ぶどうの木キリスト教会 小阪チャペル
2024.12.29主日礼拝式
(早朝礼拝午前7時~、夕拝午後5時~、夕拝のあと、茶菓とともに短く交わりの時をもちます。7時ごろ終了。早朝礼拝と夕拝の聖書箇所及び内容は異なります。)
●午後5時開会:ただいまより、2024年12月29日主日礼拝式を始めます。
●祈り
礼拝の心構えの聖句をいっしょに唱えましょう。
ローマ人への手紙12章1b-2節(新改訳聖書2017)
●「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分をかえていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」
続いて
●使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来りて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、
永遠の生命を信ず。アーメン。
礼拝は、私たち自身を神様に献げ、神様の御名をほめたたえ、神様の御声を聞く時間であります。
私たちの賛美のいけにえを喜びをもってともに主にささげましょう。
賛美①:御霊よ降りて
https://www.youtube.com/watch?v=1Gq1cxv66-8
賛美②:わが目を開きて
https://www.youtube.com/watch?v=gfcVt31AR2c
賛美③:インマヌエル麗しい御名(12月)
https://www.youtube.com/watch?v=qL2eZaI1Exs
賛美④:心を照らす灯は
https://www.youtube.com/watch?v=kb9zFqpD9bk
賛美⑤:主イエスの救いを信じる喜び
https://www.youtube.com/watch?v=5-r1Dj1BPP4
賛美⑥: 父なるみ神に
https://www.youtube.com/watch?v=vIYmyxSSiM4
【YOUTUBE配信開始】
2024年の年間の指針は「シェアリング:分かち合い」です。
年間聖句は、マルコの福音書6章39節~44節とルカの福音書14章15節です。
●マルコの福音書6章39節~44節「五千人の給食の奇跡」(新改訳聖書2017)
するとイエスは、皆を組に分けて青草の上に座らせるように、弟子たちに命じられた。
人々は、百人ずつ、あるいは五十人ずつまとまって座った。
イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、
パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。
また、二匹の魚も皆に分けられた。
彼らはみな、食べて満腹した。
そして、パン切れを十二のかごいっぱいに集め、魚の残りも集めた。
パンを食べたのは、男が五千人であった。
●ルカの福音書14章15節「神の国の食卓」(新改訳聖書2017)
イエスとともに食卓に着いていた客の一人はこれを聞いて、イエスに言った。
「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」
●2024年12月29日 主日礼拝メッセージ
「ルカの福音書」は、医者であったルカが異邦人を対象にして書いたイエス・キリストの記録であり、聖霊の満たしと働きを強調し、また私たち一人一人がイエスに出会うことを目的としています。
●聖書拝読:ルカの福音書 第4章(新改訳聖書2017)
朗読: 若竹 31節~44節。
中心聖句:
「しかしイエスは、彼らにこう言われた。『ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。』」(43)
メッセージ主題:『神の国の福音を宣べ伝える人生』
改めまして、こんばんは。そして、お帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。主が皆さんおひとりおひとりにお語り下さることを期待します。
●メッセージ
(中略:ホームページ、およびFB「ぶどうの木キリスト教会」に記載)
ルカの福音書第4章では、イエスは40日40夜断食をし、悪魔の試みにわざとあわれました。イエスはすべての誘惑をみ言葉で退けました。私たちにみ言葉には力があり、み言葉でしか悪魔の誘惑に対処できないことを示してくださいました。そして、御霊の力を帯びて、ガリラヤに返り、会堂で教えられた。その後故郷ナザレに戻り教えておられたが、歓迎されませんでした。そこで、ガリラヤ・カペナウムに行き、悪霊につかれた人をしかり、お癒しになられました。そして、シモン・ペテロの家により、シモンのしゅうとめが熱で苦しんでいるのをお癒しになり、日暮れにそのニュースを聞いた近隣の病人たちがぞくぞくとやってきて、イエスはひとりひとりお癒しになられた。朝になって、住民がイエスが他のところに行かないように頼みに来たが、イエスは次のように言いました。「『ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。』」
これが、今日の中心聖句です。イエスがこの世にこられたのは、「神の国の福音を宣べ伝える」ことであります。
イエスが、これに近いフレーズを述べたことを、マタイやマルコに記録があります。
●「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4:17)
●「時が満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)
「神の国が近づいた」とはどういうことでしょうか。神の国が、この世界に接近してくるのでしょうか。あたかも、惑星が地球に接近し、衝突して大爆発! というわけでは、ありません。聖書中の神の国とは、この世界以外の宇宙からのものではなく、「国」は場所ではなく、「支配」という意味です。
ですから、神の国は、人が死んだ後に行くような「場所」などでもありません。神の御子、主イエスは、まことの人となってこの世に来られ、「時は満ち、神の国は近づいた」と宣言されました。神の支配が、この地上を生きている者、わたしたちに「近づいて」くるものです。時は満ち、神の国、つまり神の支配が近づいた、というのは、この世に、ここに、王なる神の支配が及ぶ、その時がついに来た、ということなのです。
しかし、わたしたちは、「支配」というと、あまり良い印象を持ちません。わたしたちの世における「支配」というのは、人を従わせる強制的な力を持つからです。私は、この「神の支配」とは、神がアダムとエバのために用意してくださった、「エデンの園」のようなところではなかったかと考えています。「エデンの園」というと「場所」をイメージしてしまいそうな感じですが、創世記2章では、次のようなエデンの園に関する記述があります。
●「一つの川がエデンから湧き出て、園を潤していた。」(10)
●「神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。」(15)
●「神である主は人に命じられた。『あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。』」(16-17)
神はアダムとエバに比較的自由にエデンの園を耕させ管理させました。しかし、ひとつだけやってはいけない事、それが「善悪の知識の木から食べてはならない」というものでした。神の国であり神の支配の中では、私たちは、ある禁止事項はあったとしても、それさえ守っていれば、比較的自由に行動できる世界であるのでしょう。
ここでのある禁止事項とは「善悪の知識の木の実を食べてはならない」というもので、その果実によって、創造主である神と対等となれるという傲慢が生まれ、神を軽んじる結果となるということです。そして、その神から離れるということが罪であるのです。
私たちの主イエス様は、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい。」と告げます。「エデンの園のような神の支配が近づいている。神に立ち返って、アダムとエバが犯し、私たちの肉体にまとわりつく罪を帳消しにしてくださる福音(良き知らせ:恵み中の恵み)を信じ、その福音にあずかりなさい、とおっしゃるのです。
ルカの福音書にある、イエス様のことば、『ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。』これは、マタイやマルコに記録されている言葉より、はるかに、自分のこの世での目的を確信している言葉です。「神の国の福音」とは、つまり「十字架の死と復活をとおしての、イエス・キリストの世の人の罪の贖いと永遠のいのちの約束」この救いの福音を知らせないといけない、そのために私はこの世に送られて来たのです。
イエス・キリストは神の彼における目的をきちんと理解していました。ですから、イエスは弟子たちに次のことを告白していました。マタイの福音書20章18-19節
●「ご覧なさい。わたしたちはエルサレムに上って行きます。人の子は祭司長たちは律法学者たちに引き渡されます。彼らは人の子を死刑に定め、異邦人に引き渡します。嘲り、むちで打ち、十字架につけるためです。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
この確信は、イエスが宣教を始めた時から、まったく変わっていないのです。私は、イエスのこの確信は、イエスがヨハネからバプテスマを受けた時、天からの声「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と聞こえた時、また40日40夜断食し悪魔の誘惑にわざわざうけ、彼らの誘惑を退けた後、「御使いたちが近づいて来て仕えた」(マタイ4:11)時、イエスはキリストとしての自覚をかため、ご自身の目的を確信したのではないでしょうか。
私たちも、イエス様に倣って、神の国の福音を伝えるものとさせていただきましょう。
さて、今日も天国長屋の八さん熊さんにご登場いただきます。八さん熊さんは、神の国の福音をどのように伝えたいと思いますか。
―――――
八: 「神の国の福音」なあ、伝道、いわゆる種まきやわなぁ。
いろんな種まきの方法があるでぇ。
熊: トラクトなどを配る文章伝道、ラジオやテレビやインターネットでの放送伝道、
イベントやコンサートや特別集会などで教会に来てもらう勧誘伝道、
小グループの聖書の学び会、それにお友達の間での1対1の伝道であったり、
習い事を通じての伝道、
八: それに、三浦綾子の本の読書会もそれに準ずるものやわなぁ。
熊: やろうと思たらいろいろあるなぁ。
八: せやけど、結局はイベントに人よんで、そこで福音をつたえるちゅうことなんやろなぁ。
熊: そういわれれば、そうやわな。結局は手替え品替えして、人を集めることが、第一歩やろ。
八: わて、最近つくづくそんなんでええんやろかと思うこともあるねん。
熊: イエス様はどのようにして伝道してはったんやろか。
八: ルカの4章だけみても、悪霊を追い出したり、病気を癒されたり、奇跡をおこし、
みんなの注目をあびてから、福音を宣べ伝えてたんとちゃうやろか。
熊: イエス様は奇跡をおこしはった。あれは伝道にとっては強みやわな。
けんど弟子たちはどうやったんやろか。
八: 二人、組になって、伝道の旅に出ていかせはった。その町々で、家庭集会みたいなものを
開いていったんやろぅ。知人や町の理解者を頼っていったんやろな。
熊: 若さんは、日曜日のお昼ごはんにひかれて、釣られたゆうてたな。
八: いっしょに食事をするちゅうのは大事かもしれん。イエス様かて、
5千人の給食のはなしがあるように、食事をすることは大切にしてはった。
お弟子さんたちとも、食事をしながら、神の国の話をしはったんやから。
熊: いっしょに、食事をするのはええかもな。食事をしながら、証し、
神様がどんなええことをしてくださったかと話しするんや、それとなくやけどな。
八: けんど、1対1じゃ、話が尽きてしまうかもしれん。できれば、2対1か、
3対1の方がええかもなぁ。
熊: それやったら、わてらイエス様いのちの三バカトリオがひとつのグループとなって、
週に1度、友達誘って、お茶したり、ごはん食べてもええよな。
八: まあ、週に1度って決めいでもええとは思うけど、
できるだけそういうことをしてもええわな。
熊: そんで、誰呼ぶ? わてら、三人はようつるんでるけど、他にあんまり付き合いないなぁ。
八: あかんがな、それやったら。日ごろからそういう友達つくっとかな。
熊: わてら、飲み会せえへんやろ。酒のまへんから誘われもせえへんし。
八: いざ、人を誘うちゅうのは、日ごろからそういう付き合いしてへんから、むずかしいなぁ。
これは、これからの課題やな。ということで、若さん、なかなかええ案がでぇへんわ。
堪忍やでぇ。
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。神の国の福音を伝えるということは、そう簡単なことでもないようですね。私たちは、自分の力で、神の国の福音を伝えるようとすると、うまくいかないかもしれません。主は「目を覚ましておきなさい」とおっしゃいます。神の国の福音、つまりイエス様のなされたことと約束をお伝えするチャンスは、神様がくださいます。そのチャンスを見逃さないように、目を覚ましておく。ここで言うところの「目を覚ます」とは、神様との交わりを常に持つということです。つまり、またかと思われるかもしれませんが、信仰の神髄である、「いつも喜び、常に祈り、すべてに感謝する」1テサロニケ5:16-18 これこそが、目を覚ましておく秘訣なのです。この秘訣を継続する限り、福音のチャンスを逃す可能性は低くなると言えるでしょう。私たちは、エバンジェリスト福音伝道者ではありません。ふつうに社会生活をしているクリスチャンです。日常生活において、イエス様を証しする少ないチャンスを逃さないようにするために、私たちは、主を喜んでいるべきです。
さて、今日も宣言をいたしましょう。福音のチャンスは、主が作って下さいます。主がおつくりくださる、チャンスを待ち望み、「私は主を喜び、目をさましておきます。感謝!」と宣言しましょう。
では、三回宣言いたしましょう。
「私は主を喜び、目をさましておきます。感謝!」、「私は主を喜び、目をさましておきます。感謝!」、「私は主を喜び、目をさましておきます。感謝!」
黙想をいたします。
黙想の時にお読みするのは、詩篇21篇です。
●黙想:
黙想の前に、イエス様のお言葉をお聞きください。ルカの福音書10章20節。
「しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
黙想いたします。詩篇21篇。
黙想時の曲
⑦[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●祈り
●主の祈り
天にまします我らの父よ
ねがわくは、御名をあがめさせたまえ
御国を来たらせたえ
御心の天になるごとく
地にもなさせたまえ
我らの日用の糧(かて)を、今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救いだしたまえ
国とちからと栄えとは
限りなくなんじのものなればなり
アーメン。
【YOUTUBE配信終了】
賛美⑧:聖い御霊よ
https://www.youtube.com/watch?v=SsaEezJQCCM
賛美⑨:主の前にひざまずき
https://www.youtube.com/watch?v=0JUc0GASGf4
●礼拝の感謝の祈り
(小阪チャペルでは、献げものは教会に入ってきたときに、感謝と悔いた心をもって捧げます。)
●頌栄:新聖歌63番「父御子御霊の」
https://www.youtube.com/watch?v=0gKUQaaKTqM
●祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
●新聖歌59「アーメン」(アーメン)Ⅶ 四唱 MIDI鍵盤によるオルガン演奏
https://www.youtube.com/watch?v=SPZdXDlscT0
●閉会
●連絡
次回の主日礼拝は、1月5日 午後5時から小阪チャペルにて。
いずれも小阪チャペルのLINEグループで同時配信します。
聖書: ルカの福音書5章
「ぶどうの木キリスト教会小阪チャペル」ホームページ
https://vinechristchurch.jimdofree.com/