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メッセージ主題:『練られた品性で主に期待する人生 』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2024.9.1主日礼拝式 

(しばらく夕拝だけとさせていただきます。夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。)

●午後5時開会:ただいまより、2024年9月1日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:主と共に歩む

https://www.youtube.com/watch?v=MVgG3l34ONQ

賛美②:安息

https://www.youtube.com/watch?v=go99awkMi0U

賛美③:全てをイエスに(9月)

https://www.youtube.com/watch?v=rGoKpEoqRYU&list=OLAK5uy_nUeYXx_rPmW4Oa7m90rTD5tYFoUBObN8I&index=8

賛美④:主の足もとに

https://www.youtube.com/watch?v=HooSrKQM5PQ

賛美⑤:あなたがすべて

https://www.youtube.com/watch?v=B5EfsD13TIc

賛美⑥:慕い求めます

https://www.youtube.com/watch?v=Xxa8CrNhY1A

【YOUTUBE配信開始】

2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。

年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。

●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)

するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。

人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。

イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、

パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。

また、二匹の魚も皆に分けられた。

彼らはみな、食べて満腹した。

そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。

パンを食べたのは、男が五千人であった。

●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)

イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。

「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」

●2024年9月1日 主日礼拝メッセージ

「出エジプト記」とは、個々人の霊的解放の書であり、信仰の歩みを記しています。

そして、私たちは、次のことを、この「出エジプト記」を通して学びます。

(会衆)

罪の奴隷からの解放

聖別された個となるための務め

神の臨在による神との親しい交わり

●聖書拝読:出エジプト記第27章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹

中心聖句: 

「あなたはイスラエルの子らに命じて、ともしび用の質の良い純粋なオリーブ油を持って来させなさい。ともしびを絶えずともしておくためである。」(20)

メッセージ主題:『練られた品性で主に期待する人生 』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待します。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

出エジプト記27章には、(A)祭壇、(B)幕屋を囲む庭、(C)至聖所の手前にある常夜灯の三つに記述があります。

祭壇

まず、幕屋に入ってはじめに通過するのが青銅の祭壇です。祭壇にささげられるのはいけにえです。聖書の中で祭壇が初めて登場するのは、ノアが洪水の後に主のために祭壇を築いたときです。創世記8章20節●「ノアは主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜から、また、すべてのきよい鳥からいくつかを取って、祭壇の上で全焼のささげ物を献げた。」

全焼のいけにえは主に完全降伏、すべてをゆだねるという意思の現われです。

祭壇の材質は、アカシヤ材で、それを青銅で包んでいます。アカシヤ材は、硬く朽ちにくい木材で、とげを取り除き、なめらかにして使われます。芯は硬いが人当たりは柔らかい、キリストを表わしていますが、私たちもそうでありたいと願います。そのうえで青銅という硬い金属で身をまといます。私たちにとっては聖なる武具ですね。祭壇でいけにえをささげる時にいけにえを燃やす、その熱に耐える祭壇。今の私の理解では、祭壇は、主の手のようなイメージです。そこにいけにえがささげられ、私たち自身の悔いた心を、主の御手の上にささげるというようなイメージなのです。

(B)幕屋を囲む庭

幕屋の内と外を区別するのが庭であります。入口を通って庭に足を踏み入れるということは、主の臨在の中に自らを置くということです。そして、幕屋の外は日常、幕屋の内は非日常であります。つまり、幕屋の庭は非日常の世界であるともいえます。現代の私たちの世界では、ある人には場所的には教会の会堂なのかもしれません。しかし、そうであれば、まことに残念なことです。教会堂でしか、神を感じられないとしたら、イエス様は何のために、十字架で命を落としたのでしょう。また神は何のために至聖所の幕を上から下まで裂いたのでしょうか。至聖所の幕が避けたということは、幕屋のすべての幕が取り除かれたのです。日常と非日常の壁はなくなり、いつでもどこでも主とまみえることができるということです。なんと素晴らしい恵みを私たちは受けているのでしょう。

(C)常夜灯

常夜灯は、金製の燭台であり、オリーブを砕いてしぼった純粋のオリーブ油で灯を夕方から朝までともします。荒野の闇夜の中で、民に対して主の臨在を知らしめる、つまり主の守りがあり、民に安心を与えることが目的だとも考えられます。

さて、今日の中心聖句ですが、常夜灯の説明の中にある節です。

「あなたはイスラエルの子らに命じて、ともしび用の質の良い純粋なオリーブ油を持って来させなさい。ともしびを絶えずともしておくためである。」(20)

「質の良い純粋なオリーブ油」とありますが、私たちが上質のオリーブ油と考えられるのに、エクストラヴァージンオリーブオイルがあります。優良なオリーブの実からだけ搾り取った油を精製したものです。

オリーブ油のことで思い出すのは、イエス様の十字架の二日前の10人の乙女の譬え話であります。マタイの福音書25章。愚かな5人の娘と賢い5人の娘。全員ともしびをもって花婿であるイエス・キリストを迎えに出るために花婿を待っているのですが、愚かな5人は灯用の油を持ってきていませんでした。この灯は聖霊の火であるとも考えられます。そして油は聖霊であります。イエス様がいらっしゃったとき、愚かな5人の灯は油が切れ消えてしまい。イエス様とともに天の祝宴には入ることができませんでした。灯という目に見えるものだけではなく、油という隠れたものに準備ができているかが大切なのであります。

神はわざわざ、「質の良い純粋のオリーブ油」と言っていることに、何か意味があるような気がします。そこで、私はパウロの「苦難さえ喜ぶ」というくだりを思い起こさせられました。

●「苦難さえも喜んでいます。それは苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:3—5)

私は、「質の良い純粋なオリーブ油」とは、「練られた品性」ではないか、そしてその練られた品性は「神の愛」によってつくられているのではないかと思わされているのです。ちなみに、「練られた品性」とはどういうものでしょうか。いろんなことを通して学ばせていただいている中で、だんだんと角が取れていくといいましょうか、叩かれて揉まれて成長していく品格ではないでしょうか。それは私たちの努力でそのような品格を得るというものではありません。刀鍛冶のように、何回も熱を加え叩き、鉄を鍛えていく、鉄の繊維を均等にしていくように、神が私たちを鍛え、私たちは忍耐を覚えていくのです。そして、それは神の愛からでた私たちに対する試練なのです。

神の愛によって、私たちは、苦難を忍耐に、忍耐を練られた品性に、練られた品性を希望にかえていただいているのです。そして私たちの心の常夜灯はともされ続け、主の再臨を待ち望むのであります。

さて、今日も天国長屋の八さん熊さんにご登場いただきましょう。今日の中心聖句の最後の箇所の「ともしびを絶えずともしておく」とはどういうことだと思われますか。

―――――

八: 「ともしびを絶えずともしておく」って、若さんさっき言うてはったやん。

『民に対して主の臨在を知らしめる、つまり主の守りがあり、民に安心を与えること』

やちゅうて。なあ、熊。

熊: そうやなぁ。けんどほんまにそれだけやろか。

八: どういうこっちゃ。

熊: あの常夜灯は、聖所の中の至聖所の垂れ幕の手前のところにあるんやから、

聖所には祭司しか入られへんやろ、あの燭台の火が見えるのは、一般の民やない。

ちゅうことは、若さんの説明『民に対して主の臨在を知らしめる、つまり主の守りが

あり、民に安心を与えること』には、必ずしもそのような意味だけやなかったんや

ないやろか。

八: そうか。そうやわな。民に見える見えへん関係なく、神が臨在している証しとして

燭台の灯がある。せやから、民に対するアピールやのうて、神は人間の認識には

関係なく存在されるお方やちゅうことが強調されてるのかも知れんな。

熊: 「ともしびを絶えずともしておく」ちゅうのも、神の存在、臨在が永遠のものである

ことを強調してるとも言えるわな。

八: わて、あのイエス様の10人の乙女のたとえ話も気になんねん。油切れの5人の乙女は

イエス様の再臨の時に、いっしょに御国に入れんかった。けんどやで、初めは全員

ロウソクは灯されていた。つまりは、イエス様を信じて聖霊様が心に宿っていた状態

やろ。聖霊様が一回心にお住まい下さったら離れへんのんとちゃうかったか。

そやのに5人は天の御国に入られへんちゅうのはどういうこっちゃ。

熊: 八、ろうそくの火が聖霊とはちがうんやて。ここでは油が聖霊や。そうでないと話が

おかしくなる。5人のなまけ乙女は、イエス様を信じてへん人たちや。そんでもって

賢い乙女は、油をもってるから信仰者、クリスチャンや。

そやから、イエス様の再臨の時に、いっしょに天の御国に入れたんや。

八: ああ、そうか。それやったら分るわ。一度救われたら、救いを失うことはあれへん

ねんからな。

熊: そやでぇ。そやから、自分の行いや努力によって救われるんやのうて、ただただ神様の

憐れみによって、お恵みによって、わてらは救われたんや。

わてらの心にある燭台は聖霊という油によって常にロウソクは灯されてるんや。

八: あともう一つ分らんことがあるんやけどな。若さん、いっつも、第1テサロニケ5章の

16節から19節まで読みはるやろ。

熊: ああ、●「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しな

さい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

御霊を消してはいけません。」ちゅうところやな。

八: その「御霊を消してはいけません」って、一度聖霊様が心にとどまってくれたら、

離れへんねんから「御霊はロウソクの火みたいについたり消えたりでけん」のと

ちゃうか。

熊: 御霊は消えへんよ、けんど聖霊様がいらっしゃることを感じないような生活をしていたら、

「御霊が消えた」ちゅうのと同じなんとちゃうやろか。イエス様が遠くにいらっしゃる

ようになってしもたらあかんわな。それに、一度はイエス様を救い主として信じて洗礼

も受けたのに、後になってイエス様を否定する者となってしまえば、「救い」を拒否したわけやからな。イエス様の再臨の時に本当に救われるかどうかは分らん。

八: せやな。聖霊様がわてらの心にお住まいくださっているからこそ、

「いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝」することができんねやしな。

熊: まあ、とにかくや。「聖霊様が消えた」そんな心の状態にならへんように、

イエス様がおっしゃるように、●「目を覚ましていなさい。その日、その時を

あなたがたは知らないのですから。」(マタイ25:13)というように、

わてらは目を覚ましておらなあかんねん。

八: なるほどなぁ。聖霊という油をそそがれて、ともしびを消すことなく、目を覚まして

おかなあかんわけや。な、若さん。それがわてらにとっての、

「ともしびを絶えずともしておく」ちゅうことなんやろ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。「ともしびを絶えずともしておく」とは、主のご臨在をいつも感じ、主をほめたたえるという意味でもあるでしょう。そして、神のご性質である、「常にある」という存在をあのともしびは表しているのかもしれません。私たちにとっては、そのことを覚え、かつ、八さん熊さんのおっしゃるようにイエス様の再臨に目を覚まして待ち望むということでもあるでしょう。今日は主が永遠に存在するという主のご性質を顧みつつ、イエス様の再臨に目を覚まして待ち続けることを宣言します。「目を覚まして主を待ち続けます。感謝!」です。

「目を覚まして主を待ち続けます。感謝!」、「目を覚まして主を待ち続けます。感謝!」、「目を覚まして主を待ち続けます。感謝!」

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇116篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書14章3節。

「わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」

黙想いたします。詩篇116篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地になさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:主は我が力

https://www.youtube.com/watch?v=sMafMrM_CKY

聖餐式

賛美⑨:この日は

https://www.youtube.com/watch?v=zQ2SN7GmbzI

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の主日礼拝は、9月8日 午後5時から小阪チャペルにて。

いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。

聖書: 出エジプト記28章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/