ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2024.12.1主日礼拝式
(早朝礼拝午前7時~、夕拝午後5時~、夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。早朝礼拝と夕拝の聖書箇所及び内容は異なります。)
●午後5時開会:ただいまより、2024年12月1日主日礼拝式を始めます。
●祈り
礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
続いて
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:ほめまつれ主の恵み
https://www.youtube.com/watch?v=9M4Y4v3x51M
賛美②:望みも消えゆくまでに
https://www.youtube.com/watch?v=GZjaJuVMYP8
賛美③:インマヌエル麗しい御名(12月)
https://www.youtube.com/watch?v=qL2eZaI1Exs
賛美④:きよしこの夜
https://www.youtube.com/watch?v=q29dZjAB5jQ
賛美⑤:君もそこにいたのか
https://www.youtube.com/watch?v=YiPX3QSMoNc
賛美⑥:ただひとつの願い
https://www.youtube.com/watch?v=namLACkSaxg
【YOUTUBE配信開始】
2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。
年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。
●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)
するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。
人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。
イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、
パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。
また、二匹の魚も皆に分けられた。
彼らはみな、食べて満腹した。
そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。
パンを食べたのは、男が五千人であった。
●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)
イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。
「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」
●2024年12月1日 主日礼拝メッセージ
「出エジプト記」とは、個々人の霊的解放の書であり、信仰の歩みを記しています。
そして、私たちは、次のことを、この「出エジプト記」を通して学びます。
(会衆)
罪の奴隷からの解放
聖別された個となるための務め
神の臨在による神との親しい交わり
●聖書拝読:出エジプト記第40章(新改訳聖書2017)
朗読: 若竹
中心聖句:
「イスラエルの子らは、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。雲が上がらないと、上る日まで旅立たなかった。旅路にある間、イスラエルの全家の前には、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。」(36-38)
メッセージ主題:『主に導かれ、主に従い、主の時を待つ人生』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待します。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
今日は、出エジプト記最終章です。それと、イエス・キリストのご降誕を待ち望むアドベントの第一週でもあります。他の教会では、アドベントをお祝いするメッセージや聖句が用意されるのでありますが、小阪チャペルでは、出エジプト記のしめくくりを優先させていただきます。ただし、アドベントの象徴として蝋燭の光は一つ灯しておきます。
さて、イスラエスの民がエジプトを脱出してから、最初の過越祭をいわってからちょうど、一年が過ぎ、すべての準備が整ってから、一日がかりで幕屋を建てました。すべては、持ち運びが可能な幕屋ですから、建てるのもしまうのもスピーディでなければならないのでしょう。それにしても、大変な労力です。そして、あかしの箱とも呼ばれる契約の箱に、十戒の刻まれた石の板、さとしの板が納められ、「宥めの蓋」を箱の上におくと、もうその箱にはだれも直接触れることはできません。
ところで、出エジプト記39章から40章にかけて、気になる文言があります。「主がモーセに命じられたとおりである。」またはそれに似通った言葉が繰り返し出てきます。これはなんだろうと不思議に思っていたのですが、先週、これはひょっとしたら、「指さし確認」みたいなものではなかったかと思わされました。電車や工事の時などで見かける「指さし確認」「~よし!」「~よし!」と言われるものです。「主がモーセに命じられたとおりである」としっかりと確認をしている行為だと思うと腑に落ちるのですが、私の知識のなさかも知れません。間違っていたらお許しください。
さて、今日の中心聖句では、雲が幕屋から上ったときには旅立ち、そうでないときには、その地にとどまるというものです。かれらはずっと旅して40年間荒野をずっとさまよっていたわけではなく、ある程度の期間、その地にとどまり、そしてまた旅立っていくということを繰り返しました。雲には主が臨在し、その主に完全により頼み従うということを、その放浪の40年間を通して学んでいくのです。早く移動したいときもあれば、もっとじっくりとその地にとどまりたいときもあったでしょうが、「すべては神のみこころのままに」と神に従順するのです。
私たちは、私たちの人生は自分のものであり、自分で自分の人生を切り開いて行っていると思ってはいても、時代に流されたり、翻弄されたりしてしまいます。たとえば、海で泳いでいますと、あれよあれよという間に沖に流されて行ってしまうことがあります。いくら必死で泳いで岸辺に着こうとしても、力尽きて沈んでしまうのがおちです。時には、潮の流れに身を任せることも必要なのではないでしょうか。また潮目を見きわめることが大切になってきます。同じように、主の時を待つ、主に身をゆだねることがとても大切なことなのです。皆さんは、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」というコヘレト・伝道者の書のことばをご存じでしょう。これは、神のご計画が分からずとも、いえ分からないのは当たり前なのですが、神を中心にした、神に屈服し、神に従おうとする言葉です。ちょうど良い機会ですから、伝道者の書3章1節から14節まで、御言葉を味わってみましょう。
すべてのことは定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。
殺すのに時があり、癒やすのに時がある。崩すのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、笑うのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
裂くのに時があり、縫うのに時がある。黙っているのに時があり、話すのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦の時があり、平和の時がある。
働く者は労苦して何の益を得るだろうか。
私は、神が人の子らに従事するようにと与えられた仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。
私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか、何も良いことがないのを。
また、人がみな食べたり飲んだりして、すべての労苦の中に幸せを見出すことも、神の賜物であることを。
私は、神がなさることはすべて、永遠に変わらないことを知った。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。人が神の御前で恐れるようになるため、神はそのようにされたのだ。
また、箴言19章21節には次のようなさとしがあります。
●「人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。」
イスラエルの民は、この放浪の40年間だけではありません、旧約聖書の時代、全てにおいて、「主の計画こそが実現する」ことを学んでいきます。もちろん、疑心暗鬼に陥る時もあり、悩みながら歩んでいきます。しかし、「全てにおいて神の時があり、それは主の栄光を現すものである」ことをいつも知ることになるのです。
その神のご計画のもっとも大いなるものが、イエス・キリストのご降誕であります。神は、この世界を創造する以前から、神の御ひとり子イエス・キリストをこの世に送り、イエス・キリストを信じる者には、イエスの血によって、罪は赦され、罪なきものとされ、永遠の命を与えることをご計画されておられました。そして、神は預言者と通して、神のご計画の一部を民にお明かしくださっておられました。有名な箇所を一つだけ、見てみましょう。イザヤ書7章14節。
●「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。みよ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」
民は、イスラエルの民をその時の虐げられ平安のない状況から救ってくださる救世主を待ち望みました。イエス・キリストが生まれる約700年も前の預言者の言葉を揺らぎながらでも待ち続けていたのです。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」ことを信じつつ。
しかし、イスラエルの民は、イエスがナザレというあまり評判の良くない町の出身であり、大工の息子であるという事実につまずきました。彼らの救世主はイスラエルの王となる方であり、それにもっとふさわしい家の出であると漠然とでしたが期待していたのです。もしかすると、旧約聖書の最後の書からイエス・キリストが誕生するまで400年という空白の時間が流れている間に、期待ゆえに、民の救世主に対するイメージは間違った方向に行ってしまっていたのかもしれません。
ここに「神のなさることは、すべて時にかなって美しく」「主の計画こそが実現する」ことを知りつつ、待ち続けることの難しさがあります。イエス様がわたしたちの罪を帳消しにするために、私たちの身代わりとなって十字架にかかり、三日目に死を克服して復活し、永遠のいのちの約束をされ、天に上り、神の右に座されてから、2000年が経とうとしています。その間、私たちは、イエス様の再臨、再びこの世に降りてこられ、神の民、イエス・キリストを信じる人たちを天に迎え入れられる時を祈り待ち望んでいます。また、その時までに、先にイエス様を信じた人は、周りの人々にイエス様のことをお伝えし、ともに永遠のいのちに預かりたいと祈り願っています。
旧約聖書時代のイスラエルの民は、キリスト救い主を漠然と待つしかありませんでしたが、今の私たちは、聖書といういのちの書物が誰でも手に入れることができる時代にいます。漠然とイエス様の再臨を待つのではなく、聖書を通して、イエス様のことをもっと知ることができる、神様である天のお父様のことをもっと身近に感じることができるようになっています。これも主の恵みであります。印刷技術が進歩したのも神のご計画の一つでありました。また、イエス・キリストを信じる人には、その人の心にイエス様からのプレゼント、聖霊が宿り、日々の生活において、私たちを主のもとへと導いてくださいます。このイエス様からのプレゼントは、恵み中の恵みであります。聖霊に寄らなければ、私たちは、「イエスは私の主」であるとは告白できないからです。
さて、今日の出エジプト記最終章から、私たちは、主の時を待ち、主に従うことを学びました。モーセの民には、比較的分かりやすい印、幕屋にのぼる雲がありました。私たちにはそのような印はありませんが、「主の時を待ち、主に従う」ために、日々の糧である聖書があり、また心に聖霊様が宿られています。また、安息日を守り、主の御声を静まって聞くことの大切さも、この出エジプト記を通して学びました。モーセの民は約束の地に向かって、主の導く道を通って歩みました。私たちも同じであります。私たちの約束の地は、天の御国です。この地上の場所ではありませんから、「移動」する必要はありませんが、日々の生活の中で主の導きに敏感になる必要があるでしょう。そして、一旦示された道があるとすれば、それを信じて従い進む、進み続ける忍耐と勇気が必要になります。私たちの主イエス・キリストのご降誕であるクリスマスが近づいている時であるからこそ、みなさま、それぞれにある主のご計画を追い求め、また再確認する時間を持っていただければと願います。
さて、今日も天国長屋の八さん熊さんにご登場いただきます。八さん熊さん、「八さん熊さんの主のご計画」とは何だと思われますか。
―――――
八: ひぇ〜、先週に続いて、また難しい問題やなぁ。
わてへの主の計画が分かれば苦労はせんわな。
熊: いや、八。分かったほうが苦労ちゅうか、怖いかも知れんで。
八: 何でやねん、分かったほうがええやないか。
熊: そうか? イエス様見てみぃ。イエス様は父なる神様のご計画を知ってはった。
知ってはるさかい、「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせて
ください。」って祈りはった。まあ、その後で、「しかし、わたしが望むようにではなく、
あなたが望まれるままに、なさってください。」って続けはったけどな。
八: それって、マタイの26章39節やわな。確かに前もって分かってしまうと、辛いことも
あるわな。主のご計画って、わてらの望んでないことが多いかもしれんから、
神様のご計画を予め知ってしまうと尻込みするかも知れん。
熊: ほら、いっつも引き合いに出して悪いねんけど、若さん、「福音を伝える者になりなさい」
ちゅう神様からの声を心に聞いて、はじめの2回は、お金がありませんちゅうて、
断りはった。あれは、経済的な問題もあったけど、本音は尻込みしたんやと思うで。
八: 熊、何でまたそう思うねんな。
熊: だって、そやないか。牧師になるちゅうのは、人を導くお手伝いをするねんやろ、
それに毎週の聖書からの解き明かしも責任重大や。恐れ多いわ。信徒の立場で、
聞いてる方が楽や。
八: ま、そらそうやわな。わても、そんなん嫌やし。生きていくだけでも大変やのに、
その上、牧師っていう重荷は負えんわ。ま、神様、わてらにそんなむちゃなご計画
もってはれへんと思うけど。
熊: けんど、わて分からんねんけどな、なんで、若さん、3度目に神様に従うことにしたん
やろ。あれだけ、いやががってたのに。あれだけ、教会の掃除に専念するのが夢や
ゆうてたのに。
八: あ、それは若さんから直接聞いた話やけど。あん時、もう若さん、60才前やったと
思うんやけど、人生を4分の3、どちらかと言うと自分のために生きてきた。
もちろんローンのために働き蜂のように働いてはったでぇ。けんど、あの時、
自分のために生きるの、引退しようと思たらしい。60ゆうたら会社では定年退職の時
やわな。これからの人生は主に捧げようと思わされたんやて。
熊: ん~、教会の掃除係りやのうて、牧師にかぁ?けんど、仕事はやめへんかったやろ。
八: そらそうや、ローンも残っとったしな。仕事中心の生活はほとんど変わらんでぇ、
けんど意識が変わった。あ、それに聖書の学び会やセミナーにも時間を作ってちょこ
ちょこ参加してはったみたいや。
熊: 主に人生を捧げる、ちゅうのは言うのは簡単やけど、いざとなれば難しいんやろな。
自分の思いの主の仕えかたとは、違う仕え方を言われはるかも知れんからなぁ。
八: 確かに、難しい面はあるやろなぁ。けんど、若さん、見てみぃ、生活は変わらんけど
意識が変わったって。わてらもそうやないか、若さんの意識が変わってからや、
「イエス様いのち」の三ばかトリオ結成も。
熊: 「イエス様いのち」の三ばかトリオを結成して、わてらが、変わったことって何や、
八どうや。
八: わては、「イエス様やったら、どうするかいな」ちゅうのを、いろんな場面に出くわした
ときに考えるようにしてるなぁ。「イエス様、お願いや、教えてんか」ちゅうて尋ねる
ことも多くなったな。熊はどうやねん。
熊: わては、いつも「イエス様、おおきに」ちゅうて、イエス様に言うてるねん。
何するにも、事の前後にやで。
八: 事の前後に、ちゅうて、普通感謝は、事の後やろうが。
熊: ふつうわな。わては、前倒しの感謝もするねん。ほら、ご飯食べるとき、「いただきます」
と「ごちそうさま」ゆうやろ。それと同じや。
八: はぁ、ええこと聞いた。わても、前倒しの感謝もしよ。人にかて、お願いするまえに、
「ありがとう」ゆうたら、断りにくいかもしれんしな。
熊: あほぅ。神様と人と同じようにしてどうするねん。神様、八のこそくな魂胆、
はじめっから、するっとまるっとおみとおしやわ。
八: やわな。若さん、ここでバトンタッチ、ほい!
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。私がへんな質問したから、苦しませてすみません。けれど、なんでも主に尋ねたり、お願いの前後に感謝するのも、主との会話ですから、それが主のご計画のほんの少しでも見えてくるヒントになるかも知れませんね。まあ、見えないほうがいい時もあるかもしれませんが。私たちは、忍耐して、主の時を待つ必要があります。
さて、今日も宣言をいたしましょう。
今日の宣言は、「主の時を待つ忍耐を願い求めます。感謝!」と宣言しましょう。
では、三回宣言いたしましょう。
「主の時を待つ忍耐を願い求めます。感謝!」、「主の時を待つ忍耐を願い求めます。感謝!」、「主の時を待つ忍耐を願い求めます。感謝!」
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇39篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書21章19節。
「あなたがたは、忍耐することによって自分のいのちを勝ち取りなさい。」
黙想いたします。詩篇39篇。
黙想時の曲
⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑧:私は奇跡を信じる
https://www.youtube.com/watch?v=-4xWq3uKOdU
賛美⑨:聞け我らの賛美
https://www.youtube.com/watch?v=rh-5cTvhLMk
●礼拝の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の主日礼拝は、12月8日 午後5時から小阪チャペルにて。
いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。
聖書: ルカの福音書1章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/