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メッセージ主題:『神に愛される人生』

ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル

2024.12.22主日礼拝式 

(早朝礼拝午前7時~、夕拝午後5時~、夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。早朝礼拝と夕拝の聖書箇所及び内容は異なります。)

●午後5時開会:ただいまより、2024年12月22日主日礼拝式を始めます。

●祈り

礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。

ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)

●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

続いて

●使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。

主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、

天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。

かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、

永遠の生命を信ず。アーメン。

礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。

私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。

賛美①:久しく待ちにし

https://www.youtube.com/watch?v=zFVkcL20slk

賛美②:諸人こぞりて~神のひとり子を~神の御子は

https://www.youtube.com/watch?v=tTAkCZ6mKzQ

賛美③:インマヌエル麗しい御名(12月)

https://www.youtube.com/watch?v=qL2eZaI1Exs

賛美④:主を待ち望む

https://www.youtube.com/watch?v=NsQKCWC6WIc

賛美⑤:マジェスティ

https://www.youtube.com/watch?v=y2m-dcGEIzk

賛美⑥: 主を見上げて

https://www.youtube.com/watch?v=kee3YBLjNkE

【YOUTUBE配信開始】

2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。

年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。

●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)

するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。

人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。

イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、

パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。

また、二匹の魚も皆に分けられた。

彼らはみな、食べて満腹した。

そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。

パンを食べたのは、男が五千人であった。

●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)

イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。

「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」

●2024年12月22日 主日礼拝メッセージ

「ルカの福音書」は、医者であったルカが異邦人を対象にして書いたイエス・キリストの記録であり、聖霊の満たしと働きを強調し、また私たち一人一人がイエスに出会うことを目的としています。

●聖書拝読:ルカの福音書 第3章(新改訳聖書2017)

朗読: 若竹 15節~22節。

中心聖句: 

「さて、民がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマを受けられた。そして祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような形をして、イエスの上に降って来られた。すると、天から声がした。『あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。』」(21-22)

メッセージ主題:『神に愛される人生』

改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待します。

●メッセージ

(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)

ルカの福音書第3章では、バプテスマのヨハネが宣教活動を初め、そこにイエスが現れ、洗礼を受けます。また、バプテスマのヨハネがあらぬ容疑をかけられ投獄されます。そしてその入れ替わりのような形になってイエスが宣教を始めます。ルカはイエスの宣教開始にあたって、イエスが何者なのかをイエスの系図を使って説明します。

その中で、今日は、イエスが宣教を始めるにあたって、バプテスマのヨハネから洗礼を受け、鳩のように見える聖霊がイエスの上に降り、天から「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」と言う声が聞こえる、このことについて考えてみたいと思います。

イエスの上に降って来た聖霊は鳩のような形をしていました。現代の「鳩」は一般的に平和のイメージですが、聖書に最初に登場するのは、創世記8章です。ノアが方舟の中にいて、水かさが引いたかどうかをまず、「烏」で、その後「鳩」で確かめます。そして、二回目に鳩を放すと、七日後にオリーブの葉をくちばしにくわえて方舟に戻ってきます。洪水という神の怒りが収まり平和がもどってきた象徴でもあったでしょう。

ある先生は、聖霊の「鳩」のイメージは、「柔和さ」だと説きました。柔和さとは自己主張しないということで、謙遜ともつながります。この聖霊の「鳩」の「柔和さ」のイメージは、そのままイエス様のイメージにつながります。また、イエス様ご自身は、聖霊のことを「助け主」や「平安」と呼んでいます。ヨハネの福音書14章26-27節。

●「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」

イエス様に臨んだ鳩の形のような聖霊が、イエス様を通して、私たちにも降り注がれるのです。なんと幸いなことでしょう。イエス様に倣う者とされるためには、この聖霊が必要不可欠なのです。聖霊を通して、私たちはイエス様の「柔和さ」を学び、平安の中に身を置くことができるのです。

ヨハネは、悔い改め(方向転換)の水のバプテスマを授けていましたが、ヨハネが言うには、イエス様は聖霊と火の(神との和解を促す)バプテスマを授けられるとあります。(マタイ3:11) この鳩のような聖霊が降ってくるということは、イエス様が与える洗礼は、聖霊のバプテスマであるということを証ししています。

さて、イエス様の洗礼を受ける意味は、この洗礼からイエス様の公生涯が始まるという出発を意味します。もちろん、鳩のような形をした聖霊がイエス・キリストを守り、励まして、イエス様を宣教活動へと向かわせます。この洗礼は、ある意味通過儀礼でもあったでしょう。通過儀礼とは、次のステージに移行するための必要なステップであり、例えば成人式も同じでことが言えます。

この洗礼の後、宣教活動の前に、もう一つの通過儀礼を第4章で受けることとなります。

神は、イエスを次のように証ししました。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」

神は、イエスを「わが子」であると明言し、そしてもちろん、「わが子を愛する」とおっしゃいます。子として、これほどの安心感はありません。「神に愛されている」という確信は、どんな物的証拠よりも、直接言葉にして伝えられることによって強く得られます。また、当人だけではなく、周りの人々もこのことを耳にしているのですから、この「愛されている」という確信はゆるぎないものとなります。

イエスはこの声を聞いてどう思ったでしょうか。イエスはこのバプテスマを皮切りに約三年間の宣教活動へと邁進します。イエスは、「父である神が、子であるイエスを喜ぶ」と言われた時、なぜ父が喜ぶのかということを確実に知っていたはずです。自分がこの世に送り込まれた理由を。

マタイの福音書16章21節にその説明がなされています。

●「そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえられなければならないことを、弟子たちに示し始められた。」

では、神は、御子が十字架につけられるほどに虐げられ、痛めつけられたことを喜ぶのでしょうか。「神は愛」であります。その神が御子イエスの十字架を喜ぶ? 御子イエスの死を通してでさえも、何を喜ぶのでしょうか。

ヨハネの福音書では次のような記述があります。3章16節

●「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

このみ言葉が、聖書中の聖句と言われるものですが、イエスに言われた父なる神の言葉、「わたしはあなたを喜ぶ」は、このヨハネの3章16節の「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」この言葉に裏打ちされているのです。神が喜ぶのは、この世の人が救われることなのです。「神はこの世を愛された」これが、全聖書の中心です。「わたしはあなたを喜ぶ」。神がイエス・キリストを通して、多くの世の民が救われることを喜ばれるのです。神はこの世を愛されています。

さて、今日も天国長屋の八さん熊さんにご登場いただきます。八さん熊さんは、神様に愛されていることを実感できていますか。

―――――

八: 「神様に愛されていることを実感できるか」って? 当たり前のこんこんちきやんなぁ。

熊: ほんまや。わてらが生きていること自体、神様に愛されているからや。

八: そうや、生かされてるんやからな。でも、若さん、そんなことは百も承知で尋ねてんの

かもな。

熊: それやったら、なんでわてらは生かされてる?

八: そうやな、神様の愛の証し、つまりイエス様をお伝えするため。

熊: そらなぁ、イエス様の大宣教命令があるもんなぁ。「あなたがたは行って、あらゆる国の

人々を弟子としなさい」ちゅうて。けんど、毎日、そのことばっかりおもてるのも

しんどいやろ。

八: そやわなぁ。エイエイオーちゅうて肩に力が入っている感じやものな。

それには、その証しのチャンスは神様がくださる。わてらはそのチャンスに目を

覚ましていることが大切や。

熊: けんど、やっぱり目を覚ましとかなあかんねやな。エイエイオーてな感じはぬぐい

切れんわな。

八: いや、熊、目を覚ましておくのはエイエイオーとはちゃうで。どっちかと言うと、

主とお話ししてるちゅうか。キリストの十字架と復活に感謝してるちゅうか。

熊: いっつも言うように、「いつも喜び、常に祈り、すべてに感謝」すること、、、やな。

「これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

って言われてるし。

八: 神を喜ぶこともとても大事なことやな。それも目を覚ましていることと同じやろ。

熊: それにしても、神に愛されているって言う実感、具体的にって、、、なかなか難しいなぁ。

八: わてな、最近、こう思うんや。自分の思いどおりに行かへんかった時、

神様に愛されてるって思うようにしてんねん。

熊: 自分の思いどおりに行かへんかった時? それって、反対とちゃうんか。

自分の思いどおりに行ったとき、神様が愛してくださってると感じるのとちゃうか。

八: いや、以前はわてもそう思てたんや。けんど、自分の思いどおりにいかへんかった時

ちゅうことは、神様のご計画とは違うちゅうこっちゃわな。

熊: そうや、神様はわてらにもっと違うご計画をお持ちなんや。

八: その神様のちがうご計画ちゅうのは、わてらにとって、もっとも良いご計画やろ。

熊: ま、その時は分らんでも、長い目ちゅうか、神様の時にはわてらにとってもっと良い

ご計画のはずや。

八: そやねん。そやから、わてらの思うようにいかへんかった時ちゅうのは、神様が、

「八、そっちとちゃうで。こっちの方に進みなさい」ちゅうて、誘導してくださって

るんや。その誘導して下さっている時に、わては神様に愛されてると思うように

してるねん。

熊: そうか。神様が誘導して下さっていることがはっきり分かるのは、わてらの思いとは

違うときや。

八: それに最近気がついたんや。せやから、順風満帆みたいな時には、神様に愛されている

と思っていても、その実、本当の意味で神様の愛が分からへんちゅうか、せやから、

思いどおりになれへん時こそ、神様の愛が、正しい道へと誘導してくれて、

その愛が分かる。

熊: なるほど、逆転の発想やな。神様は、わてらを変わらずいっつも愛して下さってる。

けんど、愛されていることが分かるのは、わてらが落ち込んでいる時、「神様なんで

あかんの?」ちゅうて嘆いている時かも知れんわな。

八: わてら、あんまり出来がようないから、失敗の連続や。せやから、神様の愛を感じざるを

得ない時が多すぎるなぁ。

熊: ほんまや、愛のてんこもりや。な、若さん、そういう意味では、イエス様いのちの

三バカトリオは、神様に愛されてるなぁ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。自分の思い通りにいかないときに、神の愛を感じる。まさに逆転の発想ですね。やることなすことうまくいく時は、もちろん、主がそのように導いてくださっているのでしょう。詩篇1篇でも、●「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。その人は、流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び、その葉は枯れず、そのなすことはすべて栄える。」とあるように、神様との波長があえば、つまり神様の御計画に私たちの思いや行動がそっていれば、何をしても栄えるのでしょう。しかし、私などは、その逆のパターン、神様の御計画にそっていないことをしてしまうことの多い人間にとっても、神は同じように愛され、方向を修正してくださいます。その方向修正こそが、神の愛の証しなのです。

さて、今日も宣言をいたしましょう。失敗こそ、主の愛を感じるチャンスだと思い、

「私は主に愛されています。感謝!」と宣言しましょう。

では、三回宣言いたしましょう。

「私は主に愛されています。感謝!」、「私は主に愛されています。感謝!」、「私は主に愛されています。感謝!」

黙想をいたします。

黙想の時にお読みするのは、詩篇57篇です。

●黙想: 

黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ヨハネの福音書13章34節。

「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」

黙想いたします。詩篇57篇。

黙想時の曲

⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●祈り

●主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは、御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたえ

御心の天になるごとく

地にもなさせたまえ

我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず

悪より救いだしたまえ

国とちからと栄えとは

限りなくなんじのものなればなり

アーメン。

【YOUTUBE配信終了】

賛美⑧:私は奇跡を信じる

https://www.youtube.com/watch?v=-4xWq3uKOdU

賛美⑨:イエスよ愛の手を差し伸べて

https://www.youtube.com/watch?v=-2fFzfPkwW8

●礼拝の感謝の祈り

(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)

●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」

https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM

●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏

https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0

●閉会

●連絡

次回の主日礼拝は、12月29日 午後5時から小阪チャペルにて。

いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。

聖書: ルカの福音書4章

「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ

https://vinechristchurch.jimdofree.com/