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メッセージ主題:『キリストの香りを放つ人生』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2024.5.12主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2024年5月12日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:キリストには代えられません

https://www.youtube.com/watch?v=wGh5-Dq1n88

賛美②:聖なるかな

https://www.youtube.com/watch?v=OjoK6NhirC8

賛美③:土の器(5月)

https://www.youtube.com/watch?v=aDwBJrvk7bs

賛美④:主イエスの十字架の血で

https://www.youtube.com/watch?v=0HDeZ6KnlNM

賛美⑤:栄光から栄光へと

https://www.youtube.com/watch?v=AeS8U6JmCCs

賛美⑥: イエスその御名は

https://www.youtube.com/watch?v=KyyeJYWEm6o

【YOUTUBE配信開始】

2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。

年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。

●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)

するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。

人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。

イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、

パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。

また、二匹の魚も皆に分けられた。

彼らはみな、食べて満腹した。

そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。

パンを食べたのは、男が五千人であった。

●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)

イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。

「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」

●2024年5月12日 主日礼拝メッセージ

「出エジプト記」とは、個々人の霊的解放の書であり、信仰の歩みを記しています。

そして、私たちは、次のことを、この「出エジプト記」を通して学びます。

(会衆)

罪の奴隷からの解放

聖別された個となるための務め

神の臨在による神との親しい交わり

●聖書拝読:出エジプト記第11章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹

中心聖句: 

「主は、エジプトがこの民に好意を持つようにされた。モーセその人も、エジプトの地でファラオの家臣と民にたいへん尊敬された。」(3)

メッセージ主題:『キリストの香りを放つ人生』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

「出エジプト記」7章から始まる神の不思議、ファラオがイスラエルの神を神としてひれ伏す御計画、モーセを通しての災いという不思議は、11章まで続きます。ナイル川が血のなる災い、カエルが川から上がり地をうめつくす災い、土のちりがブヨとなり人と家畜を襲う災い、人家をも畑をもうめつくすアブの災い、家畜に広がる疫病の災い、人と家畜をおそう腫物の災い、雷と雹の災い、イナゴの災い、暗闇の災いが主によって起こされます。そして11章では、最後で最大の災いとして、エジプトの国の初子、王の初子から奴隷の初子、そして家畜の初子にいたるまですべて死ぬというものです。しかし、ファラオはこの忠告を聞き入れませんでした。

一方で、今日の中心聖句3節にありますように、二つの疑問点が私的には浮上します。①「主は、エジプトがこの民に好意を持つようにされた。」②「モーセその人も、エジプトの地でファラオの家臣と民にたいへん尊敬された」ということです。

一つ目の「主は、エジプトがこの民に好意を持つようにされた。」ということですが、どうして、エジプトの民が、奴隷扱いされていたイスラエルの民に好意をもつようにされたのでしょうか。

2節に「イスラエルの男は隣のエジプトの男から、女は隣の女から銀の飾りや金の飾りを求めるように。」とあります。どうして、金や銀が必要だったのでしょう。それは路銀、つまり旅行費用だと考えられます。この時点では、イスラエルの民が40年間の放浪の旅にでるとは、だれも思ってはいなかったでしょう。ただひとり、主をのぞいては。ですから、主がイスラエルの民に、エジプトの民が好意をもつようにしむけたのでしょう。略奪ではなく、譲渡にちかい感覚で、金銀を渡すように仕向けたのは、エジプトをスムーズに出るために必要なことだったのかもしれません。

神はときおり、敵の中に、見方を置き、逃れの道をご用意されることがございます。例えば、ヨシュアの偵察隊が敵陣エリコを偵察したとき、遊女ラハブの手助けによって、偵察隊は無事に逃げることができました。神はラハブをあらかじめ置き、偵察隊を導き出すようにしました。そして、後、ラハブはヘブライ人の一員として加えられ、ラハブの胎からボアズが生まれ、ボアズはルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイ、エッサイにダビデ王が生まれます。(ヨシュア2章)

イスラエルの民が住んでいたゴシェンの地域は、神によって、神が起こされた災いから守られました。ゴシェンの地域には、イスラエルの民だけではなく、エジプトの民も住んでいたはずです。そのエジプトの民は、自分たちがイスラエルの民のおかげで、災いから逃れられたことで、感謝したでありましょう。その感謝が金や銀を差し出すという行為につながったと考えるのも道理にかなっているように思われます。

二つ目の「モーセその人も、エジプトの地でファラオの家臣と民にたいへん尊敬された」ということですが、これには10章に伏線がありました。7節●「家臣たちはファラオに言った。『この男(モーセ)は、いつまで私たちを陥れるのでしょうか。この者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてください。エジプトが滅びるのが、まだお分かりにならないのですか。』」家臣たちは、ファラオ王に訴えていました。家臣は、ファラオ王が意固地になっていて、正常な判断ができない状態であるのを見抜き、また、モーセの神を恐れていたのです。そして、指導者として、モーセに一目も二目も置いていたのでしょう。「敵ながらあっぱれ」という感覚なのかもしれません。モーセの要求は、一貫して、モーセの民をエジプトから去らせること、自由にすることでした。そのことは、ぶれていませんでした。一方、ファラオは心が頑なとなり、何回もコロコロとモーセに対する約束を翻していきます。エジプトの家臣は、そんなファラオに対して厭気がさしてきていたのでしょう。信用、信頼をなくした王はあわれです。裸の王様というお話がありますが、まさに、ファラオはこの時点で裸の王様になっていたのかもしれません。

私たちは、このモーセの一貫した態度から、学ばないといけません。何がなんでも、時が良くても悪くても、主を恐れ、主に聞き従う、また時の権力者にたいしても、民のために神の目にあって正しいと思うことを、貫き通すことであります。また、私たちの周りの人が、私たちを通して、イエス・キリストに興味をもっていただくこと、それが大事であります。それこそが、キリストの香りを放つということではないでしょうか。

私が、イエス・キリストの興味をもったのは、留学中に出会ったクリスチャンの笑顔でした。彼らの笑顔が、他の人のそれとなにか違うように思え、その笑顔の秘密を知ろうと彼らに近づいていきました。まさに、彼らからキリストの香りがしていたのでした。

では、そもそもですが、キリストの香りとは、聖書ではどのように記述されているのでしょうか。

パウロ書簡、コリント人への第二の手紙2章14節~17節には次のようにあります。

●「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。滅びる人々にとっては、死から出て死に至らせる香りであり、救われる人々によっては、いのちから出ていのちに至らせる香りです。このような務めにふさわしい人は、いったいだれでしょうか。私たちは、多くの人たちのように、神のことばに混ぜ物をして売ったりせず、誠実な者として、また神から遣わされた者として、神の御前でキリストにあって語るのです。」

この聖句から3つのことを考えたいと思います。

1キリストの芳しい香り、2キリストは救い主でもあり裁き主でもある、3キリストの香りを放つ者

キリストの芳しい香り

芳しい香りとは、人を心地よくさせ、平安と喜びに導く香りのことでしょう。しかし、「芳しい香り」の感じ方には、個人さがあると思います。ある人にとってはリラックス効果がある香りであっても、他の方にはむせるほどのきつさであったりします。最近、「香りの害」「香害」が注目されたりしています。香水、洗剤、芳香剤に限らず、建築建材や排気ガスまで、いろいろと人体に危害をくわえる香りや臭いが問題となっています。例えば、同じ香水でも、直接スプレーで吹きかけた時と、頭上の空間にスプレーして、その空間を通りぬけた時では、香りの強弱が変わってきます。相手やその場に応じて、香りの強弱も変える必要があるでしょう。

同じことが、「キリストの香りを放つ時」にも要求されるのではないでしょうか。人によって、またその人のその時の気持ちによっても、神の平安と喜びに導く香りを拒絶される時もあれば、素通りされる時、また受け入れる時もあるでしょう。私たちは、祈りをもって、神からの知恵をいただき、その場その場に応じて、聖霊様に働いていただかなければいけません。ですから、パウロは、「キリストを知る知識の香り」と表しているのかと、私なんかは思ってしまうのです。

キリストは救い主でもあり裁き主でもある

私たちは、次のことを覚えておかなければなりません。キリストは救い主でもあり裁き主でもあるということです。つまり、キリストの香りは「いのち」に通じるものであると同時に「死」にも通じるものであるということです。ですから、パウロは、「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。滅びる人々にとっては、死から出て死に至らせる香りであり、救われる人々によっては、いのちから出ていのちに至らせる香りです。」

キリストの香りは、いわば両刃の剣であります。しかし、私たちはこのことを覚えておく必要がありますが、心配する必要はありません。相手によって、キリストの香りは「いのち」にもなり、「死」にもなるのですが、この使い分けは、聖霊様の働きの領域であるのです。

キリストの香りを放つ者

16節の最後に「このような務めにふさわしい人は、いったいだれでしょうか。」と問いかけられています。そして、17節では、その応答として、「神のことばに混ぜ物をして売ったりせず、誠実な者として、また神から遣わされた者として、神の御前でキリストにあって語るのです。」とありますように、神の言葉に誠実であり、イエス・キリストを証しする人、イエス・キリストを喜ぶ人です。そして、それは私たち一人一人です。イエス・キリストを証しするときに、信仰の長い短い、牧師・伝道師・信徒の区別は、全く関係ありません。最強の助っ人である聖霊様が働いてくださるのですから。強いて言えば、「イエス・キリストを喜んでいる人」です。

では、「イエス・キリストを喜ぶ」とは、どういうことでしょうか。

パウロはローマ書5章で、次のように説いています。

●「私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。」

「イエス・キリストを喜ぶ」とは、イエス・キリストの十字架での贖いを、まったくの恵みとして受け止め、感謝し、「主イエス・キリストによって、神との平和を持っている」(5:1)ということではないでしょうか。

さて、今日も天国長屋の八さん熊さんにご登場いただきましょう。「キリストの香り」についてお二人はどう思われますか。

―――――

八: 「キリストの香り」ちゅうのは、「いのち」でもあり「ほろび」でもあるって、

なんか身の引き締まるかんじやな。

熊: せやから、わては思いっきり「イエス・キリストを喜ぶ」ちゅうことをしたいと

思っているんや。喜ぶことが中途半端やったら、「香り」も中途半端や。

八: 「イエス・キリストを喜ぶ」って、熊はどうするねん。

熊: ほら、わてらには、生涯の聖句があるやないか。

八: あ、第一テサロニケのやつか。

熊: そや。●「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて

感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んで

おられることです。」けんど、これ正直ゆうて、むずかしいんや。

八: どうむずかしいねんな。

熊: そやかて、喜び、祈り、感謝ってえ、三つのこと同時にせなあかん。これが難儀なんや。

八: あほやなぁ。三つをしようと思うから大変なんや。いつも喜び、絶えず祈り、、、

ここまで言うて、無理無理感が満載やろ。その上に、すべてに感謝。

熊: ほな、どうすりゃ、ええねんな。

八: 若さん、ちょっと前にゆうてはったんやん。

熊: なんやったっけ。

八: ほら、すべてに感謝を心がけたら、祈りも喜びもついてくる、ちゅうて。

熊: ああ、ゆうてはったな。神様に感謝すれば、それは祈りや。祈りは神様との会話やからな。

神様に感謝をささげるちゅうことは、その時点で神様と会話してるちゅうこっちゃ。

八: そうそう。そして神様と会話してるちゅうことは、ある意味喜びでもあるんや。

熊: そやったそやった。感謝が祈りを導き、感謝と祈りがいっしょになって、

喜びを導いてくれる。若さん、せやから、神様に感謝を一点集中。ってゆうてはった。

八: おお、思い出したようやな。けんど、まだもう一つあったやろ。

熊: 分かってるでぇ。19節の「御霊を消してはいけません」やろ。

八: そや。すべては御霊、聖霊様の働きや。感謝も祈りも喜びもな。

せやから、聖霊様の導きに従って、感謝を思い存分したらええねん。

熊: せやなぁ。心置きなく感謝三昧。それが、「イエス・キリストを喜ぶ」ちゅうことやし、

「キリストの香り」を放つちゅうことなんやろなぁ。

八: 若さん、わてらの中では、答えらしいもんでたでぇ。「イエス様に神様に、

心置きなく感謝三昧」これにつきるわ。ほな、そういうことで。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。モーセのように私たちが他の人に尊敬されるか、好かれるか、ということに気をつかうのではなくて、神様に感謝をする、イエス様を喜ぶことに集中すれば、他の人の好意も尊敬も、ひょっとしたら後からついてくるかもしれないし、ついてこないかもしれない。でも、他の人のことなんて気にしなくてもいいんです。神様に感謝していればいいんです。後は聖霊様が働いて下さいます。イエス様のお話しをするのも、技術や熱心ではないんです。すべては、聖霊様がどのように私たちを通して働いて下さるかにかかっているのです。

ネヘミヤの言葉に、●「主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」(8:10)というのがあります。聖霊様をとおして私たちに力が送られてきます。その力が、主を証しする原動力となります。いえ、証しするという技術的な計算的なことではありません。主に対する感謝と喜びと嬉しさが、私たちを押しい出すと言った方がよいでしょう。それが力です。

さて、今日も宣言をしましょう。今日の宣言は、相手の気持ちを優先するように導いていただくことを期待して、唱えます。「主に感謝し、主を喜びます。ハレルヤ!」です。

では、3回宣言いたしましょう。

「主に感謝し、主を喜びます。ハレルヤ!」、「主に感謝し、主を喜びます。ハレルヤ!」、「主に感謝し、主を喜びます。ハレルヤ!」。アーメン!

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇37篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書15章9節。

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。」

黙想いたします。詩篇37篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:イエスは愛で満たす

https://www.youtube.com/watch?v=I_G7hCgLRn0

賛美⑨:感謝をささげる事は

https://www.youtube.com/watch?v=aNMHLfVa7_A

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の主日礼拝は、5月19日 午後5時から小阪チャペルにて。

いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。

聖書: 出エジプト記12章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/