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メッセージ主題:『主を知る人生』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2024.4.7主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2024年4月7日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:あなただけがわれらの神

https://www.youtube.com/watch?v=lpOuvLb12rg

賛美②:感謝と喜びを

https://www.youtube.com/watch?v=EP9TCJD9NY4&list=RDGMEMeHbtJo3WK44yiNGUNqleBg&start_radio=1&rv=BQgN98M1q_Q

賛美③:あなたのために(4月)

https://www.youtube.com/watch?v=80H74JdvpX4

賛美④:リバイバルの火を

https://www.youtube.com/watch?v=8Hv9UIK45JI

賛美⑤:マジェスティ

https://www.youtube.com/watch?v=y2m-dcGEIzk

賛美⑥: 聖なる神&主の御名あがめます

https://www.youtube.com/watch?v=hNOl-KvzZGo

【YOUTUBE配信開始】

2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。

年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。

●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)

するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。

人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。

イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、

パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。

また、二匹の魚も皆に分けられた。

彼らはみな、食べて満腹した。

そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。

パンを食べたのは、男が五千人であった。

●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)

イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。

「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」

●2024年4月7日 主日礼拝メッセージ

今日はイースターですが、小阪チャペルでは、今、「出エジプト記」を学んでおります。イエス様の復活を仰ぎ見つつ、「出エジプト記」に心を留めたいと思います。

「出エジプト記」とは、個々人の霊的解放の書であり、信仰の歩みを記しています。

そして、私たちは、次のことを、この「出エジプト記」を通して学びます。

(会衆)

罪の奴隷からの解放

聖別された個となるための務め

神の臨在による神との親しい交わり

●聖書拝読:出エジプト記第5章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹

中心聖句: 

「それゆえ、イスラエルの子らに言え。『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す、あなたがたを重い労働から救い出し、伸ばされた腕とおおいなるさばきにほって贖う。わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトでの苦役から導き出す者であることを知る。」(6-7)2-8節

メッセージ主題:『主を知る人生』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

「出エジプト記」5章では、モーセとアロンはイスラエルの民をエジプトから救出するためにファラオに会い、イスラエルの民を苦役から解放し、エジプトを去らせよと告げますが、ファラオはそのことを聞き入れず、かえってイスラエルの民に過酷な労働を課せます。そのことによって、イスラエルの民はモーセとアロンに反感を覚え、モーセとアロンは四面楚歌に陥ります。

しかし、6章では、そんな落ち込んでいるモーセに対し、神は「わたしは主である」と自らを明らかにします。モーセはイスラエルの民からの信頼を失い、疑心暗鬼に陥り、自信を全くなくしてしまっていました。神は再度、モーセにイスラエルの民をエジプトから去らせるように説得させるよう命じ、イスラエルの民を軍団ごとにエジプトの地から導き出すよう、前もって彼らの系図を整理させ、救出の準備を整えていきました。ここまでが、6章のあらましです。

神は失意のどん底、八方塞がりのモーセに対して、自らを「わたしは主である」と何度となく告白し、モーセの味方になっているのが「主」であることをつげ、モーセたちを励まそうとされておられます。

さて、ここで今日の鍵となるお言葉、「主」ということを考えてみたいと思います。3節に、「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主という名では、彼らにわたしをしらせなかった。」とありますが、「わたしは主である」と4回もおっしゃられる神の意図は何でしょうか。

イスラエルの民にこっぴどく非難されたモーセは意気消沈していました。それを神は励ますうえでも、「わたしは主である」とアブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れた主が、「わたしは、今までもこれからも約束したことは必ず守る神である」と明言されているのであります。アブラハム、イサク、ヤコブの神は、有言実行の神であることをモーセに思い出させたのであります。では、神はモーセに何を約束したのでしょうか。それは、6節~8節にあります。

少し長いですが読みましょう。

●「私は主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す。あなたがたを重い労働から救い出し、伸ばされた腕と大いなるさばきによって贖う。わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。あなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であり、あなたがたをエジプトでの苦役から導き出す者であることを知る。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブを与えると誓ったその地にあなたがたを連れて行き、そこをあなたがたの所有地として与える。わたしは主である。」

主は、モーセに7つの事を約束しました。①エジプトの地から救い出す ②苦役から解放する ③あがなう ④神の民とする ⑤彼らの神となる ⑥族長たちに誓った地に彼らを導く ⑦その地の所有者となる。

そして、この7つの約束は、すべて主からの恵みであるということです。イスラエルの民が何かをしたからというのでもなければ、尻込みしているモーセに憐れみをかけたということでもありません。神は神みずからのご計画によって、アブラハム、イサク、ヤコブの時のように約束を守り続けているのです。神の民としてのイスラエルを約束の地へ導き、その地を永久にかれらのものとするという変わらない約束です。

神はイスラエルの民が正しいから助けているのではありません。また、神をあがめ、礼拝しつづけているから救い出そう、導きだそうとしているのではありません。事実、モーセの民は、約束の地に到達する40年間の間に、不平不満たらたらでした。それでも神が導こうとしているのは、アブラハムとの約束があるからです。そして、不平不満があったとしても、神に従おうとする民を神は見捨てられないのです。

エジプトで、奴隷の身として虐げられ苦難にあえいでいたイスラエルの民の姿を見られ、声を聞き、主は憐れまれた結果、主の救いのみ手が差し出されたのです。

しかし、それは神の壮大なご計画の一部分にしかすぎません。モーセの民に対する神のご計画は、民が約束の地に到着することで終わりを迎えるのではありません。いえ、ほん始まりなのです。神は、イスラエルの民から、全人類を救う壮大なご計画をたてておられていました。それは、恐らく人類の始祖であるアダムとエバがエデンから追放された時からかもしれません、いえ、もっと以前からなのかもしれません。神は、われわれ人類を救うために、イスラエルの民からイエス・キリストという罪のないお方を誕生させ、聖なるいけにえとして、全人類の罪をあがなわれました。そして、全人類のために、イエス・キリストを三日目に死からよみがえらせ、イエス・キリストを信じる者に、永遠のいのちの約束をされたのです。そして、これは、イエス・キリストからだけの約束ではありません。モーセの時のあの7つの約束の成就なのです。

エジプトの地から救い出す:この罪の生活から救い出す

苦役から解放する:律法や人間が作った社会的概念から解放する

あがなう:イエスのいのちによって買い取る

神の民とする:イエスを信じることで、聖霊がやどる

彼らの神となる:イエスを神の御子としてあがめる

族長たちに誓った地に彼らを導く:天の御国へといざなう

その地の所有者となる:天の御国で神とともに住まう

実にモーセの約束は、私たちの救いの約束のひな型だったのです。

しかし、モーセは、この「わたしは主である」という神からの声をきいても、●「ご覧ください。イスラエルの子らは私の言うことを聞きませんでした。どうしてファラオが私の言うことをきくでしょうか。しかも、私は口べたなのです。」と弱音たらたらであります。神はそんなモーセに、イスラエルの民の系図を思い出させます。それが、14節~25節であります。それは、モーセとアロンが民を導く指導者としてふさわしいことを証しているのであります。そして、26節で、主はアロンとモーセに再び、●「イスラエルの子らを軍団ごとにエジプトの地から導き出せ」と告げられたのです。そして●「わたしは主である。わたしがあなたに語ることをみな、エジプトの王ファラオに告げよ。」(29)とモーセの背中を押します。

誠に残念なことに、モーセは主に、「ご覧ください。私は口べたです。どうしてファラオが私の言うことを聞くでしょうか。」と泣き言をいい、6章が締めくくられています。

しかし、これが人間ではないでしょうか。私たちではないでしょうか。いえ、私がそうです。私は、高所恐怖症です。高い所が嫌い。展望台にのぼるのは、まあなんとか、平静を保てますが、床が透明なガラスやアクリルでできているところに、足を踏み入れることがなかなかできません。友達が大丈夫だからと手を差し伸べてくれたとしても、尻込みをしてしまいます。まったく情けない者であります。

「わたしは主である」全知全能の神であり、あなたを愛している神である、とひとりひとりに両手を広げ、あなたはわたしの目には効果で尊い、そしてあなたに平安と喜びと永遠のいのちを与えようとおっしゃってくださっています。

尻込みするのではなく、主を信頼し、主の腕に飛び込む者であらせていただきましょう。

さて、ここで、今日も天国長屋の八さん熊さんに登場していただきましょう。八さん、熊さん、お二人は、「わたしは主である」いわれたら、どんな気持ちがしますか。

―――――

八: せやなぁ、神様がボーンって急に前に現れはって、それだけでも畏れ多いのに、

「わたしは主である」っておっしゃられたら、やっぱり、ハハーってな感じやな。

「主」ちゅうのは、「あるじ」のこっちゃろ。「あるじ」が突然あらわれはるんやから、

わては戸惑うな。最初のころのモーセはんのリアクションみないなもんやな。

熊はどうや?

熊: わてか?わては、「あるじ」ができたら、めちゃんこ嬉しいな。「あるじ」がない自分って、

浮浪雲みたいに、あっちゃふらふら、こっちゃふらふら。風のむくまま、気のむくまま。

自由やゆうたら、そうかもしれんけど、、、なんか自分がたよんないんや。

「あるじ」ができたら、わての中心ができたんと同じや。「あるじ」を頼りにできるし、

「あるじ」を自慢することもできるんやでぇ。『わての「あるじ」はこんなお方やでぇ、

めっちゃ優しいねん』ってな。「あるじ」のご命令やったら、なんでもしたいちゅう

気持ちにもなる。いや、ちゃうな、、、なんでもできるちゅうきもちになる。そやかて、

「あるじ」はわてのこと、わて以上にごぞんじやから、「わてにせぇ」ゆうことは、

「わてはできるちゅうこっちゃ」。な、そう思えへんか、八。

八: 熊、おまえ、むちゃくちゃ、ポジティブやな。神様からご命令されたら、

モーセはんみたいに、言い訳いくらでも作って、尻込みせぇへんのか。

熊: せやなぁ、「神様」ってゆうてしもたら、そうなるかも知れんな。けんど、イエス様が、

わての「あるじ」やと思たら、わて、なんでもしそうや。ご命令に従わん言い訳は

100でも200でも作れる。そら、他人様からの命令やったら、言い訳も言うやろ。

けんど、わての自慢の「あるじであるイエス様」からのご命令やったら、喜んで「はい

って言いたい。わてみたいなもんにイエス様からご命令があるちゅうことは、イエス様、

わてに期待してくれてはるちゅうこっちゃろ。なんで、尻込みなんかせなあかんねんな。

「はい」ゆうたらええねんや。もちろん、「はい」ゆうたからゆうて順調よう行くとは

限らんし、また順調よういくことの方が少ないかもしれん。わてのこっちゃから

順調よう行かんやろ。けんど、イエス様がわてに期待して下さったんや。

イエス様のタラントのたとえのようにな。せやから、わてには、イエス様から、

なんぼのタラントいただいてるか分からんけど、一生懸命、精出して、イエス様に、

「熊はよくやった。良い忠実なしもべだ。熊はわずかな物に忠実だったから、

多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」って、言ってほしいわけや。

八: 熊にしてみたら、モーセはんのあの尻込みは、やきもきするんとちゃうか。

熊: わかる?わかってくれる?そやねん。なんで、そんなに尻込みせなあかんねんや!

ちゅうて、おもてしまうんや。謙遜かもしれんけど、謙遜するのもええかげんにせぇ、

ちゅうねん。セルフ・イメージが低すぎるんや。

八: あれ、熊、セルフ・イメージちゅうたら、熊もセルフ・イメージ低かったんとちゃうか。

熊: 八は、覚えてたな。せやねん、わて、セルフ・イメージ低かったやろ、せやけど、わて、

最近、考え方かえたんや。わてにはイエス様がついてくださっている。

百人力や、いや千人、万人力や。「はい、イエス様、しもべは聞いています」ちゅうて

イエス様の声をきいて、従っていったらええねんから。そうしたら、間違いはない。

地道に、あせりはきんもつや。なにせ、イエス様にしても神様にしても、

人間の時間の感覚とちょっとちゃうからな。

八: 熊、きょうは語るなぁ。熊の言うこときいてたら、なんか元気でてきたわ。おおきに。

若さん、今日は、わての出番はなさそうや。ここで、バトン、そっちにお返しします。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。熊さん、今日は語りますねぇ。「主」ではなく「あるじ」ですか。気持ち、分からなくはないですね。モーセも、熊のそのポジティブさを聞かされていれば、尻込みもあんなに執拗にしなかったかもしれませんね。とにかく、今日は熊さんに脱帽です。

さて、今日も宣言をしたいと思います。今日の宣言は、熊さんのことばをお借りして、「イエス様をあるじとします。感謝!」です。

では、3回宣言いたしましょう。

「イエス様をあるじとします。感謝!」、「イエス様をあるじとします。感謝!」、「イエス様をあるじとします。感謝!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇99篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書17章3節。

「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」

黙想いたします。詩篇99篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:イエス麗しき主&あなたがすべて

https://www.youtube.com/watch?v=BQgN98M1q_Q

聖餐式

賛美⑨:その日全世界が

https://www.youtube.com/watch?v=i7ud1Ujytsc

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の主日礼拝は、4月14日 午後5時から小阪チャペルにて。

いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。

聖書: 出エジプト記7章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/