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メッセージ主題:『主が贖われる人生』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2024.4.21主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2024年4月21日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:十字架のかげ

https://www.youtube.com/watch?v=eCPPPo7G8as

賛美②:驚くばかりの

https://www.youtube.com/watch?v=BkDyFcKNHYc

賛美③:あなたのために(4月)

https://www.youtube.com/watch?v=80H74JdvpX4

賛美④:イエスに栄光あれ

https://www.youtube.com/watch?v=v5sKPkQ68tY

賛美⑤:口の言葉

https://www.youtube.com/watch?v=WAZR-BU78Z8

賛美⑥: 主に賛美

https://www.youtube.com/watch?v=hSlIpCmU3BQ

【YOUTUBE配信開始】

2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。

年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。

●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)

するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。

人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。

イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、

パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。

また、二匹の魚も皆に分けられた。

彼らはみな、食べて満腹した。

そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。

パンを食べたのは、男が五千人であった。

●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)

イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。

「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」

●2024年4月21日 主日礼拝メッセージ

「出エジプト記」とは、個々人の霊的解放の書であり、信仰の歩みを記しています。

そして、私たちは、次のことを、この「出エジプト記」を通して学びます。

(会衆)

罪の奴隷からの解放

聖別された個となるための務め

神の臨在による神との親しい交わり

●聖書拝読:出エジプト記第8章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹

中心聖句: 

「わたしは、わたしの民をあなたの民と区別して、贖いをする。明日、このしるしが起こる。」(23)

メッセージ主題:『主が贖われる人生』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

「出エジプト記」7章から始まる神の不思議、ファラオがイスラエルの神を神としてひれ伏す御計画、モーセを通しての災いという不思議は、11章まで続きます。出エジプト記8章では、カエルの災い、ブヨの災い、アブの災いがエジプトに襲い掛かります。この8章のアブの災いところでは、興味深い箇所があります。エジプト全土の地面がアブの群れで満ちるとありますが、ゴシェンの地を特別に扱い、そこにはアブの群れがいないようにすると、主はおっしゃいます。このゴシェンの地には、イスラエルの民がとどまっているところです。イスラエルの民が、主を認識すること、主の救いを確信することを、主がご計画されました。そして、今日の中心聖句23節と続きます。●「わたしは、わたしの民をあなたの民と区別して、贖いをする。明日、このしるしが起こる。」この聖句の「区別する」「贖う」ということばに、私がぞくぞく感を覚えます。

「イスラエルの民とエジプトの民を区別して、贖いをする」とは、この出エジプト記の時代のことだけではありません。これが主の壮大なるご計画の基本なのです。「主がご自分の民とした人たちを必ず救い出す。」これは、旧約聖書、新約聖書を通して一貫していることです。そして、この贖いのご計画は、御子イエス・キリストを通して完成されます。

神はご自分の民とされる人々の選択をイエス・キリストに託されました。イエス・キリストを信じる人をご自分の民とされたのです。それは、神は私たち人類をいとおしく思い、神から離れるという罪を犯した私たちに、手を差し伸べられたのであります。

●ヨハネの福音書3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

これは、全くの真理です。

しかし、それを邪魔するものがあります。それが、罪です。

神はまったく聖なる、義なるお方ですから、罪深い人間を、なにもなしに赦すことはできません。

●ローマ人への手紙3:23「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができない」

そのように、罪を犯してしまう私たち人間に、神はイエス・キリストをこの世にお送りくださいました。

●ローマ人への手紙3:24「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」

罪人の私たちが、イエス・キリストの十字架の血潮によって、神には私たちの罪が帳消しにされたことを確認し、「義人」のハンコを押してくれるのです。

●ローマ人への手紙6:23「罪の報酬は死です。しかし、神の賜物(ギフト)は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

そして、その「義人」のハンコを押された私たちは、永遠のいのちへと導かれるのです。

●ローマ人への手紙5:8「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。」

イエス・キリストが、罪深い私たちの身代わりとなって死なれた、そして、そのイエス・キリストをお送りくださったのが、神であり、神がその愛を現わされたのです。

●ヨハネの福音書1:12「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」

しかし、その神の愛ゆえの、罪の贖いには、ただ一つの条件がありました。

それは、イエス・キリストを信じ受け入れるという条件でした。

イエス・キリストを信じ受け入れた人だけが、神の子どもとなり、「義」のハンコを押され、つまり、過去・現在・未来の罪をイエス・キリストゆえに赦され、永遠のいのちにあずかることができる。

これが、神の愛による区別ではないでしょうか。

神は差別はされません。年齢や性別や社会的地位やその人のもつ能力や、それらのことには、いっさい目もくれず、ただただ、「イエス・キリストを信じるか否か」だけで、「神の子ども」となる承認を与えられるのです。神の区別です。

ゴシェンの地は、イスラエルの民がとどまっているところで、神がそこにはアブを発生させませんでした。神はイスラエルの民を区別し贖ったような記述ではありますが、わたしも短絡的にそう思っていました。しかし、本当にそうでしょうか。ゴシェンの地には、イスラエルの民だけではなく、彼らの奴隷もまたイスラエルの民と交流のある人たちもいたのではないでしょうか。エジプトから導きだしたモーセの率いる民の中に、イスラエル以外の民も混じっていました。

12章37節38節●「イスラエルの子らはラメセスからスコテに向かって旅立った。女、子どもを除いて、徒歩の壮年男子は約60万人であった。さらに、入り混じって来た多くの異国人と、羊や牛などおびただしい数の家畜も、彼らとともに上った。」

この入り混じった異国人は、旅の途中で、マナという食べ物に不満を抱き、「肉が食べたい!」と民を先導した張本人であります。

民数記11章4-6節●「彼らのうちに混じって来ていた者たちは激しい欲望にかられ、イスラエルの子らは再び大声で泣いて、言った。『ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、玉ねぎ、にんにくも。だが今や、私たちの喉はからからだ。全く何もなく、ただ、このマナを見るだけだ。』」

エジプトから脱出したのは、イスラエルの民だけではなく、同じ奴隷として働いていたものや、イスラエルの民と結婚したもの、イスラエルの民に同情したものなどもいました。彼らも区別され、贖われたものでありました。

神に選ばれたイスラエルの民のほかに、異国人であっても、神に区別され贖われた人々がいました。

ここに神の愛があり、異邦人でも救われるきざしがすでに始まっていました。

私は、主に感謝します。エジプトで奴隷の身となっていた民が区別され贖われたときに、異邦人も含まれていたことに。そして、この出エジプト記が、より身近に感じられるようになったことを。

さて、ここで、今日も天国長屋の八さん熊さんに登場していただきましょう。八さん、熊さん、お二人は、「主が区別し贖われる」ことについてどうおもわれますか。

―――――

八: 「主が区別し、贖われる」ちゅうことは、主に主導権がある、ちゅうこっちゃな。

熊: あ、それで思い出すのが、あの聖句や。●「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。」(ヨハネの福音書15:16)

八: わてらがイエス様を選んだんとちゃう、イエス様がわてらを選んでくださったんや。ほんまに感謝や。

熊: けんど、わてらは何をしたら選ばれたんやろ。わて、なんもしてへんねんけど。

八: せやなぁ。何かをしたから、なんか良いことをしたから選ばれるんとちゃうわな。

それやったら、わてらよりも、もっと善人はおるからなぁ。

熊: ほんなら、なんでやろ。

八: それは、わからん。神様の選びのパターンなんで、知る由もないわ。

また、知ったところで、わてらには関係ない。もうすでに選ばれているんやから。

熊: まあ、そりゃそうやわな。それよりも、わて、この8章で、なんで、

カエルとブヨとアブの災いなんやろって思てんねんけど、八、分かるか?

八: わからん。けんど、横丁のご隠居におしえてもろたでぇ。

熊: 横丁のご隠居は物知りやさかいなぁ。ほんで、ご隠居なって言うてはった?

八: カエルは、エジプトでは豊穣のシンボルみたいやで。

なんせ、繁殖力がものごっついらしいから。カエルが神としてまつられてた。

ところが、そのカエルが災いとなった。エジプトの神が災いをもとらすものとなって、

死んで悪臭もはなって、カエルの神もまやかしやちゅうことを意味してるらしいわ。

熊: カエルが神かいな、悪臭も放つねんから、そりゃ悪趣味やな。

八: しゃれゆうてる場合か。

熊: すんまへん。そんで、ブヨはどうなんや。

八: ブヨに刺されると、皮膚に炎症がでたり、かゆくなったりするらしいでぇ。

熊: 刺されたりすると、皮膚がぶよぶよになったりしたりして。

八: もうしゃれはええねん。

熊: 痒いのも大変やな。日本でゆうたら、蚊みたいなものやな。体中かまれたら、

えらいこっちゃ。それに皮膚病がうつったり、ハマダラ蚊のような奴やったら、

マラリヤみたいなものも伝染するかもしれんしな。

八: せやな。そうなったら大ごとや。

熊: ほんで、アブはどうなん?

八: アブは噛みよるからな、大変やで。

熊: アブは刺すんとちゃうんかい。

八: 刺すのはハチや、アブは噛むねん。せやから、ハチよりしまつがわるい。

噛まれたら、2,3週間、痒いのが続くらしい。

熊: さよか。ブヨもアブも皮膚に炎症おこすから、やっかいやな。

八: あの当時、皮膚に炎症おこすと、変な病気と勘違いされるかもしれへんから、

できるだけ、ブヨやアブは避けたいところや。

熊: いま、思いついたんやけどなぁ、7章で血の災いがあったやろ。

あれで、水が飲まれへんようになった。そんで、8章で、カエルの大量繁殖や。

そのカエルが死んで、ブヨやアブの大量発生や。なんか、ナイル川の水質が悪うなって、

水の中におられへんようになったカエルが陸に上がってきて、死んで、

その死骸に卵産んだブヨやアブの大量発生。ようでけた話ちゃうかと思た。

八: 熊、それは当たりかもしれへんなぁ。9章では、疫病の災いと腫物の災いがおこる。

神様のなされる不思議やからどんな順番でもええような気がするねんけど、

理にかのうてるような気がする。ようは、水質の悪化から連鎖的にでてきた災いなんや。

熊: そうか。今も昔も水ちゅうのは大事なんやなぁ。

八: ほら、詩篇の23篇でも、●「主は私を緑の牧場にふさせ、いこいのみぎわに伴われます」

(2節)ちゅうてるやろ、あの「みぎわ」って「水のほとり」のこっちゃ。

その水はきれいな水にちがいない。

熊: それやったら、詩篇の1篇の3節●「その人は流れのほとりに植えられた木。

時が来ると実を結び、その葉は枯れず、そのなすことはすべて栄える。」もそうやで。

きれいな水は、わてらに活力を与えてくれる。

八: そや、そやから、イエス様も●「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇く

ことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの

水が湧き出ます。」(ヨハネ4:14)とおっしゃる。

湧き水が、水のなかでもいっちゃん、清らかな水や。なんせ、清水っていうからな。

熊: その水が、神に背くことによって、水質が悪化し、体もそうやけど、霊的な病気になって

いく。そのことを、この出エジプト記では暗示してるのかもしれへんな。

八: その霊的な病気から、モーセの民を区別し守り救い出してくださる。

そのことをここでは説いているのかもしれんでぇ。

熊: もし、そうやったら、あのエジプトでのナイル川の水の聖さが、

霊的な守りやったとしたら、今のわてらにとっての霊的な守りって、なんやろ。

八: それは、やっぱりみ言葉やろ。み言葉を聞いて、聞くだけやあかんで。

み言葉を聞いて、それを行うものでないとな。エペソ人への手紙の5章26節と27節。

●「キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、

教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自分で、しみや、しわや、

そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、

ご自分の前に立たせるためです。」

熊: なるほどなぁ。聖い水、つまりはイエス様の血潮でわてらの罪を洗い流して、

そんでもってみ言葉に聞き従う。ちゅうことは、ゴシェンの地にいたモーセの民も、

不信仰から守られたちゅうことやな。区別され、贖われた。

八: お、なんかまとまってきたな。ちょうどええわ。若さん、ここらで、バトンタッチ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。熊さんが思いついたように、水質の悪化が、カエルの大量死、その死骸からのブヨやアブの大量発生、そして疫病、腫物の災いにつながっていくのかもしれませんね。私たちの生死に必要な清い水、その水は、霊的な意味では、聖書のみ言葉。そして、ゴシェンの地にとどまっていた民は、主の言葉に聞き従うように選ばれた者。選ばれた限りは、私たちは、主の言葉に聞き従う者でありたいと思います。私たちは、いやいや従うものではありません。モーセの民は希望に満ちて、エジプトを離れたはずです。その旅は、人間の罪深さのゆえに、紆余曲折あり40年間も荒野をさまよう結果となりました。しかし、主がいつも伴われ、彼らを養われたのです。それは、最後まで希望を捨てなかったからでもあり、また、主がその希望から離れないように導いておられたからです。私たちも同じです。主が選ばれた者は、主が最後まで責任をもって導いてくださいます。主の聖名をあがめ、主を賛美し、主を喜びつつ、歩ませていただきましょう。

さて、今日も宣言をいたしましょう。今日の宣言は、主に贖われた者として、主のみ言葉に聞き従い、喜びをもって、歩ませていただくために、「贖われた者として主を喜びます。感謝!」です。

では、3回宣言いたしましょう。

「贖われた者として主を喜びます。感謝!」、「贖われた者として主を喜びます。感謝!」、「贖われた者として主を喜びます。感謝!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇36篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書3章5節。

「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。」

黙想いたします。詩篇36篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:悔いた心

https://www.youtube.com/watch?v=HHA6WPhBIao&list=PLjurp6lKEU5QU4tdykqP6_PCqQpDDdu9r&index=36

賛美⑨:御国と力と栄光

https://www.youtube.com/watch?v=AASjAe0sEho

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の主日礼拝は、4月28日 午後5時から小阪チャペルにて。

いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。

聖書: 出エジプト記9章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/