ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル早朝礼拝 2024.12.15
★祈り
★賛美: 『聖霊きたれり』
★メッセージ: 『けったいや、鳩のような御霊』
マルコの福音書
1章9-11節
「そのころ、イエスはガリラヤのナザレからやって来て、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられた。イエスは、水の中から上がるとすぐに、天が裂けて御霊が鳩のようにご自分に降って来るのをご覧になった。すると天から声がした。『あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。』」
イエスはバプテスマのヨハネからわざわざバプテスマを受けにやってきます。ヨハネが自らを靴紐を解く価値もないと、イエス様を認める訳ですが、そのイエス様が、「今はうけさせてほしい」と水の中に入ります。イエス様は、水のバプテスマである「悔い改め」を必要としない方で、かつ聖霊のバプテスマである「神共にいるインマヌエル」を実現する方です。しかし、このヨハネによるバプテスマの行為はイエス様にとって、民族学的にある通過儀礼の一種とも考えられます。通過儀礼とは、たとえば成人式も通過儀礼であり、その儀礼を通して、次のステップへと進むわけです。イエス様の場合は、ヨハネによるバプテスマは、公的宣教を開始するものともいえるでしょう。また「天が裂けて御霊が鳩のように降ってくる」ことは、イエス様がヨハネが告げたように「聖霊のバプテスマ」をさずけるに値する方であることの証しでもあります。
「鳩」は一般的に平和のイメージですが、聖書に最初に登場するのは、創世記8章です。ノアが方舟の中にいて、水かさが引いたかどうかをまず、「烏」で、その後「鳩」。そして、二回目に鳩を話すと、七日後にオリーブの葉をくちばしにくわえて方舟に戻ってきます。洪水という神の怒りが収まり平和がもどってきた象徴でもあったでしょう。
ある先生は、聖霊の「鳩」のイメージは、「柔和さ」だと説きました。柔和さとは自己主張しないということで、謙遜ともつながります。
では、私たちに宿る「柔和さ」の聖霊がどのように働かれるのでしょうか。
先週、私は次のように告げました。イエス様が、助け主としての聖霊を私たちにお送りくださるのは、イエス様に倣う者とする変化を促すためなのです。イエス様に倣う者には、「柔和さ」が強調されるものであるのなら、闇雲に「イエス様に倣う者」となろうということ考えるよりも、「柔和」を中心にすれば、ひとつの答えがでるかもしれません。
ペテロは、イエス・キリストの柔和さについて、次のように説きます。
ペテロの手紙第一、2章22-24節
●「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。」
ここでの鍵は、「正しくさばかれる方にお任せになった」つまり「身をゆだねた」ということです。
「キリストに倣う者になる」とは、「神に身をゆだねる」ということに尽きることになります。そのために、私たちの内にある聖霊が働かれるのです。
お祈りします。
★賛美: 『私を守る方』
★主のいのり
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地になさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
★祝祷
交わりと祈りの時
祈りの導き
小阪地域の方が一人でも多くイエス様を知り、受け入れることができますように。
災害にあわれた方の心の痛みが癒されますように。
ひとりで辛い思いをしている人々に寄り添う方が与えられますように。
ひとりひとりのクリスチャンが喜びをもって主の証人としてたてられますように。
すべての礼拝や集会を通して、主の栄光が現れ、主が喜ばれますように。
次回礼拝予定
12月22日7:00~7:30 マルコの福音書1章9-11節
ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
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