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メッセージ主題:『主を恐れる人生』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2024.4.28主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2024年4月28日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:よみがえりの主・いつくしみ深き

https://www.youtube.com/watch?v=lFv5ooYAA2o

賛美②:大いなる方に

https://www.youtube.com/watch?v=N5Lce_fLPgA

賛美③:あなたのために(4月)

https://www.youtube.com/watch?v=80H74JdvpX4

賛美④:主はぶどうの木

https://www.youtube.com/watch?v=xdAClkSkCJo

賛美⑤:なんて麗しいイエスの名は

https://www.youtube.com/watch?v=llFb1IB3OYY

賛美⑥: わが心の目を

https://www.youtube.com/watch?v=Y-pA6vjYYPA

【YOUTUBE配信開始】

2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。

年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。

●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)

するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。

人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。

イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、

パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。

また、二匹の魚も皆に分けられた。

彼らはみな、食べて満腹した。

そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。

パンを食べたのは、男が五千人であった。

●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)

イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。

「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」

●2024年4月28日 主日礼拝メッセージ

「出エジプト記」とは、個々人の霊的解放の書であり、信仰の歩みを記しています。

そして、私たちは、次のことを、この「出エジプト記」を通して学びます。

(会衆)

罪の奴隷からの解放

聖別された個となるための務め

神の臨在による神との親しい交わり

●聖書拝読:出エジプト記第9章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹

中心聖句: 

「実に今でも、わたしが手を伸ばし、あなた(ファラオ)とあなたの民を疫病で打つなら、あなたは地から消し去られる。しかし、このことのために、わたしはあなたを立てておいた。わたしの力をあなたに示すため、そうして、わたしの名を全地に知らしめるためである。」(15-16)

メッセージ主題:『主を恐れる人生』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

「出エジプト記」7章から始まる神の不思議、ファラオがイスラエルの神を神としてひれ伏す御計画、モーセを通しての災いという不思議は、11章まで続きます。ナイル川が血のなる災い、カエルが川から上がり地をうめつくす災い、土のちりがブヨとなり人と家畜を襲う災い、人家をも畑をもうめつくすアブの災い、そしてこの9章では、家畜に広がる疫病の災い、人と家畜をおそう腫物の災い、雷と雹の災いを、主は起こされます。先週も申しましたが、ナイル川の水質が悪くなり、カエルが陸にあがり死に絶え、そこにブヨやアブが卵を産み大繁殖し、まずは、家畜に疫病が広がり、人に皮膚の炎症が蔓延します。この連続する災いの元凶は、ナイル川の水質の悪化であり、それは主が起こされた異常気象によるものでありました。げんに激しい雷や雹の発生は、積乱雲の急激な発達が原因と考えられています。また、それは局地的なものとなることも多く、この当時、ゴシェンの地が主によって守られたのも、納得できます。

しかし、これらすべての事は、神のなせる業なのです。

最近起こった集中豪雨では、ドバイで24時間で1年分の雨が降りました。都市機能は完全に壊滅し麻痺しました。神が天候をもコントロールされていることを考えますと、神の力が私たちの想像をはるかに超えたものであることが分かります。神はノアのときに、地を完全におおうほどの雨を降らせ、ノアの箱舟の中にかくまわれた人と動物だけが、救われ、この地上での再生を命じられました。

このことからも分かるように、私たちは主の憐れみの中で生かされているということです。神は人類を全滅させることもおできになるところですが、そうはなさいませんでした。それは、人々が神の偉大さを知るためでもありました。それが、主がモーセに告げた、ファラオへの伝言の中にあります。今日の中心聖句です。●「実に今でも、わたしが手を伸ばし、あなた(ファラオ)とあなたの民を疫病で打つなら、あなたは地から消し去られる。しかし、このことのために、わたしはあなたを立てておいた。わたしの力をあなたに示すため、そうして、わたしの名を全地に知らしめるためである。」(15-16)

エジプトの民を絶滅させることもおできになる主ですが、そうはなさらず、彼らを生かして、主の力を知り、主を恐れるようにするためでありました。また、エジプトの民も、「主に仕えるようにする」ため、「主である」ことを知らしめるためでもありました。

パウロは、この出エジプト記9章の今日の中心聖句の箇所をもちいて、●「神は人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままに頑なにされるのです。」と説き、出エジプト記33章19節のことば●「わたしはあわれもうと思う者をあわれみ、いつくしもうと思う者をいつくしむ。」を引用し、人の願いや努力によって人は救われるのではなく、神のあわれみによるのであると主張しています。ある牧師先生は、このことを、「人を生かすも殺すも神のご勝手」とおっしゃいました。このことは神が傍若無人(ぼうじゃくぶじん)であると言っているのではなく、神は義なる方であり、義(正しさ)が神を動かしているのではなく、神の思いや行ない、神のわざ自体が義であると理解した上での「神のご勝手」とおっしゃったのです。まことに、私たち人間には、神のご計画は測り知れないことだというのであります。その神の、人間の理解を超えた、計り知れなさゆえに、「主を恐れ」なければならないということです。

では「主を恐れる」とはどういうことでしょうか。

箴言1章7節では、●「主を恐れることは知識の初め」とあります。この「知識」とは、人間的な知恵のことではなく、神の真理を正しく知る知識、神という存在を認識するということであります。その知識の最初の一歩が「主を恐れる」ことだと箴言は言うのです。また、「神の真理」とは、なんでしょう。私は、「神の真理」とは、ヨハネの言うところの「神は愛である」ことから、「神の愛」こそが、「神の真理」であると結論にいたりました。イエス様はこのようにおっしゃいました。●「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:31-32)律法や既成概念からの自由、劣等感や傲慢からの自由、プレッシャーや困難や苦難からの自由、そして死からの自由です。そして、その自由を得るためには、イエス様を信じ従うことです。なぜなら、イエス様は●「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」と自らを明らかにされるからです。また、先ほど、「神の真理」は「神の愛」だと申しました。「神の真理」も「神の愛」もイエス様の中にあります。イエス様は次のようにもおっしゃいました。●「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)イエス様は、私たち罪人のために、十字架にかかり、私たちの罪を帳消しにするために、御自身の血で私たちの罪を拭い去り、私たちを神の目からみて「義」となるようになさいました。そして、三日目に死を克服してよみがえり、私たちの罪の贖いを永遠のものとされ、イエス様と同じ永遠のいのちを、友と呼ばれる私たちにお与えくださる約束をされたのです。イエス様が、最大の愛を示されました。そして、その愛は神の愛でもあり、私たちの始祖、アダムを地のちりから創造された愛と同じなのであります。

そして、申命記10章12節13節では、「主を恐れ、主を愛し、主に仕える」ことの大切さを訴えています。●「イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただあなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、いのちを尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたの幸せのために私が今日あなたに命じる、主の命令と掟を守ることである。」神が私たちに求めておられるのが、「主を恐れ、主を愛し、主に仕える」という三つの要素でありますが、新約聖書では、神の求めておられるのは、テサロニケ人への第一の手紙5章16節~18節です。●「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、胃リスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」「いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝する」という3要素は、「主を恐れ、愛し、仕える」という漠然とした要求の具現化したものではないかと、私は考えております。そして、この「喜び、祈り、感謝する」ことは、まずすべての事に「感謝する」ことで、成就していくと考えています。つまり、すべての事に関して主に感謝をささげることで、「主を恐れ、愛し、仕える」ことになるとも言えるのではないでしょうか。

また、「主を恐れる」とは、「畏怖、畏敬の念を抱く」ことでもあります。これは「神への愛」でもあり「神への信頼」とも言い換えることができるでしょう。パウロは次のように示します。●「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」(2コリント3:6)新しい契約とは、「キリストの血によって贖われ救われた」という恵みの契約のことです。イエス様はこの新しい契約のことを、弟子たちとの最後の晩餐のときに、聖餐式のひな型を通してお教えくださいました。●「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」(マタイ26:26)●「みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。」(27-28)

イエス・キリストの契約とは、イエス・キリストを信じると告白するものは、永遠のいのちを得るということです。パウロはローマ書10章9節10節で次のように唱えます。

●「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」

私たちは、何か良いことをしたから救われるのではありません。ただただ心にイエス・キリストを受け入れた瞬間に義と認められ救われるのです。パウロの言うところの「口で告白して救われる」とは、信仰を公にする、とくに主にある兄弟姉妹の前で公にすることで、神の家族の一員と認められ、お互いに励まし合って、信仰を固くしていくということです。

この「信じれば救われる」という契約は、実はアブラハムの時代からそうでした。パウロはそのことをローマ書4章に書き綴っています。●「アブラハムは神を信じた。それで、それが神の義と認められた」(3)。神はこの「信じれば救われる」という契約に対して、初めから一貫しています。

イエス・キリストを信じて救われた私たちにとって、「主を恐れる」ことは、実に「主に感謝をささげる」ことから始まるのではないでしょうか。

さて、ここで、今日も天国長屋の八さん熊さんに登場していただきましょう。八さん、熊さん、お二人は、「主を恐れる」ことと「主に感謝する」ことについて関係をどう思われますか。

―――――

八: 「主を恐れる」ことと「主に感謝する」ちゅうことは、わてにとっては、正反対のような

感じがするねん。

熊: 正反対? どういうこっちゃ。若さんそんなことゆうてへんよな。

八: 神様がファラオやエジプトの民を生かしておくのは、イスラエルの神が主であることを

かれらに知らしめるためや。つまり、神の偉大さを知り、恐れるちゅうこっちゃ。

熊: それは、分かるで。ノアの洪水のときかって、生き残ったノアたちは、神を恐れたはずや。

なんせ、あの洪水を体験したんやからな。

八: 神様は、ある意味、恐ろしい方なんや。「神を恐れる」ことを人間に覚えさせるために、

神は天災を起こす。ちゅうか災害が起きるのをそのままにしておく。

この前の能登の地震かってそうやし、先日の台湾の地震も、地震だけやない、

集中豪雨や台風や干ばつもや。自然災害は、人間の傲慢さを悟り、神の偉大さを知り、

「神を恐れる」ことを思い出させるためのものなんや。

熊: 八は、天災を起こす、または起きるままにする神様に、「なんで感謝せなあかんねん」と

思うんか。

八: せやねん。神様にいろいろと感謝はしてんで。けんど、神様を恐れるちゅうことと、

わてのなかで、融合せえへんねん。災害の中で神様を恐れて、神様に感謝する?

熊: 八の気持ちも分かるような気もせんでもないなぁ。わても、あの3.11の地震と津波が

起こった時、「神様なんで?」「神様は愛の神様とちゃうんか」ってずっと思てたから。

けんど、今、あれから23年たった今、あの地域に教会がふえ、神を信じる人がふえて

きている。わてらは、短絡的なところしかみいひんけど、神様は永遠のお方やから

20年、50年、100年の中で、いや、それよりももっと長い時の流れで、神様は、

ご自分の民を集めることをご計画なんとちゃうかと思わされてんねん。

だから、わて「神様に感謝してんねん」

八: いやいや、ちょっとまって。神様の、いわば気の長~いご計画は分かるんやけど。

なんでそれに「感謝」できんねん。

熊: そやかて、神様を信じるお仲間が増えるちゅうことやろ。神様は永遠の方や。

わてらが生きている時にお仲間がふえるかどうかは分からん。けんど、もっと遠い

先のことを見て、神の民がふえるちゅう希望をもって、神様に感謝するちゅうのも

ええなぁって思わされてんねん、最近。

八: それって、アブラハムの信仰やな。アブラハムの子孫は星の数ほど増えるちゅう神様の

約束を信じて、希望をもって生きる、礼拝する。

そうか、わては、目先のことばっかりしか見てなかったような気がするわ。

そやから、「神を恐れる」ちゅうのと「神に感謝する」ちゅうのが、自分の中で

納得できひんかった。今日は熊に教えられたような気がするわ。

熊: わての考えなんて大したことないけど、目先やのうて、もっと遠くをみることって

大事やなぁって思わされてんねん。

まあ、目先のことに一喜一憂しやすいねんけどな、わても。

八: 災害を通して、神の偉大さを知り、神を恐れることを覚え、そのうえで、神様の約束は

絶対であることを確信して、神の民が星の数ほどに増えることに感謝する。

わて、やっとイエス様のお言葉が少しわかったような気がする。

熊: イエス様のどこのお言葉や。

八: ●「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。

この人に神のわざが現れるためです。」

熊: それって、生まれながらに目のみえへん人をイエス様がご覧になって、おっしゃった言葉

やな。そんで、イエス様はその人を見えるようにされた。

八: そや、ヨハネの福音書9章3節や。イエス様が癒されへんかったら、神様の栄光が

現わされへんのとちゃうんか、って思てた。けんど、生まれつき不自由な人が全員

癒されるわけやない。けど、その人の心がその不自由さにとらわれることなく、

イエス様によって解放され、その不自由さが、自由にされる。

それって、神様の栄光が現わされたというこっちゃないやろか。

熊: そやな。世の中不条理なことばっかりや。けんど、そこから解放されたら、生きることが

楽(らく)になる、楽しくなる。それが神様の栄光の現れや。

災害で、いや災害だけやない、事故や事件で亡くなった人や家族のことは、

神様がどう取り扱われるのか、正直わからん。けんど残された人がそこにとらわれ

すぎることのないように、神様が解放してくださるんやな。わてらは、その神様の

ミラクル的わざに感謝するねん。いや、感謝できるように導かれてんねん、

聖霊様によってな。

八: 熊、熊の言うとおりや。わてら、もっともっと遠くを見なあかんのかもしれへんなぁ。

その遠くを期待して、先取の感謝をささげなあかん、

いや、期待して感謝をささげたいんや、神様に。な、若さん。若さんもそう思うやろ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。熊さん、すごいですね。私たちには、神様の壮大なご計画は、わかりません。特に、災害や事故や事件で瞬時に命を奪われた人を、どのように神様は取り扱われるのか、私たちの理解を超えたところにあります。神様は死んでいった者の神様でもありますが、生き残った人たちの神様でもあります。神様は今を生きている人たちに働きかけて、その人たちの心を解放してくださる力があります。イエス様は、悩みの中にある方々によりそってくださり、励ましをあたえてくださいます。そして、悲しみや悩みからの解放を手助けしてくださるのです。それは、神の民を集めるためのものでもあるのではないでしょうか。熊さんの言うように、私たちは目先のことではなく、もっと遠い未来に希望をおいて、主に感謝すべきなのです。たとえ、感謝をする気持ちにないような状況におかれていたとしても、アブラハムが夜空の満天の星をながめて、子孫たちの繁栄に思いをはせ、神に感謝をささげたように、私たちも、どんな状況下にあろうとも、未来を見つめ、主に感謝をささげようではありませんか。

さて、今日も宣言をしたいと思います。今日の宣言は、造り主の偉大さを覚え、感謝の気持ちをもって、唱えます。「主を恐れるものとなります。感謝!」です。

では、3回宣言いたしましょう。

「主を恐れるものとなります。感謝!」、「主を恐れるものとなります。感謝!」、「主を恐れるものとなります。感謝!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇115篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書7章13-14節。

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかで。」

黙想いたします。詩篇115篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:主イエス神の愛

https://www.youtube.com/watch?v=DEPNDP0J9bw

賛美⑨: イエスが愛したように

https://www.youtube.com/watch?v=_uwf5_bibcM

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の主日礼拝は、5月5日 午後5時から小阪チャペルにて。

いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。

聖書: 出エジプト記10章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/