでしょうか。私は、プライム・ビデオでしか見たことがないのですが、その時の名セリフが、スカッとしますね。

●お前のやった事は全部すべてすりっとまるっとごりっとお見通しだ!

まあ、神様はそんなことはおっしゃいませんが、日本語の「お見通しだ」という言葉には、なんか力があるなぁと思います。このテレビ番組では、さばきが下るときの決めセリフですが、私たちの神様は、厳しく指導するときもありますが、暖かく見守り、また手を差し伸べる神でもあります。私たちは、全部すべてすりっとまるっとごりっとお見通しの神に、信頼して、すべてをゆだねることが大切なのではないでしょうか。しかし、なかなか簡単にはおいそれとゆだねられないかもしれませんね。自分との闘いがありますが、結局、私たちは、私たちの造り主には、逆らえ切れない、勝利するのは神であることを思い知ることになります。降参するなら、観念するなら、早いうちにと、お勧めする次第であります。と、言う私もいつも葛藤があることは、隠さず申し上げておきたいと思います。なにか、ときどき、勝ち目のない戦いを神様に挑んでいる自分がいますね。情けない話ではありますが。

さて、ここで、今日も天国長屋の八さん熊さんに登場していただきます。八さん、熊さん、「全部すべてすりっとまるっとごりっとお見通し」の神様とどのように接しておられますか。

―――――

八: 神様には、全部ばれてるからなぁ。わてらの行動だけやのうて、思いまで。

思いは知りはれへんのんとちゃうか、と思てたんやけど。

びっくりしたことがあったんや。熊、2-8(ニッパチ)ちゅう言葉しってるか。

熊: ニッパチ?「やけっぱち」やったら知っとるけど。ほら、八がお金のうて「やけっぱち」。

八: あほ、「やけっぱち」に近いところまでには行ったことがあるけんど、けんど、熊、

感がええなぁ。それに近いねん。

熊: 八の話、訳分からん。なんやねん、そのニッパチって?

八: 「ニッパチ」ってな。2月8月のこっちゃ。

熊: そんで、その2月8月がどうしたんや。

八: あのな、2月8月ちゅうのは、経済が落ち込む月なんや。

熊: なんで、経済が落ち込むんや、2月と8月で。

八: わても、詳しい事はわからんけど、2月は年度替わりでお金がいる。

卒業入学も控えてるからな、消費が落ち込むねん。新年で金も使いすぎとるしな。

熊: それはわかるけど、8月はどうなんや。ボーナスも出とるやろう。

八: お盆があるやろ。民族大移動や。そやから、お金がホイホイでていくから、

ほかの買い物は渋るらしいわ。

熊: なるほどなぁ。そのニッパチが八と何の関係があるねん。

八: ニッパチになると、お金がなかなか回れへんねんや。

熊: そんで「やけっぱち」になるんかいな。

八: ニッパチで、八はやけっぱち。うまいこと言うなぁ、、、あほ、そんなことないわい。

「やけっぱち」にはなれへんかってんけど、困った困ったと思てたわけや。

熊: そんな時には神様にお願いしたら、ええねん。

八: そや、そやけんど、わてがクリスチャンになって間無しのことでな。あせってたんやな。

熊: そんで、どうしたんや。

八: わては、もうだるまさんや。手も足もでん。けんどなぁ、まったくお付き合いのない

ところから、仕事が舞い込んできた。びっくりや。

それも、見事に必要な額だけやねん。おどろき、もものき、さんしょのき、や。

熊: それは、神様やな。そんなことできんのは神様しかおらん。

八の困ってるの知って、人を使わしたんやな。

八: 困ってるの知ってるんやったら、神様現金くれはったらええのに。

熊: あほ、お前に現金なんか渡したら、働かんようになるやんか。そんなこと神様、

百も承知や。神様は、八のことよう知ってんねん。せやから、仕事をくれはったんや。

そんで、神様に、「おおきに」って感謝したんかいな。

八: 横丁の御隠居に、そのこと話したら。それは神様の憐みやゆうて。

せやから、神様にものごっつい、感謝したわ。

熊: 神様、なんでも知っててくれはんねんやな。わてらのええところも、わるいところも。

八: そや、神様は「全部すべてすりっとまるっとごりっとお見通し」や。

熊: そんで、イエス様もおんなじやで。ペテロの時、みてみぃ。

イエス様、ペテロを慰めはった。

八: あ、それ知ってる。「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように

祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

(ルカ22:32)

熊: せや。イエス様は、ペテロはんが保身に走って、イエス様を三度知らないということを

分かってはった。せやけど、イエス様はことが起きる前に、ペテロはんを赦してはった。

ペテロはんが悔い改めることを知ってはったからな。

八: 神様もイエス様もなんでも知ってはる。神様はお優しいお方や、けんどきびしい方でも

ある。わてらは、ほんまに神様を甘う見てたらあかんねん。

熊: ほんまやなぁ。と、言いつつ、まだまだ、わてはなってない時がぎょうさんある。

八: わてもそうや。もっともっと、神様とお話しして、神様の声を聞かなあかんわ。

な、若さん。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。神様は私たちのすべてをご存知ですから、私たちを罪を犯さないようにコントロールしてくださればいいのにと思うときもあります。しかし、神様は私たちを神様のマリオネットにはしたくないのです。それはアダムとエバの時からそうでした。神様はわたしたちに自由意志を与えてくださっています。コントロールされて、神様を崇める、神様の言うことに聞き従うのではなく、私たちの意志によって、神様を崇め、賛美をささげ、祈りを積み重ねるようにされました。ですから、逆に、私たちは罪も犯してしまいます。しかし、罪が何であるかの基準は、神様は聖書の中に与えて下さり、私たちに聖書からその基準を教えて下さいます。また、私たちの心の中にすんでくださる聖霊様はその聖書の教えを思い出させてくださいます。イエス様は次のようにおっしゃいました。●「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)聖書の教えが、私たちの中で生きたものとなるのは、聖霊様のおかげでもあります。そして、聖霊様は、ある面、イエス様の平安でもあり、聖霊様は私たちを励まし勇気をあたえ、心を騒がせないようにしてくださいます。そして、神の本質が愛であるなら、イエス様も愛であり、聖霊様も愛であります。つまり、イエス様の平安とは、神の愛でもあるのです。そして、聖霊様は、「真理の御霊」(14:17)でもあり、「イエス様を信じる者は、イエス様が行うわざを行い、さらに大きなわざを行う」とも、イエス様はおっしゃいます。聖霊様の助けを得て、私たちは、大きなわざを行えるのです。それは、イエス様ご自身が私たちに現れることでもあります。イエス様はおっしゃいます。●「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。」(ヨハネ4:21)主の力が発揮されるのには、私たちが通りよき管として、主にすべてをゆだねることが大切です。私たちのすべてをご存知である神に、信頼し、すべてをゆだねていく、そのような日常生活を営んで行きましょう。

では、今日も宣言をいたします。今日の宣言は「通りよき管として、主に信頼しすべてをゆだねます。感謝!」です。

では、3回宣言いたしましょう。

「通りよき管として、主に信頼しすべてをゆだねます。感謝!」、「通りよき管として、主に信頼しすべてをゆだねます。感謝!」、「通りよき管として、主に信頼しすべてをゆだねます。感謝!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇55篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書23章46節。

「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」

黙想いたします。詩篇55篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:私の望みは

https://www.youtube.com/watch?v=CeY6VxJGKkA

賛美⑨:主の足もとに

https://www.youtube.com/watch?v=HooSrKQM5PQ

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の主日礼拝は、3月24日 午後5時から小阪チャペルにて。

いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。

聖書: 出エジプト記4章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/