ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2024.5.19主日礼拝式
(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)
●午後5時開会:ただいまより、2024年5月19日主日礼拝式を始めます。
●祈り
礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
続いて
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:聖なる聖なる聖なるかな
https://www.youtube.com/watch?v=fYWGA7rH4pA
賛美②:罪重荷をのぞくは
https://www.youtube.com/watch?v=N7ej-ynfrjo
賛美③:土の器(5月)
https://www.youtube.com/watch?v=aDwBJrvk7bs
賛美④:御名を掲げて
https://www.youtube.com/watch?v=3iGSoZd7l0k
賛美⑤:栄光ある主の御名
https://www.youtube.com/watch?v=pL3H7KXoMsw
賛美⑥:主の前にひざまずき
https://www.youtube.com/watch?v=0JUc0GASGf4
【YOUTUBE配信開始】
2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。
年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。
●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)
するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。
人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。
イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、
パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。
また、二匹の魚も皆に分けられた。
彼らはみな、食べて満腹した。
そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。
パンを食べたのは、男が五千人であった。
●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)
イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。
「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」
●2024年5月19日 主日礼拝メッセージ
「出エジプト記」とは、個々人の霊的解放の書であり、信仰の歩みを記しています。
そして、私たちは、次のことを、この「出エジプト記」を通して学びます。
(会衆)
罪の奴隷からの解放
聖別された個となるための務め
神の臨在による神との親しい交わり
●聖書拝読:出エジプト記第12章(新改訳聖書2017)
朗読: 若竹
中心聖句:
「もし、あなたのところに寄留者が滞在していて、主に過越のいけにえを献げようとするなら、その人の家の男子はみな割礼を受けなければならない。そうすれば、その人は近づいてそれを献げることができる。彼はこの国に生まれた者と同じになる。しかし無割礼の者は、だれもそれを食べてはならない。」(48)
メッセージ主題:『心の割礼を受け続ける人生』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
出エジプト記12章では、四つのパートに分かれています。①「主の過ぎ越し」(主がエジプトの地を打つ時、つまりエジプトの初子が死ぬ時、イスラエルの民にはその滅びの災いは起こらない。家の二本の柱に羊の血を塗り、主はその血をみて、その家を通り越し、初子の死という災いから免れる) ②「初子の死」(真夜中になって、主はエジプトのすべての初子を撃つ。ファラオはついに、イスラエルの民をエジプトから去らせる決意をする) ③「イスラエルの民エジプトを去る」(イスラエルの民がエジプトに430年間という長期滞在、おもに奴隷として虐げられていたことから解き放たれ、エジプトの国を出発する) ④「過越祭の規定」(主が災いを過ぎ越されたことへの感謝を忘れることがないように、規定通りに祝う)
今日は4つ目のパート、「過越祭の規定」の中から、48節の恵みを考えてみたいと思います。
(聖句)
「主に過越のいけにえを献げようとするなら、その人の家の男子はみな割礼を受けなければならない。そうすれば、その人は近づいてそれを献げることができる」というところですが、主に近づいて、いけにえを献げるためには、言い換えれば、主が主に近づくことを許され、主へのいけにえを受け取ってくださるには、割礼を受けなければならないということです。しかし、現代の私たち、とくに異邦人には、この規定の言葉どおりに受け取らなくてもよくなりました。そこにイエス・キリストが介在してくださったからです。主が、私たちの罪を帳消しにする「いけにえ」として、主ご自身をささげ、私たちの罪のゆえにいったん死に、三日目に復活され、40日間、当時の弟子たちとともに過ごし、天に上げられました。イエス様の死と復活が永遠に有効となるためにも、イエス様は、助け主である聖霊様を、私たちの心にお送りくださいます。もちろん、私たちが「イエス・キリストを信じる」と告白する必要があります。その証しで、瞬時に聖霊が私たちの心におすまいくださいます。
使徒パウロは、ローマ書2章で、次のように唱えます。
「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また外見上のからだの割礼が割礼ではないからです。かえって一目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による心の割礼こそ割礼だからです。その人への称賛は人からではなく、神から来ます。」(28-29)
パウロは、体の割礼ではなく、心の割礼こそ真の割礼であると主張します。では、心の割礼とは、パウロが提唱した新しい考えなのでしょうか。いえ、そうではありません。旧約聖書にも「心の割礼」が強調されています。例えば、、、、
●申命記10:16
「あなたがたは心の包皮に割礼を施しなさい。もう、うなじを固くする者であってはならない。」
心に割礼を受けていない者とは、うなじを固くする者、つまり強情な者であるということが理解できます。また、同じ申命記でも次のように説いているところもあります。
●申命記30:6
「あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心に割礼を施し、あなたが心を尽くし、いのちを尽くして、あなたの神、主を愛し、そうしてあなたが生きるようにされる。」
心の割礼をうけた人は、心を尽くし、いのちを尽くし、主を愛すことができるのです。逆に言えば、心の割礼をうけていなければ、主を誠心誠意愛すことはできないということになります。
またエレミヤ書では、「心の割礼をほどこす」ことを、「心の包皮を取り除く」こととして記述されています。
●エレミヤ書4:4
「ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け、そうでないと、あなたがたの悪い行いのゆえに、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」
心に割礼をうけていない人を、神は罪人とみなし、滅ぼされる運命にあります。その上、神と和解を仲介する方、救い主イエス・キリストも介在されません。心の割礼はそれほど大事なのです。
心の割礼をうけないと、イエス・キリストからの救いを受けることもないということです。
●エレミヤ書9:25-26
「見よ、その時代が来る――主のことば――。そのとき、わたしはすべて包皮に割礼を受けている者を罰する。エジプト、ユダ、エドム、アンモンの子ら、モアブ、および荒野の住人で、もみ上げを刈り上げているすべての者を罰する。すべての国々は無割礼で、イスラエルの全家も心に割礼を受けていないからだ。」
心の割礼のみが、神によって、割礼をほどこされた者とみなされ、心に割礼を受けていない人はすべて罰せられます。身体の割礼は、救いに無関係だということです。
●エゼキエル書44:9
「神である主はこう言われる。『心に割礼を受けず、肉体にも割礼を受けていない異国の民は、だれもわたしの聖所に入ってはならない。イスラエルの子らの中にいる異国の民はみなそうだ。』」
心に割礼を受けていない者は、神の聖所、つまり神の平安の中に入ることをゆるされません。つまり、滅びるしかないのです。
●使徒の働き7:51
「うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。」
心と耳に割礼を受けていない人、主に聞き従うことのできない人は、すなわち「うなじを固くする」人のことで、聖霊に逆らっている人のことです。
●詩篇34:18
「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。」
心に割礼をうけた人に、主は必ず伴われ、救われます。
●詩篇51:17
「神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ、砕かれた心。神よ、あなたはそれを蔑まされません。」
動物のいけにえではなく、砕かれた悔いた心が主に喜ばれます。
肉体的な割礼は、一度きりですが、心の割礼は、悔い改めることでもあると考えられますから、主に何度でも悔い改め、主の御前に近づいて、主の平安をいただくことが肝心です。
さて、今日も天国長屋の八さん熊さんにご登場いただきましょう。「心の割礼」についてお二人はどう思われますか。
―――――
八: 「心の割礼」は、悔い改めやちゅうてたな。割礼は、主の民である「しるし」。
せやから、ほんまのほんまに、主を愛する、ちゅうことなんやろうな。
心にそのしるしが刻まれたんや。
熊: ちょっと待って。「心の割礼」って、心にそのしるしが刻まれたんか。
せやったら、わてらにとっては、「イエス様を信じる」ちゅうことが
「心の割礼」なんとちゃうんか。心にしるしが刻まれるちゅうのは、
聖霊様がわてらの心にお住まい下さるちゅうことでもあるんとちゃうか。
けんどな、わて、それって、もともと違うんとちゃうかと思てんねん。
八、そもそもなんやけどな、割礼ってなんや?
八: そこにもどるんか。割礼ちゅうたら、男性の急所の部分の包皮を切り取るこっちゃがな。
痛いやろなぁ。
熊: 包皮である覆いをとるんやわな。けんど、なんで男性の急所の包皮やったんやろか。
あんなん、見せびらかすもんでもないし、隠されとるところやから、
割礼受けたかどうかなんで分らんやん。ま、見せ合いするんやったら別やけど。
八: せやなぁ。熊の言うとおりや。ほなら、こういう風には考えられへんか。
もともとは、心の包皮、覆いを取り去って、主に対峙する、真摯に向き合うことが、
神様の本当の導きやったんとちゃうやろか。
それの象徴として、隠れたところの包皮を切り取るんや。
熊: ということは、先に心が神様に向き合うことを、神様は要求しはった。
そのことができたしるしとして、体の割礼がある。
八: そや、そやから、ほら、アブラハムはんは、先に神様を信じはって、
その後で、神様が体の割礼を要求しはった。心が神様に向き合ったことのしるしとして。
熊: そやった、そやった。信仰が先やった。それって、洗礼もそやわな。信仰が生まれて、
その後で、信仰者の先輩の前で「信じる者となりました」という儀式を洗礼という形で
行う。
八: ほんまやな。そんでもって、わて、今、ふと、思わされたことがあるねん。
洗礼もそやけど、割礼も自分で急所の包皮を切り取るんとちゃわな。
熊: そらそやろ。なんぼなんでもそんなこと、よーせんわ。
モーセはんの次の世代が、カナンの地に辿り着いてからや、ヨシュアはんが、
皆の急所先っちょの皮切り取られたんは。
その時、主がヨシュアはんにこうおっしゃった。
●「今日、わたしはエジプトの恥辱をあなたがたから取り除いた。」(申命記5:9)
あの先っちょの皮をちょん切るんは、本当の意味でエジプトの奴隷の身分からの解放
という意味合いもあったんやろうな。
八: ということは、主があの先っちょの包皮を取り除いたちゅうことにもあるなぁ。
心の包皮も同じや。わてらではできん。神様がそれをなさって下さるんや。
熊: まあ、わてらの時代にはイエス様がそれをしてくださったんや。
心の覆いを取り除いて、心の目を開かせてくださった。
八: 若さんな、申命記10章のところ引用せえへんかったな。
けんど、あそこも大切やとわて思うねん。(10:12-13)
●「イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。
それは、ただあなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、
いのちを尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたの幸せのために私が今日あなたに
命じる、主の命令と掟を守ることである。」
主がわてら一人一人に求めておられるのは、『主を恐れ、主の道に歩み、主を愛し、
主に仕える。』これがわてらの幸せだぁ、って言いはるんや。
わては、これが心の割礼とちゃうかなって、思うねん。
熊: なるほどなぁ。体の割礼も心の割礼も、『主を恐れ、主の道に歩み、主を愛し、
主に仕える』ように導いて下さった神様の民としての印なんやな。
ほなら、いけにえはどうやろ。
八: 若さんが示しはった●詩篇51:17「神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ、砕かれた心。
神よ、あなたはそれを蔑まされません。」
砕かれた悔いた霊が、神様へのいけにえや。
熊: けんど、若さん、「さあ、賛美のいけにえをささげましょう」ともゆうてはるやんか。
八: せやなぁ。主へのささげものは全て、いけにえになるのかもしれんな。
賛美だけやのうて、祈りも、それに喜びの笑顔も。
熊: 砕かれた霊に基づく、賛美も祈りも笑顔も、すべていけにえなんや、と考えると
ええねんな。心の覆いをイエス様が取り除いてくださったんやから、
大いにいけにえをささげよな。
八: あ、ちょっとしゃれか、、、若さん、もうこんなんでよろしおまっか。
―――――
いやぁ、八さん、熊さん、ありがとうございます。申命記10章の聖句を出してきましたね。私は考えもしませんでした。私たちの幸せのために、主はおきてをおいてくださっている、本当にその通りです。感謝です。
さて、今日も宣言をしましょう。心の割礼をうけた者の特権として、主の祝福を期待し宣言します。「主を恐れ、主の道に歩み、主を愛し、主に仕えます、感謝!」です。
では、3回宣言いたしましょう。
「主を恐れ、主の道に歩み、主を愛し、主に仕えます、感謝!」、「主を恐れ、主の道に歩み、主を愛し、主に仕えます、感謝!」、「主を恐れ、主の道に歩み、主を愛し、主に仕えます、感謝!
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇25篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書22章37節。
「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
黙想いたします。詩篇25篇。
黙想時の曲
⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑧:栄光イエスにあれ
https://www.youtube.com/watch?v=PhwhTD2mnDY
賛美⑨:主の臨在
https://www.youtube.com/watch?v=aNMHLfVa7_A
●礼拝の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の主日礼拝は、5月26日 午後5時から小阪チャペルにて。
いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。
聖書: 出エジプト記13章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/