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メッセージ主題:『重荷を負い合う人生』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2024.6.30主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2024年6月30日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:罪重荷をのぞくは

https://www.youtube.com/watch?v=N7ej-ynfrjo

賛美②:豊けき主の愛

https://www.youtube.com/watch?v=uJaZRgYxmig

賛美③:五つのパンと二匹の魚(6月の歌)

https://www.youtube.com/watch?v=avJYlW6dVvg

賛美④:世人の咎のために

https://www.youtube.com/watch?v=8EoY5mPkMzQ

賛美⑤:疲れし世人よ

https://www.youtube.com/watch?v=F9u_xVEOKc0

賛美⑥:愛する主よわが君よ

https://www.youtube.com/watch?v=1tPES4pSDKs

【YOUTUBE配信開始】

2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。

年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。

●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)

するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。

人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。

イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、

パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。

また、二匹の魚も皆に分けられた。

彼らはみな、食べて満腹した。

そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。

パンを食べたのは、男が五千人であった。

●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)

イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。

「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」

●2024年6月30日 主日礼拝メッセージ

「出エジプト記」とは、個々人の霊的解放の書であり、信仰の歩みを記しています。

そして、私たちは、次のことを、この「出エジプト記」を通して学びます。

(会衆)

罪の奴隷からの解放

聖別された個となるための務め

神の臨在による神との親しい交わり

●聖書拝読:出エジプト記第18章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹

中心聖句: 

「あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人たち、不正の利を憎む誠実な人たちを見つけ、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として民の上に立てなさい。いつもは彼らが民をさばくのです。大きな事件のときは、すべてあなたのところに持って来させ、小さな事件はみな、彼らにさばかせて、あなたの重荷を軽くしなさい。こうして彼らはあなたとともに重荷を負うのです。」(21-22)

メッセージ主題:『重荷を負い合う人生』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待しましょう。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

出エジプト記18章では、モーセのしゅうと、ミデヤンの祭司イテロが、モーセを訪ねて来ます。モーセはエジプトを脱出した経緯をイテロに話し、久しぶりに妻の家族とのひと時を持ちました。イテロは、モーセの働き方を見て、良きアドバイスをします。モーセの重荷を軽くし、重荷を負い合うために、他の信頼できる人たちを選び、ピラミッド型の組織を形成することを勧め、モーセもその通りにします。

神は、モーセのしゅうとである祭司イテロに働きかけ、モーセの負担を軽くし、またモーセの隊の組織化を図りました。モーセはこのことにより、部下を信用して、仕事を任せるということ、また、民はモーセを頂点として指示系統を守り従うということ。信頼関係の上で、お互いの重荷と責任を負い合うということを学びました。これは一つの在り方を示しているのかもしれません。もちろん、教会の頭はキリストであり神でありますが、牧師もモーセと同じような役割を担っているのかもしれません。誤解しないでいただきたいのですが、私は、ピラミッド型の教会組織が、いいと言っているわけではなく、ひとつの形を示していると考えているだけです。教会としては、お互いの重荷や責任を負い合う、助け合う、祈り合う必要があると考えています。具体的なものは示せませんが、その時々に応じて、助け手、担い手、祈り手が必要になってくるでしょう。

イエス様は、重荷を負っている私たちを休ませてくださいます。また、イエス様のくびきを負って、イエス様から学び、たましいに安らぎを得なさいとおっしゃいます。もちろん、個人個人イエス様の前にでて安らぎを得ることはとても大切なことです。いえ、それが最も重要です。しかし、イエス様が私たちの重荷をすべて負ってくださるとはおっしゃっておられません。軽くなったかもしれませんが、重荷はまだあります。イエス様はヨハネの福音書15章12節で、●「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」とおっしゃいます。「愛する」ということは「大切に思う」ということでもあります。『お互いを大切に思う』「相手がしんどい思いをしている時、つらい思いをしている時に寄り添う」ということでもあるでしょう。信頼関係もそこには必要となってきます。もちろん、具体的な方法で手を差し伸べることも可能な時もありますが、それができなければ、一緒に祈る、または離れた所でもとりなしの祈りをし続けることもできるでしょう。とにかくこの「気持ち的に寄り添う」ということは、相手をどれだけ励ますことになるでしょう。

パウロは、ガラテヤ書6章2節で、次のように言います。●「互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。」キリストの律法、さきほどの「互いに愛し合う」ことが、「互いの重荷を負い合う」ことで全うすることになる、とパウロは主張するわけですが、ここで、パウロが言いたいことは、文脈から、『過ちがあれば、祈り心と柔和な心をもって指摘し、指摘された方も素直に受け入れる』というもので、私たちがここで思っている「重荷」とは少しちがうような気がします。「罪や間違い」の指摘ですが、それに愛を付け加えなさいとおっしゃるのです。

ペテロは、また次のようにアドバイスします。●「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(1ペテロ5:7) 『思い煩い』とは一種の重荷です。では、その重荷を神様にゆだねなさいと言われたからといって、人に特に信仰の兄弟姉妹に相談しないのでしょうか。また、それは間違っていることで不信仰なことなのでしょうか。神は、モーセの重荷をみて、祭司イテロを用いて、その重荷を分かち合いなさいとおっしゃったではありませんか。共に重荷を分かち合える、ひょっとしたら担ってくれる兄弟姉妹を求め見つけることは、主の目にかなったことではないでしょうか。「重荷」とは「まっとうすべき責任」であり、避けて通れないことでもあります。それならば、なおさらのこと、神からはもちろんのこと、兄弟姉妹からの知恵と祈りと励ましもいただいて、解決策を見いだしていくことは、主がお喜びになることでもあるでしょう。

教会や集会が、お互いに重荷を負い合う共同体、そのために主に祈り合う群でありたいと願います。

さて、今日も天国長屋の八さん熊さんにご登場いただきましょう。「重荷」のことについてお二人はどう思われますか。

―――――

八: 「重荷」なあぁ。わての重荷ってなんやろう。せなあかん責任ってなんやろか。

なんて、思ってしもたわ。

熊: イエス様のおっしゃる重荷って、あの時代やったら、「律法を守らなあかん」ちゅう

人生の足かせやわな。けんど、わてら、律法から外れてるし、イエス様の十字架の贖い

によって、わてらを罪なき者をしてくださって、自由になったんやから、そんなに

「重荷」に感じることがあれへんわな。

八: イエス様のおっしゃった、「わたしが愛したように、互いに愛し合いなさい」ちゅう

戒めは、せなあかんことやから、「重荷」ちゅうたら「重荷」やけど。義務というより

は、「互いに愛し合いたい」ちゅう気持ちの方がつよいわな。

熊: まあ、「汝の敵を愛しなさい」ちゅうお言葉は、ハードルたかいけどなぁ。

八: それは、また、別もんかもしれんでぇ。なんせ、「敵を愛したい」とは、

まず思われへんねんから。敵って自分を迫害したり、攻撃したりする人のこっちゃろ。

その人たちを愛する、大切に思うって、その切り替えの心理って、なかなかでけん。

熊: 「愛する」を「祈る」に変えたとしても、「迫害する者のために祈る」ちゅうことも

至難の業や。イエス様が十字架の上から、迫害するものにたいして、憐みの言葉、

とりなしの祈り、「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか

分からないのです」ちゅうのん、あれはでけんでぇ。痛みをこらえながら、息もたえだえ、呼吸なんか、なかなかでけへんところで、言うてはんのんやからなぁ。

八: 全人類の救いのために、自分のいのちを献げることのできるイエス様やからこそ、

言える言葉かもしれんなぁ。それはそれとして、話をもどして、「重荷を負い合う」

ちゅうのって、どんな感じやろ。どうしたらええんやろか。

熊: 「寄り添う」ちゅうても、八とわてやったら、気色悪いし。

八: こっちもごめんやわ!

熊: 「相手の気持ちを分かろうとする」ちゅうことでもあるのかな。

八: けんど、それって難しいでぇ。最近では「個人情報や」ってぴしゃり!や。

「自分のことは言いたくない、ほっといてくれ」ちゅう感じやろ。

マンションがそうやわな。隣近所の付き合いのわずらわしさから解放される、

『隣はなにをする人ぞ』ちゅう感じや。

長屋のわてらにとってはあんまり考えられんこっちゃな。

熊: そやなぁ、教会でも「個人情報」って言うて、線引きはるしな。

教会員の住所や連絡先も教えてくれてないからなぁ。

「重荷を負い合う」ちゅうて言いながら、薄っぺらい人間関係やから、

できるわけあれへんわな。

「個人情報」って、ぴしゃりと線引きされたら、なんのために教会で交わろうと

してんのか、分らんなぁ。まあ、交わりを求めてないのかもしれんけど。

なんか寂しいわ。

八: わてら、この長屋の人間のことや連絡先は知っとるけど、他の教会員の人の連絡先も

あんまり知らんもんな。教会で会うだけや。ほんまに、こんなんで寄り添うこと、

できるようになるんやろうか。

熊: まあ、Line は交換したりするけどな。教会のマンション化やな。

八: 教会のマンション化か。それにしても教会でしか会われへんちゅうのも、

ちょっとさびしすぎるなぁ。

熊: Line だけでもええから、グループつくって、祈り合ったり、おしゃべりしたり、

そうするうちに、家に呼ばれたりするかもしれへんな。まあ、わてらの長屋は、

壁薄いから、隣がなにをしてるのか、聞こうと思わんでも、耳に入って来るから、

プライバシーがあれへんのも困ったもんやけどな。

八: まあまあ、話を「重荷」にもどすことにするでぇ。わてらのせなあかんことってなんやろ。

熊: わて、やっぱり「祈り」とちゃうかなって、思わされてんねん。

八: 祈りって、とりなしの祈りのことか。さっきの、イエス様の祈りもそうやわな。

熊: そうや。わてらの回りの人のことを祈る、ちゅうのがええんちゃうか。

救いの祈り、平安の祈り。

八: 祈るためには、相手のことを知っとかなあかんやろ。

熊: せやけど、具体的なことでなくてもええやん。まだ、イエス様を知らんかったら、

知るように祈ったらええんやし。

八: その「重荷」を「負いあう」ちゅうって、どういうこっちゃ。

「負い合う」ちゅうことは交わりが必要やわなぁ。

熊: せやから、祈りのグループを作るんやがな。お互いの祈りの課題もシェアするだけや

のうて、グループ以外の人のことも祈りに加えるんやがな。

ほんなら、「重荷を負いあう」ことになれへんか。

八: なるほどなぁ。ほんで、祈りのグループって、どっから始めんねん。わてらやったら。

熊: そりゃ、熊とわてと若さんの、イエス様さんばかトリオに決まってるやないか。

むかし、若さん、アメリカに留学の時、4人の祈りグループがあって、

そんときにはスマホもコンピューターもない時代やから、毎週水曜日の夕方、食事前に

集まって、祈り合ってたって言うてはった。毎週2時間してたって。

八: ええ、毎週2時間もかいな。3年ぐらい続いてたゆうてたから、たいしたもんや。

熊: あの時は、みんな、学生さんやったから、暇やったんやって。

もっと短くせんと、続かんわ。

八: そやな。今やったらスマホのlineグループ作って、やったらええねんな。

若さん、きっと喜びはんで。日本に帰ってから、だれも祈りのグループ、

賛成してくれへんかったって、ゆうてはったからなぁ。

牧師先生が反対してはったちゅうてたから、訳わからんわ。

熊: 若さん、いっしょにやりましょな。lineグループの祈り会、イエス様さんばかトリオで。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。イエス様さんばかトリオのlineグループ祈り会ですか。嬉しいですね、私もさそってくださって。「重荷を負いあう」って、なかなかできそうでできない感じですけど、祈り会うのであれば、いいですね。時間もダラダラするのではなくて、30分ぐらいであれば、楽しみになって続けられるでしょうね。お誘い感謝いたします。

さて、今日も宣言をします。今回は熊さんの提案を採用して、「重荷を負いあう」気持ちもこめて、どんなかたちであったとしても「祈りの仲間を作ります。感謝!」と宣言したいと思います。

もちろん、私もそうでしたが、長年祈りの仲間を作りにくい状況に置かれている方もいらっしゃるでしょう。しかし、「祈りの仲間がほしい」と祈り続けていきましょう。「祈り」「神様との会話」は私たちの信仰の呼吸のようなものです。また、クリスチャン二人三人と集まる所に、イエス様もいらっしゃって、祈り合うことを励ましてくださいます。長い祈りや整った祈りが決してよいという訳ではありません、いつでもどこでも短くても結構、個人で祈ることだけではなく、祈り合うことも考え、祈りの輪を広げていきたいと願います。

では、3回宣言いたしましょう。

「祈りの仲間を作ります。感謝!」、「祈りの仲間を作ります。感謝!」、「祈りの仲間を作ります。感謝!」

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇84篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。マタイの福音書11章28節。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

黙想いたします。詩篇55篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:祈ります求めます

https://www.youtube.com/watch?v=GRFbvWaGn5M

賛美⑨:ここに

https://www.youtube.com/watch?v=n6kKRT2IdqA&list=PLYDQwRGBhtBtee1k2YNoebUKZMuLMgqpI

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の主日礼拝は、6月23日 午後5時から小阪チャペルにて。

いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。

聖書: 出エジプト記17章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/